第74話 21世紀から来た女王
『ねぇアナタ、レイの何なの?』
たまたま2人きりだった女子トイレでそう声をかけられた時は、本気でびびった。
『え……?』
色気のある厚い唇に口紅を塗り直しながら、鏡を覗き込む彼女は、顔と名前は知っていたが、ほとんど話すことはなかったクラスメートだ。
女でも胸やら足やらについ目がいってしまうような、たまらなくセクシーな美女である。
今日も教室に入ってきた時に、超ミニのスカートからスラリと伸びる足を、最前列のインド人のクラスメートがガン見していたのが印象深い。
何なのと言われても、少なくとも『彼女』ではなかった。……互いの気持ちはともかく。
訳が分からず聞き返した私に、彼女はチラリと視線を向け、ポーチに口紅を直すと、こちらに向き直った。
赤い超ミニのタイトスカートと黒のベアトップに、赤のジャケットという刺激的な出で立ちのその女性は、豊満な胸を強調するように腕を組み、モデル立ちで言い放った。
『アタシ、レイのこと狙ってるから、邪魔しないでくれる?』
どこの少女漫画だ、と言いたくなるような、女子トイレでの宣戦布告を、本当に受けることになるとは思いもよらなかった。
それが、私の覚えている限り、最初のマリコの印象だ。
レイ――とは、ドイツ人と日本人のハーフで、留学先の大学で知り合った同じ年の男の子だった。
同じ寮だったレイとは、いろいろな偶然が重なり親密になっていて、その頃にはさすがに自覚していたのだが――私の、初めての恋愛らしい恋愛相手だった。
どうやら、急速にレイと親密になっていた私の存在に気付き、牽制してきたようだが、百戦錬磨の恋愛玄人(だと思われる)マリコの先制攻撃は、恋愛素人の私には効果的だった。
そういう、男を奪い合うとか、どうにも醜いゴタゴタに巻き込まれるのが嫌いだった私は、それ以降、少しずつ自分の気持ちをごまかしていくようになる。
以後、私はマリコに少なからず苦手意識を持つことになるのだが――
「いやー、でも良かったわ! こんなところで知ってる人に出会えるなんて!」
場所を移し、2人きりの応接室で、ソファに身を沈めて長い足を組んだマリコが声を弾ませた。
アメリカで会った時は、かなり明るい茶髪に染めていた髪は、今は赤みの強い金髪で、あまり印象は変わらない。
私と同じ状況だとすれば、死んだメアリーの肉体に憑依したのだろうか。
それにしても、前世と同じ顔をしているというのは、やはり生まれ変わりか何かなのか?
「本当ね。私も驚いた」
控えめに笑いながら、私は向かいのソファに浅く腰掛けて答えた。
マリコは、中央のローテーブルに用意されたワインと2つの伏せられたグラスを差した。
「飲まない?」
「私はいいわ」
「そう?」
断ると、マリコはお構いなしに1つだけグラスを返し、ワインを注ぎ込んだ。赤い液体が音を立ててグラスを満たしていく。
「いつからこっちにいるの?」
いくつか気になることがあったので、まずそこから質問すると、ワイングラスを片手に彼女は答えた。
「去年の初め頃。忘れもしないわよ、2013年の1月。事故で死んだと思ったら、気が付いたら映画のセットみたいな部屋のベッドにいて、周囲は号泣しながら喜んでるし。しかも話聞いてたら一緒なのは日付だけで、1559年のフランス宮廷とか言うじゃない? なにそれ、何時代。マリー・アントワネットとかその辺? みたいな」
違う。
200年ほど違う。
「で、ワケ分かんないまま、あれよあれよという間に皇太子妃様扱い。まぁでも、どうやらあっちの世界のアタシは死んじゃったみたいだし、こっちでこれ以上ないくらいチヤホヤされたから良かったけど?」
「あ……そう」
彼女もなかなか図太いタマのようだ。
1559年の1月というと、ほとんど私と同じ時期か。
「でも、お父様が死んでから最悪。権力闘争で、超格好良くて優しかった叔父様たちもいきなり本性現してくるし」
お父様は、義父のアンリ2世のことだろう。叔父達とはギーズ公と、その弟のロレーヌ枢機卿だ。
「お父様の寵姫のディアーヌ様は追放されるし、代わりに権力握った陰険な『商人の娘』は、人のこと目の敵にしてくるし。超ウザイ」
『商人の娘』は、カトリーヌ・ド・メディシスを蔑んで言う呼び名だ。
「知ってる? あの女の遊撃騎兵隊って。家柄のいい美女を侍女に集めて、自分の脅威になりそうな男と寝させて情報かすめ取ってるの。性格悪いわよね~」
噂には聞いたことがある。カトリーヌがハニー・トラップのために用意した、200人規模の美女軍団だ。
彼女らの行状は、ついにはローマ法王の耳にまで入り、風紀を乱す組織を正すようにと厳重注意を受けたほどらしい。
「自分の夫1人振り向かせられなかった女が、侍女にはそんなことやらせてんのよ。まぁ、あの女じゃやりたくても出来ないだろうけど」
嘲笑し、残ったグラスのワインを一気に流し込むと、またボトルを掴んだ。
マリコは、カトリーヌの女としての魅力のなさを小馬鹿にしているようだが、自分は貞淑を守り続け、権力に物を言わせて女達にそんなことをやらせるというは――長年、夫の愛人に膝を屈し続けたカトリーヌの、遠回しな『女』への復讐のようにも思えるのは、穿ち過ぎだろうか。
それにしても……乱れてんなぁ。フランス宮廷。
……まぁ、歴代の王の愛人が権勢をふるう国だしな。
よほど鬱憤が溜まっていたのか、話す相手が欲しかったのか、彼女の身の上話と愚痴はしばらく続いた。
愚痴の相手をしながら聞き込んでいくと、最初の挨拶で見せた『真に正当な王は何をしても神の御心に叶う』というような理論は、とても現代日本人が思いつくような発想ではないように思ったが、案の定、ギーズ公にそうと刷り込まれたらしい。
ギーズ公は本物のメアリー・スチュアートを育てた張本人だし、マリコにメアリーと同じものの考え方をするよう教育することなどお手の物だろう。
彼女自身も、それに疑問を持たずに、スクスクと受け入れて自分のものにしたようだ。順応力高い。
話の合間に、私もかいつまんで自分の事情を説明するが、マリコはたいして興味がないようだった。
ここ最近の不満は、やはりシャルル9世の摂政として権力を握ったカトリーヌの増長らしく、大半が陰険な姑の悪口に終始するのに、忍耐強く相槌を打っていた私は、話が収束しそうになったところで、おもむろに別の質問を切り出した。
「でも、よくスコットランドに戻る決心をしたわね。フランスに残ることもできたんじゃないの?」
「馬鹿にしないでよ。アタシは女王よ? フランス王妃でもあったアタシが、なんであんな陰険な女に1歩譲って、ひっそり暮らさなきゃいけないわけ?」
「えっ、ちょっと待って。もしかして、それが理由?」
トーンを上げるマリコに、一気に心配になる。
「だって腹立つのよ。ちょっと聞いてよ。フランソワが死んだ時に、私もあの女も部屋で看取ったんだけど、アイツ部屋を出る時に、アタシを押さえて先頭に立ったのよ? アタシを押さえて! それまでアタシが1番前なのが当たり前だったのに、急に『アンタはもう王妃じゃないのよ』的な? キーッむかつく!」
いい感じに酔いが回ってきたマリコは、屈辱に身悶えながら拳を振ってジタバタした。女の戦いが目に浮かぶ。
気持ちは分からないでもないが、そんな感情的な理由だけで王として戻るには、彼女の治める国の置かれた状況は、あまりにも複雑だった。
「今のスコットランドの政情は分かってる? 長年の女王不在で、貴族は好き勝手やってるし、スチュアート朝の転覆をもくろむ派閥は山ほどいるし、宗教だって……」
「あー、もうヤメテヤメテ。そういう面倒くさい話キライ」
「めんどくさいって……あなたは王でしょう?!」
「そんなの、男に任せとけばいいでしょー? 叔父様たちだって言ってたわよ。女が政治なんかに携わらなくていい。お前は美しいんだから、ただ微笑んでいればそれで周りが傅くのだからって」
それは、その方が彼らにとって都合がいいからだ。
「そうそう、言ってたわよ。どこぞのエリザベスみたいに、賢いぶって生意気に政治に口出しするような女は嫌われるって。ねぇ、だからアナタもほどほどにしておいた方がいいわよ~?」
「結構よ。そんな忠告、今更だから」
嫌われるのも誹謗中傷もすでに体験済みだ。
「そう? 図太いわね~アナタ」
感心したように言うマリコに、溜息を押し殺しながら質問を変える。
「あなたが21世紀から来た人間だって、知ってる人はいるの?」
「そりゃ、いるわよ。ちゃんと知ってるのは、叔父様たちと、もう死んじゃったけどフランソワ、あと4人のメアリーね」
「4人のメアリー?」
「さっきの会談で一緒にいた子たちよ。アタシ……っていうかメアリーの幼馴染みで傍仕えなんだけど、全員名前がメアリーなの、面白いでしょ」
面白いけどややこしそうだ。
「最初は大変だったのよー。アタシもパニックになっちゃって大騒ぎしたら、頭オカシイと思われて医者まで呼ばれちゃって。でもまぁ、叔父様が上手いことやってくれたから、カトリーヌとかには知られずに済んだけど」
その大騒ぎっぷりには、何となく想像がつく。私が1番回避したかったパターンだ。
「それからは、これも神の思し召しだってコトで、叔父様が私に女王として必要なコトをあれこれ教えてくれて、割と順調にここまで女王業こなして来た感じ? ダンスとかは昔からやってたし、歌も自信あるし、運動神経いいから乗馬なんかもすぐにこなしちゃったりして。詩人はみんなしてアタシを褒め讃えるし、画家は絵に描きたがるし、こんな楽な仕事もないわよねー」
それは仕事なのか……?
……まぁ、あくまで『フランス王妃』という立場ならそれでもいいのか。
ギーズ公としては、大事な縁戚の皇太子妃であるメアリーに死なれても困るし、変人と噂が立っても困る。
記憶がないのならばいっそ都合がいいように再教育し、つつがなく宮廷ですごせるように支援するというのは、彼自身の保身や野心のためにも、自然なことのように思えた。
だとしたら、余計にこのスコットランド行きは止めたかっただろう。事情を知っている4人のメアリーが一緒とはいえ、そんな状態の姪を自分の目の届かないところに置くのは、不安が大きかったに違いない。
私がメアリーの話からギーズ公の事情を推測している間も、メアリーのマシンガントークは、相手の薄い反応などお構いなしに続いていく。
とりとめのなさと終わりのなさは女子の会話の特徴である。
「でも……」
ふと、彼女の声が弱まり、その緩急に私は顔を上げた。
「今なら、アタシにも分かるの。叔父様も、アタシを利用したいから優しくしてくれてただけだって。本当にアタシのことをちゃんと見て、好きでいてくれてたのは、フランソワだけ」
「メアリーの夫の……?」
伺うと、マリコは淡い微笑で応えた。
「メアリーと幼馴染みだったのよ、彼。小さい頃からずっと恋してた相手の中身がいきなり変わったら、さすがに驚くわよね。でもあの子は、メアリーが死んだことを受け入れた上で、私を認めてくれた。あの子だけは、アタシに打算なしで接してくれた」
フランソワは、メアリーの1つ年下だ。
マリコの精神年齢からすれば10歳は離れているはずの病弱な少年について話す口ぶりは、夫というよりは、弟を思うような親しみを感じた。
「病弱で顔色悪くて陰気で、全然頼りにならないダッサイ男だったけど……まぁ、悪くない夫だったわ」
最後の一言は、少し寂しそうに聞こえた。
「フランソワが死んで、アタシは正真正銘ひとりになった」
だが続く言葉は、一転してとげとげしさを増しているように思えた。
「周りはメアリー・スチュアートを利用するか追い落とそうとする人間ばっかり。だったら、私が周りを利用して生き抜こうとしても、別に悪くないわよね」
言いながら、ワインボトルを掴んだマリコがグラスに注ぐ。結構飲んでいる気がするが、大丈夫だろうか。
白い肌がほんのりと赤くなり、艶めかしい色気を醸し出した彼女の瞳が、艶やかに笑う。
「男を転がすなんて、いつの時代も簡単」
「…………」
「特にこの時代の男なんて、ちょっと泣いて『女』を見せれば、騎士道精神だかなんだか知らないけど、がむしゃらに手を差し伸べてくるんだから、まぁ、悪くない時代よね」
それは、彼女くらい全てを持っていて、使いこなせる人間の発言だろう。
この時代を生きやすい女性は、ほとんどいない。
それに、どれだけ上手く泳いでいるつもりでも、男に依存する生き方である以上、彼らの都合1つで、いきなり床を抜かれる可能性だってあるのだ。エリザベスの母、アン・ブーリンのように。
黙り込んだ私に、メアリーはからかうように付け足した。
「アナタの彼氏も簡単だったわよ」
「……彼氏なんかじゃないわよ」
1度も彼氏だったことなんてない。
「あらそう」
頷き、彼女は満足そうに微笑んだ。
話に出たついでに、レイのこと、聞いてもいいんだろうか……
「レイなら別れたわよ」
顔に出ていたのか、単に話したかっただけか、タイミング良く知らされた事実に、声を失う。
私が1年間の留学を終えて日本に帰る時には、2人はまだ付き合っていた。
あれから7年も経っているし、別れていても不思議はないが、続く言葉は衝撃だった。
「アンタに振られて、誘われたからアタシと付き合ってみたけど、本気になれないって」
「ちょっと待って、誰が、誰に振られたって? 私振ってな……」
「そんなことはどうでもいいのよ!」
私にとっては重要問題だったのだが、マリコは苛立ったように言って、手にしたグラスを乱暴に振った。
「あら、ゴメンナサイ。手が滑ったわ」
「…………」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
グラスにわずかに残っていた赤ワインを、正面からかけられたのだと気付いた時には、髪と顔――純白のドレスが、血のような赤い飛沫に汚れていた。




