第57話 最初のクリスマス
12月24日。
その日、私はロンドンで初めてのクリスマス・イブを迎えた。
21世紀では、イギリスのクリスマスはつまらないと留学生から聞いたことがあるが、この時代のクリスマスはなかなかに華やかだ。
早々に日の暮れた夕方、大きなクリスマスツリーに蝋燭の火が灯され、宮廷では市民にも庭園を開放してのクリスマスパーティが催された。
だが、北のスコットランドでは、まだフランス軍との睨み合いが続いているはずであり、戦地でクリスマスを過ごす遠征軍を思うと、あまり手放しに浮かれた気分にはなれない。
「踊らないのですか?」
キャンプファイヤーの炎が煌々と立ち上る前に、風よけの天蓋をつけた女王専用の席が設えられている。
温かな聖火の揺らめきの向こうに集う人々を眺めていた私に、ウォルシンガムが声をかけてきた。
クリスマスは、英国国教会でも3大祝日の一つだ。
降誕祭はイブの日没から始まり、クリスマスから数えて12日目の次の日、1月6日の公現祭まで祝日が続く。
今日は神に感謝を捧げて、友人との旧交を温め、貧しい隣人を歓待する日であるため、一般市民にも門戸を開き、施しを与え、踊りや歌を共有する。
庭園の中央に積み上げられた石の台座の上にそそり立つのは、葉の表面が黄金に塗られ、薔薇とザクロで飾られた巨大なもみの木だ。
その枝には無数のランプが飾られ、21世紀に見る煌びやかなイルミネーションとはまた違った、神秘的でロマンチックな雰囲気を、夜の宮殿に浮かび上がらせていた。
「だって、ロバートもトマスもいないもの」
楽団の生演奏を耳に聞きながら、私は口を尖らせた。
「セシルと踊るのもダメなんでしょう」
セシルも今夜は、会場のどこかで義兄弟であるニコラス・ベーコンの親類――彼の亡き妻の親戚――と交友を深めていることだろう。
「貴女は王です。やってはいけないことなどはありません。やらない方が良いことはいくらでもありますが」
「それ、やっちゃいけないのと同じだから」
実際、女王という職業は、制約だらけだ。
絶対君主とはいいながら、その権力は、色んな形で制限されている。
面倒事は極力避けたい性分なので、どうしても譲れないこと以外は、やらない方がいいことをあえて押し通そうとは思わない。
……どれだけ避けようが面倒事というのはやってくるので、こちらからわざわざ突っ込んでいくこともないだろう。
「いくらでもお相手になる男性はいるでしょう」
「もういいの。下手に親しくして、次はあいつ、とかって勝手に婚約者候補に仕立てられたら困るもの」
国際結婚反対派は、トマスの後釜候補を躍起になって捜している最中だ。
ウォルシンガムに話しかけられたのをきっかけにして、私は席を立った。
「部屋に戻るわ。クマさん、暇なら付き合って」
「陛下に随行するのも私の仕事ですので、お付き合いします」
こんな日すら事務的な男に呆れつつ、会場を離れようとすると、すかさず周囲に侍っていたグレート・レディーズが立ち上がった。
「いいのよ、楽しんでおいて。今夜はイブだから」
そんな彼女たちを、任務から解放してやる。今夜ばかりは、城の侍女や侍従達にも、仕事がなければ極力お祝いに参加するように言っている。
なんだかんだで、宮廷には待機するだけの仕事が多い。
高貴な人間が出入りするため、いつでも彼らに奉仕できるようにとの配慮だが、今夜はそんな面々も会場に出払っている。
こんな聖夜に、城の中で無為に時間を過ごさせるのも、気の毒というものだ。
私はウォルシンガムだけを同伴し、宮殿へと戻った。
「本場のクリスマスってもっと楽しいかと期待してたんだけど、思ったよりつまらないわね」
人気のない宮殿の階段を上りながら、そんな感想を漏らす。
華やかではあるが、それほど派手な催しがあるわけでもなく、どことなく厳かな雰囲気が漂っている。
やはり、単なるお祭りというよりは、宗教的意味合いが強いからだろうか。
「私からすれば、もっと厳粛に祈りを捧げる日であっても良いと思いますが……貴女がいた世界では、もっと騒がしかったのですか?」
ウォルシンガムの感性では、これでも十分やり過ぎのように映るらしい。
「そうねぇ、お祭り騒ぎ? 街中がキラキラして、恋人たちが寄り添って、友達同士で大騒ぎして、家族でお祝いして……」
……とか言いつつ、ここ数年まともにクリスマスを楽しんでいないことを思い出す。
去年のクリスマスはド平日で、終バスもなくなるような時刻まで、上司と2人で居残って残業してたなー。
…………
『おい天童ー』
『なんですか、黒木主任』
『今日イブだぞ。クリスマス・イブ』
『そうですが何か?』
『早く帰らなくていいのか』
『帰らしていただけるなら、私は毎日全力で早く帰りたいと思っていますが』
『彼氏がいるなら、俺もお前の仕事全部引き受けてでも、帰らせてやるんだがなー』
『じゃあおうちで家族と過ごしたいんで、可愛い部下を早く帰らせてあげる男気見せてください』
『アホか、俺だって嫁と娘が待つ家に帰りたいわ。尊敬する上司の為に、黒木主任、後は私が全部やりますんで、家族と過ごしてあげてください! とか何とか言ってもいいんだぞ』
『いや有り得ないし。だったら自分の仕事だけ終わらせて先帰ります』
『お前……薄情だなー』
『で、結局何時に上がれるんですか?』
『……日付変わる前には意地でも帰るぞ』
『了解』
『………』
『……………』
カチカチカチカチ(ひたすらパソコンを叩く音)
……寒っ!
思い返したら涙がちょちょ切れるほど虚しいクリスマスだった。
しかも、毎年ほとんど変わらない会話を繰り返しているという不毛さ。
1度くらい、「デートあるんで帰ります!」とドヤ顔でタイムカード叩きつけて、上司を置いて帰ってみたかった。
……まあ多分、いても仕事優先したけど。
「彼氏出来たらまず俺に見せろ、鑑定してやる」と甚だしく職権乱用なことを豪語していた上司に、1度イケメン彼氏を見せつけて唸らせてやりたいという野望もなくはなかったのだが、実現する前に死んでしまったのは、心残りといえば心残りだ。
「……楽しい人は楽しかったでしょうね。特に恋人がいる人は。私は何の恩恵にも与らなかったけど」
むなしい回想に引きずられ、自虐気味に付け足す。
なんだ、イメージだけで語ってしまったが、日本のクリスマスも別に楽しくないじゃないか。メディアの洗脳に騙されたな。
へっ……と、一気に荒んだ私の内心に気付いているのかいないのか、ウォルシンガムは淡々と疑問を口にした。
「貴女ほどの女性が、これまで1度も男性に好意を持たれなかったとは考えられませんが」
「告白されたことがあるかって? そりゃまぁ、あることはあるけど……」
告白して欲しい人からされたことは1回もないのは、きっと私が下手くそだからなのだろう。
よくモテる女が言う、告白するようにしむける、なんてことは、私にはどだい無理な話だ。
むしろ、変に意識してしまうとダメになる。
「でも、好意を持たれたからって必ずしも恋仲になるわけじゃないでしょう。やっぱり、好きな人と結ばれたいと思うし、気持ちがない状態で、相手と付き合うのも失礼だし」
1回、その失礼なことをやって反省をした上での弁だ。
かといって、自分からアタックするというのは、私にはハードルが高すぎる。
そもそも、アタックしたいと思えるような人もそうそういなかった。
「……ま、そんなこと言って遠ざけてたら、この年まで彼氏出来なかったんだけど」
うん、どう自己分析しても、私に恋人が出来る要素が見つからない。
「あーもー、やめやめ。この会話。私から恋バナ引っ張り出そうとしたって何も出ないわよ! うちの国庫くらいすっからかんなんだから!」
二重の自虐に、当然ウォルシンガムは笑ってくれなかった。
そんな会話を交わすうちに、私室に辿りついた。
中に入ると、蝋燭が揺れる室内には誰もいない。私の指示があったので、普段待機している私室付き侍女たちも出払っているのだろう。
「ウォルシンガムは何かないの?」
「ありません」
「うそ。亡命中、諸外国回ってたんでしょ。モテたんじゃないの~?」
「お話する必要はないかと」
「ちぇ~」
口ではそう言いつつ、別にお愛想で聞き返しただけなので、あっさりと引く。
本当のところを言うと、他人の色恋にも、恋バナにも、さほど興味はないのだ。
ただ、場を盛り上げるためにそういうトークに乗っかることが必要な時は多々あるので、その時にはそれなりに楽しむだけで、話したくない人間に無理矢理口を割らせるほどの野次馬根性はない。
庭園に面した大きな窓を開け放つと、階下の人々の笑い声と共に、少年聖歌隊の澄んだ歌声が風に乗って届いた。
ちょうど、目の前にクリスマスツリーが見える。
「ここから見るのも綺麗ね」
現代だと当たり前な電球による装飾とはまた違う、シンプルな飾りの合間に、無数のランプがゆらゆらと揺らめく姿は幻想的だ。
意外に、上から会場の人々を見下ろすのは面白くて、私は窓辺に寄り、しばし彼らの動きを観察していた。
だが、さすがに火のないところでじっとしていると冷え込んできて、身をすくめたタイミングで、背中にコートを掛けられた。
「あなたが寒いでしょ、クマさん」
「陛下にお風邪を召されることに比べればマシです」
行動は紳士なのに、相変わらず口ぶりには愛想がない。
すると、いつの間にか聖歌隊の歌声が止み、優雅な曲調の生演奏が始まった。
「踊る? 動いた方があったまるし」
私の提案に、ウォルシンガムがわずかにためらいを見せた。
「ここなら人目もないからいいでしょ、あなたと踊っても」
そう言って手を取ると、すぐに腰に手が回った。言葉を交わさないまま、踊り始める。
前に教えてもらった時も思ったけど、意外にダンスも上手いのよな、この男。
一緒に狩猟に出かけたことはないけど、鷹狩りは好きだと聞いたから、実は多趣味なのかもしれない。
私がこの時代に飛ばされて、秘密枢密院のみんなに出会って、もうすぐ1年が経つわけだけど……いまだに1番謎めいているのは、やっぱりこの男だ。
彼がどういう人生を歩んできたのか、私は知らない。
知りたいなーとは思うけど、言いたくなさそうなので聞かない。たまに聞いてもはぐらかされるし。
「…………」
女の君主が気に入らないって、どういうこと?
それでも私に仕えているのは、セシルに言われたから?
今は、どういう気持ちで、私に仕えてる?
聞きたいことは色々あったが、どれも都合の良い回答を求めるだけの女々しい質問な気がして、抵抗があった。
ウォルシンガムが臣下として私に忠誠を誓っている以上、そこにどんな理由があろうと構わないはずだ。
……本当のところ、答を知るのが怖いという思いもあったのだろう。
こういう風に臆病になる感覚には、覚えがあった。
「……楽しくないようならやめましょうか」
考え込んでいた私の耳朶を打った声に顔を上げると、ウォルシンガムが無表情で見下ろしていた。
「楽しくない……わけじゃない」
「眉間に皺を寄せて踊る女性は見たことがありません」
「……ごめん」
指摘されて、額を隠す。誘っておきながら、随分と失礼なことをしてしまったものだ。
謝ると、ウォルシンガムの方から身体を離した。
2人の間に距離ができ、変わらず続く音楽が通り過ぎる。
「……クマさんはさ……私に仕えてて楽しい……?」
しまったポロっと出た!
「楽しい楽しくないで君主に仕える臣下も聞いたことがありませんが」
「そ、そうよね! ごめん分かってる。間違えた!」
予想通りの回答に、全力で腕を振って前言を打ち消す。質問がアホ過ぎる。
「……色がつきました」
「色……?」
呟かれた不思議な言葉に、ばたつかせていた動きを止めて首を傾げると、ウォルシンガムは咳払いをして、いつも通りの仏頂面で答えた。
「まぁ、飽きることはありませんね。気が休まる時もありませんが。働き甲斐のある職場環境で、色んな意味で仕え甲斐のある君主かと」
褒めてるようでいて、ものすごーく含みがあるわぁ全体的に!
その時、フッ……と、急に部屋が暗くなった。
なに、停電!?
……いや、ンなわけあるか電気ないし!
「室内の蝋燭が尽きたようです」
セルフ突っ込みを入れつつ戸惑っていると、ウォルシンガムが冷静に告げた。
部屋を照らす蝋燭は3つほどあったはずだが、侍女たちが全員出払っているため、同じタイミングで蝋が尽きてしまったらしい。
「陛下、予備の蝋燭の保管場所は分かりますか?」
「ろうそくどこにあるか分かんない……」
全部侍女に任せっぱなしだ。
その辺のダメさ加減は、実家暮らしで家事全般を専業主婦の母にまかせっきりだった頃と変わらない。
「戻りますか?」
私の頼りない呟きに、ウォルシンガムが提案してくる。
「まぁでも、外明るいから、結構見えるしいいんじゃない?」
言って、早々に切り替えた私は窓の近くに寄った。窓から入る光のおかげで、真っ暗闇というわけではない。
外では相変わらずキャンプファイアーが煌々と燃えているし、クリスマスツリーの光もある。
ざっくり自己解決した矢先、息を吐くように笑われ、私はウォルシンガムを見咎めた。
「何よ?」
「いえ、大雑把な方だと思いまして」
おおらかと言ってくれ!
的確な指摘に撃沈しつつ、同じく窓辺に寄ってくる男を睨み上げる。
ここで、やたら血液型占い大好きな日本人であれば、絶対に「お前O型だろう」と言われるところだ。
ちなみに私はA型だが、生まれてこの方1度も言い当ててもらったことがない。
どころか、知り合った後にA型だと教えると、もれなく失礼なくらい恐慌をきたした後、「絶対違うからもう1度調べてもらえ」と真剣な顔で薦められるのだ。
どういう意味だ。
そんな仕打ちを受け続けているので、私は血液型占いなんぞ信じないと心に決めている。
いったん会話が止まると、後には沈黙が続いたが、いまさら沈黙を恐れるような相手でもなかったため、私はぼんやりとクリスマスツリーに揺れるランプの明かりを眺めていた。
だが、ふと、向かいで同じように窓辺に寄り添うウォルシンガムに目を移してしまったのがいけなかった。
目が合った。
……だから、どうしてこんな時でもこっちを見てるかな!
クリスマスツリーでも見てろ。興味ないかもしれないけど!
一方向から光を受けるウォルシンガムの顔は陰影を濃くしていて、こちらを見つめる揺るぎない双眸に、灯りが映り込んで妖しく輝いている。
私はなぜか目が逸らせずに、黙ってウォルシンガムを見つめ返した。
……深く考えなかったけど、もしかして薄暗い部屋で2人っきりって微妙……!?
階下の庭園からは、再び聖歌隊の声が流れ出し、聖夜の神聖な空気があたりを満たしていた。
「…………」
「………………」
この見つめ合いに何か意味はあるのか……!?
いやない!
「や、やっぱり戻りましょうか。ここにいても仕方がないし」
変に焦って即断した私は、吸い込まれそうな黒い双眸から無理やり視線をひきはがし、落ち着きなく窓辺を離れた。
さっき、何でウォルシンガムの提案を退け、ここにいようと主張したのか分からない。
「……そうですね」
答えを聞く前に歩き出した私の後ろを、静かに同意したウォルシンガムがついてくる。
そうして何事もなく、エリザベス女王として迎えた最初のクリスマスが過ぎた。




