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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第7章 サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇編 
85/242

第85話 偶然か必然か


 きっかけはただのナンパだったのだが、その夜、舞踏会で出会ったクリストファー・ハットンという少年に、私はダンスの名手という以上の器と可能性を見出しつつあった。


 もう少し、彼の話を聞きたくなった。


「……あなたは、どう考えているの?」


 批判することは出来る。問題は、結論をどう持ってくるかだ。


「……これは、あくまで僕個人の考え方ですが……信仰は個人に帰属するもので、他者に強要されるべきものではないと思います。神の名を語り、俗世界の欲を正当化することの方が、よほど罪深い」


 拳を握り、熱がこもった目で語るその横顔は、幼いながらも凛々しく、迸るような真っ直ぐな情熱を感じた。


 なるほど、この調子で師と喧嘩別れしたのだなと、なんとなく納得できた。


 貴族の挑発に乗って女役で踊り出したと言っていたし、意外に内に熱いものを秘めた子なのかもしれない。


「けれど、個の自由だけを尊重してしまえば、秩序は成り立たないと思わない?」

「それは、陛下ご自身が解決法を見出されたでしょう?」


 おっと。


 意見を引き出したくてあえて反駁してみたのだが、逆に鋭い指摘を受けてしまった。


「陛下は、御即位されてすぐに、宗教上の寛容を法によって成立された……陛下の御代になるまでは、誰1人そのような解決法が実現するなど、想像もしていなかった。寛大な聡明さと、確固たる信念に基づく行動力がなければ出来ないことです。僕はこの時代に生きながら、歴史に残る偉業を目の当たりにしたと確信しています!」


 おっとぉ?


 キラキラとした尊敬の目で見られて、私はひるんだ。


 それは、私が合理性重視の不信心者であるということと、エリザベス1世が成した宗教解決を知識として知っていたからこそ出来たことだ。


 確かに、この時代の人間らしい、人並みな信仰心を持っていれば、なかなか実行に移すことは出来なかっただろうが……こうまで率直に尊敬されると、ちょっとズルしてるのがなんだか申し訳なくなる。


 そう考えると、本物のエリザベスも、この時代の人間としては、相当宗教に対してドライだったんじゃなかろうかと推察してしまう。実際のところは分からないが。


「陛下の歴史的な解決を目の当たりにして、僕は確信しました。大学の教壇で出来ることと、政治の世界で出来ることは違う。コレットやエラスムスが示すように、学問は決して無力ではない。けれど、そこには常に受動的な改革しか起こさない。この50年間で、国家は大きく変遷しましたが、このイングランドに秩序を与えたのは、ヘンリー8世による強力な王権と、王の手足となった議会と法の力です」


 コレットやエラスムスは、15世紀に活躍した、オックスフォードの学者達だ。


 チューダー朝成立以前の30年続いた継承戦争によって、国内は荒れに荒れ、イングランドの学問は死に体だったのだが、彼ら『オックスフォード改革者』達がルネサンスの息吹を吹き込み、再びイングランドに知性を復活させた。


 ルネサンスといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチとか、イタリアやフランスに代表される芸術方面での興隆のイメージが強いが、コレットらがイングランドに持ち込んだこの新しい文化は、一味違う形で展開した。


 それは『新学問』と呼ばれる、イングランド独自の道徳的、宗教的な研究運動に発展したのである。


 ……その分、芸術方面では大きく大陸に後れを取ってしまったようだが、それはこれから、エリザベス朝の時代に大きく開花する……予定だ。

 

 コレットらの説いた先進的な思想は、カトリックでありながら、反教皇主義や国家主義という、現在の国教会に繋がる思想を含んでいた。


 勿論それは、この先に起こる大改革を予見してのものではなかったけれど、彼らの示した新学問の価値観は、説教壇を通じて、徐々にイングランド人の知性に染み込んでいった。


 その流れは、知らず知らずのうちに、国家の運命を大きく変えた。


 国教会の樹立とローマ教皇からの独立という荒技を成し遂げたのは、ヘンリー8世であり、彼の右腕であった不世出の改革者トマス・クロムウェルの政治の力だが、これを許容したのは、新しい学問によって目覚めたイングランド国民の世論だ。


 今、私が推し進めている中庸政策が、危うい均衡を保ちながらも国内で受け入れられているのは、これらの半世紀に渡る布石があってこそのものだろう。

 一方、フランスでは、カトリーヌの急ごしらえの寛容政策が、泥沼な失敗に終わり、内乱へと発展している。


 つまり、イングランドでは半世紀も前――チューダー朝の創始者ヘンリー7世の時代からすでに、ヘンリー8世が作り、エリザベス1世が受け継いだ英国国教会の仕組みを、国民が受け入れる下地が作られつつあったのだ。


 ローマは一日にして成らず。

 歴史の流れは着々と、ヘンリー8世の離婚問題というイレギュラーとしか思えないような歴史的事件さえ、必然のうちに存在したかのようにシナリオに取り込んでいる。


 それはまるで、歴史の大きな流れが、あるべき方向に流れるために、人が生まれ、生き、何かを為し、あるいは成さずに死んでいくような――


 そんな、大いなる力の存在を予感せずにはいられない、不可思議な必然に満ちていた。


「ヘンリー8世の死後の12年間、我が国は混乱しましたが、陛下の御代となり、再び平和と秩序の回復がなされようとしている気配を感じています」


 学識高い彼の言葉に刺激され、深い思想に入りかけた私を、再びハットンの声が呼び戻す。


「法の下での緩やかな統一。王の民としての国家への忠誠と、神の民としての信仰への忠誠の両立は、この国では……そして、陛下の御代では決して不可能ではない――そう確信したから僕は、この身をもって陛下の御代にお仕えすることを夢見て、この政治の中枢であるロンドンに、陛下のおわすこのロンドンに来ました」

「…………」


 生き生きと目を輝かせて言い切った少年の言葉に、私は声もなく感心していた。


 今、この時代に、彼と同じことを言える法律家が何人いるだろう。


 現実問題として、国教会の主題である中庸の精神を理解し、寛容な宗教政策をとれる人材の確保には苦労していた。


 メアリー時代のカトリック主教が退いた後の、多くの高位聖職者の席が未だに空位になっているのは、その主教区に流れ込む地代を王室歳入に取り込むという目論見もあったが、適材がいないというのも切実な問題だった。


 厳しすぎる反カトリック派の聖職者による、国教会の清教徒(ピューリタン)化の目論見を阻止することは、挽回をはかるカトリック派を押しとどめるのと同じくらい重要な仕事だったが、なかなか私の意に適う人材には出会えていない。


 それは、議会においても同じことで、庶民院を中心にプロテスタント派の声は日増しに大きくなっており、その不寛容さは、彼らが過去にされたのと同じように、カトリック教徒の迫害や宗教弾圧を舌の上に乗せる。

 

「まるで鏡見たい」

「え……?」


 私の呟きに、ハットンが首をかしげた。


「どうして私の目標を知ってるの?」


 彼が情熱を持って語る理想は、私が目指す未来とまったく同じだった。


「あなたの言う通り……私は、人の心の中の密やかな思いの窓を覗くようなことは、本意ではないし、国家権力の届く範囲ではないと思っているの。信仰は神と個人の対話であって、人を憎んだり愛したりするのと同様に、その人の心が納得するものであればいい」


 だが、個々の信仰の自由という概念を認められる者は、この時代にはまだ少なく、ほとんどの人間が、たった1つの信仰が正統性を勝ち取るために、他の全ての思想を滅ぼすことに、何の疑問も感じない。


 歪んでいることにすら気付かない。

 それは、この時代が、思想の面でまだ十分に成熟していない幼年期にあるからだ。


 ならば、数百年先の未来から来た私と、同じ物の見方を出来るこの子は、何者なのだろう。


「ここの王は、自分自身でしかないから」


 人差し指を伸ばし、彼の胸に触れると、ハットンは呆気にとられたような顔で私を見上げていた。


 彼の感性は、この時代では異端だ。

 大学を飛び出したのは正解だろう。この若さでは、何かを為す前に潰されてしまう。


「ハットン――明日から宮廷にいらっしゃい。きっと、あなたの才能を生かせる場所があるわ」


 偶然か必然か。


 それは私とハットン、2人にとって、とても幸運な出会いであるように思えた。







~その頃、秘密枢密院は……



「ウォルシンガム……」


 壁際で舞踏会の様子を観察していたウォルシンガムは、どんよりと――これ以上なく暗い顔で、力なくもたれかかってきたロバートに、眉間に皺を寄せて応答した。


「何のつもりですか」

「陛下を取られた……」

「陛下は貴方のものではありません」


 この男にかける情けを一切持ち合わせていないウォルシンガムは、迷惑顔全開で、寄ってくる相手から身を離した。


 だが、迷惑な男は懲りずに顔を寄せ、声をひそめて聞いてくる。


「どう思うあの状況を」

「どうと申しますと」

「決まっている。クリストファー・ハットンだ! あれからずっとだぞ! 陛下のお傍を片時も離れようとはしない!」

「陛下が片時も離そうとしていないように見えますが」


 ロバートが指を差す方向に目を向けると、王家の紋章入りの黄金の天蓋の下で、女王とハットンが仲睦まじそうに歓談している。


 黄金の髪と白磁の肌を持つ2つの美貌が視線を絡める様は、まるで1枚の絵のようだったが、そこから想像される関係は、よくて姉弟、ややもすれば姉妹だ。


 今夜が初対面のこの2人は、しばらく真面目な顔で話し合っていたかと思うと、その後はすっかり打ち解けた様子になり、時折天蓋から出てはダンスに興じたり、貴族たちを踊らせて観賞していた。


 そんな彼らの周りには、この上機嫌な女王の恩恵に与ろうと、常に人が群がっている。


「フラメンコで俺の役どころを奪ってからずっとだ。すっかりあの妖精のような動きと外面に魅入られている」


 実際、クリストファー・ハットンは、女王だけでなく、一部の貴族や貴婦人達の間でも、すっかり人気者になっていた。


 彼はその愛らしい容貌と、礼儀正しいながら人懐っこい性格、類まれなるダンスの才能で、一夜にして宮廷に居場所を作ってしまったらしい。


 美と芸術性がもてはやされるフランスやイタリア・ルネサンスの気風が、ブリテン島にもちょうど流入を始めている今、流行に敏い有閑貴族たちに愛でられる要素を、ハットンは十分に備えていた。


 女王のダンスのお相手を独占していたロバートにとっては、特権を奪われたようなもので、彼は分かりやすく嫉妬心をむき出して、遠巻きにハットンを睨んでいた。


 子供相手に大人げないようにも見えるが、いくら見た目が幼くとも、17歳という実年齢を考えると、ロバートの焦りも分からなくはない。


 すると、軽やかに弾けるような笑いが起こり、華やかなグレート・レディーズに囲まれた中心で、女王が眩しい笑顔を見せていた。


 ダンスに自信のある紳士を相手取り、女役で踊ってみせるハットンを見て、手を叩いて喜んでいる。


「貴方がハットンと踊れば、陛下もお喜びになるのでは?」

「御用命があるならばともかく、自分からそんな媚を売りに行くような真似ができるかっ」


 女王への媚び売りはこの男の得意分野だったはずだが、ハットンの寵のおこぼれにあずかる様なやり方は抵抗があるらしい。


「おいウォルシンガム、あの男はどういう素姓の者なんだ」

「ですから……」

「表面的な情報はいい。何かあるんだろう。悪い噂とか、実は腹黒いとか、既婚者だとか、頭が悪いとか……」


 声をひそめて耳打ちしてくるロバートの質問の意図は明瞭で、呆れつつもウォルシンガムは答えてやった。


「私の耳には入っておりません。円満な人柄で、思慮聡明で勤勉、オックスフォード大学で法学を学び、異例の速さで学位を得た神童です。彼の経歴に唯一陰りがあるとすれば、出自が貴族ではなく、ノーサンプトンシャー州の紳士階級(ジェントリ)に過ぎないということでしょうが、我らの王にとっては、取るに足りない欠点でしょう」


 事務的なウォルシンガムの事務的な回答に、ロバートはがっくりと肩を落とした。




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