第222話 女王の決断
こんな時――私は、どうしたらいいのだろう。
対峙する2人の男を前に、私は、自分の置かれた状況を恨まずにはいられなかった。
自分自身の立場と、性分を。
気持ちとしては、レイを信じたい。
レイが私を裏切っていないと言うのなら、信じたいし許したいと思う。
でも、ハッキリとした証拠を突きつけてきているのはウォルシンガムで、私自身の個人的な感情を除けば、圧倒的に彼に分があることも、頭では分かっていた。
王としてこの状況で、私がレイに味方をするのは、公平な判断に欠けていると取られても仕方がない。
分かっている。分かっているけど……
唇が乾く。
乾いた唇を噛み締めた私に、視線が集まる。
――二人とも、私の判断を待っている。
「レイのことは信じたい……と……思う」
拳を握り締め、無理やり言葉を吐き出す。
「でも、この場で判断するわけにはいかないから……まずは……調査を……」
レイの顔を見ることが出来なかった。
ああ嫌だ。
どうしてこの場で、信じるって言ってあげられないんだろう。
ロバートに、『大切な友人だ』と啖呵を切った自分の言葉が突き刺さる。
信じて欲しい人がそこにいるのに。
友達なら、「私は信じる」って言ってあげなきゃだめなのに。
言えない。
王の主治医が敵国と通じていた、というその疑惑の真偽は、個人の感情を優先していい範疇を越えている。
王としての立場で判断しなければいけない時に私情を挟むのは、ここまで努力を重ねて調査してきたウォルシンガムに――臣下たちに失礼だ。
そんな形で、私はウォルシンガムを裏切れない。
私を絶対に裏切らないこの男を――私の理性を信じているこの男を、私は裏切れない。
「……手紙の暗号が解ければ、きっとレイの無実を証明出来るはずよ――だから……!」
「そうかよ……」
必死に言葉を重ねる私を遮り、レイが冷淡な――ふて腐れたような声で呟き、ふらりと立ち上がった。
壁に背を持たれさせ、私とウォルシンガムの顔を交互に眺めた表情には、怒りと、傷付いた子犬のような敵意があった。
「こんな場所、言われなくてもすぐに出てってやらぁ」
プイと顔を背け、重たい足取りで、壁伝いに部屋を去ろうとするレイに、ウォルシンガムが棒立ちのまま、冷めた声で私に聞いた。
「陛下、捕らえますか?」
これがレイじゃなければ――ウォルシンガムは、私に聞くまでもなく拘束していたはずだ。
「……いいえ」
この男は私に、レイを突き放せと言っている。
もし、今レイを引き止めたとしても、このまま、疑いが晴れるまで彼を拘束しておかなければいけない。
レイの望むようにしてあげられないのに、引き止めるのは、私の身勝手だ。
だったら、レイ自身の判断を優先するべきだと心の中で念じ、引き止めたい気持ちを握り潰す。
開け放たれたままの扉にレイの背中が吸い込まれ、廊下に消えていくのを見送る。
誰もいなくなった出入り口をいつまでも見つめながら、私は全身から力が抜けていくのを感じた。
……レイが、出て行ってしまった。
私はまた、あの寂しい背中に、何もしてあげることが出来なかった。
「レイ……」
傷付けてしまったという、わだかまりだけが残る。
出来るはずのない別の『決断』を想像し、何か変えられたんじゃないかと後悔する。
ベッドの上にへたり込んだまま、後味の悪さに胸を軋ませている私を、真っ黒い男が見下ろしてくる。
「陛下……何度同じ男に騙されたら気が済むので?」
「だ、騙されてない!」
呆れたように言われ、私はムキになって言い返した。
「何度もなにも、前だって別に付き合ってたわけじゃないし、私が勝手に好きになって勝手に振られただけだし! 今回だって、イングランドではスパイ行為は働いてないって言ってたのに、私が信じ切ってあげられなかっただけで……」
「あんないい加減な男の言葉を信じるのですか」
「だって……」
ウォルシンガムの怖い顔を前に、モゴモゴする。
嘘ついてるように見えなかったんだもん……と言っても、どうせ呆れられるだけだろう。
「あの男は心が弱い。だから孤独に耐えきれず、酒や賭博で身を滅ぼす。本当は、貴女も分かっているのでしょう……いいですか、同情と愛情は良く似ている。どうか、お間違えのなきように」
また難しいことを言ってくるが、相当お怒りなのか、ウォルシンガムの説教は続いた。
「あの男の言葉の真偽はともあれ、あの男がフランスと通じ、イングランドの情報を流していたことを隠し続けていたことは事実だ」
レイが隠してたのは、多分言いたくなかったんだろうな、とは思うのだけど。
言いたくなくて最初に嘘をついてしまって、そのまま引っ込みがつかなくなったとしたら、レイが色々悩んでいたのも分かる気がした。
「貴女は、多くの疑わしい欺瞞の中から、真実の忠心を見出さなければいけない。少しの疑いをかけられたからといって、膝をついて申し開きを請うならまだしも、簡単に貴女に背を向ける人間を傍に置いて良いわけがない」
「そりゃあ、王と臣下の立場ならその通りだろうけど……レイは、私の臣下じゃないもの。今回の件で、もうこれ以上、私の傍にいられないとレイが判断したのなら、それは仕方がないことでしょう」
本当は、残って欲しかったけど。
私の言葉に、ウォルシンガムは少し間を開けてから、納得したように呟いた。
「なるほど……やはり、貴女にあの男は相応しくない」
そんなにしみじみ言われても困るが、そもそもの前提がおかしいので突っ込んだ。
「あのね……さっきから聞いてたら、ウォルシンガムもロバートも、勝手に決めつけてくるけど、心配しなくても、レイはそういうのじゃないから!」
「ほぅ」
むぅ、今のは信用してもらえていない相槌だ。私も分かってきた。
「いくら私でも、1度振られた相手をもう1度好きになったりしないわよ。それに、未だに気持ちを引きずってたら、あの時いっぱい傷付いて泣いて、全部終わらせた昔の自分が可哀想じゃない」
例えすれ違いがあったとしても、レイが私ではなくマリコを選んだのは事実で、その時点で、私の恋は終わったのだ。ちゃんと精算している。未練がましい自分というのは、正直、私の好みではない。
私は、私が好きになれる私になりたい。
「私の恋は、あの時にちゃんと終わったの。ただ、大事な思い出を、宝石箱にしまっていて、たまに取り出しては愛でてるだけ。それくらい許してよね、もう二度とないんだから」
大事に大事に、宝物のようにしまってる思い出だ。
少なくとも、あの時は――あの時くらいは、両思いだったんじゃないかと、私は今も思いたがっている。
もしかしたら、それも勘違いだったかもしれないけど……どうせ終わったことなのだから、それくらいは夢見ても罰は当たらないだろう。
「……もう二度と、恋はしないおつもりですか?」
「分かんないけど、多分、もう無理でしょう。背負ってるものが違うもの」
まぁ、それは言い訳で、背負ってなくても出来ない気がするけども。
「でもまぁ、一生に一度でも、失恋まで含めて、忘れられない恋が出来たから、もう十分かなって」
「…………」
「やっぱりホラ、1回くらいしとかないと、女の子の気持ちが分からないでしょう? 人の気持ちが分からないと、人のことを考えるのは難しいから」
傷付いたことも含めて、私には2度と出来ないような貴重な体験だ。
あれが一生に一度の恋だとしたら、あんなに楽しくて、キラキラした毎日を過ごせたことに、今は感謝したい。
「こんな性格だから、なかなか恋なんて出来ないし。今となってはもっと出来ないし……だから、レイには、素敵な恋させてくれてありがとうって気持ちの方が強いの。こんな私でも、ちゃんと恋愛できるんだって証明してもらえた気がして」
きっと、未だに一度も恋愛できてなかったら、自分が何か欠けているんじゃないかって思ってしまって、怖かったと思う。
「あとは大丈夫。ひとりでも生きていけるって思えるから」
「…………」
言い切ってスッキリする。
言葉にするって、大事なことだ。迷っているときほど、言葉にした方が、気持ちを強くできる気がする。
なんだか随分独りよがりな、恥ずかしい話をしてしまったが、振ってきたウォルシンガムが悪い、ということにしておく。
おかげさまで、気持ちはちょっぴり楽になった。
「あ。でも、もちろん、国家は重すぎて1人じゃ無理だから! それは、たくさん頼りになる仲間がいるから何とかなってる感じ」
ひとりで生きていけると言い切ったものの、支えてくれている相手が目の前にいることを思い出し、慌てて訂正する。
「仕事では、ちゃんと支えてくれる……信頼できる人がいるから。それで十分」
今回のブチ切れは、ちょっと……かなりビックリしたけど。
改めて、この男が私の知らないところで色々苦労しているんだな、というのは分かった。
「ええと……だから、これからもよろしくね、ウォルシンガム」
「陛下……私は……」
収まりが悪いのをごまかして笑顔で言うと、ウォルシンガムが珍しく言葉を途切れさせた。
ウォルシンガムが受け入れられそうな範囲で頼ったつもりだったんだけど、もしや、これでも重かったか。
「……御意」
ここで突き放されたらさすがに凹むところだったが、内心ビクビクしながら待っていると、希望通りの答えが返ってきて、ほっとした。
同時に、やっぱり私はコイツに甘えてるんだろうな、と気付いて、反省もしたりした。




