第69話 予期せぬ賓客
そのチャンスは、意外に早く訪れた。
メアリー・スチュアートがスコットランドに帰国するという報告を受けて間もなく、件の女王から、イングランド近海の安全通行許可証を発行するよう要請があったのだ。
帰国の際、悪天候によって航海が阻害された場合や、万一にも他国の船に襲われた時に、英国の港に上陸し、保護を求められるようにという要求だ。
その日の内に、私は私室に数名の重臣を呼んで諮問した。
どのみち、海は通行自由である。渡りたければ勝手に渡ればいいのだが、その要求自体は飲めないものではない。
だが、相手はこちらを王位簒奪者呼ばわりし、先のエディンバラ条約への批准も頑なに拒否しているという事情があった。
「どうしよう? 別に、万が一の時のための保険だから、許可してもいいとは思うけど……」
「ですが、向こうの態度を無条件に許すような対応は、相手を余計に調子に乗らすのではと……」
クリントン海軍卿が難しい顔をする。
やっぱり、そこが引っかかると言えば引っかかるか。
「我らの女王を否定しておきながら、厚顔にも保護を求めてくるというのは……スコットランドの女王は、このイングランドを軽んじているのでは?」
不機嫌に目を眇めるのはノーサンプトン侯爵だ。
どうにも舐められている感が拭えないのか、重臣たちの反応は芳しくない。
かといって、拒否するのも変に敵対関係を煽ることになりそうだし、何とも微妙な問題だ。
「エディンバラ条約への署名を条件に、要求を飲むと返してやっては?」
ノーサンプトン侯爵の提案に、今度は私が首を捻った。
「飲むかしら?」
「飲ませるのです」
「どう思う? セシル」
いささか強引なその案に、セシルに意見を求める。
「そうですね……実際に飲むかどうかは難しいところですが、反応を見るにはいいかもしれません」
「反応?」
「今回は言ってみれば、これまでギーズ公とフランス宮廷に守られていたメアリーが、初めてスコットランド女王として外交に挑む機会です。今後も無視できない存在である以上、こういった取引に対して、相手がどういう反応を示すかを確認する、良い機会かと」
「なるほどねぇ」
この条件で相手が飲むとも思えなかったが、もし署名すればラッキーだし、反応を見たいというのは確かにある。
メアリーが一体どういうタイプの政治家なのか、今後どう対処していくべき相手なのか、見定めるいい機会だ。
というわけで、反応を見てみたのだが……
結果は、予想の斜め上を行く反応が返ってきた。
返書を携えた特使の報告を、そのまま流用すれば、
「エリザベス女王は、同じ女王という立場で従姉妹でもある私に死ねとおっしゃるのですね! いいです。初めからあの人の許可など必要なかったのです。すぐに出航します。もしこれで嵐に遭って船が沈んだら、全てあの女のせいですからね!」
と言い捨てて、天候の様子も見ずに速攻で出航したらしい。
逆ギレ……!?
「な、なかなか勇気と決断力のある子ね……」
「ただの無鉄砲な癇癪玉でしょう」
執務室で聞いたその報告に、椅子からずり落ちそうになった私の頑張った好意的な解釈を、ウォルシンガムがにべもなくひっくり返す。
だが、時にこういう向う見ずな行動には、周囲が大人な対応をして、1歩譲らねばならない場合がある。
どっちにしろ彼女の船が間違ってイングランドに流れついたら、助けてやることにはなるのだろう。
ともあれ今回の件で、メアリーが政治的な駆け引きがあまり向かないタイプであることは判明した。
……これはちょっと、やっかいかもしれない。
理性と国益を重んじる相手ならば、例えばフィリペ王のように、互いの腹を探り合いながらでも、友好的な関係を築くことはできる。
だが、感情で動く人間となるとそうもいかない。
「まぁ、今回はとりあえず、何事もなく渡り切ってくれればそれで……」
そう願っていたのだが、数日後……
深夜零時。早馬の報せに、私は叩き起こされた。
「陛下。本日、メアリー・スチュアートの船が嵐に巻き込まれ、イングランドの港に漂着したと……」
マジでか。
遠慮がちに揺り起こしてきたキャットから伝言されたその内容に、私は夜中だというのに飛び起き、すぐさま秘密枢密院のメンバーに招集をかけた。
セシルは既に報告を受けていたらしく、私が招集をかけるのとほとんど入れ違いに、寝室に訪れた。
この素早さから察するに、まだ起きて仕事をしていたと思われる。
残りの2名も間もなく集い、消防隊並の迅速さで、いつも使っている小会議室に全員が揃った。
寝惚けた面をしている者は1人もいない。
その優秀さを内心賞賛しつつ、私はすぐさま緊急の議題に入った。
「メアリーは無事なのね?」
「乗員に怪我人はいないようです」
「良かった」
セシルの報告に胸をなで下ろす。
「無礼は働いていないでしょうね? 船内の人間に危害を加えたり、盗みを働いたりしないように、くれぐれも注意して」
相手が相手なだけに、扱いには重々気を遣わねばならない。
「どうなさいますか?」
「どうもこうも……相手は従姉妹で女王よ。保護しないわけにはいかないでしょう」
困って助けを求めている相手を見捨てるわけにはいかない。
問題は、この予期せぬ賓客を、どこでどう扱うかだ。
とんだハプニングが舞い込んだものだが、私は、現状を前向きに受け止めることにした。
これは、メアリーと直接会って説得するチャンスだ。
「1度会って話したいとは思ってたし、ロンドンに……」
「それはなりません」
メアリーをロンドンに迎え入れようとした私の意見を、ウォルシンガムが厳しく否定した。
「陛下を王位簒奪者呼ばわりする人間を、この政治の中枢であるロンドンになど入れれば、現政権の転覆をもくろむ害虫共が、こぞって群がるでしょう。どうしてもメアリーを保護しなければいけないというのなら、ロンドンから離した上で、外部と不審な接触を取らぬよう監視するくらいの慎重さは見せるべきです」
「地理的には、エセックス州のコルチェスター城が妥当ではないかと」
この流れはすでに予想していたのか、セシルが地図を広げて提案した。
メアリーの船が着港したのは、イングランド南東部エセックス州のハリッジだ。
この地を治めているのは、エセックス伯爵を兼任する枢密院委員ノーサンプトン侯爵だ。
先日の安全通行許可の回答について発案した張本人でもあるし、この事態に責任を持って対処させるには丁度良い人材だろう。
「そうね……なら、ノーサンプトン侯爵に、すぐにメアリー女王一行を迎え入れる手筈を整えるよう命じましょう――それと」
そこで1度言葉を切り、私は強い意志を込めて秘密枢密院を見回した。
「彼女の滞在中に、私も1度コルチェスター城へ行きます」
決定事項として伝えると、全員が驚いたように息を飲んだ。
「ウォルシンガムの言う通り、デリケートな問題だから、このことは極力秘密裏に進めます。メアリーの滞在場所も公にはせず、こちらから向かう人員も少数精鋭で。会談日時も非公開に――それならいいでしょう? ウォルシンガム」
「……最終のご判断をなされるのは陛下です」
不満たらたらな顔でそう言われる。
この男は、そもそも私がメアリーに会うこと自体、あまり気が進まないらしい。
何がそんなに気に入らないのか知らないが、ともあれ、その緊急会議の場で、メアリー・スチュアートとの秘密会談の計画が着々と進められた。




