第233話 レスター伯の秘密
急に後ろから目隠しをされた私は、両眼を覆った相手の掌に両手で触れた。
「何? ロバート。見えないんだけど」
「陛下、そのまま目を閉じていてください。決して開かないで」
「…………?」
そう言われ、よく分からないまま瞼を閉じる。
すると、私の目を覆っていた手が、両耳の方に移動した。今度は耳を塞がれた。
すぐ耳もとで囁く、ロバートの声だけははっきりと聞こえた。
「貴女は、何も聞かなくていい」
「何を――」
真剣な声音の真意を問い質す前に――
どぉん!
「なっ……!?」
その瞬間、耳を塞がれていても聞こえた爆音に、私は目を開けた。
「何?!」
音が聞こえた方向――ロンドン市内に目を向ければ、ちょうど、ロバートが見つめていたあたりから、黒煙が上がっているのが見えた。
市内で爆発!?
「馬を……!」
すぐに現場に向かおうと、私が馬車を振り返ろうとしたら、引き止めるように抱きしめられた。
「ロバート……!」
逸る気持ちで相手を振り返ると、ロバートは私を腕の中に閉じ込めたまま、首を伸ばして例の黒煙の上がる場所を見つめていた。
「行ってはなりません」
真剣な眼差しをそこから外さないまま、ロバートは頑なに私を引き止めた。
「あれは囮です」
「おとり……?」
訳が分からないままロバートに抱きしめられていると、丘の下から複数の馬蹄が近づいてきた。
「レスター伯!」
間もなく、10名弱の騎乗の兵士たちが姿を現す。
その先頭に立っていたケアリーが、手綱を引いて馬を止めながら、大きな声で呼びかけた。
「陛下はご無事ですか」
「当然だ」
ホールドしていた腕をほどき、私の両肩に手を置いたロバートは、馬を下りて近づいてきたケアリーの前に、私を突き出した。
「ハンズドン男爵。すぐに陛下を連れて宮殿へ戻れ。ここまで追跡者はいなかったようだが、念のため、細心の注意を払って、ロンドンには戻らずにお送りしろ」
「守馬頭は?」
「俺は現場に向かう」
「現場には、護衛隊長がすでに向かっていますが」
「俺も行く」
そう言って、私をケアリーに託したロバートが、自分の馬に跨がる。
「頼んだぞ、ハンズドン男爵」
「へい」
馬上から部下に一声残し、鞭を入れたロバートがあっという間に丘を駆け下りていくのを、唖然と見送る。
「珍しいですね、ボスが陛下の護衛人任せにするなんて。いつもいらないって言ってもついてくるのに」
それは同じように上司を見送ったケアリーのセリフだが、確かにらしくない。
「さ、行きますよ、陛下」
「ね、ねぇ。何? どうなってるの?」
ここまで誰からも何の説明もない状況に、私を馬車に促そうとしたケアリーを問い質す。
「道すがら、俺が知ってる範囲でお話ししますが、詳しいことは落ち着いてから情報部長官に聞いて下さい」
「ウォルシンガムに……?」
なぜそこでウォルシンガムなのだろう。
「ちょっと遠回りになりますが、このまま南西に下って、テムズ川沿いに宮殿まで戻ります」
私を馬車に乗せた護衛隊長のケアリーは、上司の指示通り、市内に戻るのを避けたルートで、ハンプトン・コート宮殿への帰路についた。
~その頃、秘密枢密院は……
レスター伯が馬を駆り、黒煙の立ち上るロンドン市内の一角に駆けつけた時には、すでに現場周辺を野次馬が取り囲んでいた。
物見高い連中を蹴散らして現場に飛び込むと、真新しいはずの劇場の入り口が崩れ、無残な傷口を晒していた。
「ウォルシンガム!!」
そこに1人の男の姿を認め、レスター伯は馬から降り、足下に四散する瓦礫を踏み越えて近づいた。
硝煙が漂う中、退廃した世界を見下ろす悪魔のように、黒衣の男が立っていた。
「もう終わりました」
近づいてきた相手を一瞥し、ウォルシンガムは冷めた調子でレスター伯を迎えた。
「わざわざ来ずとも、気が済むまであのお方の傍にいらっしゃれば良かったものを」
「貴殿に言っておかなければならないことがあるからな」
そう答え、レスター伯は、彼以外人の気配のないあたりを見回した。
「……ジョン・ディーとエドワード・ケリーは?」
「手筈通り、別動隊がすでに拘束しています」
伯爵の確認に、秘密情報部長官は淡々と答えた。
ウォルシンガムは、レスター伯にディーの予言について相談を受けた時点で、すでにかの宮廷占星術師に不信感を抱いており、彼とその周囲の人物の洗い出しを行っていた。
そして、先の誘拐未遂事件で逮捕した者たちの自白から、ディーの助手であるエドワード・ケリーとの繋がりが浮上して、内通者の存在が決定的になった。
「エドワード・ケリーは、反体制派の過激テロ組織に情報を漏らしていただけでなく、彼らと連絡を取り、女王に害なす計画に自らも荷担していた。今回、天使の声を聞いたと偽り、貴方に女王を誘拐するよう唆した上で、貴方が女王をあえて手薄な警備で連れ出す日時と場所を反体制派に教えたのも、他でもないあの少年の計略です」
「だが、それも貴殿のシナリオだろう」
ジョン・ディーとエドワード・ケリーの証拠を押さえたウォルシンガムは、レスター伯に提案を持ちかけた。
彼にディーの占いを信じ込み、苦悩しているふりをさせて、内通者に付け入る隙を与え、女王の寵臣であるレスター伯を使った大それた計画を実行させようというのが、ウォルシンガムの描いたシナリオだった。
「俺をスパイに使うとは、大した男だ」
「ただの平民出の騎士に使われて下さる、大した伯爵閣下に感謝いたします」
「陛下の為であれば、このような汚れ役でも引き受けよう」
与えられた配役を十分に全うした伯爵は、胸を張って一番言いたかったことを言った。
「ただし、俺が陛下の御身の安全のために、このような危険で不名誉な役回りをあえて進んで引き受け、陛下を思う心には一点の曇りもなかったこと、いかに陛下を敬愛しているかを、筆を尽くして書き記し、陛下にご報告申し上げろよ、忘れるな」
「分かっております」
わざわざそれを言いに来た男に、ウォルシンガムは呆れたように息を吐き、一通の手紙を懐から取り出した。
「お約束通り、この書簡は女王陛下には見せないでおきます」
「ま、待て! 何故そんなものをここに持って来ている!」
途端に顔色を変え、慌てふためく守馬頭。
「落としたらどうする! 誰かに見られたらどうする!!」
「そのような間抜けな真似はしません」
レスター伯が過剰に反応するそれは、ウォルシンガム配下のスパイのひとりが、偶然手に入れた、レスター伯からスペイン王に宛てられた書簡だ。
女王と結婚するのを後援してくれたら、イングランドをカトリックに戻しても良いと言う内容で、写しも取っているが、ウォルシンガムの一存で手紙を差し止めている。
これが実際にスペインの手に渡っていたとしても、あの慎重なフィリペ王が、この軽率な男の言葉をまともに相手にするとは思わなかったが、これを公にされたら、宮廷中のプロテスタント達から総スカンを食らうだろう。
「本来ならば、バーリー卿には報告するべき内容ではありますが……」
「頼むぅぅぅぅそれだけはーっ!!」
必死の体で頼み込んでくる伯爵からは、庶民出の騎士に頭を下げることへの抵抗やプライドは微塵も感じられない。
レスター伯は国教会に帰依しており、対外的にはプロテスタントの擁護者を自認しておきながら、この体たらくである。
同情の余地はないが、利用の価値はある。
ウォルシンガムの人を扱う術のひとつに、相手の弱味を握る、というものがあった。




