第66話 ふたりでひとり
「精霊さん、早く帰ってきて……」
夜、枕を抱えてベッドに突っ伏した私に、刺繍の手を止めたキャットが微笑んだ。
「陛下、セシルがいなくて寂しいですか?」
「寂しい……のもあるけど、不安……?」
やっかいな外交問題が立て続けに起こり、難しい決断を迫られる度に、傍にセシルがいないことに心細くなる。
こんな時、セシルならどう考えるだろう、と思うと、たまらなく意見が聞きたくなった。
いつも隣にいて、私を助けてくれるのが当たり前だったけど、やっぱりいなくなると、その存在の大きさに気付く。
セシルの言葉があると安心できた。
自分の考えをまとめる時でも、セシルがどんな視点で物事を見ているのかが参考になっていた。
そう自覚して、コロコロ転がりながら反省する。
「私やっぱり、セシルに頼り過ぎかも」
「大丈夫ですよ。セシルは陛下の精霊なのですから、安心して耳を傾け、ご自分のお心をお決めになれば良いのです」
呟いた私に、キャットが優しくフォローを入れてくれる。
キャットとセシルは、旧知の仲だ。
セシルは22歳の時にロンドンに上京し、プロテスタント派の知識人として、当時自分の宮廷で熱心に勉強会を開いていた元王妃キャサリン・パーに可愛がられていたらしい。
まだ14歳だったエリザベスともそこで出会い、彼女の教育係だったキャットとも知り合った。
もう1ヶ月以上顔を見ていない相手が懐かしくて、私は聞いてみた。
「ねぇ、キャット。セシルって昔からあんな感じだったの?」
「あんな感じとは?」
聞き返されてしまう。確かに、ざっくりとした質問だった。
単純に、若い頃のセシルの話が聞きたかっただけなのだが。
「んーと、優しい感じというか……悟った感じというか、出来る人っていうか」
「そうですね……見た目は、今よりもっと少女のようでしたわ。仮面舞踏会では、キャサリン王妃が貴婦人の格好をさせようと躍起になって」
何それ超見たい。
写真ないの写真! と言いたいところだがあるわけない。
思わぬ情報に、私はゴロゴロを止め、ベッドの上で胡坐をかいて身を乗り出した。
「性格は、あまり変わらないのじゃないかしら……穏やかで礼儀正しい青年なので、宮廷でも好まれていました。ただ、今ほど老練ではなかったので、たまに秀才らしい気位の高さを他人に見せることもありましたけど」
何それ超見たい。
セシルが内面のしたたかさを、笑顔と丁寧な物腰で隠していることくらいは知っている。
若さゆえに隠しきれず、生意気なところを見せてしまうセシルとか可愛いじゃないか!
「有能であることには間違いありませんでした。それでいて驕らず、何事にも誠実に取り組み結果を出すので、王妃様も大変目を掛けておられ、王宮での出世の道も繋いでやりました。彼があの若さで、すでに3人の王の寵臣として仕えているのは、最初に王妃の推薦もあって、サマセット公爵の秘書に取り立てられたことが大きいですわ」
セシルは、能力もそうだが人柄がいい。性格の善し悪しというよりは、過ぎた野心を持たず、驕らず、怠けず、誠実に職務に取り組む人間というのは、いつの時代でも貴重だ。
その上、飛びぬけて有能となれば、上の人間が放っておくわけがなかった。
「いいなぁ。その頃のセシル見てみたい。またタイムスリップして」
ついでに若い頃のウォルシンガムというのも見てみたい。きっと生意気なガキんちょだったに違いない。
どうせなら、こんなどうやって来たかも、何で来たかも分からないようなタイムスリップではなく、ドラ○もん的に自由に行き来できたら楽しいのに。
そう思ってポロリとこぼした言葉に、キャットが反応した。
「また?」
おっと口が滑った。
つい話に盛り上がってしまい、いらないことを言ってしまった口を慌てて押さえる。
だが、こちらを見返すキャットの表情に、ウォルシンガムの言葉が脳裏を蘇った。
『聞きたそうな顔をしている』――と。
「…………」
どうする? もう言ってしまうか?
迷いが芽生えるが、ウォルシンガムの言葉に背中を押される気持ちで、思い切って息を吸う。
言え、言ってしまえ!
「……キャット。私ね、21世紀から来たの」
「……!」
私の唐突な告白に、キャットが息を飲んだ。
「本当は、記憶喪失なんかじゃなくて……エリザベスの肉体に、エリザベスじゃない人間――天童恵梨っていう21世紀の人間が憑依してるの」
目を見開いて私を凝視する相手を、真っ直ぐ見返す。
計算した上での説得ではなく、衝動的な、つたない告白だった。
「……なんて言ったら、信じてくれる?」
我ながら、これは上手くない。
そう思い、ごまかすように微笑んだ。
おかしい。1年前は、もう少しマシな説明が出来たはずだが。必死度の違いだろうか。
去年の冬、唐突に飛ばされた見知らぬ時代の世界で、他に頼る人間もおらず、必死に秘密枢密院のメンバーに信じてもらおうと、説得したことを思い出す。
今思えば、よく信じてもらえたものだ。
あの場にいたのが彼らで良かった。
「…………」
キャットの迷うように開かれた唇が、何も発さずに閉じられる。
そのまま、俯いてしまった。
やっぱり、唐突過ぎたか……?
気まずい沈黙が続き、そんな風に思った時、ふぅ……と俯いたキャットが大きく息を吐くのが聞こえた。
「……なんとなく気付いていました」
そう言った彼女の声は思ったより落ち着いていて、ゆっくりと上げた顔には、寂しそうな微笑が浮かんでいた。
「あなたは、エリザベス様のお身体を受け継いだ、エリザベス様ではない誰かなのではないかと――」
彼女の言葉は的確で、逆に私の方が驚いて息を飲んだ。
「どうして、そう思ったの……?」
「あなたのお人柄の深さ、でしょうか」
「……?」
よく分からなくて首をかしげると、キャットが丁寧に補足した。
「あなたの考え方や行動、紡ぐ言葉の1つ1つに、何か……私の知らぬ大地に根差した根拠のようなものを感じました。記憶のないあやふやな不安など微塵も感じられない、前提となる知識や経験を持つ人間の意志を」
「…………」
「あなたとエリザベス様は、とても似ているところもあるけど、違うところもたくさんある――あなたは記憶喪失なんかじゃなく、別の人生をきっちりと生きてきた、違う誰かなのだと思いました」
「そっか……」
そう言われてみると、そうかもしれない。
私はいつも、天童恵梨として生きてきた経験を足場にして、この世界で生きてきた。
「ただ、それが21世紀という、途方もない未来の世界で過ごした人生だというのは……」
「信じられない?」
聞くと、キャットは静かに首を横に振った。
「セシルやウォルシンガムが信じるというのなら、そうなのでしょう。私は、彼らほど良識と判断力に長けた人間を知りません」
「ありがとう」
彼らを褒められたことが嬉しくて、つい礼を言って微笑んだ。
すると、キャットは少し表情を曇らせ、ためらいがちに口を開いた。
「陛下、その……それで、私の知る、エリザベス様は……」
「……私もよくは知らないんだけど、去年の1月10日の夜9時に、ハンプトン・コート宮殿で亡くなったのだと……セシル達は、彼女を看取ったと言っていたわ。そして……21世紀の同じ日時に死んだ私が、気が付けば、そのエリザベスの中に目覚めていた。まるで、死んじゃいけない彼女の代わりに連れて来られたみたいに」
キャットの目が、はっと見開かれた。
青ざめた顔に、事実を告げるのは辛い作業だった。
「21世紀の天童恵梨も、16世紀のエリザベスも死んじゃったなら、私はここでエリザベスの意志を継いで生きるしかないって、腹をくくったの。だから……ゴメンねキャット。私は、あなたの大事なエリザベスじゃないけど……エリザベスの代わりに、ちゃんと女王として頑張るから」
「エリザベス様……」
伝えられた真実に、キャットは両手で顔を覆ってうなだれた。
「可哀想な方……」
1年も経って主人が死んでいたことを知った忠臣の心痛は、いかほどのものだろう。
心中を推し量り、肩を落とす彼女を息を詰めて見守っていると、やがて顔を上げたキャットが目元を拭った。
「ごめんなさい。あなたも、可哀想な方だわ天童恵梨さん」
「私は大丈夫よ。今は、もう」
前世への感傷は、1年前に決別したつもりだ。
……それでも、ここまでやって来られたのは、信じられる人達がいたからだろう。
「支えてくれるみんながいたから」
「私も、あなたをお支えする1人として、仕えさせて下さい」
椅子から立ち上がり、私の傍に寄って膝をついたキャットが、ぎゅっと手を握ってきた。
「私がお育てしたエリザベス様は逝ってしまわれたけど、あの賢い少女が、こうやって1人の女性として、王として立派になられていく姿を見れることに感謝します」
彼女にとっては、きっとまだ半分エリザベスは生きているのだろう。
キャットの言葉に、私もふと気付いた。
私は1人じゃないということに。
私が生き続けることで、エリザベスも生き続ける。一生2人で、1人の女王を演じ続ける。
黄金時代を作り上げた処女王は、いつも私を導いてくれる、頼もしいパートナーだ。
そう思うと、急に自分の中にエリザベスの息づかいを感じられた気がして、心強くなった。
「天童恵梨さん、陛下を宜しくお願いしますね」
「……うん。ありがとうキャット。私をよろしく」
重ねられた手を握り返し、私は、改めて私を紹介した。




