第92話 メアリーの手紙2
翌日から驚異的な回復力を見せたドレイクに、侍医たちは驚嘆しながらも、別の意味で苦労させられることになった。
私の発破が効き過ぎたのか、早く次の航海に出たいといって聞かないのだ。
勿論、本来なら絶対安静で身動きもままならない状態なため、無理矢理起き上がろうとする大男をベッドに押さえつけておくというのは、結構難儀な作業だった。
サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇の報は、国内を震撼させ、ドレイクの奇跡の帰還は人々を沸き立たせたが、同時に、宝物船漂着事件以降の経済制裁により、急激に高まっていたスペインへの悪感情を更に掻き立てた。
そうして、イングランドで慌ただしく5月が過ぎ去っていこうとしている頃、隣国のスコットランドは、意外にも――あくまで須藤マリコの視点では――平穏な日々が続いているらしかった。
相変わらず定期的に届く日記もとい手紙には、『メアリー女王の華麗なる日常』ともいうべき自慢がつらつらと書かれており、その合間合間に、愚痴や私をからかう内容が入っていた。
『お兄様たちが結婚しろってうるさい! アナタのところも周りがうるさいんじゃないの~? ほんと、女王業って大変よねぇ。まぁ、いいようにしてくれるって言うからお兄様たちに任せてるけど……アタシ的にスペイン王なんていいと思うんだけどどう思う? フランス宮廷にいた時に、肖像画見たことあるけど、結構イケメンだったし、せっかく若さと美貌があるんだから、どうせ嫁ぐんなら1番権力とお金持っている人がいいわよねー?』
彼女が『お兄様』と呼んでいるモレー伯は、メアリー・スチュアートの異母兄で、庶子の烙印を押されため、王位継承権を持たない。
野心家で有能な政治家である彼は、自らが王になること自体は諦めているらしく、代わりに己が政治の実権を握ることに固執していた。
形ばかりの王として大人しく玉座に座っていてくれる限り、メアリーは、彼にとっては理想的な君主であるはずだ。
マリコ自身は、政略結婚には抵抗がないらしく、むしろ、いまや欧州随一の大国となったスペイン王妃の座に意欲を見せているようだった。
すげぇな。割り切ってんな。
そのしたたかさは尊敬する。
これが女友達の軽薄な恋バナなら、無責任に盛り上がることも出来るのだが、ことはヨーロッパ全土を巻き込んだ政治問題である。
さすがに、カトリックの大国スペインの国王とスコットランド女王の結婚は、イングランドとしても避けたい事態だ。
これについては、早い段階で周囲が警戒態勢を敷いており、フランスの摂政カトリーヌ・ド・メディシスも、娘のスペイン皇太子妃エリザベートを使い妨害工作に出ている。
イングランドも友好国という立場から、フィリペ王にプレッシャーをかけており、スコットランドの政情不安も相まって、この縁談がまとまる可能性は低いだろう。
逆に――これは私書ではなく公式なやり取りとしてだが――イングランド側も、スコットランド政府と女王に対して、イングランドの貴族から結婚相手を選ぶように要請していた。
スコットランド女王の結婚話も、イングラン女王に劣らず厄介だ。
状況は似たようなもので、この時代、女王の配偶者というのは、『王』としての実質的な権力を握る。
小国スコットランドは、女王が外国の王と結婚すれば、その国の属国となるし、国内の貴族と結婚すれば、派閥間の嫉妬で内紛が起こる。
女の王が忌避されるのは、こういう厄介さもあるのだろう。
実際、メアリーがフランソワ2世と結婚していた間は、スコットランドは間接的にフランスの支配下に置かれていた。
その上、メアリー・スチュアートは、フランス皇太子との婚礼の際――これはマリコではなく本物のメアリーがしでかしたことなのだが――もし自分が夫である皇太子より先立つことがあれば、スコットランドはフランスの一州になる、というフランス側が用意した条約に、一存で署名していたというのだ。
この恐ろしい条約は、幸い、フランソワ2世が早世したことで実現されることはなかったが、4歳の頃にスコットランドを離れてから、1度も祖国に足を踏み入れたこともない女王に、勝手に置き土産として国ごとプレゼントされかけたスコットランド人たちは、たまったものではない。
いくらギーズ公にそそのかされたとしても、これはないと思うのだが、あるいは、生まれながらの女王であった彼女にとっては、自分の国と民など、土産物程度の意味しかなかったのかもしれない。そのあたりの絶対君主の感性は、よく分からない。
ともあれ、危機一髪、フランスの属国になる運命を免れたスコットランドとしては、ようやく独立を回復したようなもので、これ以上お飾りの女王に、好き勝手に売り飛ばされたくはないだろう。
政権を牛耳る貴族たちとしては、一刻も早く、彼らにとって都合の良い結婚相手に女王を押しつけて、首に鈴をつけたいはずだ。
……でも確か、メアリー・スチュアートって、アレだよな。
恋のために王位を捨てて国を追われたとか、そんな悲劇のヒロイン属性がついてたような……
ぶっちゃけ、一時期ブラッディ・メアリーと混同していたくらいなので、かなり怪しい知識だ。
だいたい、世界史は同じ名前が多すぎるのだ。ややこしくて覚えられない。
……まぁ、日本史の、同じ名字がいくつも続くのもややこしいけど。藤原とか足利とか徳川とか。
こっちに来てから、本物のエリザベスを見習って、私なりに過去の歴史は勉強し始めたのだが、さすがに今から先の歴史は学びようがない。
所詮、21世紀の私の知識など、中高時代の世界史の授業と、サブカルチャーの影響でピンポイントで無駄に詳しくなった知識+αくらいだ。
こうなることが分かっていたら、高校時代、ベルばらと藤本ひとみの影響でフランス革命などにハマらず、がっつりエリザベス朝を勉強していただろうに。
……とりあえず、「史実のメアリーは男で身を滅ぼしたらしいから、夫選びには十分気をつけなさい」くらいの忠告はしておいた方がいいか……?
多分、マリコは私以上に歴史を知らない。
16世紀にマリー・アントワネットとか言ってたくらいだしな……
メアリー・スチュアートの名前と最期を知っていただけでも奇跡かもしれない。
まぁ、そんな心配や忠告も、到底聞くような女ではなかったことを、私はすぐに思い知らされることになるのだが……
※
『最近は町外れのホリルード宮殿を、フランス風宮廷に作り替えることに凝ってます♪ フランス風の装飾をして、フランスから来た臣下だけ入れるようにしてるの。音楽、舞踏会、詩……このダサイ国で最高にお洒落な空間はココだけ!』
そんなおめでたい……もとい、上機嫌な手紙が届いたのは、6月の頭。
『今日、仮面舞踏会で男装したんだけど、超似合ってたから見せてあげたかったわー。そうそう、あと、女装したシャトラールが超似合ってた! 興奮したからご褒美にキスしてあげちゃった。舞い上がってて超笑える』
シャトラール……って、ああ。あのメアリー信奉者の詩人か。
もはや半分忘れかけているが、似合いそうな顔はしていた気がする。
最近スコットランドでは、女君主嫌いで、厳格なプロテスタント指導者ジョン・ノックスが、『フランスの堕落を持ち帰った女王』と、メアリーのことを痛烈に批判しているようだが、彼がこの光景を見たら、きっと憤死するだろう。
完全に日記感覚で送られてくる手紙に、忙しい私は必然的に返事を書く回数が減るのだが、気にした様子もなく続々届く、彼女の日常の雑記は多岐に渡った。
っていうか、一応、政治的に微妙な立ち位置にある相手に、こんなに何でも書いて送って大丈夫か?
こっちとしては、彼女の近況が分かるのはありがたいのだけど。
マリコが元気そうで平和に暮らしているうちは、こちらも彼女の動向に気を張らなくて済み、国政に集中出来る。
ちなみにこの書簡は、誰にも見せていない。
完全にプライベートなものだし、内容に突っ込み所が多すぎる。
さすがにセシルは、毎日のように私にメアリーから手紙が届くのを気にしていたが、たいした内容ではないし、何か重要な事柄が含まれていた時は伝えると言ってある。
まぁ、本当にたいした内容じゃないのだけども。
手紙は侍女が私に直接手渡し、私は鍵付きの引き出しにしまって保管していた。
『今日ちょっと有り得ないことがあったんですけどー!』
その日の手紙は、冒頭からテンションマックスだった。
『部屋で着替えてたら、いきなりシャトラールがベッドの下から出てきたの! 有り得なくない? アタシびっくりして大声で叫んじゃった! そしたらみんな来て、大騒ぎ。この前もアタシが寝る前に、部屋で待ち伏せしてるの侍女に見つかって追放されたくせに、また戻ってきたのよ。キモくない? ちょっと遊んでやったくらいで勘違いしちゃって。女王のアタシがただの宮廷詩人に本気になるわけないでしょー?! あんなやつ処刑よ処刑!』
え? これはどこから突っ込めばいいんですか?
出来たら見なかったことにしたかったが、さすがに1週間も経てば、この『スコットランド女王の愛人騒ぎ』はイングランド宮廷にも届いた。
なぜかスコットランド女王のスキャンダルが、最速でイングランド女王に届くという謎現象だ。
どうやらシャトラールは、暇を持て余したマリコの遊びにすっかり本気になってしまい、自分の立場が見えなくなってしまったらしい。
後はマリコの手紙にあるように、21世紀ならストーカーで不法侵入な行動をやらかし、モレー伯によって逮捕された後、裁判にかけられた。
これにはゴシップ好きの宮廷でもあることないこと持ち上がり、「女王の愛人との痴情のもつれらしい」「いや、実は女王の暗殺を企んだフランス・ユグノーの回し者らしい」など、様々な憶測が飛んだ。
結局その騒ぎは、1週間ほどの後、フランス人の宮廷詩人シャトラールが処刑されたというニュースが風の噂で伝えられ、終息した。
一介の詩人が、女王を害そうとすれば処刑は免れないのかもしれないが……顔を知っている相手なだけに、私にとっては気が滅入る事件だった。
この件について、マリコがどう受け止めているのかは分からない。
反逆罪での処刑は、スコットランドの法でも君主の署名が必要なはずだ。
手紙のテンションを見る限り、カッとなったマリコがその場で処刑だと騒ぎ立てても不思議はないが、実際に裁判の決定に従う段階になって、抵抗はなかったのだろうか。
誰かの命を奪う決定を下す。
それは決して私にも他人事ではなかったので、彼女の精神面が気にかかったが、恐らくはどういう気持ちであれ、私には触れて欲しくない部分だろう。
実際、その後頻度の減った手紙には、一切シャトラールのことは触れられていなかった。
スキャンダルは、容易に女王の支持を地に落とす。
彼女が大人しくしていた間は、『政治に口を出すこともない、若く美しい女王』ということで、徐々にスコットランドでの支持も上がってきていたようだが、この1件でどう転がるかは心配なところだ。
このまま大人しく、スコットランドで平和に過ごしていてくれれば、こちらも安心なのだが……




