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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第7章 サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇編 
96/242

第96話 女王が恋をしたようです


 7月も半ばに入り、宮廷は、夏の大移動のために慌ただしさを増していた。


 今年も行幸には出る予定でいたのだが、日程が延び延びになっていたのだ。


 ちょうど行幸の計画を立てる時期に、サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇が明らかになったため、それどころではなくなったというのが1番の理由だ。


 太平洋渡航の大計画も会議室レベルでは大方まとまり、一息ついた頃、私たちは1ヶ月程度の短い行幸に出ることにした。


「ドレイク、もう支度は出来たの?」

「女王様」


 もうすっかり通い慣れた部屋を訪ねると、包帯も取れ、完全復活したドレイクが振り返った。

 彼の傍らには、一抱えほどの荷袋があるだけだ。


「それだけ?」

「別に、俺が持ってきたもんなんて何もないしな。あ、女王様、これは返しとくよ。ジョンがアンタにやったもんだしな」


 そう言って、枕元の棚に置いていた地球儀を私に手渡してきた。

 地球儀を抱いて向き合うと、荷袋を肩にかけたドレイクが歯を見せて笑った。ここしばらくで、1番生き生きしてる顔だ。


 きっと、海が彼を呼んでいるのだろう。


「ほんと、何から何まで世話になっちまって……しばらくはプリマスで出航の準備があるけど、出発する前には、1度挨拶に来るから」

「そうね。私たちも、しばらく宮廷を移動するから、ロンドンに帰ってきたらまた会いましょう」


 ドレイクが宮廷に留まっていたのは、たった7週間。


 これからプリマスでの出航の準備に1ヶ月はかかるだろうが、1度大海原へ解き放ってしまえば、戻ってくるのは何年後のことになるだろう。


 私たちも、明日にはここを離れる。

 ロンドンに帰ってきた頃には、ドレイク達の出航の準備も整っていることだろう。


「ハットンが羨ましがってたわよ。それに、寂しそうだった」


 この7週間で親しくなった少年の名を口にすると、ドレイクが眼を細めて微笑んだ。


「ハットンなぁ……かわいいよなアイツ。なんか、いかにもお坊ちゃまっつーか。頭良いのにスレてないっつーか。俺なんかでも友達扱いだし」

「ドレイク!」

「あら」


 噂をすればなんとやら、部屋に飛び込んできた少年を、私とドレイクが同時に振り返った。

 すると、ハットンは先客の私を認めて恐縮したように礼をした。


「構わないわよ。それとも、私は出て行った方がいいかしら?」

「いえ! そんな、滅相もありません!」


 私に気を遣われ、首振り人形のごとくブンブン首を振るハットン。


「女王様、男同士でそんな気ぃきかされても……で、お別れの挨拶か? ハットン。お前も律儀なやつだよな」


 ドレイクが声をかけると、少年は振り過ぎた頭を押さえながら歩み寄った。

 神妙な面持ちで、かなり身長差のある相手を見上げる。


「ドレイク……とうとう行っちゃうんだね」

「ああ。まぁ、後1回、女王様に挨拶には来るけど。その後は、何年かかるか分かんねぇな。元気でやれよ」

「うん……」


 細い肩を落とし、どこかしんみりとした様子のハットンに、ドレイクは頭を掻きながら言葉を選んだ。


「あーええと、なんだ……お前がいてくれて、ホント助かった。こんな息苦しい場所で、お前がいなかったら息が詰まるところだった。ここで、これからやって行こうって言うんだから、大した奴だよ全く」

「僕は、君がうらましいよ、ドレイク」

「俺?」


 首を捻るドレイクに、ハットンが拳を握りしめ、頬を紅潮させて訴えた。


「君は、身体も大きいし、頑丈だし、意志も強いし、カッコイイし……僕が欲しかったものを全部持ってるんだ。その上、今から誰も見たことがないような場所に、大冒険に出ようとしてる! ずるい! 僕も行きたい!!」

「おいおい……」


 おやおや、珍しい。


 普段物分かりの良い子なだけに、だだをこねるハットンというのは新鮮だ。


「ズルいったらズルいったらズル……うぃあぅ~」

「わぁーったわぁーった。帰ってきたら山ほど土産話聞かせて、好きなだけ羨ましがらせてやっから」

「ほへいふいひゃいほぅ~」


 低い位置にある顔に両手を伸ばし、ごつい指で頬をつまんで黙らせてきた男に、少年が抵抗する。

 手加減はしているだろうが、それでも怪力男の物理攻撃に、ハットンは涙目だ。

 

 ドレイクめ、ハットンのマシュマロほっぺを餅のように伸ばすなど……ズルい! 私もやりたい!


 ようやく解放され、赤くなった頬を抑えたハットンが、痛みのためか哀愁か、潤んだ目を隠すように俯いた。


「だから……その……応援してる」

「ハットン……」


 向き合い、寂しそうな少年を見下ろすドレイクが口を開く前に、ハットンがポケットから何かを取り出した。


「ドレイク! これを持っていってくれないか」


 そう言って差し出したハットンの手には、金の懐中時計が握られていた。


「これ、家紋か?」


 大きな手で取り上げ、ドレイクがしげしげと蓋の表面に掘られたエンブレムを眺める。私も、隣からそれを覗き込んだ。


 蓋の全面に掘られているのは、2頭の馬が後ろ足で立ち、旗を囲んでいる紋章だった。

 旗には中世騎士の甲冑の頭部が乗っており、その上に、1頭の雌鹿が誇らしげに胸を張って立っている。


「うん、僕の家の紋章」


 ようやく笑顔を見せ、何てことのないように答えてくるが、紋章入りの黄金の懐中時計など、おいそれと他人に預けられるようなものではないはずだ。


「僕は、船にも乗れないし、君の冒険にはついて行けないけど……ここから、このロンドンから、君の成功を祈って、応援してる。その証に、それを持っていて欲しいんだ」


 聡明な碧い眼が、情熱の炎を宿して、ドレイクを見つめる。


「僕の代わりに、世界を見てきてよ」


 夢を託した少年の頭に、大きな掌が落ちた。


「ああ、約束する」


 わしゃわしゃと髪を掻き回すドレイクの目も、少し潤んでいるような気がした。


「……女王様、何してんの?」

「……気にしないで」


 動物や子供のドキュメンタリー物に死ぬほど弱い涙腺が刺激され、第三者のくせに1番うるうる来ていた私は、背中を向けて涙を乾かしていた。







 ドレイクを港町プリマスに送り出した私たちは、翌日、宮廷ごと夏の行幸に乗り出した。


 その日は朝からあいにくの雨模様で、私は早々に馬車へと乗り込むことを勧められた。

 同じ馬車の向かいの席には、セシルとキャットが座っている。


「スコットランド宮廷に、ダーンリー卿が非公式に訪問?」


 移動の馬車の中で、セシルから聞いた内容を復唱する。


「はい。レノックス伯爵夫人マーガレット・ダグラスが手を回して、すでに先日発ったようです」


 レノックス伯爵夫人はダーンリー卿の母親で、息子を私の結婚相手に送り込もうと躍起になっていた教育ママだ。


 彼が急にスコットランド宮廷に赴くことになった、詳しい経緯は分からないが、ダーンリー卿はスチュアート朝とチューダー朝両方の血統を持っており、メアリーにとっても親戚になる。

 あのやり手のママなら、幾らでも理由はこじつけて手配は出来るだろう。


 このタイミングで、メアリー女王のもとに息子を送り込む目的は1つしかない。


 息子にスコットランド王位を。


 なるほど、息子の出世に情熱を傾けるレノックス伯爵夫人が、なかなか煮え切らない、かなり年上のイングランド女王から、真剣に結婚を検討し出している年の近いスコットランド女王へとターゲットを変更したとしても、不思議はなかった。


「それにしても、随分急な方向転換ね」

「それが……」


 私の感想に、セシルが言いにくそうに付け足した。

 

「どうもレスター伯が、マーガレット・ダグラスに話を持ちかけたようです」

「ロバートが?」


 意外なところで飛び出した名前に聞き返すが、セシルの答えに納得する。


「これを機に、邪魔なダーンリー卿とメアリー・スチュアートをまとめて片付けたかったのでしょう」

「ああ、なるほど。って、また余計なことを……」


 言われてみれば、いかにもやりそうなことだ。


 溜息を漏らし、私は窓の向こうに件の男の姿を目で追った。

 馬車の前方に、雨の中、護衛の指揮を取るロバートが見える。相変わらず騎乗姿が見栄えする守馬頭である。


 あの男ならば、マダムを懐柔するなどお手の物だろう。


「ダーンリー卿ねぇ……」


 呟き、私は話題の青年の姿を思い出していた。


 確かにマリコの好きそうな、長身で優男風のイケメンだが、私の中では、教育ママにベタベタに甘やかされて育った坊ちゃん、というイメージだ。


 ……まあこれは、当人というより、母親の強烈なキャラクターに大きく影響されているのだが。

 マーガレット・ダグラスは、私の中ではかなり苦手なタイプの女性だ。


 実際のところ、トマスの二の舞にならぬよう、あまり関わらないようにしていたので、本人ことをよく知っているわけではない。


 そのトマスも、ノーフォーク州に留まったまま、最近は音沙汰がないので心配ではある。


「まぁ……でも、なくはないんじゃない?」


 ダーンリー卿が、メアリーの夫候補として、という意味だ。


 イングランド政府は、外国とスコットランドの結婚同盟が、自国の安全を脅かすのを恐れ、スコットランド女王に、イングランドの貴族から結婚相手を選ぶよう要望している。


 ダーンリー卿という選択肢は、最善ではないが、最悪というわけではない。


「スペイン王に嫁がれるよりは、100倍マシな気がするけど」

「それはそうですが、ダーンリー卿はカトリックです。そして、マーガレット・ダグラスはヘンリー7世の孫にあたり、ダーンリー卿の王位継承順位はメアリーの次点、王位継承者同士の結婚は請求権を強める――この上、スコットランドがカトリック国家に戻れば、スペインなりフランスなりが再び近づいて、イングランドの包囲網を狭めるやもしれません」


 さすがに、セシルの視野は広い。


 とはいえ、ここで色々と意見を戦わせても、結論は1つだった。


「まあでも……最終的に選ぶのはメアリーだし」




 などと思っていたら、しばらくしてメアリーから、件の青年について、やたらと好感触な手紙が届いた。


『いい子よねー。背も高いし、脚も長いし、スタイルいいし、イケメンだし、美形だし』


 要するに見た目が好みだったと。


『さすがにスコットランド育ちの男とは教養が違うっていうか、品もあるし、趣味も合うから一緒にいて楽しいわー。正直、そっちから話が出た時は全然期待してなかったけど、なかなかいい男紹介してきたじゃない』


 別に私が選んだわけじゃないのだが、褒められてしまった。


『とはいえ、年齢がねぇ……フランソワも慕ってくれる弟って感じで可愛かったけど、正直、男としては全然ときめかなかったし。あの子も、まだちょっと色気が足りないっていうか、経験値不足っていうか。中性的な感じは好みなんだけど、もうちょっと、バニラエッセンス的に男臭さもあった方が……』


 別に私が選んだわけではないのだが、やたら難しい注文をつけてくる。

 バニラエッセンスと男臭さが化学反応を起こしている文面だが、私の周りで適合者を探すのはちょっと難しそうだ。


 前夫のフランソワは、メアリー・スチュアートの1歳年下だった。

 メアリーは今18歳だが、中身は私と同い年の須藤マリコだ。17歳の親戚の息子さんが、『あの子』扱いでもおかしくはない。


 だから、なんだかんだ言っても、さすがに恋愛対象にはならないんじゃなかろうか、と高をくくっていたのだが……


 時に恋心は、意外な形で芽生えるものだ。


『昨日からあの子が風邪こじらせちゃって、親戚のよしみでアタシが直々に看病してあげてるの。そしたら意外な発見! フランソワと同い年だし、17歳なんてこどもこども、って思ってたけど……意外に胸板とか逞しくって! 着やせするタイプってやつ? 結構カラダは出来上がってんのねー。そのくせ、異国で体調崩しちゃったから気弱になっちゃって。母性本能くすぐられるわー。アタシがつきっきりで看病してあげてる間、熱でうるんだ目で、ずーっとアタシのこと見てるのよ! 超かわいくない?』


 お、おう……


『やだドキドキする。これって恋かしら???』


 ハテナ3つもついてるけど、もう自分で結論出てんじゃん。


 その後も続く怒涛のダーンリー萌え語りを読み終えた私は、1つの確信を得た。


 どうやらマリコは、すっかりダーンリー卿にハマってしまったらしい。


 ……これはさすがに、セシルに報告しておいた方が良いかもしれない。

 転がり方によっては、外交に関わってくる問題だ。




 だが、私が動くより先に、マリコの方が光の速さで動いた。


『決めた! アタシ、ヘンリーと結婚する!!』


 翌日届いた手紙の冒頭に、さすがにずっこけた。


 速いよ! 恋心目覚めてから1日だよ?! 恋はジェットコースターだよ!


 さすがに慌てて、『もうちょっと良く考えて、お互いを知り合ってからでもいいんじゃない?』という内容の返信を送ったら、『アナタのオススメ選んであげたのに、なんか文句あんの!?』と逆ギレられた。


 別に私が選んだわけじゃないのだが、怖かったので、それ以上は何も言わないことにした。


 その後も、『今結婚しないでいつするの、このままじゃ好きでもない人と結婚させられるかもしれないアタシ可哀想』という、悲劇に酔っ払った内容が綴られていたが、お前さん、ついこの間まで『1番権力とお金持ってる人がいい』とか言うてましたよね?


 見事な手のひら返しぶりが、いっそここまで来ると潔い。自分に正直って大事だよね。と、温かく見守ることにする。


 ついでに『恋も出来ない女ってカワイソウよね~』と煽られたが、これも黙殺することにする。


『あ、それからさぁ』


 そのまたついでに、手紙には追記でオチがあった。


『アナタのとこのレスター伯から手紙が届いたわよ。「頼むから僕を求婚者と見なさないで下さい」って(爆笑)』


 ロバート……




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