第61話 相応しくない男
そんなこんなで、私は彼らの後援者になることを約束し、ジョン・ホーキンズとフランシス・ドレイクに、宮廷への出入りを認めた。
彼らはこれから、貴族や重臣、議員といった宮廷を出入りする富裕層に、出資を求めて活動するのだ。
いち早く女王の後援を得たというのは、良い箔付けになるだろう。
その日から、宮廷に闊歩するに相応しい出立ちで訪問するようになったドレイクは、まるで見違えた。
元は悪くないので、黙って立っていたら、騎士や貴族軍人と言われても信じてしまいそうだ。ただし黙っていたらだが。
そんなドレイクは、なぜか普通に私の私室に居座っていた。
「ロビー活動はいいの?」
「そーゆーの俺パス。ジョンの方が上手いし」
面倒臭そうに従兄に丸投げするドレイク。
まぁ確かに、およそ礼儀というものを知らないドレイクが、気難しい貴族高官を相手にするのは、やめておいた方がいいかもしれない。
納得していると、ドレイクは笑ってカードを取り出した。
「俺はパトロン様のご機嫌取り」
「じゃあ遊んで。ドレイク、庶民の間で流行っているゲームを教えてよ」
「OK。ちなみに男女でやる時には罰ゲームがあって……」
「そういうのパス」
「ちぇっ」
いち早く察して阻止すると、本気で残念そうな顔をされた。
こいつは、女王にどんな罰ゲームをやらせるつもりなのか。
小さな円卓の向かいでカードを繰るドレイクの器用な手を眺めながら、雑談をふる。
「いつから船乗りしてるの?」
「いつから……って言ったらいいのかな。最初に船で働くようになったのは、10歳の頃か」
「そんなに小さな頃から? でも、実家は小作人だったのよね?」
驚いて聞くと、彼はこともなげに答えた。
「元々はな。でも、俺の家はプロテスタントだったから、ガキの頃、地元の宗教闘争が原因で故郷を追い出されたんだ。それからは住む土地がなくて、ずっと船の上での生活」
彼も、宗教改革の被害者だったのだ。
この明朗快活な青年が過ごしたという人生は、想像していたよりもずっと重かったが、そんな重みを感じさせぬ飄々とした口調で、ドレイクは教えてくれた。
「親父が若い頃船乗りやってて、熱心なプロテスタントだったから、何とか水夫の牧師みたいな職にありつけて、食い扶持繋いでたんだけど、糞貧乏だったから働くしかなかったんだよ。なんせ、下に11人弟がいるし」
「11人!?」
驚いた。しかも弟だという。
「全部男? すごいお母さんね……」
それは、この時代の女性の本分としては、見事に務めを果たしている。
しかも、そのうちの1人が国民的英雄にまでなってしまうのだ。
「たぶん親父の種が良かったんだろ。どう? 女王様も俺と子作り……」
「するか」
「いでっ」
性懲りもなく近づいてきた顎を掌で押し返すと、ドレイクが悲鳴を上げた。
ぐぎっと音がしたので、本当に痛かったのかもしれないが、同情はしない。
この男の下品な口はなんとかならんのか。
部屋を見回すと、ならず者に耐性のない女官と侍女たちは、遠巻きに部屋の隅に座って、びくびくと様子を見守っていた。
そりゃあそうなるわなぁ。
ため息が出る。
こんな男が未来の英国の英雄だというのだから、後世の人たちは実物を知らなくて大層幸せなことだ。
実物を知ってしまった私は、「……これでも英雄だから!」と自分を納得させつつ、育てていく他ない。
ドレイクをイギリスの救世主にまで引き上げるのは、他でもないエリザベス女王なのだから。
新しいゲームのルールを教わりながら、私はこの人なつこい海賊から、色んな話を聞いた。
後に世界に名を轟かせることになる(予定。今のところ)フランシス・ドレイクは、ごくごく普通の田舎の小作人一家の長男に生まれた。
しかし地元の宗教闘争に巻き込まれ、故郷を離れるしかなくなったドレイク一家は、放浪の果てに、メドウェイ川の老廃船を仮住まいにしたらしい。
川と船と海軍に囲まれた生活の中で、家計を助けるため少年水夫として働いたドレイクは、学校教育を受けなかった。
読み書きやプロテスタントの教義は、父親から教わったらしいが、彼は実践で船乗りとしての教育を受けたのだ。
そんな貧しい生活の中で、船乗り達の一攫千金の夢を聞くうちに、彼自身も大航海の野望と男のロマンに惹き込まれていったのだろう。
だが、なによりもドレイクの魂に火をつけたのは、従兄弟で冒険家のジョン・ホーキンズの存在であったようだ。
「……で、その港町の財務長官が言ったんだ。『諸君らのうちで、ジョン・ホーキンズを知らない者はいないだろう。彼と交渉して、要求を拒否できた者などいないのだ』ってな」
「へぇ、すごいのね。ホーキンズって」
「そりゃ、船乗りの間じゃちょっとした英雄だぜ?」
私が感心して相槌を打つと、ドレイクは鼻を擦り、誇らしげに胸を張った。
ドレイクは10歳年上の従兄弟を心底尊敬しているようで、ホーキンズのことを話す時の彼は、目が輝いていて少年のようだ。
ジョン・ホーキンズはロンドンでも有名な商業冒険家で、彼を門前払いにしたのは、全くもって対応した人間の無知と石頭によるものだ。
まったく……偶然出会えたから良かったものの、そのままドレイクと出会えなかったら、どうしてくれるのだ。
「そんな男と血が繋がってるってのが、俺の唯一の自慢?」
「唯一なの?」
自信満々な男がそんなことを言うのがおかしくて、笑って突っ込むと、彼はすぐに前言を翻した。
「ウソ。あと、顔と腕っ節とナニのデカ……」
「はいアウトー」
下ネタに入った瞬間に会話を強制シャットダウンする。
すると、ドレイクが大げさに肩をすくめた。
「女王様もお堅いよなー。酒場の女とか、結構こういうの喜ぶぜ?」
「私は喜ばないから、喜ばしたくてやってるなら遠慮してちょうだい」
「ウソ。俺が楽しいからやってるだけ。だってアンタの嫌がる顔そそるもん」
「…………」
このエロガキが!
お望み通り嫌な顔をしてしまったらしく、ドレイクは私の顔を眺めながらニヤニヤと笑った。
そんな風に、時々余計な下ネタを挟みつつも、ドレイクの話の中心は、ほとんどがホーキンズだ。
「ジョンが、新しい商売始めるから一緒にどうだって誘ってくれた時は、嬉しかったな。しかも女王様が新世界との貿易に意欲を見せてるって、船乗りの話で聞いてさ、2人で、こりゃすげぇチャンスだって盛り上がったんだよ」
野望を語るドレイクは、全身から若さと気力がみなぎっていて、つい話に惹き込まれてしまう。
こういうのを見ていると、英雄のカリスマというのを感じなくもない。
「俺はちょうどその時、世話になってた船乗りのじいさんに跡継ぎがいなかったから、船を譲ってもらってさ。その船を売って資金を作って、ジョンのところに馳せ参じたんだ。ジョンと一緒に、でっかい花火を打ち上げるために」
「打ち上がるわよ」
断言すると、盛り上がっていたドレイクの方が目を瞬かせた。
「格別でっかいのが」
その顔に不敵に微笑み返すと、ドレイクが破顔した。
「やりぃ。女王様の太鼓判いただいちまった」
歯を見せて笑うドレイクには、少年の真っ直ぐな純粋さと、男の果てなき野心が見事に共存していて、数百年先まで人々を魅了する男とはこういうものかと、妙に納得した。
~その頃、秘密枢密院は……
「女王陛下があのような男を私室に?」
その報告に――それは別に驚くべきことでもなかったのだが――聞き返したウォルシンガムに、人目を憚りながら頷いたのはブロンドの少女だった。
女王の側仕え、グレート・レディーズのひとりイザベラが、女王の私室の前を通りかかったウォルシンガムをたまたま見つけ、話しかけてきたのだ。
「いたく気に入っていらっしゃるご様子でしたが、その……品性に欠けた言動が目立つので、陛下のおそばに侍らせるのが少し心配で……」
私室でのやりとりを直接見聞きしていた彼女には、目に余る言動だったのだろう。
なぜそれをわざわざ自分に言うのかが不思議だったが、顔には出さず、ウォルシンガムは目の前の高貴な女性を見下ろした。
ちらちらと上目遣いに見上げてくるイザベラは終始落ち着きがなく、男と2人で話しているところを誰かに見られるのを恐れているようだった。
「……少し気をつけるよう、陛下にも申し上げておきましょう。あの男については、私も警戒しておきます。ご報告ありがとうございました」
年下ではあるが、身分も地位も遙かに上の相手に慇懃に礼を述べると、まだ少女と言って差し支えない若々しい頬が、淡く色づいた。
「いえっ……あの、その……お役に立てたのなら、嬉しいです。陛下が、ウォルシンガム様は宮廷のあらゆる情報に精通していらっしゃると褒めていらしたので、私などの話も、少しはお役に立てられればと思って……」
「そういうことであれば、尚更感謝いたします。差し支えない程度に、今後もお話し頂けたら」
「は、はい! 是非!」
イザベラが顔を輝かせる。
女王の周辺というのは、近いようでいて、己が見ていない間の情報が届きにくい部分でもあったので、グレート・レディーズに内通者が出来るというのは、願ってもない申し出だ。
ただ、彼女はまだ年若く、少々軽率な面もある。立場を危うくすることがないよう、くれぐれも接触には気を遣わねばならない。
例え事実無根であっても、庶民議員と妙な噂が流れれば、不幸になるのは彼女の方だった。
そう思った矢先、女王の私室の扉が開き、中から年若い男が出てきた。
フランシス・ドレイク。およそ17歳とは思えない、逞しい体躯の青年は、2人に気付き、俗っぽい口笛を吹いた。
「なに? 逢い引き? やるねぇ、旦那」
その冷やかしに、ウォルシンガムは反応しなかったが、イザベラの方が白皙を真っ赤にし、逃げるように顔を伏せてドレイクの脇をすり抜けた。
「おっと」
私室へと駆け戻る少女を避け、その背中が扉の向こうに消えるのを見送ると、ドレイクは頭を掻きながらウォルシンガムを振り返った。
「あの子、ちょっと女王様に似てねぇ?」
「…………」
答える必要性を感じない問いかけだったので、黙殺する。
だが特に気にした様子もなく、ドレイクは大股にウォルシンガムに歩み寄った。
「可愛いじゃん女王様。俺も、あの人の下なら働いてもいい気になるわ」
「ならば身を粉にして働け。口先だけの男はいらない」
つっけんどんに答えるウォルシンガムに、ドレイクは意外そうに目を開いた。
「小作人の息子風情が過ぎた口を、とか言わねーの?」
「臣下を選ぶのは女王陛下だ。無論、相応しくない者は相応しくないと諫言するが、変わらぬ忠誠をもって仕えるというのなら、あの方にとって血統は大きな意味を持たない」
「へー」
出自について言えば、己もさほど褒められたものではない。
何より、階級社会の在り方を尊重しつつも、個人としては身分隔てなく人を評価するのは彼女の特筆すべき美徳の1つであったため、ウォルシンガムははっきりと告げた。
それを聞いたドレイクは、不敵な笑みを浮かべた。
「最高だね。ますます惚れそう」
不遜な軽口に、睨みつけると、青年はおどけて肩をすくめた。
「こえー」
「お前の言動が、陛下のお側に置くには相応しくないという報告がすでに入っている。あの方ご自身が気になさらなくとも、あの方の品格や名誉を損なう者を近づけるわけにはいかない。この宮廷で長生きしたければ、品位というものを身につけろ」
「ご忠告どーも。でも俺、こんなとこに長居する気ねぇし、別にいいわ」
せっかくの忠告を、爪先で蹴った男に眉を上げる。
「なあ旦那。宮廷で、女王様のお隣でご機嫌取るのだけが忠臣じゃねぇだろ?」
ドレイクは、野心溢れる顔に獣のような笑みを乗せ、挑発的にウォルシンガムを指差した。
「アンタに、海の男の忠誠心ってやつを見せてやるよ」