第79話 恋愛は個人の自由か?
「ねぇねぇエーリー」
コルチェスター城に戻り、汗を拭いて着替えた後、部屋でくつろいでいると、ひょっこりマリコが訪ねてきた。
女王がこんなに1人で自由気ままに動いていいんだろうか、とも思ったが、女王だから好きにしたらいいのか。
きっとうちの家臣みたいに、小言を言うお目付け役もいないのだろう。
「あら、ごめんなさい」
部屋の奥に控えていたキャットに気付き、マリコはそこだけ英語で言った。
「いいの、彼女には話してるから。日本語は分からないけど」
そう言うと、マリコは女王の仮面を外して、遠慮なく部屋に入り込んできた。
「そう? なら好都合ー。ホラ、こういうのって反省会って必要じゃない? ねぇねぇどうだった?」
私が座っていたソファの向かいに腰を下ろし、興味津々に聞いてくる。
「いや、別に……」
「えー、つまんない子ねぇ。アタシは結構収穫あったけど」
いや、なくていい。そんなの。
遠乗り中はほぼ接する機会がなかったように思うが、試合終了後の情報交換はまた別、ということなのだろうか。出会い系女子の割り切り方はなかなかクールだ。
彼女の方も帰ってから着替えたらしく、夕方の晩餐会――今夜はメアリーの希望で舞踏会もあるらしい――に向けて、華やかな赤と黒のドレスをまとっている。
谷間すげー。
大きく襟ぐりのあいたセクシーなデザインで、無防備にこちらに身を乗り出されると、男じゃなくても目が釘づけになる。
メアリー・スチュアートといえば、魔性の女というイメージがあるが、この色気は確かに魔性レベルだ。
「ねぇ、あのロバートってイケメン、アナタの愛人なんだって?」
「違うわよ、あんなやつ」
フランス宮廷でそういう噂をされていてもおかしくなかったが、私は即答で否定した。
「ふーん……」
もっと突っ込んでくるかと思ったが、マリコは意外にあっさりと引いた。
「じゃあ、あっちが本命か……」
「あっち……?」
聞き返すがマリコは含みを持った笑みで答えず、ロバートの値踏みを続けた。
「見た目、ちょーっとレイに似てるかなーと思ったけど、中身は大分違うわよねー。レイって、あんなに素直じゃなかったし」
ロバート、素直……というか自分に正直なのバレてる。
「あの眼鏡の宰相が薦めてくるんだけどさー。まぁ物件的には悪くないんだけど、アンタの愛人って噂されてる男と結婚するなんて、お下がりもらうみたいで正直イヤよねー?」
「…………」
愛人……ではないのだが、対外的にそう喧伝されてるとなると、そういう感想になるか。
どうやら、メアリーの方もロバートにはあまり食いつかなかったらしい。まぁ、本人があれだけ嫌がってるのだから、その方が平和だろうが……セシル残念。
「その上、本人は明らかにアタシの結婚相手にされるの嫌がってんの。アンタに見放されるのがイヤなのねー。超分かりやすい」
ロバート、バレバレである。
さすがに、恋愛の機微になると女は鋭い。
政治的な見通しは皆無に近いのに、この色恋の本音を見抜く才能は何なのだろう。
その辺の恋愛の機微には男並みに疎い私は感心してしまうが、その辺が恋愛玄人と恋愛素人の差か?
黙って感心してる私に、マリコはにんまりと、猫のような――あまり良い意味ではなく――笑みを浮かべて言った。
「ねぇ、あの髭の男の人……」
「ああ、クマさん?」
「クマさん?」
その愛称に、ぷっと吹き出された。
「あ、ごめん。ウォルシンガムよ」
「ふぅん、彼セクシーよね?」
せくすぃ?
ウォルシンガムとセクシーという単語は結びつかなかった。
どっちかというとセックスアピールはロバートの方が強いように思うが、恋愛玄人の目には、ああいう堅そうな奴の方がセクスィに映るのだろうか。謎だ。
「昼間も、全然つれない感じだったくせに、ずっとアタシのこと見てたんだけど、どう思う?」
「どう思うと言われても……」
たまにウォルシンガムは、じっと人の目を見て離さないことがある。
癖なのかなんなのか分からないが、その意図を推し量ることは私でも無理だ。
本人は人間観察、と言っていたが……
でも、グレート・レディーズには見向きもしないらしいし。
「あれだけ熱心に見られると、ちょっとドキドキするわよね。穴が開きそうっていうか」
「う……」
その気持ちは……分かる……かもしれない。
ってことは、グレート・レディーズは見向きもしないのに、マリコは穴が開くほど見ていたということかっ?
なんだ、気のないふりしながら、ウォルシンガムもしっかりマリコに見とれてたんじゃん……
「ふーん……」
ん……? なんだ、このもやっと感。
意識せず憮然としてしまったことに、一瞬遅れて気付く。顔に出てたかもしれない。
慌てて気持ちを切り替えようと、表情を改めるが、目が合ったマリコは、含みを持った笑みで私を眺めていた。
「何……?」
「ねぇ、狙ってもいい?」
「は?」
「アナタのク・マ・さ・ん」
「はいっ?」
思わず声が裏返った。
うちの臣下なんですけどっ?
「狙っ……って、あなた自分の立場分かってる? 隣の国の臣下と恋愛とか許されないでしょ!?」
自分の国でも、身分によっては許されるものではない。
「何言ってるのよ、別に結婚しなければいいんでしょ」
驚いた私に、マリコは肩をすくめて反論した。
「あ、アナタは『処女王』だからダメなのかー」
ケラケラと笑われる。
「敵国の女王への愛の為に、祖国を裏切る騎士! なんて、超ロマンティックじゃなぁい?」
「いや、確かにロマンティックかもしれないけど、それ勝手に裏切らせないでくれるかなっ」
裏切られる方は果てしなく迷惑である。
「冗談よぉ。別に裏切りとか期待してないし。どうせそうそう会う相手でもないんだし、1回くらいいいでしょ?」
1回くらいの意味が分かりません!
やばい。
完全にロックオンされてる。
「だって別に恋人とかじゃないんでしょう?」
「違うけど!」
「だったらいいじゃない」
い……いいのか……?
現代的な理論を持ちだされて私はひるんだ。
確かに、21世紀の私の感覚では、恋愛は個人の自由だとは思う。思うが、この場合、時代的に立場的にどうなんだ?
「なんてことないわよ。軽い復讐よ。恋人じゃないんなら別にそんなに痛くないでしょ?」
「ふ、復讐……?」
不穏な言葉に、私は眉を潜めた。
マリコの赤い唇が、妖艶に弧を描く。
「あなたの優秀な側近も奪ってあげるって言ってんの。1人じゃ何もできない女王様」
※
……あ、ほんとだ。マリコを見てる。
言われて意識してみると、それは確かに顕著だった。
晩餐のホールは、人数比でいうとほとんどがメアリー女王の同行者たちで埋め尽くされているのだが、私の側近という立場から、秘密枢密院は、2人の女王と同じテーブルを囲んでいた。
私とマリコは長テーブルの端と端につき、それぞれのお供が近くを固めているので、距離は結構あるのだが、ウォルシンガムの鋭い視線が、マリコの方に向けられることが多いのは、こちらからも分かった。
もっとも、彼女に目を奪われているのは、ウォルシンガムだけではないのだが。
他人に注目されることに慣れてるであろう女王が、己に注がれるいくつもの視線の中から、ウォルシンガムの視線を受け取り、妖艶に微笑んだ。
すると、ウォルシンガムの方がそっけなく目を逸らし、そんなやり取りを眺めていた私と目が合った。
思わず、逸らしてしまう。
なんだ、今のやりとり……
多分そんな私たちを、テーブルの反対からマリコが見ていたはずで、どんな表情をしているのかと思うと、そちらを見ることができなかった。
なんか苦手だな……こういう空気。
逃げ出したくなる。
こういうのが嫌いだから、色恋沙汰から遠ざかっていた面もあるのに、否応なく巻き込まないで欲しいものだ。
マリコとしては、それが目的なのかもしれないが。
だとすれば、なかなか的確に私がダメージを受けるところを狙ってくる。
浮かない気持ちのまま晩餐が進み、舞踏会が始まったが、私はあまりにも気乗りがしなかったため、適当なところで先に引き上げることにした。
どうせこの舞踏会を提案したのはマリコで、今夜の主役は彼女だ。
おまけならば、途中退席しても文句は出ないだろう。
注目されないというのも久しぶりなので、逆に身が軽くなった気持ちで、私はそそくさと部屋に引きこもった。




