第235話 医者と監獄
ロンドンを騒がせたレスター座爆破事件から、慌ただしく日が経ち、色々すったもんだをしながらも、ようやく彼らの処分が決定した。
「んー。これでようやくひと段落、って感じかしら」
朝露に濡れる庭園で、私は青空に向けて大きく伸びをして、そう口にした。
「今頃は船の上でしょう」
その斜め後ろで、ウォルシンガムが言う。
一連の事件に関わったカトリック教徒の過激派は、ウォルシンガムとの公約通り問答無用で国外追放となったのだが、2人の占い師の処分については、一悶着あった。
最初、今回の騒ぎに関わった逮捕者の処分は、まとめてウォルシンガムに任せる予定だったのだが、ディーに同情的だったロバートが、追放処分を己に任せて欲しいと申し出てきたのだ。
「レスター伯にも、貴女の甘さが伝染しているようだ」
情状酌量の余地がある、とディーについては不問に処し、宮廷に留め置こうとロバートは奮闘したのだが、そのディーが、頑なにエドワードも一緒じゃないと嫌だと言い出したのだ。
そもそもの2人の出会いは、ケリーの方から精霊エアリエルのお告げを持ち出してジョン・ディーに近づいたようだが、その後はディーの方が、ケリーの交霊に依存に近い心酔を見せ、手放さなくなったように思われる。
ケリーの交霊については、本人がウォルシンガムにハッタリであったことを臭わせていたようだが、ジョン・ディーは「私はエドワードを信じる!」と頑なに騙されたとは信じなかった。
ディーはともかく、実際に計画に関わったケリーについての処分を融通することを、ウォルシンガムは最初渋ったが、私も間に入って説得すると、ジョン・ディーという保護者付きの条件で、ロバートに身柄を引き渡すことを了承した。
さすがに、宮廷の重要機密を反政府組織に流した人間を留め置くわけにはいかないため、ロバートはディーの嘆願を受け入れ、2人で宮廷を辞することを許可した。
おそらくはどこか、ロバートの口利きで、2人それなりに生活して行けそうなところへと送り出されることだろう。
「でも結果的に、スパイに使える人間が増えたからいいんじゃない?」
ぼやくウォルシンガムに、私は前向きな意見を言った。
ジョン・ディーは立場を利用されただけの忠実な人間で、エドワード・ケリーは宗教的な思想理由で行動を起こしたわけではないことがハッキリしている。
そこで、ロバートの甘々な対応を飲み込むため、有罪であるケリーに関しては、「今後一切国家の益に反する行為に手を染めることはないと誓い、善行を積む」という誓約書を書かせた上で、ウォルシンガムはある条件をつけた。
定期的に、外国で得た情報をイングランドに提供すること、と。
これを、彼を引き取りたいと申し出たジョン・ディーにも、交換条件として飲ませた。
誓約させたとは言え、その点でエドワード・ケリーは信用ならないが、レスター伯の述べるところによれば、誠実で祖国に献身的な人柄であるというジョン・ディーが、この役目は過不足なくこなすだろう。
逆に、小回りが利き、狡賢く、金さえ払えば何でもすることが証明されているケリーは、いざという時に使える手駒になる可能性があった。
ジョン・ディーの保護監督を条件につけたのは、ディーを通じて、イングランドに繋いでおくためだ。
「そういう采配もあるのねー、って感心しちゃった」
「スパイのスパイ行為を不問に処す代わりに、自国のスパイとして寝返らせるというのは、そう珍しいことではありません。専門性を要する仕事につく人材を容易に確保できる。リスクも高いが、人を見誤らなければ、格段にメリットが大きい」
「その人を見誤らずって言うのが1番難しい気がするけど……どういう人間がいいの? やっぱり信頼できる誠実な人柄重視?」
そんな人がどれだけスパイとして働いてくれるかは分からないが。
「どういった目的で利用するかにもよりますが、強要と金銭で転向させられる人間であれば、いくらでも使い道はあります」
ものすごく悪役っぽいセリフだが、ウォルシンガムは淡々と続けた。
「数カ国が話せる人間ならばなお良い。身分や経歴は問いませんが、高い教養は必要でしょう。そうなると、必然的にジェントルマン以上の人間が多くなりますが、商人や戯曲家、詩人のような連中も、ジェントルマンでは入り込めない独自のネットワークを持っていることがあるので面白い」
何とも多種多様だが、確かにその辺りは身分が低いが教養のある層と言えるか。目の付け所が面白い。
「もしくは、特殊な技能を持つ者――例えば高い暗号解読能力を持つ者や、封蝋を元通りに再封できる者などは、価値があるでしょう」
「そんな人いるんだ……」
封蝋を元通りに再封とか、スパイ行為以外には使い道のなさそうな物凄い特技だ。
「じゃあ、うちのアンは即採用ね」
「…………」
私の言葉に、ウォルシンガムが黙った。
アンが、秘密情報部の暗号解読専門家でも解けなかった暗号を解いたことは、事件から数日後、ウォルシンガムに平文を渡して伝えている。
当のアンは、さすがに疲れた様子だったので、数日間特別休暇を取らせた。
「もう読んでくれたでしょうね?」
「……読みました」
「じゃあ、レイの嫌疑は晴れたってことよね」
「ですがあの男が、スパイ行為を行っていたことは事実です」
年端もいかぬ少女に負けた秘密情報部長官の胸中は分からないが、相変わらず否定的なニュアンスを脱却しない男に言い返す。
「でも、私に会ってからはしてないって言うなら、私を裏切ったわけじゃないでしょう」
「その言葉を信じるのですか」
「信じるわ。だって、証拠があるもの」
胸を張って言い切った私に、ウォルシンガムは溜息をついた。勝った。
「……このようなことをお耳に入れる必要があるかは悩んだのですが、念の為」
珍しく歯切れの悪い物言いで、ウォルシンガムはあるニュースを伝えてきた。
「先日、飲み屋で喧嘩騒ぎを起こして捕まったドイツ人の男が、連行された監獄で自分は女王の主治医だから女王に会わせろと騒いでいるそうです」
「……!」
あの馬鹿……!
「行くわ! どこ!?」
「カウンター監獄です。が、女王が喧嘩騒ぎを起こした囚人に会いに監獄に出向くなど、聞いたことがありません」
ウォルシンガムは渋い顔だが、この話を私にした時点で、こう言い出すことは予想出来たはずだ。
私は有無を言わせず言い切った。
「じゃあ変装する! なんでもいいわ、町娘でも商人でも修道女でも。すぐに用意して」
「…………」
「これは女王命令です」
「…………御意」
やや反抗的な沈黙に女王命令で対抗すると、ウォルシンガムは渋々承諾した。
飲み屋の喧嘩沙汰で監獄行き、などと言うと、現代人の感覚からすれば大層なようにも聞こえるが、この時代のロンドンには14の監獄があるも、そのうち刑事犯罪の被告人用はニューゲイト監獄だけだ。
多くの監獄は、様々な理由で逮捕された者の留置場としての役割を担うことが多かった。
近年、急激に人口が増加し、犯罪が後を絶たないロンドンの監獄は悪評高く、犯した罪の大小に問わず、取り調べという名の暴行・恐喝が行われる例が後を絶たない。
これは取り締まる側の意識の問題であり、この時代のモラルや価値観を考慮すれば、なかなか改善されない悩ましい社会問題でもあった。
急遽、朝の散歩を取りやめた私は、中産階級の貴婦人のような格好をして、ウォルシンガムと護衛を兼ねた従者を1人連れ、レイが放り込まれたというカウンター監獄に急行した。
ロンドンの北、ウッド・ストリートの東側にあるカウンター監獄は、1555年に完工した刑務所だ。
「酷い目に遭わせたりしてない?」
「そう仰ると思い、念のため、私の名で指示があるまでは決して手を出さず身柄を拘束するに留めておけとは命じていますが、効果があるかどうかまでは責任を負いかねます」
私の心配に、ウォルシンガムが答えてくる。一応、手は回しておいてくれたらしい。
馬車を飛ばしロンドンへと向かい、その日、私は初めて監獄と言われる場所に訪れた。
「少々お待ちください」
入り口のところで、ウォルシンガムに止められる。
ウォルシンガムだけが奥へ進み、何やら監獄警務官と話をつけて戻ってくる。彼の手には、錆び付いた大きな鍵束があった。
「こちらです。陛下が面会されたいということでしたので、他の囚人の目に触れぬよう場所を移させています」
そのあたりの手配は抜け目ないウォルシンガムに案内され、私たちは1度建物を出て、別の出入り口から監獄へと足を踏み入れた。




