第98話 地平線の彼方
夏の行幸に出てから1ヶ月後、ロンドンに戻ってきた私の宮廷に、ドレイクが出発の挨拶に訪れた。
乗組員は164名。
イングランド南海岸のプリマス港を出港し、西アフリカ沿岸を南下、大西洋を渡り南アメリカの海岸を偵察後、マゼラン海峡を通過して太平洋へと乗り出す――その遠大な計画を知っているのは乗組員の中でも、ごく一部の者だけだった。
ドレイクは、彼の旗艦であるペリカン号を含め5隻の船団を率いるが、うち1隻をクリストファー号と名付け、1隻をエリザベス号と名付けた。
それは私への忠誠と、ハットンへの友情の証だ。
ちなみに、1番小さい船がクリストファー号らしい。
謁見の間には、この計画に参画した全ての人間が集まっていた。
その中央で、改まった服装で訪れたフランシス・ドレイクが、玉座の前に膝をつく。
ドレイクの出立の挨拶を座って聞いた後、私はハットンを側に呼んだ。
傍らに跪いた少年が、恭しく捧げ持った短剣を受け取り、玉座を立つ。
鞘に収まった護身用の剣をドレイクの前に差し出すと、柄に刻まれた紋章が黄金色に輝いた。
勇ましく牙を剥く、3頭の黄金のライオン――イングランド王室の権威を表す紋章が。
「これを持ちなさい、ドレイク――これは私の牙、あなたを守る刃です」
この剣を下賜するということは、女王名代として、船上での全ての権威を与えるという証だ。
きっと、これからの彼の旅路には、幾多の困難が待ち受けるだろう。
その時、私に出来るのは祈ることだけだろうか?
だとしたら、何のための王の権威で、権力だろう。
「ドレイク、あなたに刃向かう者は、私に刃向かう者と見なします――私の名と主のご加護が、あなたを守りますように」
これは、私の国を、民を、英雄を、守るためのものだ。
厳かにその剣を受け取ったドレイクが、膝をついたまま宣言する。
「必ずや、女王陛下の名を世界に轟かせて見せます」
「信じます。私の海賊――汝の船出に、神の祝福があらんことを」
表向きは地中海への交易と銘打っているので、大々的に彼をプリマスまで見送りに行くことは出来ない。
せめてもの手向けとして、私とこの計画の支援者たちは、ドレイクを城門まで送り出した。
「いってらっしゃい、ドレイク。必ず帰ってくるって信じてるよ!」
「ああ、ハットンも元気でな。頑張れよ」
馬を引くドレイクと向き合い、ハットンが最後の別れを惜しむ。
ドレイクの身長からすると丁度良い位置にあるであろう頭を、ぐしゃぐしゃと撫で回すと、ハットンが対抗して、ドレイクの赤毛を掻き回そうとしたが、片腕で簡単に押さえ込まれた。圧倒的にリーチが足りない。
なおもピョンピョン飛びながら手を伸ばすハットンの悪あがきを、ドレイクが余裕の表情でニヤニヤ笑いながら見下ろしている。
何コレ超かわいい。
ずるい私もやりたい。でも私とハットンでは、そこまで体格差はないので無理か。
そんな少年達のたわむれをにやけそうになりながら眺めていたのだが、いきなり私の方を向いたドレイクが、大股に近づいてきた。
「女王様!」
「きゃっ……」
強引に腕を引かれたかと思うと、気が付けば逞しい胸に抱き込まれていた。
「……!?」
驚く暇もあらばこそ、いつかの仕返しのように、額にキスをしてきた男に唖然とする。
「なっ……」
当然、周囲には秘密枢密院の他、ドレイクの計画に参加した重臣たちが顔を揃えており、どよめきが起こった。
「っなに……いきなり……!」
あまりのことに赤面し、額を抑えて抗議する。
絶対仕返しだコレ!
狼狽する私の顔を覗き込み、ドレイクは満足したようにニヤリと笑った。
「帰ってきたらマジで落とす」
「はぁっ!?」
「さすがに船乗りと結婚しろとか言わねぇから。愛人でもいいし」
「はいぃっ?」
何言ってんだぁ、こいつはっ?!
とんでもないことを言ってのけ、腕を放したドレイクは、唖然とする私や周囲を尻目に、とっとと馬に乗って手綱を引いた。
やり逃げかい!
「んじゃな、女王様。変な男に捕まるんじゃねぇぞー」
「もう……!」
手を振って去っていく男を、額を抑えたまま見送る。
「なんてヤツ……!」
遠ざかっていく背中を睨みつける。風に吹かれると、ようやく頬の火照りが引く気がした。
「陛下ぁ! 何なんですか、あの小僧はっ!」
そんな私に、気色ばんだロバートが詰め寄ってくる。
こっちも動揺してたので、私もつい言い返した。
「そんなのこっちが知りたいわよっ」
「愛人をご検討ならまず優先順位というものが!」
「検討してない!」
「その割にはまんざらでもないご様子にお見受けしましたがっ」
「そ、そんなことないっ。不意打ちでビックリしただけだし!」
「あのような強引さがお好みなら、このロバート、いつでもウサギの皮を脱ぎ捨ててオオカミになります!!」
「なるな!」
人の話を聞かないロバートとの言い合いに、その場に居合わせた者たちの生暖かい視線が注がれる。
どこからか密かに「間男……」「痴話喧嘩……」「破局……」とかいうヒソヒソ話が聞こえた。
ええいっ。また余計な噂が立つ!
私は慌てて背筋を伸ばし、ロバートに背を向けた。
くそっ、動揺した。
だが今さら澄まして見せても修復不能だ。
かくなる上は、逃げるに限る。
「知りません!」
ピシャリと一言返し、大股に宮殿へと戻る。進行方向に立っていた人達が怯えて道を空けた。
「へ、陛下……!」
「ハットンの同行だけ許します!」
とりあえず怒った振りをして、その場を逃げ出そうとした私に、ロバートが空気を読まずに追いかけてこようとするのを牽制する。
「は、はい!」
様子を見守っていたハットンが、突然名指しされ慌てて返事をする。
駆け寄ってきたハットンを連れて、私は女王の私室へと舞い戻った。
「あーもー、あのバカ。とんだ大騒ぎじゃない!」
私室に戻った私は、ことの元凶のドレイクに文句を言い、どかりと椅子に腰を下ろした。
円卓のテーブルには、あの男から返された地球儀が1つ、置かれたままになっている。
「悪いわね、ハットン。巻き込んじゃって」
「いえ……」
咄嗟に道連れにしてしまった少年に謝り、向かいの席を勧める。
勧められた椅子にちょこんと座り、目の前の地球儀を見ながら、ハットンが言った。
「やっぱり凄いですね、ドレイクは。公衆の面前で、女王陛下にあんなことが言えてしまうなんて」
「すごいっていうか……怖いもの知らずっていうか……なんにせよ大物だわ、あのバカ」
しみじみと呟き、私は目の前の地球儀を回した。
まだ詳細の書き込まれていない新大陸を指で撫で、これからの彼の冒険に思いを馳せる。
「……とりあえず、いい男になって帰ってこい」
絶対に、帰ってこい。
最後まで陽気な態度を崩さなかった男の、内面に燃える決意と覚悟を推し量る。
王室の援助を受けて行われる、この壮大な計画の目的は、アメリカ大陸のまだ未探索の地に、新たな港を見つけること。また、東インド諸島との交易を促進することだ。
だが……誰も口にはしていないが……スペインへの復讐に燃えるドレイクが、機会さえあればスペインの船舶と植民地を攻撃し、掠奪を行うのは明らかだった。
だが、それを禁止する指令などは、あえて出していない。
ある意味で、ドレイクと、英国の出資者たちの感情は、暗黙の内に一致していた。
サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇は、イングランド人に大洋の彼方の現状を認識させ、そして、新たな決意を固めさせた。
スペインには、彼らが異端とする信仰者と友好的な交易を結ぶ気はなく、一切の容赦も融通もない。
だが、現時点において新世界の貿易は、スペインが牛耳っているといってもよく、平和的な交易が望めない限り、弱者が富を望むなら、海賊になるしかないのだということ。
それは、海に生きる彼らにとっては、『自由』と『解放』への戦いでもあった。
スペインに対する激しい憎悪と復讐心を抱えながら、『女王の海賊』となったフランシス・ドレイクは、その年の夏の終わり、再び地平線の彼方へと乗り出した。
第7章 完




