第64話 心を読まれるのはいや?
8000の軍勢を率いたイングランド援軍の到着により、スコットランドでのプロテスタント派の戦況は好転した。
リース城を攻略され、苦しい立場に立たされたフランス軍が和平を求めてきたのだ。
その報せは、すぐにロンドンに届けられた。
2月7日に届いたその報告の中で、北部長官であるロバートが、絶好の機会であるため、誰か交渉に長けた人材を送って欲しいとの旨をしたためていた。
この場合、名指しはせずとも、彼が誰の力を求めているかは明白だった。
「私が行きましょう」
「セシル……」
誰かに言われるよりも前に、いち早く名乗りを上げた国務大臣に、枢密院委員達の冷静な視線が突き刺さる。
その会議の場で、不安な目を向けているのは私だけで、後の全員は、彼が和平交渉の使者として行くことに、不満もなければ異論もないようだった。
「あの絶望的な状況から、彼らが持ち直して掴んだチャンスを潰すわけにはいきません。フランス軍は現在、幾多の困難を抱えている。この条約の首尾いかんで、今後のスコットランドに対する我が国の優勢が大きく変わる。ロバート卿が功を焦らず、専門家に任せることを選んだのは正解です」
元々セシルは、この戦争に対して情熱を傾けていた。
出兵を後押しした1人として、強い責任と使命感を感じているのだろう。
彼が交渉事の専門家であり、この場合、最適な人材であることは、私も疑っていない。
ただ、エディンバラは遠い。
即位以来、セシルが私の傍を離れるのは初めてだったので、そういう意味での不安の方が大きかった。
「女王名代として参ります。留守中の代理はサー・ニコラス・ベーコンに、そして補佐はフランシス・ウォルシンガムに任せます」
身を軽くし、最速でエディンバラへと向かうために、セシルはその日のうちに旅支度を調え、わずかな従者だけを伴ってロンドンを発つことを決めた。
国政の柱が長期不在となることを、大々的に知らしめる必要はなく、出立はひっそりと行われた。
見送りに出たのは、私とウォルシンガム、そしてニコラス・ベーコンだけだった。
「陛下、何かあれば2人をお頼り下さい。彼らは頼もしい貴女の味方です」
私を安心させるように手を握り、そう言い含めたセシルに素直に頷く。
「うん……分かった。セシル、無事帰ってきてね」
「勿論です」
力強く頷き、私の手を離したセシルが、背後に控える2人の男に顔を向けた。
「陛下を頼みます」
射るような眼差しで告げられた願いに、ベーコンとウォルシンガムが同時に頷く。
去っていく後ろ姿を祈る気持ちで見送り、私は遠いスコットランドとの距離を数えた。
交渉の進み具合にもよるだろうが……きっと戻ってくるのは、1ヶ月は先になるだろう。
その間が平和に過ぎていくことを願いながら、それが希望的観測に過ぎないことは、私も自覚していた。
そしてやはり、時の流れは無情に波乱を巻き起こし、セシルがロンドンを発ってすぐ、新たな時代のうねりが、フランスから脈動を始めた。
「それ、フランスがユグノー信徒を認めたってこと?」
ベッドの上で枕を抱えたまま、首をかしげた私に、傍らに立つウォルシンガムが肯定した。
「限定的ではありますが、そういうことになりますね」
セシルがいない心細さもあって、最近は夜にウォルシンガムを部屋に呼んで、政治の話をすることが多くなった。
現在、外国情勢は目まぐるしい変化を見せており、特にフランス国内の動きはかなり複雑で、外国通のウォルシンガムに説明してもらわなければ、ちょっとついて行けない。
素直に生徒になったつもりで、謎の情報網を持つウォルシンガムの最新ニュースに耳を傾ける。
今話題に上っているのは、つい先日フランスで発布された、オルレアン寛容勅令とサン・ジェルマン勅令のことだ。
……名前だけ聞いてもなんぞや、という感じなのだが、ウォルシンガムの小難しい話を要約すれば、オルレアン寛容勅令は、ユグノー信徒――フランスのプロテスタントをこう呼ぶ――の信仰の自由を限定的に許可した勅令で、サン・ジェルマン勅令は、城壁の外や屋内でのプロテスタント式の礼拝を容認する、という勅令だ。
これらを主導し、対立していたユグノーとの講和を図ったのは、新王シャルル9世の摂政カトリーヌ・ド・メディシスだという。
「どうしたのウォルシンガム、あんまり嬉しそうじゃないわね。フランスでプロテスタントが認められるなんて快挙じゃないの?」
似非プロテスタント女王の私は、完全に他人事の口調で、枕と戯れながらウォルシンガムに投げかけた。
生粋のプロテスタントであるウォルシンガムなら、小躍りして喜びそうな話だ。
……ウォルシンガムが小躍り……しないだろうなぁ……
ちょっと見てみたい気もする。
妄想してみようとする私の努力を打ち消すように、ウォルシンガムは仏頂面で答えた。
「完全に政治的な思惑での行動です。カトリーヌ・ド・メディシスは、政敵ギーズ公に対抗するため、プロテスタントの後ろ盾を得ることを選んだだけです。カトリーヌ自身は無論カトリックであり、プロテスタントの教義に対して理解があるわけではない」
この、プロテスタント弾圧への急激な軟化政策に対して、外交通のウォルシンガムの視点は冷ややかなものだった。
「ふーん」
相槌を打ってみるが、完全に政治的な思惑でプロテスタントを名乗っている私は、人のことを言えない。
「これに対して、当然、カトリック擁護者の筆頭であるギーズ公は強く反発しています。火種にならないといいのですが……」
ウォルシンガムの懸念は、そこにあるようだ。
どのような理由であれ、信仰の自由が認められるならいいじゃないか、と私は思ったのだが、どうやらフランスの事情は、そう簡単なものではないらしい。
「ところで陛下」
私の気のない相槌に、ウォルシンガムはさっさと話題を変えてしまった。不真面目な生徒にこの男は厳しい。
「キャット・アシュリーには、ご自身のことをお話しされていないのですか?」
キャットは、今は隣の控室に待機させている。
ウォルシンガムとここで話しているとつい気が抜けるので、何かつるっとまずいことを言ってしまわないか心配だったからだ。
「うん……実はちょっと、まだ迷ってて……」
問われ、私は曖昧に口を濁した。
キャットのことは信頼している。話したいという気持ちはあった。黙っていることに罪悪感もある。
でも、今さら21世紀から来ました、なんて言い出すのもかなりの勇気がいることで、彼女が何も聞かないでいてくれるから、ついつい現状維持のまま過ごしている状態だ。
「何か聞かれた?」
「いえ……そういうわけではありませんが」
不安になって聞くと、ウォルシンガムは否定した。
「聞きたそうな顔をしている、と思っただけです」
「…………」
その回答に、私は枕を抱えたまま、ウォルシンガムを見上げた。
「……ウォルシンガムって、人の心読むの得意よね」
「は?」
「だって私なんか、思ってることスバズバ言い当てられるし」
「陛下は分かりやす……いえ、何でもありません」
わざとらしく言い淀むなっ。
「……私、そんなに分かりやすいつもりないんだけど……」
確かに秘密枢密院には素を見せているところはあるが、自分で言うのもなんだが、結構ひねくれた、可愛くない性格をしていると思うぞ。
セシルも、言わなくても分かってくれるようなところがあるが、彼と私は考え方が似ているし、共感する部分も多い。
それに、さすがにウォルシンガムのように、人の言いたくないことや聞きたくないところまで容赦なく指摘してくることはない。これは、性格の差かもしれないが。
「人を観察する習性があるだけです」
さらっと答え、見つめてくるウォルシンガムの目には、やはり不思議な力がある。
人のことは何でも見通してくるくせに、自分のことは何も見通させない目。
「心を読まれるのはいやですか?」
「いやって言うか……」
答えに迷い、私はベッドに転がることで、ウォルシンガムから目を逸らした。
言わなくても分かってくれることが多いのは、正直楽だし、ありがたいことも多い。
「安心することもある……けど、やっぱりちょっと恥ずかしい」
読まれちゃいけないことまで読まれてたらどうしよう、みたいなそこはかとない不安もある。
「そうですか」
抱いた枕の影から様子を伺うが、その視線を受け取ったウォルシンガムは1度目を閉じ、小さく息を吐いた。
「なら諦めて下さい」
「はいっ?」
気をつけます、とか善処します、くらいの回答がくるかと思ったら、バッサリいかれたよ?!
思わず声が裏返った私にも、勿論ウォルシンガムは動じない。
「趣味と実益を兼ねた行動です。陛下の御身をお守りするには、陛下の思考パターンを分析し、予測される行動に予め保険をかけておくことが有効です」
何この柵の中で泳がされてる感。
「あなたがもっと大人しく守られて下されば、私もここまで手間をかけなくて済むのですが」
「だって、ウォルシンガムの言うこと全部大人しく聞いてたら、1歩も宮殿から出れなくなっちゃうじゃんよ……」
口をとがらせて反論するが、私が外に出て市民と触れ合う機会が増えたせいで、ウォルシンガムが神経をすり減らしているのは、なんとなく分かった。
でもやめないけど。
勝手にすり減らすがいいさっ!
「ん……? 実益は分かったけど、趣味って……?」
ふと引っかかって呟くが、ウォルシンガムは聞こえていなかったのか、さっさと話題を変えてしまった。




