第77話 女王様が苦手なもの
コルチェスター城滞在2日目。
いつものように朝の習慣で散歩に出た私は、まったりと庭園を歩き回っていた。
警備の人員が少ないため、今日同伴しているのはウォルシンガムだけだ。
初めて訪れた城の風景を堪能しながら、郊外のさわやかな空気を吸う。
コルチェスター城の持ち主であるノーサンプトン侯爵は、宮仕えで大半をロンドンで過ごしているため、この城に常駐しているわけではない。
まさかいきなり2人の女王を迎えることになるとは思わなかったのだろう、正面の方は金に物を言わせて急ピッチで整備したのか、見事に整えられていたが、城の裏手側になると、手入れが行き届かず雑草が繁っているようなところがあった。
それはそれで新鮮だったので、わざと藪っぽい方を選びながら歩いてみる。
「今日もまた、メアリーを説得されるつもりですか」
「そりゃ、そうよ。そのために来たんだもの」
「……次は2人きりではなく、必ず従者をお連れください」
低い声で念を押したウォルシンガムは、朝から機嫌が悪そうだ。
もっとも、この男が機嫌のいい時というのも、特に見たことはないのだが。
「あの女は悪しき気配を漂わせています。ただの無知ならまだ救いがあるが、裏に浅はかな計算が透けて見える。私には、あの女に取り入ろうとする努力自体が無駄に見えます」
結構な言い草である。
元々スコットランド女王にいい印象を持っていなかったウォルシンガムは、実際に会って、蛇蝎のごとく嫌うようになっていた。
逆に、エリザベスの従兄にあたる副侍従長兼警備隊長のヘンリー・ケアリーなどは、持ち前の口の悪さで、会う前は散々コケにしていたくせに、実物を見た途端すっかりメアリーに魅了されていた。
「ウォルシンガムも変わってるわよねー」
どちらかというとケアリーの反応のほうが正常な気がして、足元の石ころを蹴って感想を漏らす。
こいつの好みがイマイチよく分からない。
「大抵の男は、あの美貌で微笑まれたらコロッといっちゃうんじゃないかしら」
「美しいか美しくないかは問題ではありません。女王に害をなす存在か否かが重要なのです」
「そこ直結するんだ」
いっそ清々しいほどの仕事人間である。
「男を惹きつけるのは女性の魅力ですが、それを悪徳に利用しようとする女は悪魔でしかない」
「悪魔って……」
これは、今まで気づかなかったがもしかして……
「ウォルシンガムって、もしかして女の人嫌い?」
「……よく分かりましたね」
私の指摘に、見下ろして来るウォルシンガムが平然と肯定する。
「いや、さすがに、あのメアリー見てそこまで酷評されると分かるわよ」
「確かに私は愚かな女性が嫌いですが、メアリーについては、初見の印象だけで申し上げているわけではありません。様々な情報を総合した結果、そう結論づけたまでです」
「そう……」
無表情なうえ四角四面な口調で言い切られては、納得するしかない。
ウォルシンガムは、多分私が知らない裏情報をいっぱい握っているのだろう。一体何をしでかしたのかメアリー……
気になるところだが、こればっかりは、つねろうがくすぐろうが洗いざらいは吐き出してくれない。
私も彼女のことは苦手だが、ここまで嫌われると擁護してやりたくなるのが人情だろう。
私をあそこまで嫌っているということは、裏を返せばそれだけレイのことを本気で好きだったのだろうし、そういう恋に一途なところは、私には真似できない才能だ。うん。
などと、何とかいいとこ探しをしていると――
「へっ……?」
しゅるり……と、足首に、何やら湿った感触がからみつき、私は顔をひきつらせて足元を見下ろした。
右足首に、黒っぽいような茶色っぽいような、まだら模様の蛇が巻きついていた。
「みきゃぁぁぁぁぁっ?!」
体裁も何もなく、本気で絶叫した。
「きゃーっヘビー! ヘビ! ヘビヘビヘビ! いやーっ助けてーっ」
足を振り、がむしゃらに近くにあったウォルシンガムの身体にしがみつく。
ヘビはっヘビだけは!
カエルは大丈夫だけど、ヘビだけはダメなんだ!!
っていうかあんな近くで足に絡まるとかギャー! 噛まれたらどーすんのさぁぁぁ!?
パニックになった私の悲鳴を聞いた人間が、ばらばらと裏庭に集まってくる。
「今の悲鳴は何事ですか!? ウォルシンガム!」
血相を変えて駆けつけたセシルに、私にしがみつかれたまま、ウォルシンガムが落ち着いた声で答えた。
「陛下が蛇を見かけてご自分を見失われただけです。毒蛇ではありませんので、問題はないかと」
いかにも大したことないように言ってくれるが、こちらは一大事だ!
「蛇に遭遇したくないなら、あえて藪の中など歩かないでください。不用意です」
「だって、だってロンドンにヘビなんていなかったもんー!」
もっともな指摘に、半泣きで反論する。
足にまだヘビの感触がありそうで片足でぴょんぴょん飛びながら、ウォルシンガムによじ登る。
今地面につけている方の足にまた巻きついてきたらどうしよう!?
妄想が張りついて、本当に感触があるような気がして私は悲鳴を上げた。
「いない? もう足下いない!?」
「いません。落ち着いて下さい」
「うわーんっ。もうやだ怖いーっ」
「…………」
大きく溜息をつき、ウォルシンガムがぽつりと言った。
「……抱き上げて連れ帰ればよろしいですか」
「へっ……?」
「失礼します」
かと思うと、膝の下に手を差し入れられ、横抱きに抱えられた。いわゆるお姫様だっこというやつだ。
「ちょっ……」
「足に絡まれる心配はないでしょう」
「そう……だけど……」
驚いて我に返るが、そう言われ、浮いた両足をぶらぶらする。うん、大丈夫。蛇絡んでない。
「ゴメン……ありがと」
「スコットランド側の者たちまで集まってきてしまいます。あまり陛下の醜態を見せるわけにはいきませんので、ご不快かもしれませんがご容赦下さい」
臣下にしがみついて喚いているよりは、お姫様だっこされて運ばれている方がよほど絵面的にマシということか。
歩くのが怖かったのは確かなので、私は恥ずかしいのを我慢してウォルシンガムに安全地帯まで連れ帰ってもらうことにした。
「貴女がこれほどまでに理性を失うものがあるとは思いませんでした。他にもあるようなら予めお知らせください。対処法を考えます」
不足情報がありますので入力して下さい、くらいの淡泊な言い方だ。
虫……も嫌いだけど、ヘビよりは遭遇率が高いので、慣れはある。
「おばけ……」
「おばけ?」
人に弱みを見せるのは好きではないのだが、今現在とても迷惑をかけているので、観念して白状した私を、ウォルシンガムが意外そうな顔で見返した。
実は怪談やお化け屋敷が苦手で、心霊現象特集なども死ぬほど嫌いだ。
1度見聞きしてしまったら、1週間くらいは夜ひとりで寝るのもトイレに行くのも怖くなる。
「ホラーとか、スプラッタも苦手……あんまり血とか得意じゃない」
「五月祭での船上の一件や、私が刺された時は勇敢でしたが」
「あの時はそれどころじゃなかったし……」
ウォルシンガムの時だって、真っ赤になった自分の手を見た時は、色んな意味で倒れそうになった。
「ならば、処刑や拷問などはお見せできそうにもありませんね」
「いやだ止めてよ。そんなの絶対見たくないし!」
「大衆娯楽として、見せしめを喜ぶ人間は身分を問わず多いです」
「信じらんない……悪趣味」
21世紀では考えられない感性だ。
ふと気にかかって、近い位置にある顔を覗き込んだ。
「……ウォルシンガムは?」
「好んで見る趣味はありませんが、必要であれば躊躇はしません」
確かにそういうヤツだ、こいつは。
「必要な時ってある?」
「陛下の身の安全と国家の安定を揺るがす事態が発生した時です」
ウォルシンガムは、二言目にはそればっかりだ。
「真面目な話をしているようだが……」
急に、横からロバートの声が割り込んできて、私とウォルシンガムは同時にそちらを向いた。
「いつまでその状態で話しているつもりだ? 貴殿は」
腕を組んで仁王立ちし、ウォルシンガムを睨むロバートに、はたと周囲の状況を見回すと、いつの間にか天井のある回廊に戻ってきていた。
足下は、ばっちり石畳だ。
もう着いてんじゃん!
あんまりにもウォルシンガムが普通に会話してくるので、降ろしてもらうのを忘れていた。
ロバートの隣にはセシルもいて、その他騒ぎを聞きつけて集まっていた城の人間全員に注目されていた。
「……失礼しました。陛下が軽いので抱き上げていることを忘れていました」
んなわけあるかっ。
涼しい顔で言って降ろしてきたウォルシンガムがしゃあしゃあと付け足した。
「健康のためにも、もう少しお太り下さい。陛下とサー・ウィリアム・セシルは食べなさ過ぎると厨房責任者も嘆いております」
私の食が細いのは昔からで、食べ物に対する関心の薄さは「お前は女じゃない」と言われるほどだ。
……食べるのって面倒くさいんだよなー。
とりあえず栄養補給しなきゃ動けないから食べてるけど。
何か他に夢中になるものがあれば平気で寝食を忘れるし、仕事が忙しければまず食べるのを後回しにする。休日はひたすら寝溜めして、食事は1食とかもザラだ。
その程度の優先順位なので、当然料理など「自分が食べれりゃいい」という基準で、見た目も味も二の次である。
いわゆる『男の料理』だ。
幸い、ここに来てから披露する機会はないが、今後ずっとなくていいと思っている。
「私もですか」
火種が飛んできたセシルが苦笑する。
セシルもほっそいもんなー。
彼もよく食べるのを忘れると言っていたので、きっと私と似たような優先順位で動いているのだろう。
……セシルが寝溜めで時間を無駄にするとは思わないので、多分、ほとんど仕事優先だろうが。
「あ、メアリー……」
騒ぎを聞いて見物に出てきたのか、遠目にマリコが回廊を歩いてくるのが見えた。
目が合い、ニコリと微笑み手を振ってくる。
まったく絵になる美女である。
そんな彼女に私も笑顔で手を振り返し、このコルチェスター城に来てめっきり増えた溜息を押し殺した。




