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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第7章 サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇編 
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第88話 ウサギの反乱


 翌休日、約束通り、私はロバートとハットンを連れて遠乗りに出かけた。


 ハットンが行くと言ったら喜んでついてきたがる女性は多いので、今日は彼のファンのご婦人を旦那付きで呼んでいる。


 私と仲良くしてくれている王室家政長官アランデル伯爵夫人が、今はハットンの隣に馬を並べて、上機嫌でお話ししていた。


「伯爵夫人まで……」


 その様子を見て嘆くのは、私の横で馬を繰るロバートだ。

 宮廷の女性人気(と男性の不人気)では負けていなかった彼が、今日は霞んでいる。


「何をそこまであの子供に惹き付けられるのか……」


 不満そうなロバートに、私は横からフォローを入れた。


「だってほら、全力でいい子じゃない。素直だし、真面目だし。きっとご両親の教育が良かったのねー」

「そんなバカ正直者では、宮廷内外の有象無象から陛下をお守りすることはできません」

「でも、狡猾な人間の方が、よっぽど裏切る危険が高いんじゃない?」

「人の裏もかけないようでは、反乱分子の甘言に乗せられて裏切らされるのが落ちです」

「……ロバート」


 いつになくひねくれた応酬をしてくる相手を、私は軽く睨んだ。


「随分あの子に噛みつくわね。大人げないわよ」


 だが、今日ばかりはロバートも怯まない。鬱憤が溜まっていたらしいウサギは、キッと私を睨み返してきた。


 おおっ? 珍しい。

 

 心持ち身構えると、常日頃私に逆らうことをしないウサギが、反旗を翻して責め立ててくる!


「これは貴女の罪です! 貴女への想いが、俺の心を嫉妬に狂わせる!!」


 所詮ウサギの反乱だった。


 思わず馬ごとずっこけそうになるが、不覚にも、涙目でプルプルしながら怒ってるウサギの幻覚がちらついてしまい、結局その日、私はロバートの機嫌を取る側に回った。



 ……だが、ハットン相手に大人げない嫉妬心を募らせていたのは、どうやらロバートだけではなかったらしい。


 ハットンが宮廷に出仕するようになってから、3週間ほど経ったある日、その事件は起こった。


 謁見の間を出ると、なにやら城内の雰囲気がいつもと違う。


「おい、こっちだ」

「早く来ないと終わってしまうぞ」


 若い貴族連中が連れだって、足早にある方向へと向かっていく。


「……?」

「陛下!」


 彼らの笑い方に不穏な空気を感じ、立ち止まって行く手を見つめていると、その方向から1人の男が走り込んできた。

 ニコラス・ベーコンの部下の1人だ。


「何の騒ぎ?」


 青ざめた男に問い質すと、相手は怯えるように周囲に視線をさまよわせた後、小声で報告した。


「オックスフォード伯爵が……」


 私は眉を吊り上げた。


「また『喧嘩屋』? 今度の相手は誰なの」


 オックスフォード伯爵エドワード・デ・ヴィアは、昨年の夏に父が亡くなり、第17代オックスフォード伯を継承した。


 年齢は18歳。ケンブリッジ大学に入学したが、正式には卒業していない。


 現在はセシルの下で働かせており、彼が面倒を見ていた。

 だが、喧嘩っ早く、すぐ騒動を起こす上、庶民出の上司の下で働くのが不満らしい若き伯爵には、セシルもなかなか手を焼いているようだった。


 爵位を鼻にかけて派閥を作り、自分より位が低い人間に喧嘩を売って虚勢を張る、困った男である。


 とはいえ、高位貴族である以上、彼より格下の人間が相手では、例えオックスフォード伯爵が原因で問題を起こしたとしても、よほどのことがなければ伯爵の方を厳しく罰するのは難しい。


 その辺りも計算に入れた上での行動なのだから、小賢しいと言うかなんというか……


 私が聞くと、男はやはり言いにくそうに相手の名前を出した。


「それが、クリストファー・ハットンで……」

「ハットン!?」


 聞いた瞬間、嫌な予感に突き動かされ、私は侍女たちを置き去りにして駈け出していた。







~その頃、秘密枢密院は……



 ウォルシンガムがその場所を通りかかった時、たまたま目の当たりにしたのは、宮廷ではさほど珍しくない光景だった。


「そらそら、どうした? もっと踊ってみろダンサー風情が!」

「……っ」


 煽り立て、野卑な笑みを張り付けた若い男――オックスフォード伯爵が細剣(レイピア)を突きつけるのを、小柄なクリストファー・ハットンが顔を引き攣らせて寸前でかわす。


 その攻防を、取り囲んだ野次馬たち――多くが貴族階級――が、歓声を交えて観戦していた。


 ことの発端は、滑稽な茶番だ。

 若きオックスフォード伯爵が、すれ違いざまにハットンを挑発し、それを受け流そうとしたハットンに、同年代の取りまきが水をかけて嘲笑したのだ。


 若い男ならば屈辱に我を忘れそうなものだが、ハットンは実に辛抱強く膝をついて謝罪した。


 だが、オックスフォード伯爵はいつものように横暴な理由をつけて相手に剣を握らせ、得意の決闘へと持ち込んだ。


 私闘による決闘は死罪とする決闘禁止令はヘンリー7世の時代に施行されたが、決闘を行う者のほとんどが高位貴族であり、死刑を適応することが難しいため、長い間、有形無実の法令とされていた。


 それに対し、新しく女王が実効的な私闘禁止令を発し、宮廷内での私闘を禁じた。

 これを破ったものには罰金が課せられるが、オックスフォード伯爵の前科は1つや2つではなかった。


 とどのつまり、罰金と女王の怒りを恐れさえしなければ、伯爵が実刑を蒙ることはなく、逆に伯爵に万一のことがあれば、紳士階級(ジェントリ)でしかないハットンは、死刑に相応する厳罰は免れない。


 そのことをよく理解しているハットンは、防衛に終始し、オックスフォード伯の鋭い突きを素早い身のこなしで避け、かろうじて場の均衡を保っていた。


 第17代オックスフォード伯爵エドワード・デ・ヴィア。

 18歳のこの若き伯爵が、郷士の息子でしかないクリストファー・ハットン相手に、このような行動に出る理由は分かりやすかった。


 オックスフォード伯は、確かに容姿端麗で、ダンスの腕前はレスター伯に並び称される程だった。

 詩人としての評価も高く、馬上槍試合では勇猛果敢に活躍する彼を信奉する者は多い。


 貴族として宮廷に花を添えるには申し分のない男だったが、致命的なほどに傲慢で自己中心的なこの男を、女王が政治的に重用することはなかった。


 そのことに不満を抱くオックスフォード伯爵に、自身の欠点を自覚する能力はなく、自分とタイプがかぶるレスター伯ロバート・ダドリーが寵を独占し、出世を妨害しているのだと思い込んでいる節がある。


 ロバートをあからさまに敵視していたが、宮廷に返り咲いたロバートが伯爵位に叙されてから、直接突っかかることをしなくなったのは、この男の姑息なところでもあり、賢いところである。


 ところが、ここにきて自分より若く少年然とした紳士階級の人間が、女王の寵をかっさらい、キャリアのお膳立てまでされているのだから、この男のプライドが刺激されても、なんら不思議はない。


 そのダンスの才能が絶賛されるハットンは、小柄ながら身体能力に長け、オックスフォード伯爵の攻撃を見事な駿発力で回避していたが、徐々に壁際に追い詰められ逃げ場を失った。


「くっ……」


 太ももを割いた切っ先に、ハットンが少女のような顔を歪めて呻く。


 対照的に、目を血走らせたオックスフォード伯の顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶ。

 動きの鈍った獲物に留めを刺すように、剣を持った腕を振り上げた――その時。


「やめなさい!」


 鋭い声――高くも、低くもなく、真っ直ぐに相手に突き刺さるような独特の伸びのある声が、宮殿の廊下に響き渡り、オックスフォード伯は振り上げた腕をピタリと止めた。

 

 ヤジ馬たちが怯えたように通路の両脇にはけ、出来た道の向こうから、絢爛な装いに負けぬ華やかさと威厳を備えた女王が歩み寄ってくる。


 怒りに眉を吊り上げ、唇を固く結んだ顔はいつも以上に冷厳に映り、周囲を震え上がらせた。


「宮廷での私闘は厳禁だと、何度言ったら分かるのですか?」


 明らかにオックスフォード伯に向けて言った言葉だが、あえて名指ししなかったのは、この場で彼だけを糾弾すれば、へそを曲げるのが分かっているからだ。


「これは陛下、申し訳ございません。ですが、私も陛下にお仕えする忠勤無比なる騎士でありますれば、決闘を挑まれれば、その血と誇りにかけて受けて立たねばなりません。徳高き女王陛下のご慈悲をもって、どうかこの男の愚かなる性をお憐れみ下さい」


 すかさず膝をついた伯爵が、剣を平行に掲げて恭順の意を示す。


「ハットンが決闘を申し込んだと言うの? 紳士階級(ジェントリ)が?」

「は……」


 それは、騎士にも叙されていない人間が決闘を申し込むという台詞のナンセンスさを皮肉った返しだったが、オックスフォード伯は額面のまま受取り、深く頭を下げて肯定した。


 女王は、一応ハットンの返答を確認するように視線を向けたが、足に傷を受けうずくまっていた少年は、血の気の引いた顔のまま、弱々しい声で肯定した。


「……ハイ」


 ことの一部始終を見ていた人間からすれば、オックスフォード伯からけしかけたものであるのは明らかだったが、集まった野次馬の中にも、あえてそれを訂正する者はいない。


 ことの真相よりも、身分による秩序の方が、この場では正義だ。


 そして今、何よりも女王の采配に注目が集まった。


「ハットン!」


 鋭い声で名を呼ばれ、顔を伏せていたハットンがビクリと肩をすくめた。


「あなたはまだ若いから分からないかもしれませんが、例え君主の寵を受けたからといって、勘違いしてはいけません。庶民が貴族に逆らうなど、血の流れを逆流するようなもの。頭に足が逆らうようなことがあってはならないのです」


 厳しい声で叱りつけた女王に、ハットンはいよいよ床に付きそうなほどに頭を下げた。


「は……申し訳ありません。女王陛下」


 血の流れる足を押さえ、床に平伏す少年の姿は痛々しかったが、女王が表情を変えることはなかった。


 隣で顔を伏せて膝をつくオックスフォード伯が、白い歯を見せたのが、ウォルシンガムには見えた。


「オックスフォード伯爵。あなたも、その身に高貴な血を宿すなら、下の者に寛大に遇する寛容さを持ち合わせるはずです。風紀を乱すような行動は慎みなさい」

「ハッ」


 幾分声の調子を抑えた女王が伯爵を諭す。


 その扱いの差からは、ウォルシンガムの目には、女王の政治的なパフォーマンスが見て取れたが、おそらくこの場でそのことに気付く者は稀だろう。


 ここで女王が階級秩序を無視して個人的な寵愛に走れば、ただでさえ身分不問、能力重視の官僚登用に不満を抱いている貴族階級に、格好の非難の種を撒くことになる。


 女王のこの場での叱責は、『紳士(ジェントリ)いびり』を物見に集うような貴族達の溜飲を下げ、また、庶民階級の官僚たちの増長を防ぐのにも役立つだろう。


「双方に罰金を科します。オックスフォード伯、もう金輪際、このようなことがないように――行きなさい」


 傲然と促され、頭を下げたまま礼を尽くしたオックスフォード伯が、取り巻きを連れて退場する。


 その姿を冷めた目で見送り、たむろする野次馬を視線で追い払った後、女王はいまだ頭を下げたままうずくまるハットンを見下ろした。


「ハットン……」

「申し訳ありません、陛下。陛下のご温情を裏切るような真似を……」

「傷を見せて」


 重ねて謝罪するハットンの前にしゃがみ込み、傷を押さえていた左手に白い手を重ねる。


「痛いでしょう、かわいそうに……」


 先程の凍るような叱責とは一転した情深い声で呟き、女王は立ち上がってハットンの手を取った。


「立てる? 私の部屋に行きましょう。侍医を呼びます」


 その場に残っていたグレート・レディーズの1人に指示を出して侍医を呼びに行かせると、女王自らが肩を貸して、ハットンに寄り添って私室へと歩みを進めた。


 途中、一度こちらを振り返った女王と目が合い、ウォルシンガムは一礼した。


 視線が求めた意志を受け取り、彼女が去っていく姿を見送った後、歩き出す。


 少しばかり、オックスフォード伯の身辺を探ることにした。



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