第87話 メアリーの手紙
「陛下、お手紙が届きました」
「ありがとう」
宝物庫に保管しておいたホーキンズたちからの献上品を私室に運び込ませ、世界地図を眺めながらハットンを待っていると、侍女がしずしずと封筒を差し出してきた。
いつも同じ封筒で来るそれを受け取り、侍女を下がらせてから封を開ける。
封筒の表にフランス語で、『親愛なる姉上』と書かれているそれは、隣の国――スコットランドから届く、メアリー・スチュアートからの私書だった。
私たちがコルチェスター城を離れて間もなく、船の修繕が完了し、メアリー一行はスコットランドへと帰って行った。
色んな意味で心配な従姉妹の女王兼21世紀の知人須藤マリコだが、そもそも最初の心配は、彼女がスコットランドという国で耐えられるかというところだった。
私もスコットランドには行ったことはないが、話を聞く限りでは、時代遅れで貧しく荒涼とした田舎だ。
フランスではそれなりに楽しくやっていたようだが、この当時の文化の最先端といえるフランス宮廷との落差は凄まじいだろう。
私なんぞは、21世紀では日々を終わらない仕事に費やしながら、何とかやりくりしたプライベートの時間を趣味に費やしていたので、こうのんびりとした時間の流れの中で、ダンスやら演奏やら読書やら、元々持っていた趣味に浸れるのは割と良い案配なのだが、テレビやゲームに依存していた一般的な現代っ子なら、退屈で死んでしまうのではなかろうかと心配になる。
そして、やはり予感は的中して、死ぬほど暇らしい須藤マリコから、21世紀を知る唯一の知り合いとして、私のもとに頻繁に書簡が送られてくるようになった。
日本語で。
……いやまぁ、もし誰かに読まれても暗号文だと思われるだろうし、いいちゃいいんだが。
さすがに、万が一解読されてもいいように未来ネタはごまかしつつも、やたらにフレンドリーな手紙が毎日のように届く。
何という筆まめ。
筆無精どころか、用件以外でメールの返信をするのも面倒臭がる私とは、えらい違いである。これも女子力か?
にしても、最初に対面した時にはものすごく挑発的だったのに、今になって媚びを売ってくるのは、モレー伯の説得が功を奏したと考えて良いのだろうか。
……まぁ普通に考えて、王位継承権を主張するにも、最初の挑発姿勢の方がおかしかったわけで、恩を売って自分を指名させようと考えるのが無難な戦略だろう。
とりあえず、まともな方法を選んでくれたことにホッとする。
手紙によると、スコットランドには都会といえるような集落はほとんどなく、みすぼらしい漁師たちは『公園のホームレスよりヒドい!』くらいで、首都エディンバラはさすがにマシだが、奥地に行くと『何これマジ人間? っていうかゴリラ?』みたいな上半身裸の蛮族が普通に生活しているという『有り得ないくらい惨めなんですけど!』な国らしい。
『フランス宮廷サイコー。もう帰りたい』と泣き言をぼやくこともあれば、『イングランドの方がマシ。やっぱりイングランドの女王になる』と、「ふざけろ」と言いたくなることをサラッと書いていたりして、彼女の気まぐれでテンションの昇降の激しい気性がよく分かるのだが……図太く厚かましい性格が功を奏してか、それなりに逞しく生き方を模索しているらしく、おおむね平和そうで何よりである。
今のところマリコは、『カッコイイお兄様』のモレー伯と、『インテリ』なメートランドというデキる国務大臣に国政を任せ、自分は王冠を戴いて日々を暇に過ごしているらしい。
ちなみにこの2人には、イングランド政府の息がかかっているのだが、マリコは当然知らない。
ひとまずのところ彼らは、イングランドにとっても、スコットランド貴族たちにとっても、都合のいい形で女王を御せているようだった。
当人が真実を知ったら激怒しそうなので、上手く隠し通せることを祈っている。
フランスかぶれの女王が戻ってくるということで、スコットランド国民たちは、隣国のブラッディ・メアリーのようにカトリックを押しつけてくるのでは、と恐慌していたようだが、中身が須藤マリコなだけに、その辺はそこまで心配しなくて良いだろう。
別にマリコがキリスト教徒でも驚かないが、いきなり火あぶりレベルの宗教弾圧に走るような21世紀日本人がいたら仰天する。
実際のところ、マリコはフランス宮廷でカトリック信奉者のギーズ公に教育を受けた上、『何か服とか装飾とか、色々凝ってて格好いい』という、割と日本人的には共感できる理由でカトリックを支持しているようだ。
後は、イングランド王位を主張するにはカトリックと言い張る必要がある、という多分に政治的な部分だろう。
まぁ、そのあたり、あまりこだわりがなく、周りに合わせて溶け込んでしまうのは、私と彼女に共通する日本人部分である。
手紙を見ている限りは、ブーブー言いながらも基本的に調子は明るく、ところどころに自慢すら入っているので、なんだかんだで楽しくやっているのだろう、と安心する。
彼女の中に私への敵意がくすぶっているのは確かなので、この手紙のどこまでが本音かは計りかねるが、例え嫌いな相手であっても、この16世紀で、21世紀の知人に出会えたことに懐かしさを覚えているのは確かなんじゃなかろうかと、我が身を省みて私は思うのだ。
「陛下、クリストファー・ハットン様がいらっしゃいました」
「入って」
ちょうど読み終えたところでハットンがやってきたので、私は手紙を畳んで封筒に戻し、こっそり本の間に挟んだ。
~その頃、秘密枢密院は……
女王の執務の補佐という日中の仕事が終わったウォルシンガムが、部屋で溜まっていた別の仕事を片付けようとした矢先、目の下にクマを作ったレスター伯ロバート・ダドリーが訪ねてきた。
「またか……」
仕事の邪魔をされうんざりするも、一応高位貴族であるため追い返すわけにもいかず、表面上の敬意を払って迎え入れる。
応接用のソファに座った伯爵は、頬づえをつき、いかにも心配して欲しそうな憂鬱な溜息をついたが、そんな手に引っかかるのは女王くらいだ。
「本日はどのような御用で」
なぜか最近、この男に相談だか愚痴だかを持ちかけられる回数が増えていた。
「実は……」
早く終わらせたくて話を振ると、伯爵はもったいぶった口調で切り出した。
憂いを乗せたギリシャ彫刻のような顔立ちは、真剣な表情をすればいくらでも知的に見せかけられるのだが、その実、中身は何も大したことを考えていないことをウォルシンガムは知っていた。
「あの陛下が、なぜこうまで大胆にハットンに執着するのかを日々悩み抜いていたのだが……」
そのための目の下の隈らしい。
「もしや、陛下は処女であられるが故に、男性らしさを忌避されるきらいがあるのではないか?」
「今頃気付いたのですか」
向かいに座ったウォルシンガムは、ロバートの深刻ぶった疑問に、ため息交じりに答えた。
面倒だが、この男をさっさと帰らせるために、相手が納得のいく回答を示す。
「あの方は意識的にしろ無意識的にしろ、男を恋愛対象として見ることを避ける習性があります。一般的な好意を持たれることに抵抗はなくとも、明らかに異性としての関係を求める感情を向けられた場合は、途端に警戒心を見せる」
「……確かに」
心当たりがあるらしいロバートが同意する。
「ハットンへの好意をごまかさずに済むのは、恋愛対象としての好意ではないと自身に言い訳が立つからです」
女王本人も、ウォルシンガムの言い分に耳を塞いだあたり、薄々自覚はあるのだろう。
小癪な言い訳だが、何事にも理由をつけなければ動けないあの女性らしい行動だとも言える。
「俺としては、なぜ陛下が貴殿を寵愛しているのかが不思議で仕方がないが……」
その説明に納得したらしいロバートは、ウォルシンガムの男臭い髭面を不満げに見返した。
「あの方に警戒心を抱かせずに寵を得たいのならば、あからさまに異性としての好意を向けないことです。貴方は初めからやり方を間違えた」
淡々と指摘するウォルシンガムに、ロバートは嫌そうに顔をしかめて言い返した。
「……陛下には、貴殿のことも十分に警戒するように、奏上しておこう」
「ご随意に」
平然と返され、伯爵は面白くなさそうに鼻を鳴らしてそっぽ向いた。




