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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第13章 ジョン・ディーの予言編
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第221話 どうすればいい?


「陛下!」


 えっ、何……?!


 視界の外で乱暴に扉が開かれる音と、部屋全体に響くような男の声に驚いていると、瞬きの間に目の前の光景が変わった。


「貴様……!」

「……っ!? ぐっ……!」


 身を起こしかけたレイが呻いたかと思うと、ものすごい音がして身が軽くなった。


 状況が飲み込めないまま、私も慌てて上半身を起こすが、ベッドの前には、さっきまでいなかった黒尽くめの男が立っていた。

 その険しい眼差しの先――壁際の床に、レイが踞っていた。


 な、なに今!? 殴った? ぶん投げた?


 全然見えなかったが、何やらものすごい音がした後、身を起こしてみればこの有様だ。


 ……って、剣出してるぅぅぅっ!?


「待って! クマさんタンマ!!」


 珍しく肩で息をしているウォルシンガムが鬼の形相で、うずくまるレイに剣を突きつけたのを見て、私は慌てて止めた。


 ガチで殺しかねない程に殺気立った男が、一歩前に出て私とレイの間に立った。


「レイはちょっと酔っ払ってただけで、何も……!」

「お下がりください陛下。その男は、スペインの――否、今は(・・)フランスのスパイです」

「え――?」


 今、何て……


 全く予想外のことを言われ、一瞬、思考が停止する。


「…………ってめ……」


 一瞬たりとも目を離さないウォルシンガムの視線の先で、ようやく身を起こしたレイが、相手を睨み返した。


「この男がフランス宮廷を追放された本当の理由は、スペインと通じていたからだ」


 だが、その目を真っ向から見返し、ウォルシンガムは告発を続けた。


「これほどまでに立ち回りの下手な男が、フランス宮廷でノストラダムスに目をかけられ、宮廷侍医にまでのし上がった理由が、この男自身の持つ特殊な技術と知識であると仮定したとして――あのカトリーヌが、息子の死を予言されただけで、感情に捕らわれて有益な人材を安易に追放するだろうか、というのがまず最初の違和感でした」


 急な展開についていけてなかったが、ウォルシンガムの説明に、ようやく私の頭も動き出した。


 確かに私はレイから、フランス宮廷を追われた理由をそう聞いていた。

 シャルル9世の先が長くないことを伝えて、カトリーヌの不興を買ってしまったと。

 

 だが、違和感――とウォルシンガムは言った。

 その微妙な感覚のズレは、実際にカトリーヌと接し、観察し続けた人間でなければ、分からないものなのかもしれない。


「それが母親らしい情動であるというならば、その後の、先の短い息子を見限るように健康な弟への寵を深めた行動が不自然に映る――ただの女のヒステリーと片付けることも出来たが、何か、別の理由があるのではないかと情報を追い続けたところ、ようやく、この男が追放されるに足る事情が判明しました。そして、なぜそれが、ここまで露見しにくかったのかも」


 女は感情で動く生き物だと切り捨てるこの男が、カトリーヌの行動の裏を探り続けたのは、それだけウォルシンガムにとっても、あの女性が侮れぬ存在だったからだろうか。


「この男は、博打で借金を抱えて金に困って、フランス宮廷で得た情報をスペインに流した。そして、そのスパイ行為が露呈し、危うく死刑になるところを、ノストラダムスの取りなしでフランスに寝返ることで逃れた――つまりは二重スパイだ。そうなれば当然、これらの成り行きは秘匿される。この男は、宮廷を追放された後もノストラダムスの手駒として大陸で諜報活動を続け、ついにはイングランドに渡った――」

「…………で?」


 ウォルシンガムが話す間、レイは相手を睨みつけたまま一言も発さなかったが、1度話が途切れたところで、挑発的に先を促した。


 そこで、初めてウォルシンガムは、背後の私を振り返った。


「陛下、これを」


 ウォルシンガムは、左手に握り締めていた数枚の手紙の写しを、私に差し出した。


「これは……?」


 どう見ても暗号で出来た手紙の写しだったが、解読後の平文がついていないので、何が書いてあるかは、皆目分からない。


「今年の年明けから、我々はバーリー卿の指示で、ロンドンの一地区……具体的には、この男の主な行動範囲であった診療所を含んだ区画の郵便物の検閲を続けていました。その中で、定期的に、極めて厳重な暗号文書が海外に向けて発送されていた。結局、暗号は難解すぎて解読が出来ませんでしたが、追跡調査から、この男からノストラダムス宛てに出された手紙であることは確定している」

「そんな……」


 ウォルシンガムの言葉を聞きながら、読めない文字の羅列を、信じがたい気持ちで見つめる。

 

 レイが、フランス宮廷の占星術師ノストラダムスと通じていた――

 ウォルシンガムが確定していると断言するのならば、それは、動かぬ証拠があってのものだろう。


 だが、信じたくないという気持ちは、どうしてもあった。


「陛下は、年明けからこの男の市内での医療活動を後援し、外出の許可を与えておられたでしょう。この男は、陛下の許しを得て街に出ては、フランス宮廷に定期的に密書を出していた。この証拠を前に、まだこの男を信じようとなさるのですか?」

「でも……だからって、一体何を……レイが話すっていうの」


 レイが一体なにを、フランスに漏らすと言うのだろう。


 ノストラダムスとの交信が明らかになった今、彼がスパイであるという説を否定するのは難しい。

 それは分かっているが――私は咄嗟に、解読できないという密書の内容に、一縷の望みを託していた。


 スパイをしていたと言われても、レイが私やイングランドの不利益になるような具体的な行動を取っていたと分かるまでは、裏切り者だとは決めつけたくなかった。


 そんな私の気持ちを見透かしたように、ウォルシンガムが口を開いた。


「陛下、この男に、移動ルートの地図を見せたでしょう」

「え……っ」


 見てきたかのように決めつけられ、私は息を飲んだ。瞬時に、その時の記憶が蘇る。


『で、今書いてるのは?』

『移動のルート決め』


『ふーん……随分遠回りするんだな』

『市内の巡察も兼ねてるの。市民も喜ぶし』


 そんな会話は、確かにした覚えがある――


「それは……」


 確かに見せた……けど。


 答えられなかった私の表情から汲み取ったのか、ウォルシンガムが確信を持った口調で言った。


「この男が、イエズス会士に情報を売ったのでは」

「そんな、まさか……!」

「――違う!」


 その時、レイが初めて声を上げて否定した。


 私とウォルシンガムが、同時に彼の方を注視する。


「フランス宮廷で、スペインに情報を売ってたのは確かだが、ここではしてない。いくら俺でも……そいつを売るような真似はしない」


 レイは1度だけ私を見て、すぐにウォルシンガムを睨みつけた。

 だが、それを見下ろすウォルシンガムの目は冷ややかだ。


「そんな言葉が信じられるとでも?」

「るせぇ」

「陛下、金のためにスペインにフランスを売り、保身の為にフランスに寝返った男です。今もスペインとも通じていないとも限らない。聖パウロの使徒座の虐殺で一番笑ったのは誰か? それはスペイン国王です。虐殺を予見していたというこの男が、貴女に事態を静観するよう薦めたのは、スペインの利を考えてのものかもしれない」

「ハッ。疑おうと思えばいくらでも疑えるもんだな」


 ウォルシンガムのもう一つの憶測を、レイは鼻で笑った。


「あの程度の暗号も解読できずに、憶測で人に罪をなすりつけようなんざ、大したもんだな。さすが、汚ねぇ罠にかけてメアリー・スチュアートを死刑に追い込んだスパイマスター様だ!」

「レイ、やめて!」


 メアリー・スチュアート云々は気にかかったが、それ以上に、この状況でさらに相手を挑発して状況を悪化させようとするレイに、私は怒った。


「これ以上、ウォルシンガムを怒らせても仕方がないでしょう! ちゃんと話して! 違うって言うなら、分かるように、ちゃんと一から話してよ! もぅ……っ、どうして……っ」


 どうしてこの男は、こんなに生きるのが下手なんだろう。

 頭に来るやら悲しいやらで、言いながら半泣きになってしまった私に、一触即発だった男達の顔に、少しばかりの冷静さが戻った。

 急に訪れた静けさの中で、レイが舌打ちするのがハッキリと聞こえた。


「ああっ……クソッ……」

「レイ……」


 苛立たしげに頭を掻きむしったレイが、こちらを見る。

 目が合い、レイはすぐに顔を背けた。


「くそっ……ほんと、マジで……ンな顔すんなよ……だから言うの嫌だったんだよ、かっこわりい……」


 この期に及んでカッコイイも格好悪いもないような気がするが、この男にとってはどこまでもついて回る問題らしい。


「…………」

「レイ……?」

「……英国に渡って、ロンドンからノストラダムスに、イングランドの情勢について報告を送っていたのは本当だ」


 長く躊躇うような沈黙の後、レイはようやく、ぽつりと話し出した。


「……けど、宮廷に来てからはしばらく手紙を書く暇もなかったし、勝手に街に出ることも出来なかったから、ずっと放置してた。けど、さすがにこのままじゃ疑われると思って、年明けからは、下町に出る度に今まで通り連絡を取るようになった。……けど、宮廷や女王の情報は一切出してない。あっちは、俺が宮廷の侍医になってることも知らないはずだ」


 そこまで一気に言い切って、レイは、今度こそ真っ直ぐに私を見つめた。


「フランスに、こいつを売るような真似はしていない。本当だ」


 彼の告白に、疑う気持ちよりも圧倒的に、信じたい気持ちが勝った。


 黙ってレイの自白を聞いていたウォルシンガムを、縋る思いで見上げる。

 ウォルシンガムは相も変わらず、厳しい表情でレイを睨みつけていた。


 ウォルシンガムは、レイの暗号が読めないと言っていた。

 それ以外の部分で、彼が時間をかけて集めた情報は、それだけでも十分、レイをスパイとして告発するに足るものだった。


 手紙の内容が分からない以上、レイの言葉を信じろと言うのは――ウォルシンガムには無理な話だろう。


 どうすれば……


 レイとウォルシンガムが対立している。

 ウォルシンガムが、レイをスパイだと告発している。

 レイは、私を裏切っていないと主張している。



 私は――どうすればいいのだろう――



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