第60話 16世紀の英雄(予定)
正体を知ってしまったら、もはや無視することはできず、私はウォルシンガムの嫌味と反対を押し切って、その日の午後、ドレイクと、彼の従兄ジョン・ホーキンズの謁見を許可した。
改めて姿を見せたドレイクが、ホーキンズと並んで玉座の前に膝をつく。
フランシス・ドレイク!
この人が出てくると、大航海時代到来って気がするわ~。
教科書にも出てくるイギリスの偉人、ゴールデン・ハイント号で世界周航を成し遂げ、アルマダの海戦で指揮をとり、スペインの無敵艦隊を撃破した『女王の海賊』だ。
まさに歴史の寵児。イングランドの黄金時代を華々しく支えた大英雄である。
現金なもので、これがあのフランシス・ドレイクだと思うと、粗野なエロガキが途端に恰好よく見えてくるから不思議である。
と言っても、フランシス・ドレイクの偉業については、私も大まかに知っているだけで、特別詳しいわけでもないのだが。
そこはあれだ、有名人とか見るとテンションが上がるミーハー心だ。歴史上の英雄に会えるとか、楽し過ぎるだろ。
ジョン・ホーキンズが持ちかけてきた話は、彼ら自身が計画している大洋航海への、王室の保護と出資を求めたるものだった。
それは、イングランドから出航して南に下り、西アフリカから大西洋を渡って、西インド諸島、南アメリカ大陸のベネズエラで交易を行った後に、パナマ海峡を視察して、カリブ海を北上し、フロリダ海峡を通って帰路につくという計画で、このルートでの交易は、これまでも『もぐり』のごく小規模の密貿易船団では成功していたらしい。
だが今回の計画では、王室の保護を得て、かつてない規模の艦隊で実行しようというのだから、前代未聞の冒険だった。
いいねぇ! ロマンだねぇ!
新世界――つまりアメリカ大陸との交易は、今やスペインが1国で独占しており、制海権を握っている。
スペインは新大陸全体を自国のものと考え、他の国がここで交易することを禁止していた。
つまり、この海域で発見された者は、スペイン船舶以外、全て『海賊』ということになる。
もちろん、他国からすればこれほど不当なものはなく、この地域での交易の権利を求めて、度々スペインと干戈を交えていた。
そのスペインに植民地支配されている地を堂々と渡り、交易を行って利益を上げようというのは、無論、スペイン側から見れば違法なものだ。
実際、スペイン艦隊に見つかれば小競り合いになる可能性はあるが、密貿易船に目をつぶる植民地行政官は多く、ほとんど暗黙の了解で、頻繁に諸外国との貿易が交わされているというのが現状らしい。
いくらスペインといえども、大西洋に鉄の壁を作るわけにはいかないので、商魂たくましい貿易商人や、一攫千金のロマンに燃える勇敢な男達を、完全に排除することなど出来るわけがなかった。
「いいわよ」
彼らの投資話を受け、私は快く承諾した。
歴史上、エリザベス1世は、フレンシス・ドレイクに私拿捕免許状を与えている。
私拿捕免許状とは、つまり他国の制海圏における密貿易を君主権力が認め、敵国の船舶と戦闘になった場合、海上で該当船舶を拿捕すること――つまり海賊行為を合法的に許可するというものだ。
これで彼らは、少なくともイングランド国内法においては、その行為を理由に罰せられることはないという保障ができ、海上戦が発生した場合、堂々と敵船舶とやり合うことが出来る。
その代わり、君主は投資した資金の配当を、拿捕で没収した財宝の利益からも得る、という仕組みだ。
これにより、エリザベス1世は莫大な富を得たし、また、これを通じてフランシス・ドレイクら優秀な海賊たちの忠心を得たことは、後のスペイン無敵艦隊との決戦を有利に進める、重要な布石となったのだ。
「国王大権の下、貴方がたに私拿捕免許状を与えます。ジョン・ホーキンズ、フランシス・ドレイク――貴方がたは海の騎士として、英国の敵と戦うのです」
そうして、『女王の海賊』が誕生した。
※
女王のお墨付きを得た2人が意気揚々と宮廷を引き上げたその夜、私はウォルシンガムにくどくど説教されていた。
「貴女は国政には慎重過ぎるほど慎重なくせに、ご自身の身の安全には脳天気で無防備過ぎます。いい加減、その点にも女王としての自覚を持って下さい。あの男が本物の悪党だったら、今頃どうなっていたか……」
「…………」
ぶぅ。
たまたま脱走を企てたその日に、不法侵入者と遭遇するなどツイていない。
言い返す材料がなくて、私はベッドの上に正座しながらふてくされていた。
……まぁ、その遭遇したのがドレイクだったのは、ラッキーだったけど。
というか、会えなかったらマズかった。
それとも、もっとこの先にも、会う機会は巡ってきたのだろうか?
いずれにせよ、ドレイクとエリザベスが出会わなければ、イングランドの黄金時代はやってこない。
ここは1つミッションクリアといったところだろう。
「だって……忘れてるかもしれないけど、私だって普通の一般庶民だったのよ? ずっと誰かに張りつかれてて、監視されてるなんて息苦しくて参っちゃうわ。ウォルシンガムだってそんなの嫌でしょ?」
「…………」
正論で来られると不利なので、一般論で情に訴えてみると、ウォルシンガムはやや態度を軟化させて、小さく息をついた。
「貴女は常にお命を狙われているのです」
「それは……分かってるけど……」
周りが敵だらけなことは知っている。
この1年でも、何度危険な目に遭ったか分からない。
「分かってるけど~」
唸りつつ、ゴロン、とベッドに転がりうつぶせに顔を伏せる。
説教されている間は脇に置いていた枕を引っ張り上げて腕に抱くと、私は逃げるようにゴロゴロ転がってウォルシンガムから離れた。
「分かってるけど、ヤなもんはヤなんだもん……」
危険だから誰かと一緒にいなければいけない、という理屈は分かるが、分かったところでストレスは溜まるのだ。
屁理屈をこねるのを諦め、今度は駄々をこね出した私に、ウォルシンガムはあからさまに呆れたような溜息をついた。
「……陛下たってのご要望とあれば、出来る限り対処はしますが……」
ついに譲歩の言葉は引き出したが、ウォルシンガムはしかめっ面だ。
「でも、今日会えたのがドレイクで良かったわよ。そういう日も必要、ってことじゃないかしら?」
転がったまま無責任なフォローを入れると、ウォルシンガムが眉を上げた。
「ジョン・ホーキンズの投資話ですか? あれは、貴女にしては即決でしたね」
「私にしては?」
私は熟考型だが、決めたことに対する決断は早いつもりだ。
「ご自身の結婚に関しては、あれほど言を左右にされるくせに」
「……それとこれとを比べないでくれる」
結婚に関しては、言を左右にすること自体が目的なのだ。
だって、結婚しないの決まってるから。
「スペインに敵対するような行動は極力取らないとおっしゃていたように思いますが」
突っ込まれ、私はベッドの上に身を起こして言い返した。
「極力ね。でも、今のままスペインに制海権をいいように握られたままじゃ、じり貧よ。それに、私は彼のチャンスを奪うような真似はしないわ。絶対に」
「フランシス・ドレイクですか……あの若造に、それだけの信頼を置く価値があると?」
不快そうにその名を口にしたウォルシンガムは、ドレイクに対してあまり良い感情を持っていないようだった。
まあ、初対面の印象が最悪だったので、それも致し方ない。
「だって決まっていることだもの。フランシス・ドレイクは、イングランドに富と栄誉をもたらす。彼を支援するのは当然よ」
「……それは、21世紀の歴史がそう教えているのですか」
胸を張って断言すると、ウォルシンガムが低い声で尋ねた。
「そうだけど?」
「…………」
迷いもなく言い返した私に、相手は分かりやすく渋面を作った。
顔を背け、独り言のように……というか、完全に私に聞かせるための独り言を呟く。
「安直な……」
安直だとぅ!?
ムカッとして睨み上げると、ウォルシンガムはそんな私をチラ見してぽつりと言った。
「以前、歴史に頼り過ぎたと泣きべそをかいていたくせに」
「な、泣いてないわよっ!」
また恥ずかしいことを蒸し返すなこやつは!
「あれは結果が分からないのに頼ったことを反省しただけ! 分かり切ってる解答をあえて無視するような馬鹿な真似はしませんー!」
「さようでございますか」
到底納得しているとは思えない薄っぺらな相槌で流される。
そのことに私が文句を言う前に、ウォルシンガムは右手を胸に当てて一礼すると、さっさと踵を返して行ってしまった。
くっ……逃げられた……!
最近ウォルシンガムは、『言い逃げ』という技を覚えた。
怒られるのが嫌というよりも、その場にいて、それ以上余計なことを言ってしまうのを防ぐためのものらしく、下手に引き留めて言い返そうもんなら、3倍くらいの説教が返ってくる。
……ということは、本人も、余計なことを言う性格であることは自覚しているわけだ。
論破できないと余計にむかつくので、私はこの言い逃げをあえて見逃がしてやることにしていた。
エリザベス女王の足跡を辿って何が悪い!
内心で言い返しながら、腹立たしい後ろ姿が部屋を出て行くのを見送る。
結局あいつは、今日ここに私を説教しに来たのかっ?
~その頃、秘密枢密院は……
「……っ!」
急に話を切り上げて、足早に退室した男に、1人の女が慌てて扉の前を離れ、あたふたと後ろを向いた。
「盗み聞きとは感心しませんね、アシュリー夫人」
女王の寝室の扉を閉め、続きになっている控えの間で、ウォルシンガムは1人控えていた女性の後ろ姿に声をかけた。
「貴女のことは信用して、陛下を任せているのです」
「も、申し訳ありません……ただ、どうしても……」
どうしても気になって――と続くであろう言葉は、固く結ばれた唇に押しとどめられた。
振り返った女性は、いつもはその筆頭女官の地位に相応しく、ウォルシンガムに対しても毅然と構えているのだが、今夜ばかりは、どこかおどおどとした様子で見上げてきた。
動揺を隠しきれずに、忙しなく目が泳ぐ。
「あの、陛下は……その……」
先ほどの会話を聞いていたのなら、不可解に思う部分は山ほどあったはずだ。
そのような重要な事柄を、ウォルシンガムが他人に簡単に盗聴されるような隙を見せるわけはなく、今回はわざと聞かせた部分がある。
今夜の訪問には、アシュリー夫人の様子を探る意味合いもあったのだが、期せずしてもう1歩踏み込んだ形で、彼女に疑いを抱かせることになった。
秘密枢密院でのみ共有されている女王の正体について、キャット・アシュリーに伝えるか否かは彼女を側近に引き立てる時点から問題になっていたのだが、どうやら、未だ宙ぶらりんのままの状態が続いているらしい。
おそらく女王の方も、切り出し方を見つけられずに、そのまま黙秘を続けているのだろうが、最も傍にいる人間に自分を偽り続けるというのは、彼女の性格からして、本人が自覚しているよりも負担になっているはずだった。
「聞きたいことがあるのなら、あの方に直接お聞きになって下さい。あの方は、決して貴女に嘘はつきません」
「…………」
思い詰めた顔で黙った女性に一礼し、ウォルシンガムはその場を後にした。




