第229話 英国幽霊奇譚
いつの間にいたのか、急に視界に入った貴婦人の姿にギョッとする。
確かに、長い金髪と白い肌、豪華なドレス、背格好も同じくらいで、遠目に見れば女王が歩き回っていると誤解するかもしれない。
だが、それが幽霊ではないことは――取り囲む複数人の男が、縄を持って捕らえようとしているところからも明らかだった。
「何、あれ……!?」
これは心霊スポットというよりは、どう見ても犯罪現場だ。
「誰か……んぐっ?!」
人を呼ぼうと声を上げかけたところで、後ろから口をふさがれ、ウォルシンガムに繁みの中に引きずり込まれた。
なになになに!? なにこれどういう状況?!
大きな手に口をふさがれて息を詰めながら、私は、抵抗していた女性が男たちに捕らえられ、どこかへと連れ去られる、その一部始終を目撃していた。
「行った……か……?」
「!?」
目の前の光景に集中していた私の耳元で、急にバリトンの息遣いが聞こえ、肩が跳ねる。
っていうか近いし!
後ろから抱き込まれたまま、2人して繁みの中に身を潜めているこの距離では、やたらうるさくなっている心臓の音が相手に聞こえてしまうのではないかと焦った。
このドキドキは、びっくりして! 恐怖で! のドキドキだからっ!
「ふぉぅひんはふ……」
色んな意味で息苦しくて、口を塞がれたまま名前を呼ぶと、えらく情けない発音になった。
そこでようやく手を離され、周囲を警戒しながら繁みを出たウォルシンガムに、引き上げられるようにして立ち上がる。
「御無事ですか」
危険だったつもりないけど?!
この男の突拍子もない行動の方が、よっぽど心臓に悪い。
それよりも、危険なのはさっきの女性だ。
「申し訳ありません。今、彼らに貴女の姿を見られるわけにはいかなかったので」
「そんなことより、あの人が危ないわ! どうして見過ごすような真似……!」
「彼なら心配ありません」
ウォルシンガムから離れ、女性が連れ去られた方向に向かおうと勇んだ私の足が、ピタリと止まった。
「……彼?」
私の質問には答えず、ウォルシンガムは低い声で、さほど大きくない声量で指示を出した。
「城壁の外で捕まえろ。現行犯だ」
「はっ……」
「?!」
後ろの繁みから、こちらも抑えるような低い男の声が唱和し、私はギョッとした。
突然、ウォルシンガムの後方に、見慣れた隊服を着込んだ男が2人、姿を現したのだ。
なんで城の衛兵が、こんなところに隠れているのだ!
「急ぐぞ。助けがくるまで手は出すなと言っているが、さすがに1人では手に余るだろう」
なんだなんだ。
状況が掴めないまま、私はウォルシンガムと2名の衛兵と一緒に、駆け足で修繕中の城壁の裏口から外に出た。
朝焼けに照らされたテムズ川の畔。
絵に描いたような美しい光景が広がる川辺に、長い金髪の鬘が落ちていた。
その少し先――見慣れぬ小舟が繋がれた近くで、目にも鮮やかなドレスの裾が翻った。
「ぐぁっ!」
白い足が一閃し、繰り出された蹴りに、悲鳴を上げて倒れたのは男の方だ。
羽が生えてるかのような身軽さで、倒れた誘拐犯に飛びかかってふんじばった貴婦人は――
「ハットン!?」
その正体に気付き、私は声を上げた。
短い黄金の巻き毛に、陶磁器のような白い肌、大きな翡翠色の瞳――
化粧をしているわけでもないのに、どこからどうみても完璧な美少女だ。
これは攫いたくなる。
いやいや。
私がアホな思考に一人突っ込みを入れている間に、ハットンが顔を上げ、叫んだ。
「あと二人います! 捕まえて!」
澄んだ声が鋭く指示を飛ばすと、美少女の活躍に呆気に取られていた衛兵2人が、小舟にまろびこもうとした2名の共謀者に駆け寄り、押さえ込んだ。
あっという間に3名の誘拐犯は御用となり、自分たちが持って来た縄でぐるぐる巻きにされて、衛兵の槍の前でへたり込んでいた。
私はというと、着慣れないドレスの裾を汚していないか、しきりに気にしてめくり上げているハットンに釘付けになっていた。
「ハットン可愛い!! ……じゃなくて、ハットンって強かったんだ!」
やたら運動神経がいいのは知っていたけど、武闘派だとは夢にも思わなかった。
女性が人前でやったら目のやり場に困るような大胆さで、スカートの裾を上げてチェックしていたハットンが、小首を傾げて笑った。
「子供の頃から攫われそうになることが多くて、自分の身は自分で守るようになりました」
なるほど。
それが名家の子であるが故の身代金目当ての誘拐なのか、美少年が故に危ない趣味の人に狙われたのかは分からないが、護身術くらい習っていてもおかしくないか。
「ハットン、ご苦労でした」
そんな私たちの傍に、逮捕者の処理を衛兵に指示し終えたウォルシンガムがやってくる。
ウォルシンガムを見上げ、ハットンが失敗したというように、肩をすくめて謝った。
「すみません。助けが来るまで手を出すなと言う指示でしたが、犯人たちの陛下を愚弄する言動が我慢ならなくなり、先走ってしまいました。素人ぽかったので、1人でもなんとかなるかなと思って」
「結果的に、1人も逃さず逮捕出来たのですから構いません。御協力ありがとうございました」
ハットンの結構強気な発言にも、ウォルシンガムは普通に返している。
「ウォルシンガム……状況を説明してくれる?」
衛兵たちにふんじばられた3名の誘拐犯がずるずると引きずられていくのを見送り、私は説明を求めた。
ウォルシンガムの回答によると、河沿いの城壁の一部が修繕中で侵入しやすい状況を逆手に取り、女王が夜明け近くに1人、散歩に出かけているという情報を、あるルートから反乱分子の耳に入るように流したらしい。
そうして、その情報をターゲットに確認させるため、あえて見張りを手薄にした現場で、毎晩ハットンに女装させて、こっそり庭をうろつかせていたのだという。
きっと、誰かがそれを目撃し、噂になってしまったのだろう。
随分と強引な手に出たものだが、女王誘拐を目論むような危険分子をとっとと捕縛するという意味では、こちらから餌を撒いておびき寄せるというのは、確かに効率は良いか。
「夜な夜な城の庭を謎の貴婦人が彷徨っているなどという不気味な噂が流れたら、貴女のことだから怖がって近寄らないかと思いましたが、貴女のいらぬ使命感の強さを失念していました」
というのは、ウォルシンガム談である。
じゃあなんですか。
私は無自覚に、ここ数日、ウォルシンガムの仕事を邪魔しまくってたってこと!?
「……ごめんなさい」
「私の目の届く範囲にいて下さる分には、一向に構いません」
素直に謝ると、意外に雷は落ちなかった。
顔を上げて相手の意図を伺うと、やはりウォルシンガムは静かな眼差しで、私を見下ろしていた。
「私に何も知らせずに、どこかに消え去るようなことは、決してしないようにして下さい。お願いします」
「……はい」
その真摯な願いごとに、咄嗟に胸が詰まってしまい、私はうわごとのように答えていた。
顔が熱い。
私は火照る頬を両手で押さえ、2人に背を向けて、元来た方向に歩き出した。
その後ろを、ウォルシンガムとハットンがゆっくりとついてくる。
もう夜はすっかり明けていて、爽やかな朝日の差し込む庭先を通り抜け、柱廊まで戻る間、私は早朝の冷たい風で顔を冷ましながら、後ろの2人の会話を聞いていた。
どうもウォルシンガムは、エリザベスに扮したハットンが私に見つからないように、適当に私の注意を逸らして誘導していたらしい。
人影が見えたとか、声が聞こえたとか、やつのウソに転がされて一喜一憂していた己を思い返すと小っ恥ずかしい。
おおうそつきめ!
「まぁ結局、幽霊なんていなかったってことで、良かったわ。正体が分かればこっちのもん……」
ともあれ真相が究明できたことを前向きに捕らえ、強気に出た私の耳に、どこからか女性の金切り声が聞こえた。
…………
私が凍りつくのと同じタイミングで、2人が立ち止まり、別々の方向に視線を彷徨わせる。
やけに落ち着いてはいるが、その自然な反応が怖い。
「ね……ねぇ、今なんか聞こえた?」
「ああ……聞こえましたね」
恐る恐る確認すると、ウォルシンガムがハッキリと答えた。
「もうこれ以上何も隠してない? 企んでない?」
「企んでいません」
「…………」
あまり嬉しくない回答に、ギギッ、と首を回し、ハットンに縋る。
「ハットン、本当?」
「本当です」
「…………」
…………。
……………………。
「キャーッいやー! ウソー!」
私は、頭を抱えて叫んだ。
やっぱり、ハンプトン・コート宮殿には幽霊が出るらしい。




