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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第14章 ハンプトン・コートの幽霊編
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第226話 ハンプトン・コートの幽霊


 そうして、何事もなかったかのように日々が過ぎていき、ロンドンは美しい6月を迎えた。


 結局、私は天然痘にはかからず、無事1562年の秋を乗り越え、それ自体はとても大きな歴史の変化であったはずなのに、この世界では、それが当たり前のこととして時が流れていく。


 宮廷侍医ドクター・バーコットがある日突然宮廷から姿を消しても、誰もその名を口にすることはなかった。

 アンの顔に残る、日に日に薄くなっていく痘痕跡が唯一、彼がこの宮廷に残した足跡であるように――それ以外はレイの存在が、まるで夢か幻のように、すっかりと消え去ってしまった。


 レイが語った史実の中でも、危篤に陥ったエリザベス1世の命を救い、以後、歴史の表舞台に現れることのなかった、謎の名医ドクター・バーコット。


 ……もしかしてレイも、もう自分の役目は終わった、って思ったのかもしれない。


 私には、あと40年ふんばらないと――っていう、重責がある。

 どちらがいいなんて、一概には言えないけれど……


 誰とも分からない存在の意図で、過酷な時代に飛ばされて、その後の道標すらなく、自分の存在価値が見つけられなくなったら、私だって迷うかもしれない。


 そんなことを考えながら、ぼんやりとテムズ川の水面を眺めていた。


 この河が繋がった先のロンドンに、レイはいるのだろうか。

 もしかしたら、もうどこか、別の外国に行っているかもしれない。


「陛下、お顔が晴れないようですわね」


 同じ舟に乗っていたグレート・レディーズの1人が、気遣いながら声をかけてくる。

 ぼんやりとしていた私は、ハッと顔を上げ、憂鬱を振り払って笑い顔を作った。


「こんな素敵な日に、こんな顔してちゃダメね」


 6月の麗らかな休日。ハンプトン・コート宮殿に沿うテムズ川に舟を浮かせ、私は取り巻きの女性たちと舟遊びに興じていた。

 川の上は風が通って涼しくて、とても過ごしやすい。


 晴れやかな空の下、私は彼女たちから、奇妙な話を聞いた。


「あ、あの辺りですわ」

「え? 何が?」


 グレート・レディーズの1人が、指を差した方向に目を向ける。

 そこは、テムズ川沿いの宮殿の城壁で、まだ修繕中の部分だ。


「陛下はご存じありませんか? 最近、川沿いの修繕中の城壁近くの庭で、夜明け前に女性の目撃情報が続いているらしい、というお話は」


 私の質問に、同じ方向を向いていた別の1人が答えてくる。


「え、何それ怖い。幽霊……ってこと? まさか、またキャサリン王妃とか?」

「いえ、実はそれが……」


 私の質問に、彼女は悩ましげな顔をして言葉を切り、他のメンバーを見やった。


「どうしたの?」

「ええと……これは噂なんですけど……」


 私が聞くと、彼女たちを代表して、イザベラが慎重に口を開いた。


「陛下が毎夜、明け方前に、庭を散歩されていると言う噂が……」

「私……?」


 んなわけない。


 明け方前など、しっかり爆睡時間だ。


 早寝早起きが習慣だった父親などは、よく明け方に散歩に出かけていたが、遅寝遅起きな私にはまったく縁のない時間である。


「確かに散歩は毎朝してるけど、そんな時間に起きたことはないわよ。早起き苦手だし」


 まさか……夢遊病……?


 全く身に覚えはないが、ふと自分を疑ってみる。


 でも、寝室付き女官のうち、誰か1人は私と同じ部屋で寝てるわけだし、その線もないか。


「そうですよね、やっぱり」


 イザベラがホッとしたように相槌を打つ。

 女王が毎夜ひとりで庭先をさまようという奇行もいただけないが、もう1つ疑問は残る。


「じゃあ、一体誰が……?」


 ひとりの口にした疑問に、し……ん、と、少し不気味な沈黙が落ちる。

 川のせせらぎが、その時ばかりは不安を掻き立てる音に聞こえた。


 年長者のひとりが、場の空気を取り繕うように、あえて明るい口調でイザベラを指した。


「貴女じゃないの? イザベラ」


 私に似てると言われることが多いイザベラが矢面に立つ。


「そうよ、きっとお腹がすいて寝ぼけてふらふら出歩いちゃったんでしょう」

「私、そこまで食い意地張っていませんわ!」


 顔を赤くして否定するイザベラに、私も含め女性たちが笑った。

 だが、明るい空気を取り戻した船上で、私は胸中抱いたある不安に、1度笑みを消した。


 もしかして、エリザベス……?


「陛下……?」


 私の表情の変化を敏感に見て取ったイザベラが声をかけてくる。


「ううん、なんでもない」

 

 私はもう1度笑顔を作り、首を横に振ってごまかした。

 

 だが、そうは言いつつも、私は――5年前、このハンプトン・コート宮殿で亡くなったと聞いている、『本物』の女王のことを考えていた。


 まさか……まさかだよな……


 可能性に思い至ると、いても立ってもいられず、私は顔を上げ、噂の城壁のあたりを扇子で指した。


「ねぇ、ちょっとそこに行ってみない?」

「ええ?」

「場所を確認してみたいのよ」


 私は強引に小舟を城壁近くに着け、グレート・レディーズを伴って川辺を歩いた。


「結構遠いわよね……」


 歩きながら場所を確認してみるが、私の寝室からはかなり遠い。

 ありえない話だが、私が夢遊病だったとしても、さすがにこんなところまでは来ないだろう。


 かといって、まだ修繕中とはいえ、見張りはいるはずだし、誰かが侵入して毎晩私のふりをして散歩をする意味も分からない。


「なんだか少し怖いわね」

「あまり近づかない方がいいのでは」


 心霊スポット(?)に近づくにつれ、グレート・レディーズたちがお互いの距離を縮め、身を寄せ合って不安げに口を開いた。


「……ここから見る限り、何も変わったことはないわね」


 実際、明け方に女性が目撃されているというのはこの城壁の裏の庭の方だ。修繕中の壁の崩れているところには、今は見張り番が1人立っていた。


「あら、雨?」


 戻ろうか、もう少し庭の方まで見てみようか悩んでいたところで、頬に水滴が落ち、顔を上げる。


 ウォルシンガム曰く「女性の心のように気まぐれ」な天気は、先程の晴れやかさとは打って変わり、しとしとと風流な小雨が降り始めていた。


「もう戻りましょうか。多分、すぐ晴れるとは思うけど」


 この程度なら慌てる程ではないが、このまま雨の中、川辺をウロウロするのも何なので、結局、その日はさっさと退散することにした。

 

 とはいえ、やっぱり気になってしまい、1度、すっかり夜が明けてから例の庭に行ってみたのだが、せっかく早起きしたのに、何も起こらなくて小一時間無駄にした。明るいとやっぱりダメなのか。


 けど、夜中に出歩くとか、さすがに怖すぎるしなぁ……

 ただでさえ心霊スポットなのに、会いたくもないキャサリン王妃の幽霊に遭遇しそうだ。


 その後も、ぽつぽつと私の生き霊(?)出没の噂は聞かれた。


 なんなんだ、一体……


 仮にもしそれが本物のエリザベスであれば、という想像が離れず、気になって仕方がない。


「うー…気になるー……」


 深夜、ベッドに入ったまま、枕を何度も位置を直したり抱いたりゴロゴロしたりするも、どうしても頭を離れない可能性に、目が冴える。


 だって、もし本物のエリザベスの魂が、まだこの世に彷徨っていたとしたらよ?

 私は……今ここにいる私は――


「あーっ、もう……!」


 確かめないと、気になっておちおち眠れませんが?!




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