第58話 新年の抱負
1559年から1560年へと移り変わる間、イングランドは、スコットランドでの戦争を続けていたが……
ヨーロッパを揺るがす激震は、フランスから起こった。
年の暮れに、少年王フランソワ2世が死去したのだ。
享年16才。死因は先天性の持病が悪化しての脳炎。即位から半年足らずでの崩御だった。
次の国王には、フランソワ2世の弟シャルル9世が立った。
またもや少年王の即位だが、次の摂政には母后カトリーヌ・ド・メディシスが就き、実権を握った。
政敵となる前摂政ギーズ公との角突き合いで、この女摂政がどう立ち回っていくかは、1つ注目されるところではあったが、それ以上に国際的関心を集めたのは、亡きフランソワ2世が遺した若い妻の方だった。
つまり、18歳で未亡人となったスコットランド女王メアリー・スチュアートの結婚問題が、大きく取り沙汰されたのだ。
「メアリー・スチュアートが誰と結婚するかで、我が国の平穏が大きく揺るがされます。フランスは勿論のこと、陛下に求婚を断られたスウェーデン、デンマークなどもおそらく名乗りを挙げるでしょう」
外国通のウォルシンガムにとっても、それはやはり無視できない話題のようだった。
「中でも警戒しなければいけないのはスペインです。オーストリアのカール大公は、今のところインランドが押さえていますが、スペイン王は、陛下との結婚交渉を打ち切った後も、未だ独身をかこっています」
「スペインとスコットランドが結婚同盟なんか結んだら、イングランドは沈没ね。何とか、阻止したいところだけど……」
クリスマスと新年を終えた最初の月曜日。
新年早々、不景気面のウォルシンガムに相槌を打ちながら、私は仕事始めの執務室で、来季の政策の方向性を確認するため、即位1年目の治世を総括していた。
貨幣の品質改善は、この1年でほぼ完了した。
新大陸から大量に銀が流入する中では、相変わらずインフレは留まるところを知らなかったが、それでも即位前の異常な勢いに比べれば、かなり軟化した。
信頼を取り戻したポンド価値のもとで、設立したロンドン取引所は、急速に規模を拡大しており、順調な滑り出しを見せている。
上下水道設備を整える公共事業も、ロンドン市内の中心部から優先的に進めている。
これについては、風呂然り、まずテストケースとして、戴冠後すぐに王城の水回りを徹底的に改善したところ、成果は上々だった。
これを城下に拡大することはそう難しくはないだろうと、手応えを感じている。
衛生面の改善は、疫病の蔓延を防ぎ、市民の生活水準を高め、心身の健康を維持する。私が独自に進めている政策の目玉の1つだ。
だが、それ以上に急がなければならないのは、困窮の解消だった。
全国に失業者が溢れている現状では、衛生面の改善や市民のモラルの向上には限界があるし、犯罪や社会不安の温床にもなっている。
この数十年での大きな国家構造の変化によって、修道院が解散され、これまでの貧民救済の仕組みが完全に崩壊してしまった。
これについては、新たな社会に対応する仕組み作りとして、救貧法を制定するための調査委員会を発足させた。
法制定による貧民の救済と並行して、雇用の回復と新産業の成長にも力を入れた。
国内の柱産業である羊毛輸出は、貨幣改善によるポンド高に伴い、予想通り一時的に羊毛輸出の出が鈍る気配を見せたが、足踏みする一次製品輸出を逆手にとって、国内での加工産業の技術向上を図った。
フランドルとフィレンツェから優秀な技師を好待遇で引き抜き、羊毛産出地に送り込み、囲い込みであぶれた失業者達を募って新しい製糸技術、染織技術を叩き込んだのだ。
また、貿易販路の拡大計画では、北東航路でロシアのアルハンゲリスク港に到達し、モスクワ大公国への毛織物輸出が始まった。
などなど……景気回復のための政策を打ち出す傍ら、無駄を見直しての徹底した節約や、これまでローマ教皇やカトリック聖職者に流れ込んでいた教会の財産を抜け目なく王室歳入に取り込んだりして、この1年目にして財政収支はほぼトントンまで持ち込んだのだが……
やはり、スコットランド出兵の出費が痛い。
現在進行形で、完全に赤字垂れ流しである。
戦争は、防衛目的のもの以外はしない。
あらためてその決意を刻み込む。
今年は貯蓄の年だ!
執務机に向いながら決意を新たにする私に、入口の扉の上部に貼ってある紙に気付いたらしいウォルシンガムが聞いてくる。
「陛下、あれは何と書いてあるのですか?」
「節約と貯蓄」
「…………」
新年の抱負を固めた私は、正月に『節約・貯蓄』という文字を書き初めで書いた。
漢字で。
来る人来る人に、あれは何だと聞かれるが、抽象画だといって適当にごまかしている。
「今年の抱負よ。気合いの証。こういうのは、見えるところに貼っとかないと意味ないから」
羽ペンを動かしながら答えると、隣でウォルシンガムがため息をついた。
「今年もまた、ドレスを贈らせていただいたほうが良さそうですね……」
ぽつりと呟かれた言葉に、私は色んな意味で赤くなった。
そんな新しい年の始まりに、イングランドにも、新たな歴史の変革者が登場することになる――
※
冬になっても、私の朝の散歩習慣は健在だ。
元来、1人でいる時間を大事にしている私は、散歩くらい1人でさしてほしい、と再三言っているのだが、安全面を理由に断られ続けていた。
とりあえず、今朝はグレート・レディーズは外し、ウォルシンガムと近衛兵2名というところまで人員は削減した。
ちなみにキャットが寝室付き女官になってからは、前世で毎日欠かさなかった、腹筋柔軟発声練習も日課にしている。
……さすがに柔軟なんぞは、相当きわどい体勢になるので、いくら私でも秘密枢密院の前では自重していた。
これらは家族の目から見ても完全に奇行だったらしいので、キャットから見たら相当なものだろうが、気にしない。
美しい発声とスタイルと肩こりのない生活は、日々の積み重ねから作るものなのである!
実は全部、極度の肩こりと切り離せない営業生活と、ストレス発散も兼ねた趣味の演劇生活のためにやり始めたことなのだが、やり始めると結構色んな相乗効果があって、1度日課になるとやめられなくなった。
柔軟を始めてから、肩こりに悩む知人には、毎日前と後ろに10回ずつ両肩を回すだけでも大分違うとオススメしている。これほんと。
今朝は、セント・ジェイムズ宮殿自慢の、広大かつ複雑な迷路庭園に向かった。
さすがにこの時期に舟遊びは寒いので、別の娯楽が必要になるのだが、最近はグレート・レディーズや侍女たちと、この迷路庭園でかくれんぼをして遊ぶのが流行っていた。
常緑樹に囲まれた複雑な迷路庭園は、遊園地みたいで楽しい。
……今は、一緒にいるのが仏頂面の男といかつい兵隊2名というのが玉に瑕だが。
だが、今日の私には秘策があった。
その名も、かくれんぼ大作戦!
「そうだ、かくれんぼをしましょう!」
「かくれんぼ?」
迷路庭園の真ん中あたりまで来て、手を打った私をウォルシンガムが不審げに見下ろした。
「そのような遊びは、ご婦人方とされるものでしょう」
「いいじゃない。男も、たまには童心に帰るって必要よー」
適当な理由をつけて、私は強引に話を進めた。
「はい決定。鬼はウォルシンガムね。30秒数えたら追いかけてオッケー。他の2人もちゃんと逃げるのよー。最初に捕まった人が次の鬼ね!」
「無意味です。貴女しか追いかけません」
そんなの分かり切っているが無視。
「じゃあ30秒数えて。絶対動いちゃ駄目よ、これ女王命令だから!」
「…………」
ウォルシンガムがむっつりと黙り込む。2人の近衛兵にも目で合図を送ると、仕方なしという体でバラバラにウォルシンガムから離れた。
「……出口と入口を塞げ」
離れる瞬間、ウォルシンガムが小さな声で彼らに指示したのが分かった。
私が急にこんなことを言い出したら、何かを企んでいると睨んで当然だ。
この迷路庭園は植木の壁で囲まれており、外に出られる場所は2か所しかない。
そして、この位置から、30秒以内に迷路庭園を脱出するのは不可能だ。
先回りして道を塞がれたら、私は逃げられない。
……と、踏んでの判断だろうが、そうは問屋が卸さねぇ!
その程度の防衛策などお見通しだ。むしろ、護衛を2人に絞った理由はそこにある。
「いーち、にー、さーん……」
大きい声で数えながら、私もウォルシンガムから見えない位置へと逃げていく。
だんだん遠くに逃げていくふりをして、声のボリュームを落としながら、私はさほど離れてない行き止まりに逃げ込んだ。
分からなくならないように、ちゃんと事前に目印をつけておいた。
近衛兵もウォルシンガムの目もないことを確認して、私は長いスカートを両手でコンパクトにまとめあげた。お行儀悪い。
「ふっふっふ……」
実はこの間、ここに穴を見つけたのだ!
手で植え木の壁を探り、庭師さんに心の中で謝りながら、邪魔な枝をパキパキ折る。
ありましたありました! かろうじて人1人通れそうな穴が!
私はなんとか通れるが、ウォルシンガムたちは絶対に無理だ。
アップにしたら頭が引っかかりそうなので、今日はこの時のために髪をおろしておいた周到っぷり!
ゴージャスな服だと動きにくいし汚れた時に泣けるので、比較的シンプルで動きやすいドレスを選んだこの周到っぷり!
今日の私に死角はない!!
人事を尽くした私は、女王にあるまじきことだが地面に這いつくばって小さな穴から迷路庭園を抜け出した。
やった! 成功した!!
最近、ストレスが溜まっていたので、達成感と解放感に胸がすく。
内心高笑いを上げながら、私はこそこそと庭園を横切った。
暗い話題ばかりが続き、何かと行動が制限される日常で、ちょっとした刺激と自由が欲しくなっても罪はあるまい。
あとは、あんまりにもウォルシンガムが頑強なので、ちょっとくらい困らしてやろうという腹だ。
あいつだって私を騙して茶番を打ったことがあるくらいだしな。
などと、自分の行動を目一杯正当化しながら、人目を気にしつつ、出来るだけ長く見つからないように人気のない宮殿の裏手へと入り込む。リアル鬼ごっこだ。
城壁のそばの大木の陰に隠れ、私は息を整えた。
今頃、ウォルシンガムが躍起になって迷路庭園の中を捜しているのかと思うと面白い。
「さて、どこに行こうか……」
ふと目をやると、もう使われていない古びた厩の近くに、城壁の一部をくりぬいた通用口があった。
使用人が使うような小さな扉口だが、今は内側からかんぬきが下されており、使われていないようだった。かなりおんぼろだ。
このセント・ジェイムズ宮殿は、ヘンリー8世が作った宮殿の1つだが、そろそろ細かいところにガタがきているので、改修しなければなるまい。
あそこから、こっそり城下に出てもいいのだが、さすがにそこまですると後でウォルシンガムの雷が怖い。
幹に身体を預け、高い城壁を見上げるように顔を上げる。
ここまで走ってきたので、少し息が上がっていた。運動不足か?
「美女発見!」
その時、唐突に頭上から声が聞こえた。
「!?」
なんか落ちてきた!
しゅたっ! と、目の前に着地したのは、1人の男だった。
そうと認識した瞬間、男の身体が迫り、いきなり幹に身体を押しつけられ、口を手で塞がれた。
「動くな」
「……っ!?」




