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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第6章 メアリー・スチュアート帰国編
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第75話 野心高き蛇の目


 驚きすぎて怒りすら感じなかった私に、マリコは酔いの回った声で笑った。


「似合うわね、そのドレスも」


 今先ほどワインをぶちまけた白いドレスを、今更気付いたように褒めそやす。


「アナタ、いつも真っ白のコート着てたわよね。実はあの時から気に入らなかったの。清純ぶっちゃって。彼もそういうトコロ好きだったみたい。アタシが赤のコート着てたら、白の方がいいとか言い出して」


 マリコの声が、呆然とした私の耳を素通りする。

 

 悪意を受け取ることを嫌った脳が、かろうじて、そこに乗せられた表面的な意味だけを拾い上げた。


 ――違う。

 逆だ。


 私は、レイが好きだったから――


 じわりと、思い出の宝石箱にしまっていた記憶が蘇る。

 


 

 ニューヨーク州とは名ばかりの、1年の3分の1は雪に埋まるような、寒い土地だった。


 大学の休憩時間。1階のカフェでお気に入りのニューヨークチーズケーキを買って、教室に持ち帰るのが、その頃の私の日課だった。


 いつの間にか、その行動には、もう1つの目的が出来ていた。

 毎日同じ時間の、同じエレベーターで出会う、ほんのひとときを期待して、胸が躍る。


 真っ白のコートを着て、真っ白のニューヨークチーズケーキを持ってエレベーターに乗ったら、いつも先にレイが乗っていた。


『ニューヨークチーズケーキみたい』


 彼がそう言って笑いかけてきたから、どうしても、スノーホワイトのコートが手放せなくなった。



「まるで血みたい」


 白いドレスに散った赤ワインのシミを、血のように赤い唇が、冷ややかに揶揄した。


「断頭台にもそれで上がったら?」

「何を……」

「ねぇ、分かるでしょ? 私も死にたくないの」


 空になったグラスを叩き付けるようにテーブルに置き、身を乗り出したマリコの褐色の瞳が、燃えるような敵意を灯す。


「世界史なんてたいして興味ないから詳しくないけど、知ってるのは、メアリー・スチュアートの最期が処刑台ってことだけ。エリザベス女王の手にかかってね」

「…………」


 絶句する。


 彼女がメアリーの最期を知っていること自体は、なんら不思議はないが……


 歴史上の、自分の悲惨な末路を知るというのは、どういう気持ちだろう。


「ふざけてるわね。アンタがエリザベスで、アタシがメアリー・スチュアート?」


 しかも、己を陥れる人間が、前世でも憎んだ相手だとしたら?


「歴史通りになんて運ばせない」


 彼女が、私を憎む下地が既に整っていることに、ぞっとした。


 この人選は――このお膳立ては、一体何なのだろう。


 歴史は、どうあっても私たちを戦わせたいのか。


「今度は絶対、アンタに勝つわ」







~その頃、秘密枢密院は……



 城の守備を確認しに行った守馬頭や護衛隊長と別れた後、用意された客室に控えていたセシルのところに、憤懣やるかたない様子のウォルシンガムが訪れていた。


 相変わらず、来客があっても机にかじりついて書類をめくっているセシルの後ろで、応接用のソファに腰かけたウォルシンガムが不機嫌に腕を組んでいる。


 この会談の実現が決まった時から気の進まぬ様子だったウォルシンガムだが、先の初対面の席で、すでに相当腹に据えかねているのが、隣に立っていたセシルには分かった。


まだ(・・)18歳だと?」


 そしてその苛立ちは、メアリーに対してもどうにか共感しようとする主君にも向けられていた。


「あの方の考えは甘すぎる。もう(・・)18歳です。若いのは確かだが、子供とは言えない。思慮分別はあって然るべき年齢でしょう」


 女王の中ではまだ幼い認識であるようだが、フランスの法に照らし合わせても、14歳を越えれば法王の許可を得ずとも結婚は可能であり、18歳は十分に成人していると言える。

 ウォルシンガムの意見はもっともだったが、セシルはあえてフォローを入れた。


「こればかりは、個人差でしょう。エリザベス様は、6歳にして40歳の貴婦人のような落ち着きと礼儀作法を備えていらっしゃったとお聞きしています。もっとも、あの方は置かれた環境から、早く大人にならねばならない理由があったのでしょうが……」


 生まれてきた瞬間から歓迎されず、シビアな幼少期を過ごしたエリザベスに比べて、メアリーはフランス宮廷で、何不自由なく甘やかされて育ってきた。

 環境も個人の資質も違えば、単純な年齢だけでは、その人物の分別無分別は計れない。


「それにしても、なんですか、あのわざとらしい色目の使い方は。あれがフランス流ですか」

「さぁ、どうでしょう」


 鉾先がメアリー本人に向き、セシルは苦笑した。


 実際、若い臣下に向けられる視線には計算されつくした色気があり、ロバートを筆頭に、ほとんどの男が虜にされている様子は、実に情けない光景だった。


「艶の奥に高慢が透けて見える。小娘が……あれで男を意のままに操れるとでも思っているのか」


 吐き捨てた声には嫌悪が滲んでいて、これは例のアレが出たなと、セシルはひっそりと嘆息した。


 ウォルシンガムは女性が嫌いだ。

 女性自身が嫌いというよりは、女が持つ愚かさや浅はかさを嫌悪するきらいがある。


 セシルは、ウォルシンガムの兄の学友だった。

 弟の方は、兄を追って弁護士を目指して同カレッジに入学してきた頃から知っている。

 早熟な14歳の少年とは、セシルが上京するまでのほんの半年ほどの付き合いしかなかったが、当時からそういう傾向は見受けられた。


 エリザベスの姉、メアリー・チューダーが即位した際も、彼がいち早く大陸へ亡命したのは、カトリック教徒の王の即位により、プロテスタントの待遇が悪くなることを見越してのものであったが、女の王を忌避したというのも、大きな動機づけの1つだった。


 だが、結果的に彼の判断は正解だった。

 メアリー・チューダーが周囲の忠告も顧みず、愚かを極めた異端狩りを国内で続けている間、ウォルシンガムは大陸中を回り、多くの知己を得て人脈を広げた。

 それは、今の彼の仕事に大いに生かされている。


 プロテスタントの女王エリザベスの即位が現実的になった頃、セシルは彼に、帰国して傍で働くように打診したのだが、はじめは女性の王の統治能力に、半信半疑の回答が返ってきた。


 だが、強引に呼び戻した結果、短い間だが実際にエリザベス女王の下で働くうちに、心境の変化があったようだ。

 人を見る目に長けたウォルシンガムは、エリザベスの王たる資質をすぐに見抜いた。


 そして、現在の女王――天童恵梨に仕える中で、ウォルシンガムは彼女の未熟さを受け入れた上で、懸命に理性的であろうとする姿を評価しているように思えた。


 2人の賢婦人に仕え、ウォルシンガムの女性嫌いも克服されたかに思えたが、ここにきてメアリー・スチュアートという新しい女王に出会い、ぶり返したらしい。


「しかし、逆に考えれば、これで陛下の努力が実り、スコットランド女王との良好な関係が築かれれば、スコットランドとの対立も……」

「セシル殿も、あの女の外面に惑わされているのですか。目を見れば分かる。あれは野心高い蛇の目です。人に取り入り、道を誤らせる」


 ウォルシンガムの評価は、どこまでも手厳しい。


「そして、メアリーは骨の髄までカトリック教徒。あの女がイングランドの王位継承権を持っているという事実は、国教会にとって脅威でしかない」


 それは、彼らがメアリー・スチュアートを警戒する、最たる――唯一といってもいい――理由だった。


 ヘンリー8世の時代にローマ・カトリックと決別した国教会でも、最初の王妃キャサリンと2番目の王妃アン・ブーリンとの結婚は無効とされ、一時的に2人の王女は王位継承権を喪失したが、6人目の王妃キャサリン・パーのとりなしで第三王位継承法が発令され、メアリー・チューダーとエリザベス・チューダーの順当な王位継承権が復活された。


 だが、ローマ教皇はそもそもアン・ブーリンとヘンリー8世の結婚を認めておらず、カトリック側の主張ではエリザベスは非摘出子となり、王位継承は認められない。


 その場合、ヘンリー8世の妹の孫に当たるメアリー・スチュアートか、同じ条件にあるサーフォーク公爵家の娘キャサリン・グレイが有力な継承権を持っていると考えられる。


 ここでもまた、カトリックのメアリー・スチュアートか、プロテスタントのキャサリン・グレイかという火種がくすぶっている。


 当然、イングランドのカトリック回帰を要求しているローマ教皇は、メアリーこそがイングランドの正当な後継者と認めており、この国にローマ・カトリックを復興したい人間にとっては、若く美しいカトリック女王は、理想的なシンボルだった。


「悩ましいのは、エリザベス様の記憶を持たず、別の世界で生まれ育ったというかの女性が、悪意や陰謀とは全く無縁の人生を歩んできたであろう、ということです。それは、あの方の神性を高めるものではありますが、同時に、彼女に決定的に欠けた資質でもある」


 極力人の善意を信じ、流血を厭う女王の性質は以前から見えており、それがしばしば躊躇となり、廷臣たちを苛立たせることがある。


 新しく王となった天童恵梨を誰よりも近くで見てきたウォルシンガムは、彼女の絶対君主としての弱点を冷静に暴いた。


「これ以上、陛下がメアリーに心を砕かぬように仕向けなければ、のちのちに大きな障害となるやもしれません」


 逆に、彼のメアリーへの評価には、多分に女性への偏見が入っていたが……その偏見が導き出した懸念は、当を得た予言として、後々まで彼らの頭を悩ませることになった。




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