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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第6章 メアリー・スチュアート帰国編
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第68話 ルート回避希望!


 戦功を上げ、昇進したレスター伯ロバート・ダドリーは、すっかり元の自信満々な態度に戻っていた。


 その実績ゆえか、伯爵という高位貴族の爵位ゆえか、ロバートを認め出す者も増えており、どちらかというと、ロバートがいない間に女王の寵を独占した庶民出身のウィリアム・セシルに対する嫉妬心と危機感から、貴族ほどロバートに近づくようになった。


 ほんとにこいつらは……!


 相変わらず日和見な宮廷に呆れつつも、去年1年間、散々彼らに振り回された私は、冷静に宮廷の動向を観察するように努めた。


 ロバートは相変わらずベタベタしてくるが、これについては調子に乗り過ぎない限りは、もう放っておいている。


 というのも、ロバートを男避けに置いておくというのも、ひとつ手だと思ったからだ。


 トマスの件で学習したが、女王の結婚問題は、外交で婚約交渉を利用する分には有効だが、国内では権力闘争の種になるだけだ。


 こんなことなら、国内では、女王はロバートという恋人がいるから結婚しない、とでも思っておいてもらった方がマシである。


 愛人でもなんでも、好きに言うがいいさ!


 この1年で1回り図太く……もとい逞しくなった私は、幾分開き直っていた。


 そして幸いなことに、ロバートのメンタルは私にはねつけられても廷臣に妬まれても、びくともしない形状記憶合金である。


 ……ん? もしかしてエリザベスも、そういう理由もあってロバートと恋人ごっこを演じてたんじゃ……?


 ……さすがにそれはないか。


 そこまではね。


 思い直し、朝の支度を終えて寝室を出ると、今日もロバートが扉の前に膝をついて出迎えていた。


「女王陛下万歳! 我が親愛なる麗しの陛下に、この(しもべ)は拝顔の栄に浴することが出来ますでしょうか?」

「毎朝精が出るわね、ウサギさん」


 この大仰な挨拶にもすっかり慣れた。慣れって怖い。

 右手を差し出すと、ロバートが伏せていた顔を上げ、甲に口づけて立ち上がる。


「貴女のウサギは、陛下の美しい御手に接吻しなければ、1日を始めることも出来ない愚かな生き物です。どうかその慈悲深い御心で、手厚くお慰め下さい」

「……私も最近、あなたの顔を見たら1日が始まったような気がするわ」


 ロバートが戻ってきて1週間ほど経つが、皆勤で朝から出待ちされると、そういう感想にもなる。


 呆れ半分、感心半分に言うと、ロバートの表情が、ピコン! と電灯がついたように明るくなった。


「それは素晴らしい! 陛下の朝の御心を占める光栄に浴せることに感謝します」


 なんというか……こういう分かりやすい反応に、バカな子ほどかわいい的な愛着が湧いてきた感は否めない。


 だがすぐ調子に乗るロバートは、私の手を握ったまま距離を詰め、顔を寄せてきた。


「陛下……少しでも長く貴女のお側にいられればと願っています。今日こそは陛下の朝のお供に俺を選んでもらえませんか」

「クマさんとケンカしないなら、連れてってもいいけど」


 朝の散歩の同伴を希望するロバートに、条件付きで許可を出すと、素直に嫌そうな顔をされた。


「……クマ男を外すことは出来ませんか。朝からあの顔を見ると雨が降りそうだ」

「それは無理。今日はフィリペ王宛の手紙のことでアドバイスも欲しいし」

「……御意に。陛下の御心を翳らせる雲が晴れるのならば、俺の上にかかる雨雲など取るに足りません」


 仲良くしろとゆーに。


 渋々頷いてついてくるロバートに、合流したウォルシンガムが顔を曇らせたのは言うまでもない。





 そんなこんなで、私は今日も元気(?)に女王のお仕事に励んでいた。


「――こんな感じでいいかしら? 精霊さん」


 スペイン王フィリペ宛に書いた手紙をセシルに見せる。

 隣に立っていたセシルが内容をチェックし、穏やかに微笑んだ。


「十分です。これでフィリペ王も、少しは御心が休まる部分もあるでしょう」

「やたー」


 ようやく赤ペン先生セシルのOKをもらい、私はぐったりと突っ伏した。


 先日のデ・スペの誤報による経済制裁の弁明と、友情の復活を願う文面だ。


 すでに英国政府から公式文書は出しているが、改めて私信として、フィリペ王個人に宛ててメッセージを送るのがよろしいだろうという判断になった。


 そのついでのように――実は、これが1番の狙いだったりすのだが――メアリー・スチュアートとの結婚についても言及し、個人としても国家としても好ましくないという意志を伝えた内容になっている。


 フィリペの好みを考えて、外交問題としては理論立てて反対した上で、個人としては多少乙女心を織り交ぜ、情に訴えるような調子に仕上げた。


 今日は、これを書くだけで何時間使ったか……!


 直接会ったことはないが、こう頻繁に腹を探り合いながら書簡をやりとりしていると、下手な顔見知りよりも相手のことを知っているような気になる。


「あとは……そうね、友情の証として宝石を贈ってちょうだい。彼にはたくさん頂いてるから」

「御意」


 王侯同士の交友において、贈り物は1つのコミュニケーションツールだ。貧乏女王としては、それほど奮発は出来ないのだが、大事なところは押さえなければいけない。


 セシルの話では、すでにフランスのカトリーヌ・ド・メディシスが、スペインの皇太子妃である娘を通じて、スペイン王とスコットランド女王の結婚に反対するよう動いているらしい。


「メアリー・スチュアートはどうするつもりかしら?」

「さぁ……こればっかりは」


 漠然とした投げかけに、セシルも曖昧に答える。


 スコットランド女王メアリー・スチュアート。


 誕生とほぼ同時に父王が死に、生まれながらに女王であったメアリーは、5歳の頃、母親のマリー・ド・ギーズの手によって、母方の実家であるフランスに送り込まれた。

 

 皇太子の婚約者としてフランス宮廷に迎えられたメアリーを、叔父にあたるギーズ公は、自分たちの手駒となるように大切に育てたらしい。


「夫のフランソワ2世が亡くなって、最初、ギーズ公は弟のシャルル9世に嫁がせようとしたのよね?」

「ええ。ですがその工作は、あっけなくカトリーヌ・ド・メディシスに阻止されました。彼らは少し、あの女性を甘く見ていた……」


 頷き、セシルは慎重な面持ちでその名を口にした。


 芸術的才能と美貌に恵まれ、宮廷では常に賞賛と羨望の的だったメアリーは、フランス王妃とスコットランド女王という2つの国の王冠を戴き、この時代の女性として最高の栄誉を与えられた。


 そんな、眩いばかりに輝く彼女の栄光の陰に追いやられた、1人の女性がいた。


 フワンソワ2世、シャルル9世の母親であるカトリーヌ・ド・メディシスだ。 

 

「カトリーヌは、ただ大人しくメアリーの影に甘んじていたわけではありません。彼女は、病弱なフランソワ2世が短命であるのを見越して、シャルル9世を囲い、ギーズ公に敵対心を持つ貴族の支持を集めて雌伏していたのです」


 仮にも我が子の死を望むような母親がいるとは思いたくないが、カトリーヌが長男の死と次男の即位を想定して、影で勢力を集めていたのは確かだ。


 カトリーヌは、自分を『商人の娘』と見下し、屈辱を味あわせ続けたギーズ公とメアリーに復讐するため、虎視眈々と機会を窺い続けたのだ。


 カトリーヌとメアリーの確執は外国でも有名で、宮廷ゴシップ通のグレート・レディーズから聞いた話では、最初の火種となったのは、メアリーがフランスに来て間もない頃。


 宮廷内で影の薄かった王妃カトリーヌが、蝶よ花よと騒がれる未来のフランス皇太子妃を見物に来た時に、メアリーの方が、己に敬意を払わないその女性に嫌悪感を見せ、「スコットランド女王の御前とお分かりですか?」と口をきいたというのだから、戦慄である。


 カトリーヌもすぐさま「フランス王妃の御前とお分かりですか?」と返したというのだから、同性としては、その場にいたら恐怖で凍りつくようなエピソードである。


 当時、アンリ2世は愛人である未亡人メディヌを公然と寵愛しており、王を虜にしたこの女性が、フランス宮廷の実権を握っていた。


 イタリアの商人の娘であるカトリーヌは外国人な上、王侯の血統ではなく、また器量も良くなかったため、「莫大な持参金とローマ教皇の姪であることだけが取り柄の女」と陰口を叩かれ、メディヌの影に甘んじていたらしい。


 そういう環境では、カトリーヌなど眼中になかった幼いメアリーが、メディヌを王妃と思い込んでいてもおかしくはないのかもしれないが、これでは相手の覚えが悪くなるのは必然だ。


 そして10年も経てば権勢も変わり、いまやカトリーヌがシャルル9世の摂政としてフランス宮廷を牛耳っているのだから、なんとも恐ろしい世界だ。


「で、カトリーヌの妨害でシャルル9世との結婚がポシャったから、次はスペイン王、と……けど、それが無理だったら?」


 現時点で、カトリーヌとイングランドの妨害がすで始まっているので、この結婚交渉の実現の可能性は低いだろう。

 それ以外となると、ギーズ公的には、他に自分たちのメリットになる外国に嫁がせたいだろうが、メアリー自身はどうなのだろう。


「メアリーは、フランスでも豊かな領地を与えられています。莫大な寡婦年金を受け取りながら、しばらくは元フランス王妃として安住し、賢明な身の処し方を検討することも出来るでしょう。逆に今、スコットランド女王として故郷に戻れば、プロテスタントと反フランス派が幅を利かせつつある国で、カトリックでフランス育ちの女王というハンデを背負いながら、玉座に座ることになります」

「……フランスに留まる方が、いいような気がするけど……」


 そう思ってしまうのは、漠然とでも、彼女に待ち受ける未来を知ってしまっているからだろうか。


 だがこの時点でも、スコットランドの政情と彼女の経歴を思えば、よほど故国の再建に熱意がない限り、スコットランドへ帰るという選択は考えられないような気がした。


「フランスに残るのか、スコットランドへ帰るのか、どこかの国に嫁ぐのか……」


 選択肢は幾らでもある。

 そこからどれを選ぶのかは、彼女自身の判断だ。


 なぜなら、メアリー・スチュアートは女王なのだから。





 セシルと執務室で、そんな会話をしてから3日後――秘密枢密院会議の席で、世界が注目する結果を、ウォルシンガムがいち早く伝えた。


「メアリー・スチュアートがスコットランドへの帰国を決意したそうです」

「そう……」


 頷き、私は椅子の背に身を沈めた。


 メアリー・スチュアートが、スコットランドに帰ってくる。


 やっぱり……ついにそうなるのか。


 ここだけは、いっそ歴史が変わってくれやしないかとすら思っていたのだが……


「理由は分かる?」

「分かりません」


 聞いた私に、返ってきたのは無下にもない回答だ。

 ウォルシンガムは淡々と――だが若干呆れたように、続けた。


「スコットランドは、今やプロテスタントが国民の過半数を占めています。マリー・ド・ギーズが死去し、貴族議会が政権を握っている今、13年も故国を留守にしているカトリックの女王に対する忠誠心はなく、むしろ敵愾心を抱いているという情報もあります。今のスコットランドにとって、フランスかぶれの女の王など、無用の長物です。その実情を本人も知らぬわけはなく、ギーズ公も引き止めたようですが……」


 いかにも愚かな選択だと、ウォルシンガムは言いたげだった。


 帰ってくるのは迷惑、という本音もあるのだろう。


 イングランドとしては、ようやくエディンバラ条約で、スコットランドの貴族議会と有利な和平を結んだところで、カトリックとフランスの息がかかった女王が戻ってくるのは、また隣国に火種が持ち込まれるようなものだ。


 ギーズ公が引き止めたのは、自分の手駒を手元に引き止めたいという政略的な意図もあっただろうが、明らかにリスクの高いその選択に、姪の身を案じる気持ちもあったのではなかろうか。


 いずれにせよ、周囲の思惑に反し、メアリー本人がこのスコットランド行きを強く望んだのは間違いない。


「女王として、国を治めなければという責任感が働いたんじゃないかしら」

「責任感?」


 私が理由を推察すると、ウォルシンガムは胡散臭げに眉を上げた。


「国を治める者としての責任感などというものがあれば、いきなり隣国の王を挑発するような無益な真似はしないと思いますが」


 今日のウォルシンガムは皮肉が効いている。


 確かに、いきなりイングランド女王を名乗り、イングランド紋章を自分の紋章に取り込んだのは、いくら王位継承権を主張するにしても、浅はかなやり方だったように思う。


 だからといって具体的な軍事行動に乗り出すわけでもなく、脅しをかけるわけでもなく、結局、イングランドに敵意と警戒心を抱かせただけの行為だった。


「はぁ……」


 憂鬱を飲み込みきれず、私は大きく溜息をついた。

 肘掛けに肘をつき、扇子を握った手でこめかみを押さえる。


 何にしろ、メアリー女王がスコットランドに戻ってくるという事実に変わりはない。


 ぶっちゃけ地味な国なので、前世ではほとんど興味がなかったのだが――それでも、メアリー・スチュアートの名前だけは、スコットランド史の中で浮き上がっている。


 恋の情熱に生き、断頭台に散った美しき女王。


 悲劇の女王メアリー・スチュアート。


 彼女を処刑台へと追いやったのは――他でもない、エリザベス1世だ。


 罪状は、女王暗殺の陰謀に関わった罪。


 ……これから先の未来、私は、私を殺そうとする彼女を、殺さなければいけない。


 それは、変えられない未来なのだろうか――?


「陛下、お顔の色が悪いようですが――?」


 一瞬、思考の海に沈んだ私を、ウォルシンガムの低音がすくい上げる。


「ええ……大丈夫。少し、寝不足かも」

「…………」


 下手な嘘をついてしまった。見透かすような黒い双眸に無言で見つめられ、思わず目を逸らす。


「ねぇセシル、メアリーと1度会って話をする機会を作ることって、出来るかしら?」


 ふと思いついたことを聞くと、セシルが表情を曇らせた。


「あまりお勧めはしませんが……」

「陛下が希望されるなら、会ってみるのも1つの手ではないか。メアリー女王はまだ18歳の女性だ。イングランド王位の主張についても、ギーズ公にそそのかされている部分が大きいのだろう。実際に従姉である陛下のお人柄に触れれば、そのような野心を抱かぬよう説得できるかもしれない」


 そう乗り気な発言をしたのは、秘密枢密院会議に復帰したロバートだ。


 なかなか良いことを言うロバートに、私は身を乗り出した。


「そうなの! 説得したいの私は。実際会って話さないと分からないことって、絶対あるもの。争わないで済む方法があるなら、それに越したことはないわ」

「反対です。メアリーの叔父であるギーズ公は、今もフランスでカトリック軍を率い、我々が援助しているコンデ公と戦っている。このような状態で会うべきで相手ではありません」


 水をぶっかけてきたのはウォルシンガムだ。


「それに、向こうはいまだエディンバラ条約への批准を拒否しています。その上で、こちらから友情を求めるのは国内に示しがつかないでしょう。まずはメアリーに、条約に批准させる方が先かと」

「でも……」


 ウォルシンガムは強硬な姿勢を貫こうとするが、スコットランド議会も批准しているこの条約を拒絶している時点で、何かしら交渉材料がない限りは、向こうの首を縦に振らせるのは難しい、というのが私の見立てだ。


 だったら、ここは飴と鞭を使い分けて、1度下出に出て懐柔してはどうかと思ったのだが……確かに、プロテスタントの女王がカトリックの女王におもねるような行為は、体裁が悪いか。


 私としては、体裁ばかり気にして身動きが取れなくなるのは避けたいのだが、外交では周囲に与える印象というのがかなり重要になるので、そうも言ってられない部分はある。


 実際、そうまでして会ったところで、メアリーの心を変えられるとも限らない。


 リスクが高いのは確かだった。


 反論を飲み込んだ私を、セシルが柔らかく諭す。


「少し様子を見ましょう。フランス国内の状況が変われば――あるいは、メアリー側から何かしらの打診があれば、実現の可能性も見えてくるかもしれません」

「そうね……私がメアリーに会いたい……会って説得したいって気持ちがあることだけは、覚えておいて」


 セシルの言葉に頷いて、私はそう秘密枢密院のみんなに伝えた。


 立場上、つい対立しがちになる相手ではあるが、血縁でもあるし、同じ女王でもある。

 何かしら和合の道があるなら選択したかった。


  現代においても、メアリー・スチュアートの処刑のイメージは、メアリーが悲劇の女王で、血の繋がった従姉妹を処刑したエリザベスは、冷酷で無慈悲な悪役だ。


 悪名として残ることが分かっているなら、避けられるものなら避けたいと思うのは自然なことだろう。


 それでなくとも、親戚の処刑を言い渡す役目など、絶対にやりたくない。


 処刑の罪状となる陰謀を起こさせないためにも、どうにかメアリーを改心させられないだろうか。



 メアリー処刑ルート回避!



 1つ、私の目標に付け加えられた。


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