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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第6章 メアリー・スチュアート帰国編
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第72話 紅の女王


 一通りロバートをいじり終えてなお、かなりの時間待たされた後、ようやく応接室の扉がノックされた。


 両開きの扉が開き、5人の女性が姿を現す。


 全員同じ年頃の女性で、うち4人が黒を基調としたドレスに身を包む中、先頭に立つ女性だけは、目の覚めるような深紅のドレスを纏っていた。


 うおおっ!


 遠目に見ても目立ったが、近くから見ると更にインパクトがある。


 思わず頭身を数えてしまう長身に、ぼんきゅっぼんのダイナマイトボディーが、襟ぐりのあいたドレスに強調されてクラクラする。女だけど悩殺されそうだ。


 出ました出ました!


 スコットランド女王メアリー・スチュアート!


 この世界に来てから、否が応でもその名前を耳にすることが多くなったが、エリザベス女王の終生のライバルとも言われる女性だ。


 メアリー・スチュアートの生涯についても、例によってざっくりとしたイメージ像しか知らないのだが、深紅の衣装で処刑台に挑んだという有名なエピソードは、気高い女王の死に様として、私の記憶にも鮮烈に残っている。


 そういった劇的な要素を多く含んでいるのが、未だ彼女を悲劇の女王として、燦然と歴史に輝かせる要因だろう。


 席を立ち、前に進み出た私の後ろに、秘密枢密院が控える。

 他の随行員たちも、部屋の両サイドに並び丁寧に迎え入れた。


 ……それにしても、やはり見れば見るほど似ている。


 そのことはあまり意識しないようにして、私は女王の顔を作り、対峙するもう1人の女王を見据えた。


 広い客室の中央で向かい合う、2つの陣営。

 様々な思惑を乗せ、そこはかとなく漂う緊張感を破るように、18歳の女王が優美に微笑み、口を開いた。


「お待たせして申し訳ございません。お初にお目にかかりますわ、お姉様」

「初めまして、会えて嬉しいわ。私の妹」


 私のことを親しげに『お姉様』と呼んだ彼女に対応し、私はすぐさま『妹』と呼んだ。


 うん、やっぱり他人の空似だよね。


 当たり前のことなのだがホッとして、少しだけ肩の力を抜く。


 私の知る歴史では、最終的にメアリーは、エリザベス暗殺の陰謀に加担した罪で処刑される。


 だが結局、エリザベス1世に子供がいなかったから、エリザベス1世の死でチューダー朝は断絶し、メアリーの息子が王位について、スチュアート朝が始まり、同じ君主のもとイングランドとスコットランドが統治されることになるのだ。


 歴史の結果論ではあるが、メアリーが陰謀になど加担しなかったら、彼女が処刑になる必要などなかった気がするのだが。


 メアリーは死ななければいけないし、エリザベスは女王殺しの汚名を被らなければいけない……双方にとって何のメリットもないこのイベントは、やはり回避して然るべきだろう。


 うん、やっぱり、何としてでもメアリー処刑ルート回避希望!


 そう心を新たにしていると、メアリーの視線が、私から背後の秘密枢密院たちに移り、その後、ゆっくりと周囲の随行員を見回した。


 その目線の妖艶さたるや、とても18歳とは思えない大人っぽさと色っぽさである。


 私の位置からは後ろの秘密枢密院の表情は見えないが、斜め前に立っていた若い副侍従長兼警備隊長のヘンリー・ケアリーが、分かりやすく陶然となるのが見えた。


 うん、伸びるよね……鼻の下。

 分かるよ気持ちは。


 ハンズドン男爵ヘンリー・ケアリーは、アン・ブーリンの処刑により失脚したブーリン家の生き残りの縁戚で、エリザベスとは従兄にあたる。数少ない身内だ。


「随分と控えめな人数でいらっしゃったのですね」

「ええ、先に連絡していた通り、今回の会談は、両国の政情を考慮して非公開にさせてもらったから」

「それは残念ですわ。もっとたくさんの方にお会いできるかと期待しておりましたのに」


 今ひとつ意図の読めない嘆きだが、軽い嘆息の後、メアリーは艶のある印象的な瞳を潤ませた。


「お姉様がわたくしを助けて下さって安心しました。あのような冷たい返答を頂いた時には、わたくしは絶望のあまり海から身を投げてしまおうかと思ったほどです」

「……ごめんなさい、こちらにも事情があったものだから」


 なんとも答えづらい悲嘆に、無難に謝っておく。


 うーん、ちょっと罪悪感が……


 涙が溜まった瞳がキラキラして、18歳という若さと相まって、責められるとなんか悪いことをした気にさせられる。


「今回、会談をお申し出頂いた真意は、例の件の謝罪と、わたくしを後継者として認めるという好意の表れだと理解しています。神の御心に従えば当然の選択ではありましたが、ようやくお姉様の目から曇りが取り払われ、正しいご判断をされたことを嬉しく思いますわ」


 え? ちょっと待って待って。


 そういう解釈になるわけ?


「……そのことについては、お互いよく話し合う必要があると思って、今回、こういった場を設けました。コルチェスター城には3日間の滞在を予定しているので、その間に従姉妹同士の親睦を深め、最善の……お互いの国家と国民のためになる選択を見つけ出しましょう。私たちの国は、同じブリテン島に生まれ落ちた、いわば双子の兄弟なのですから」


 内心焦るが、メアリーの早とちりをやんわりと否定し、両国の和睦を強調する。

 だがメアリーは、耐え切れないというように、クスクスと笑った。


「何かしら?」

「いえ、国家と国民のため、だなんて随分大層なことを持ち出すものですから」

「大層なこと?」


 むしろ国政を預かる身で、それ以外の何を考える必要があるのか。


「お姉様も、庶子の身分で玉座に座り続けるには、卑しい民にも媚びを売らなければいけない事情は分かりますが、ここは従姉妹同士、言葉を飾らず正直にお話くださいませ」


 ざっくばらんに話せと言われても、もとより私は綺麗事を言ったつもりはない。


「私は、神より授かったこの王冠に、疑問も不安も感じてはいません。民の幸福と国家の繁栄を願うことこそが、王冠を授かった者の使命と信ずるので、飾らずお話ししているだけです」


 若干苛立ってしまったので、少し厳しい口調になったが、メアリーは響いた様子もなく首をかしげた。


「お姉様はずいぶんと難しいことを仰いますこと。やはり人生経験の差ですかしら。メアリーにはよく分かりません」


 やべぇ、どうしようこの子……!


「私バカだから分かりません」という、この世で最も手の打ちようのない究極のカードを切られ、私は早くも匙を投げたくなった。


 なに、この会話の噛み合わなさは。

 ものすごく雲の上を歩かれているような気がするんですけど……!


 天然なのか? 計算なのか? ゆとり的な何かか?


 実際、9歳も年下の女の子相手に説教するのも大人げないので、適当に甘やかしてやりたいところだが、いくら18歳といえど、女王として国政の海に泳ぎ出したからには、相応の責任感を持ってもらわないことには、こちらも安心して外交が出来ない。


 いつまでも名前だけの女王として遊んでいたいのなら、これまで通りフランスで叔父の膝元から出ないというのも、1つの選択としてあったはずだ。それはそれで悪くない。


 なんともやりづらいキャラクターに、顔には出さずに当惑していると、メアリーが続けた。


「真の君主は生まれながらに君主であって、そこに義務が発生するというのは、貧しい労働者の思考のように思えますわ」


 そーか。そういう思考か。

 ようやく納得する。


 彼女はエリザベスと違って、生まれた時から女王なのだ。

 別に好きで王になったわけでもなければ、王になりたいと思ったわけでもない。


 王というのは神に選ばれた人間、というのが、この時代の王権神授説だから、神に選ばれた王が何をやっても、それは神の御心に叶うものなのだ、と言ったところだろうか?


 貧しい労働者の思考というのはただの皮肉かもしれないが、天童恵梨が安月給で朝から晩まで働いていた一般ピープルだったのは間違いない。


 権利には義務が生じる、という当然だと思っていた価値観すら、この絶対君主というものは持ち合わせないのだろうか、と今更なカルチャーショックを受ける。


 だが、相手が自分と乖離した人間であっても、いつまでも「理解出来ない」では話にならないので、交渉事では相手の立場を推し量ることが必要だ。


 立場が変われば考え方も変わる。

 それは仕方がないことで、そういう考え方もあると割り切る方が建設的だ。


「そうかもしれないわね。ただ、彼らの労働の上に我々の生活があるのだということも、忘れてはいけないわ。我々の支配する国民は、決して無力な存在ではない――例え王であっても、現世に生きる限りは、現世の理に縛られる。理に背けば、王であってもその報いを受けることは――過去を遡っても往々にしてある」


 この絶対王政の時代に入る前は、封建領主が実質的な権力を握り、王権が弱かった時代が中世の前期には続いている。

 臣下や民の信を失って、悲惨な末路を辿った国王など山ほどいる。

 彼女ほどの地位の人間であれば、教養として歴史は散々学んでいるはずだ。


 王侯にとって、歴史を学ぶことはただの教養ではなく、己の身の処し方を勉強するための有効な教材になる。

 もっとも、それを糧にするか否かは、多くの勉強法がそうであるように、当人の心づもり次第なのだろうが。


 キャットの話では、若い日のエリザベスは、過去の偉大な指導者の人生を読み込むことで、彼らの成功や失敗から、己が生き抜く方法を学んだらしい。


「それは、彼らが真に正当な王ではなかったからでしょう。本当に正しい者を、神は天からご覧になっていますわ」


 メアリーの、一種無邪気とも言える考え方に危うさを感じ、つい心配になった私の忠告も、彼女は歯牙にもかけなかった。


 つまり、そんな心配をしなければいけないのは、私が正しくない王――王位簒奪者だから、と言いたいのだろう。


 いかん。話が平行線を辿る。



 これは……結構、強敵かもしれない。




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