第71話 レスター伯の結婚
天候にも恵まれた道程は順調で、私たちは予定通り、午後には会談場所となるコルチェスター城へと入城した。
「いない?」
城についてすぐ、迎えに出てきたノーサンプトン侯爵から伝え聞いた言葉に、私は目を瞬かせた。
本日の会談の相手であるメアリーが、今は城に不在であるというのだ。
「どういうことですか?」
私の代わりにセシルが聞くと、今回メアリー女王一行の世話役を一任されているノーサンプトン侯爵が、私の方に向かって恐縮しながら答えた。
「今朝方、急に乗馬がしたいと仰られまして、馬に乗って猟苑の方まで……午後には女王陛下が来られる予定なので、今日はお控えになられてはどうですか、とお引き留めはしたのですが……」
汗を掻きながら答える侯爵も困り顔だ。
熱烈なプロテスタントであるノーサンプトン侯爵は、しばしばカトリックの女王であるメアリーに対して敵対意識を見せるが、国賓として扱うよう厳命を受けている以上、礼は尽くしているようだった。
その上で、他国といえど、王の立場の人間に侯爵が行動を強制することなど出来るわけがなく、このことで彼を責めるのも気の毒な話である。
「本日陛下がご到着されることは分かり切っていたというのに……待って迎え入れることもできないのか」
「まぁいいじゃない」
本人がいないとはいえ、他国の女王相手に悪態をつくウォルシンガムを軽く宥める。
なんせ相手は、正真正銘の女王様だ。
庶民の平社員が、ある日いきなり成り上がったのとはわけが違う。
絶対君主なら、それくらい周りを振り回すのが普通なのかもしれない。
営業時代の習性で、待たせることにはプレッシャーがかかるが、待つこと自体は苦にならない私は、さほど気にせずに城内で相手を待つことにした。
「この門を見下ろせる丁度良い場所ってどこかしら?」
そんな女王の謎な要望に応え、ノーサンプトン侯爵は、ちょうど正門の前に来る3階のバルコニーへと案内してくれた。
とりあえずその場に、秘密枢密院の3名だけを残す。
「よし。じゃあここで、帰ってくるメアリーをこっそり見学するわよ。あなたたちも見つからないようにね。女王がコソコソしてるなんて、バレたら恥ずかしいじゃない」
「そう思うなら、なぜこんなところからコソコソと見下ろす必要があるのです。すぐに直接お会いになるでしょうに」
私の指示に、ウォルシンガムが仏頂面で突っ込んでくる。
「だって、さすがに目の前ではしゃげないじゃない」
「意味が分かりません」
なにせあの、絶世の美女と名高いメアリー・スチュアートだ。
エリザベス女王という立場でなければ、普通に興味がある。
小市民的なミーハー心は忘れない。イケメンと美人は大好きだ。
「あ、来た来た」
10人弱の、騎乗した団体様が戻ってきて、私はバルコニーの柱の陰にこっそり隠れながら観察した。
ウォルシンガムたちも、なんだかんだ言いつつ忠実に身を隠す。
女王の娯楽に付き合うのも臣下の役目である。
「あ、何人か女の人いるわね。どの人かしら……」
馬を下りた団体様の半分くらいは女性だったので、私は首を伸ばして1人ずつ眺めた。
「……!?」
思わず引っ込み、柱の陰にしゃがみ込む。
「どうなさいました? 陛下」
「いやっ、いや、なんでも……」
隣にいたセシルが、足下の私を不思議そうに見下ろしてくる。
ちょっと待って。今、なんか……
「いや……今、すごく知り合いに似た顔が目に入ったから……」
驚き過ぎて妙な行動に出てしまったが、冷静になって考える。
まさかね……
まぁ、他人のそら似だろう。
「同じような年代の女性が何人かいますね。皆それなりに美しいが……」
向かいの柱の陰から覗いていたロバートが感想を漏らす。その隣で、ウォルシンガムが興味なさげに告げた。
「立ち位置と振る舞いを見れば分かるでしょう。陛下、あれがメアリー・スチュアートです。先頭の、黒いドレスの女性です」
「…………」
言われ、立ち上がって目を擦り、もう1度見てみる。
黒いドレスの女性……って、あの人か!
赤みの強いブロンドの、背の高い女性だ。
遠目に見ても分かる鼻筋の通った顔立ちと、艶のある印象的な目元、透き通るような白い肌。
ハッとするような美貌は、だが記憶の中のある人物とかぶりすぎて、はしゃぐよりも驚きが先立った。
……でもまぁ、あの子、確かフランス人とのハーフだったし。本職のモデルだったし。
似たような顔のフランス美女がいても……
フランス系の美人って、ああいう顔をしているのかもしれない、と自分に言い聞かせ、私は満足したので戻ると言ってバルコニーを後にした。
その後、通された応接室には、既に他の随行員が待機しており、私たちは会談相手の準備が整うまで、そこで待つことにした。
メアリーの方が、汗をかいたので着替えると言って、結構な時間待たされることになったのだが、その間の話題はもっぱら、先ほど見た女王の話だった。
「あれがメアリー・スチュアートか! いや、美しいな! 確かに美しい!!」
噂に違わぬ美女を見て、ロバートが興奮気味に繰り返す。
私と秘密枢密院がローテーブルを囲んでソファに座り、護衛隊長他、護衛官達と侍女はそれぞれに部屋の隅に控えている。
予定としては、私も彼と同じように、ミーハー的にはしゃぐつもりだったのだが……
色々と思い出すことがあり、あまり気分が盛り上がらなかった私は、鼻の下を伸ばしているロバートを少しからかうことにした。
「じゃあロバート、メアリーと結婚したら?」
「な、何をおっしゃるのです陛下。ご冗談を……」
「それは名案です。陛下」
私の提案に、ロバートは慌てて取り繕おうとしたが、セシルの方が手を打った。
「メアリーの夫に秘密枢密院の人間を送り込めば、スコットランドの首に鈴を付けたも同然。幸い、レスター伯は、かつてはノーサンバランド公爵の家系で、今や伯爵であらせられる。その上、宮廷随一の美男子です。メアリー側も十分に考慮の余地があるでしょう」
「それは素晴らしい。貴方の、宮廷では毒にしかならない手管を存分に発揮できる機会です。まさに天より与えられし聖務でしょう」
セシルの急な持ち上げに、すかさず、ウォルシンガムが棒読みで乗っかった。
「すごいわねー、ロバート。あなたスコットランド王よ。逆玉じゃない」
私が追い打ちをかけると、ロバートがソファから立ち上がり、顔色を変えて隣のセシルに食ってかかった。
「貴殿らは、俺を陛下の傍から引き離し、自分たちが寵を得ようという魂胆だろう!?」
「何をおっしゃいますやら。そのようなことを企てなくても、我々は十分陛下の情深い恩寵に与っております」
相手の剣幕にも動じず、セシルが笑顔で答える。向かいに座っていたウォルシンガムが頷いた。
「そうです。貴方がいつまでも、陛下との結婚などという無謀にも程がある野望を諦めないので、始末を付けようというだけの話です」
「さらっと本音を言うなウォルシンガム!」
「スコットランドを掌握するというのは、陛下の治世の安泰のために不可欠な大事案です。その解決を委ねられるわけですから、これほど女王陛下の忠臣として喜ばしいことはないと思いますが?」
「うっ……」
おー、追い詰めとる追い詰めとる。
ウォルシンガムに理詰めされ、たじたじとなるロバートが反論する。
「い、いやだぞ俺は! スコットランドなんて! あんな片田舎で、野蛮なスコットランド人と一生顔を突き合わせて生きるなんてゴメンだ!」
「まぁまぁ、そう言わずに。あの通り、メアリーは望外の美女ですし」
逃げるように後退するロバートに、立ち上がったセシルが後ろから両肩に手を置いた。
セシル、さりげない上にすんごい笑顔だけど、これ2人がかりで追い詰めてるよね?
「いくら美人でも割に合わない! それに!」
そんな彼らの圧力に、ロバートが耐えかねたように叫んだ。
「確かに、メアリー女王は月のようにお美しいが、俺の目には雲がかって見える……なぜなら! 俺はすでに、太陽のように燦然と輝く、陛下の美貌に捕らわれ……ってああっ! 聞いてない!」
なにやら男どもで楽しそうにじゃれ出したので、私は頬杖をつき、ぼんやりと壁に掛かった絵画を眺めていた。
ロバートが情けない声を出すので、私はちらっと目線だけ寄越して答えた。
「いーじゃない、メアリー美人だし」
「その答は先ほど申し上げました!!」
「そうだっけ? ごめんよく聞いてなかった」
「陛下ぁぁぁぁ!」
面白いので、しばらくメアリーネタで遊ぶことにした。
……まあ、セシルとウォルシンガムはわりかし本気な気がするから、あんまり話が進みすぎて、本気で嫌がっているようだったら、どこかで助け船出してあげるけど。
それよりも私は、先ほど見たメアリー・スチュアートの姿に、胸がざわめくのを押さえられないでいた。