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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第14章 ハンプトン・コートの幽霊編
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第238話 私のお医者さん


 その日の夜――私は、今後のレイの扱いを話し合うために、彼の上司となったウォルシンガムを寝室に呼んだ。


「まったく……しつけの面倒な犬など飼うものではない」


 急に素行に問題のある部下を押しつけられた秘密情報部長官は、予想通りの渋い顔でぼやいた。


 ベッドに腰掛ける私の前に立ち、足下に擦り寄ってきた黒猫フランシスの首根っこを捕まえる。


「猫の方がよほど大人しくて飼いやすい。気まぐれだが分を弁えている」


 そう言いながら、ぽいっと、放って寄越す。


「ちょっと放らないでよ」


 文句を言うが、身軽に柔らかいベッドに着地した当のフランシスは、何食わぬ顔で私の膝に乗ってきた。


「でも、そんな子だから、放っておけないじゃない、あいつ」


 その黒い毛並みを撫でながら、上司に犬コロ呼ばわりされた男にフォローを入れる。


「せっかくあれだけの能力があるのに、放っておいたらどんどん駄目な方に行っちゃいそうで心配なのよ」

「駄目な男に引っかかる典型ですね……」

「はぁ? 何か言った」

「いえ、非常に人材の育成に長けたリーダーシップをお持ちだと感心していただけです」


 ほんとかよ。


 大いに疑わしいが、突っ込めばこっちの傷も広がりそうな話題なので、あえてスルーする。


「ですが、有益な情報を手土産に持ってきたのは、女の同情心に訴えかけようとするよりは、よほど上等なやり方です」


 珍しくウォルシンガムがレイを誉めた。というか、初めてじゃなかろうか。


「『使える』実績があるならば、今後こちらとしても動かしやすい」


 使えるものは何でも使う秘密情報部長官を認めさせるには、自分に利用するだけの価値があることを見せつけるのが早い。


 本当のところ、レイを呼び戻したかったのは、私の個人的な情に過ぎない。


 だが、この宮廷でレイの居場所を作るには、私の『臣下』として迎え入れる他はなかった。

 中途半端な客扱いでは、また火種になる。


 それでなくとも内外に敵が多い中、秘密を共有する者同士での対立は何としても避けたかったし、何よりそれを私が認めてしまえば、示しがつかない。


 レイがそれを理解して、その立場を受け入れてくれるかどうか――そこに、レイを宮廷に呼び戻せるかどうかがかかっていて、彼自身の選択に全てを委ねた。


 けれど、レイがやる気になってくれれば、彼の能力は、この国を助ける大きな力になる――という確信もあった。


 16世紀の終わりに開発され、19世紀まで解読されることがなかったという難解な暗号。


 フランスが、レイから持ち込まれたこの暗号を、絶対に誰も解読できないものとして信用し、重要機密の暗号文書に利用したら、今この時代のこの世界で唯一、解読できる技術を持つレイとアンを要するイングランドには筒抜けになる。


 それは、私には――そしてウォルシンガムにすら、真似できないものだ。


「ふふっ」


 少し誇らしい気持ちで笑い、ウォルシンガムを見上げる。


「レイから聞いたわよ。疑ったこと、謝ってくれたんですってね」

「…………」

「クマさんありがとう」

「今度は何の礼です、それは」

「レイに謝ってくれて」


 本日2度目の礼を言う私に、ウォルシンガムは迷惑そうだ。


「今後あの男を管理するにあたって、その方が穏当であると判断してのものです。感謝されることではありません」


 素直じゃない物言いだが、レイの性格と、今後の人間関係を考えて、ウォルシンガムの方から歩み寄ってくれたのは嬉しかった。


 そんな私の胸中を知ってか知らずか、ウォルシンガムは黒い双眸で膝の上の飼い猫を見下ろし、淡々と言った。


「獅子を喰い殺すのに牙が必要なら、飢えた狼だろうが飼い慣らしてみせましょう」




※※※




 レイが宮廷に戻ってきた翌朝、私はさっそく彼にあることをお願いし、私室に来てもらった。


 大きなソファに2人で並んで座ると、寝室から連れて来ていたフランシスが早速飛び乗ってくるが、レイを警戒してか、膝ではなく、レイとは逆の私の隣に丸くなった。


「1人で抱え込んで悩んでないで、早く言ってくれたら良かったのに」


 もう1人呼び出している人物が来るのを待っている間、私はようやく言いたかった文句を言えた。

 

 下手に隠さず、早めに相談してくれたら、ちゃんとレイが無実なことを調べて、周囲を納得させるように努力した。


 それこそ、レイに信用さえ出来れば、彼自身がしたように、スペインとのパイプを利用して、逆にイングランドに有利に働くように情報を流すなど、彼自身の立場を活かして、宮廷での居場所を作ることもできただろう。


「言おうとしたこともある」


 私の苦情に、レイは目を逸らし、ふてくれされたような顔で弁明してきた。


「でも、タイミング逃したっつーか。話しづらかったっつーか……」

「うん、気持ちは分かるよ」


 レイが言いにくかった気持ちも分かるから、今更それ以上、どうこう言うつもりはない。


 過去は変えられないから、大切なのはこれからどうするかだ。


「そうそう、ウォルシンガムが唯一評価してたわよ。スペインの情報を持って来たのは」

「……結果出すのが早いって言ったのはお前だろ」


 上司が誉めていたことをこっそり伝えると、こちらも素直でない男は、フンと鼻を鳴らしてそっぽ向いた。


「ふふっ」

「……『クマ』ってフランシス・ウォルシンガムのことだったのか」

「へっ?」


 私が笑っていると、レイが唐突に話題を変えてきた。

 しかもその内容が不意打ちだったもんで、変な声を出してしまう。


 そういえば、昨日彼の目の前で、ウォルシンガムをクマさんと呼んだのだったか。

 なんでそんなことを聞かれるんだろう、と疑問に思うが、はたと心当たりが閃く。


 ……クマさんに手紙を出そうとしたとき、レイにボツにしたやつを見られ、「クマって誰」と聞かれたのだった。

 あの時は状況が状況で恥ずかしかったので、ごまかしてしまったが……


「そ、そうだけど……」


 うわー、今更蒸し返される日が来ようとは。

 思い出してもやっぱり恥ずかしい手紙の内容に、私はドキマギしながら慎重に答えた。


「ほー」


 なんだその相槌は。


 だらしなくソファに深く沈んでいたレイが身を捻り、私の膝越しに丸くなって眠っている黒猫を眇め見た。


「そんで、『黒いからフランシス』ってか」

「そ、そうだけど……?」


 レイにフランシスの名前の由来を聞かれ、「黒いから」と答えたことがあるが、今になって繋がったらしい。


「ふーん。へー」


 ハ行の感嘆詞ばかり言ってくる相手に、私は問い質した。


「なんなの、それは」

「いや別に。色々繋がっただけ」


 再び背中からソファに沈んだ男は、足を組んで頬杖をつきながら、顔を背けた。


「……ほんと、ソレ誰のことだろうな」


 レイが、完全に独り言としか思えない呟きを明後日の方向に向かって放つ。


「陛下! 愛しい人のお呼びにあずかり、このロバート参上いたしました!」


 そこで、私室の扉を開け、元気なウサギさんが登場したことで、その話題は強制終了した。


 ロバートを呼び出したのは私だが、彼は入ってくるなり、私の隣にレイが座っていることに、分かりやすく嫌そうな顔をした。


「いらっしゃい。今日は健康診断よ、ロバート」

「健康診断?」


 笑顔で迎えた私の言葉に、ロバートが、疑問符を飛ばしてくる。

 

 レイが知る史実では、50代で胃癌で早死にするというロバートを、今のうちに未来の医学で健康管理をしてもらおうという魂胆だ。


「まぁ、だいたい原因は予想がついてるんだがな。一応、今日は問診と簡単な触診だ。そこに座れ」


 私のあげた新しい白衣に袖を通し、フランス宮廷侍医時代に羽振りの良い貴族(パトロン)に作ってもらったという聴診器を首に提げている姿は、まるで21世紀のお医者さんだ。


「ロバート、ちゃんとお医者さんの言うことをよく聞いて、正直に答えるのよ」


 お母さんのようなことを言いながら、私は邪魔にならないよう、別の部屋で診察が終わるのを待つことにした。


「私は隣の部屋にいるから、何か必要なものがあったら言ってね。そこのソファ、診察台に使ってもらって構わないから」

「待ってください陛下! 俺をこの男と2人きりにするおつもりですか!?」

「だって私がいたら、言いにくいこととかあるかもしれないじゃない」


 私は引き止めようとする男をあしらい、そんなロバートを白衣のポケットに手を突っ込んだまま眺めていたレイを振り返った。


「頼りにしてるわよ、私のお医者さん」

「……おう、任せとけって」


 笑ってそう言うと、レイは鼻をこすり、少しふてたような顔で――だが胸を張って、そう答えた。


「陛下! なぜ俺がこの腹立たしい男と顔を突き合わせて話をせねばならないのです!」

「うるせぇ、黙って座れ。そして脱げ」

「うわぁぁん陛下ぁー!」


 何やら助けを求めてくるが、私は隣の部屋で、侍女たちと一緒にフランシスをじゃらして待つことにした。






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