第59話 彼の名はドレイク
何が何だか分からず男の胸の中でもがくと、しーっと諌める声が頭上から聞こえ、軽い謝罪が落ちてきた。
「悪い、お姫様! ちょっとだけ付き合ってくれ」
言うやいなや、片手でひょいと抱き上げられ、軽々と肩に担ぎ上げられる。
なんつー腕力!
「えーっと……どっか逃げ込むとこ……」
突然の侵入者は、きょろきょろと周囲を見回し、厩に目を止めたと思うと、ずかずかとそちらへ向かった。
「ちょ、ちょっと! 何? 人さらいっ?」
「あー、それもイイけど、今日はちょっと別の用事」
焦って声を上げるが、軽い調子で流される。
こいつ何者!?
完全に荷物のように私を運びながら、男はもう使われていない古い厩の中に入った。
 
「ほいっ」
ぽん、と地面におろされ、相手を見上げた途端、ぱんっと目の前で両手を合わせた男が謝ってくる。
「驚かして悪かった」
そう思うなら、最初からやらないで欲しいんですがっ?
「そんな綺麗な格好してるってことは、貴族のお姫様なんだろ? ちょっと頼みがあるんだ」
お姫様っていうか女王様っていうか。
確かに、今日の私はいつもより地味な格好をしているし、髪もおろしているし、女王というよりは宮廷に仕える女官か貴族の婦人に見えるかもしれない。
「頼み?」
聞き返しながら、よくよく相手を観察すると、思った以上に若いことに気付いた。
20歳そこそこか?
赤みの強い茶髪と対比する、海のような鮮やかなコバルトブルーの瞳が印象的な男だ。
広い肩幅に日焼けした肌、この寒空の中、質素な薄着の衣装の下からも分かる盛り上がった二の腕は、成人女性を片腕で抱え上げられる折り紙つき。
髭のない口は大きく、全体的に大作りな顔立ちは野性的な男前、という感じで、好きな人は好きそうだが、ワイルド過ぎて私は苦手なタイプかもしれない。
まあ、私の好みなんて今は関係ないけど。
「女王様に会わせてくれ」
「女王に?」
ここにいるけど。
勘違いしてくれているのをいいことに、私はそのまま知らぬふりを決め込んだ。
「直接会って話したいことがある。でかい話だ」
「でかい話……?」
「アンタに話しても仕方がない。女王様と繋ぎが取れるか? 頼む。礼にはこれを」
矢継ぎ早に言った男が私の手に握らせたのは、大粒のダイヤモンドが嵌められた指輪だった。
こいつ、何者……!?
「ビジネスの話……?」
指輪を目の前まで掲げ、品定めするふりをしながら、相手の表情を伺う。
男は答えなかったが、代わりに、野心的な顔に不敵な微笑を浮かべた。
その表情に、ピンとくる。
これは……久々にデカい引きが来た予感……!
トップセールス天童恵梨の営業本能がうずく。
私がキャリアウーマンとして駆け回っていた業界は、千三つの世界と言わていた。
つまり、1000枚見積もりを出して3件決まれば御の字ということだ。
 
そんな世界で、限られた時間、限られた労力で効率よく売上を上げるには、決まる案件と決まらない案件を嗅ぎ分け、決まらない案件は適当に流し、決まる案件に注力するという的確な取捨選択が肝になる。
こういうのはデカい話ほど決まらないと言われがちな中で、私はデカくて決まる案件を引く運と嗅覚を持っていると、上司に褒められたことがある。
そういう案件は、それ自体がぽしゃったとしても、そこから何かしらの繋がりで、さらに大きな成功に結びついたりするものなので、『これ』と決めたからには、自分の嗅覚を信じて誠心誠意取り組むことが大事だ。
……と、いうのは、私の経験からくる自信なのだが、ほとんど直感的に、私はこの男の話を聞く気になっていた。
だが、期待に膨らむ胸の内を隠し、慎重に相手を見定める。
「事情とあなたの正体によっては、段取りをつけてあげないこともないわ」
「最高だ!」
「きゃっ?」
歓声を上げ、抱きついてきた青年に驚く暇もあらばこそ、いきなりごつい指で顎をすくわれた。
青い眼が間近に迫る。
「やっぱり美人は中身も違う。アンタになら、礼をもう1つやってもいい。感謝のキスと、なんなら一晩の夢を……ぶふっ」
「離せ!」
強引に近づいてきた相手の口を手で押し返し、身体を引き離す。
青年は、拒絶された口元を撫でながら不平を鳴らした。
「お姫様にしては乱暴だなアンタ」
「お姫様に平気で手を出すあなたはどれだけ粗野なのよ」
「手篭めにしたら逆玉で大儲け」
「殴るわよ」
「いたっ……くないけど、もう殴ってるし」
許可を取る前に高い位置にある頭を小突いた私に、青年は大げさに顔を歪めながらぼやいた。
「本当に殴りやがった」
「痛くしてないでしょ」
「痛くなくても男に手ぇ上げねーだろ普通」
「男じゃなくて子供への対応よ今のは」
「うわ。痛い。言葉のナイフの方が痛い」
おどけて傷ついたふりをする相手に溜息をつく。いきなり口を塞がれた時はどうなるかと思ったが、どうやらこちらに危害を加える気はなさそうだ。
「あなたいくつ?」
身体は大きいが、言動がガキっぽい気がして聞くと、意外な答えが返ってきた。
「俺? 17だけど」
「じゅうななさい?!」
全然見えない。
絶対20歳は超えていると思っていた。
それにしても、17歳だと思うと、さっき行動はちょっと……このマセガキめ。
「老けてるわね」
「よく言われる。ま、苦労の証ってやつ?」
「どうだか」
戯れ言は聞き流し、私は考えた。
「そう……ね。どうしようかしら……あなた、職業と出自は?」
「今は船乗り。昔は小作人の長男」
まごうことなきド庶民だ。
見たところ礼儀もなってないし、宮廷に連れて入ったら、浮くこと間違いなしである。
「どうして空から落ちてきたの?」
「そこの城壁伝って侵入した。実は、俺と従兄弟で、デカい仕事やろうって話になって、従兄弟の方がまあまあ名前も売れてるから、話を持っていくために女王様に謁見させてもらおうとしたんだが、門前払い喰らっちまって」
まさに門前払いだったのだろう。私のところまでそんな話は届いていない。
「でも、絶対イケると思うんだよ。これは俺の勘だけど」
「それで、あなたが直談判に来たってわけ。……不法侵入だけど」
「そうそう」
あっさり肯定してくれる。
「無謀すぎるわ。庶民がそんな罪を犯したら、下手したら死罪よ」
「んー? 俺、運強いから何とかなるかなって思って。それに、女王様は庶民にもお優しいって評判だから、それくらい許してくれるだろっていう期待?」
なかなか大物になりそうな若者である。
「いくら私……じゃない女王が許してくれるとしても、女王の耳に届く前に処分されることもあるでしょう。その場合は助けられないわ」
「でも他に方法がなかった」
私がたしなめると、青年は不満そうに鼻を鳴らした。
「ンなこたぁ、どうでもいいんだよ。こうやって首尾よくお姫様捕まえられたわけだし」
お姫様どころか、目的の女王様を捕まえてしまったわけだ。
確かに、相当な強運の持ち主だろう。
「なぁ、女王様に会わせてくれるんだろ?」
「それを今考えてるのよ。どうしたらあいつら納得させられるか……」
主にウォルシンガムのしかめっ面が頭にチラチラ浮かんで仕方がない。
「……?」
親指を唇にあてて、眉根を寄せて考え込んでいると、ぶしつけな視線を感じて私は顔を上げた。
コバルトブルーの瞳とばっちり目が合うが、相手はこれ以上なくニヤけた笑みを浮かべていた。
「やべぇ。モロ好み」
「は?」
獣じみた笑顔で舌舐めずりし、伸びた指先が顎を持ち上げてくる。
「かーわいいねェ。見た目より気ぃ強そうなところがまたエロい」
「エロ……?! なんつーだらしない顔してんのよあんたはっ」
払おうとした手を逆に取られ、厩の壁に押し付けられた。
「美人で可愛いお姫様。なぁ、マジでさらっちまっていい?」
ふざけんなー。ガキんちょ!
初対面での無礼三昧に、顔を背けて全力で押し返す。
「っていうかあなた、名を名乗りなさい! どこの誰かも分からない人間を、女王に会わせるわけにはいかないわ」
「俺? 俺は……うおっ?」
その時、ガチャ、と両脇から2本の槍の刃が青年の首元に突きつけられた。
さすがに身を強ばらせ、刃に押されるようにして私から手を離す。
いつの間にか、男の両脇を2人の近衛兵が固めていた。
「反逆罪だ。市中を引きまわして絞首刑に処せ」
厩に入ってきたウォルシンガムが、怒気をはらんだ声で命令する。言っている端から射殺しそうな眼だ。怖い。
「たんまたんま! 絞首刑はダメー!」
かなりキレ気味のウォルシンガムを慌てて止める。
さすがにウォルシンガムに死刑執行の権限があるわけではないのだが、こいつなら本気でやりかねないと思わせる迫力だ。
すると、ウォルシンガムの渋面が、捕らえたままの青年から私に移った。
「なぜこんなところで、こんな不逞の輩と2人きりでいるのです」
「ごめんごめん、ちょっと色々あって」
本当のことを言ったら、真剣に絞首台行きが検討されそうなので、口を濁す。
「それにしてもよく見つけたわねー。結構早かったじゃない」
感心して話題を逸らすと、渋面が答えてきた。
「貴女が策もなしにこのようなことをするとは思いませんでしたので、怪しい箇所を探索したところ、細身の女性が辛うじて通れる程の大きさの穴を見つけました」
なるほど、さすがウォルシンガムである。
「そろそろこの宮殿は修繕したほうが良いでしょうね。ネズミどころか女王が逃げる穴まであるとは……」
ネズミと一緒にされてしまった。
私たちの会話を聞いていた青年は、青い目を丸くして、槍を突きつけられたまま声を上げた。
「もしかして、アンタが女王様か?」
「そうだけど?」
黙ってたくせにしれっと言ってやる。
「離してあげて」
短く指示を出すと、2人の近衛兵は忠実に槍を下げた。だが、男の傍は離れずに、いつでも捕らえられるよう警戒を続ける。
解放された青年は、私から目を逸らさず、口笛を吹いた。
「ラッキー」
そして、その場に跪き、名を名乗る。
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「お目にかかれて光栄です、女王陛下――俺の名はフランシス・ドレイク、しがない船乗りです。知らぬこととはいえ、数々のご無礼をお許し下さい」
英国の英雄キタコレ!




