第219話 ドクター・バーコット
午前の謁見の間でのお仕事を終えた私は、お昼の御膳の儀式の前に、少し時間を取って、私室でウォルシンガムを迎えていた。
「昨日、テムズ川以北のロンドン市内の十字路3カ所から、大量の爆薬が隠されているのが発見されました」
朝の散歩中に話していたように、ウォルシンガムから、昨日の事件の報告を受けるためだ。
また物騒でヘビーな会話である。
「現場周辺にいた不審な人物は大方取り押さえ、現在取り調べを行い背後関係を洗っています。また、逮捕者の証言より、まだロンドン市内に潜伏している共犯者を摘発するため、早朝から守馬頭が近衛隊を率いて市内を巡察しています。これについては、戻り次第、レスター伯の方から報告があるかと」
手短に現状を報告してから、ウォルシンガムは事件の詳細を語った。
「犯行計画自体は、大胆で、さほど細工の凝らしたものではありませんでしたが、今回はあえてこちらの捜査を攪乱するように不正確な情報がばらまかれたため、計画を突き止めるのに時間を要しました」
偽情報で攪乱とか、結構高度な妨害策を仕掛けてくる。
「しかし、それらの偽情報を集積してみると、その多くが女王陛下がロンドン塔へ入城されることを前提とした計画である、という共通項が浮かび上がりました。さらに、これらの偽情報がいつ流布されたのかを時系列に分析していったところ、行き先の決定が下ってから、かなり早い段階でその傾向が見られており、女王やその関係者に近しい人間に内通者がいる可能性が高くなりました」
「なるほど……」
ジョン・ディーが『十字路』が危ないと予言して、私を含めてほとんど全員が、真っ先にロンドン市内の十字路を思い浮かべたはずだ。
だがそれは、あくまで今回の目的地がロンドン塔であるという前提が頭にあった上での連想だ。
この落とし穴に敵もはまり、ばらまいた偽情報から足がついたということか。
「だとすれば、より機密度の高い内部情報を掴んでいることも考えられたため、敵が今回の移動ルートを把握していると仮定して、最も仕掛けやすい場所を想定して張ったところ、今ご報告したような形で危険物が発見されました」
「それってつまり……今回の宮廷移動計画の詳細を知っている関係者が、反政府的な地下組織に協力してるってことよね」
宮廷がロンドン塔になることは、時が経てばそれなりの人数が知ることにはなるが、私が作った移動ルートに関しては、ごく限られた人間しか詳細は知らないはずだ。
「そうなります。それに――逆にボロを出す結果とはなりましたが、相手が浅はかな情報戦を仕掛けてきたのは、秘密情報部の存在を知っての行動でしょう。今回の宮廷の移動ルートを知っている人間はごく僅かですので、その中にユダが紛れているとなると、非常に危険です」
「…………」
相手が事前に情報を得て、ロンドン塔ルートを決め打ちで狙ってきたのを逆手に取り、直前で目的地を変更したから大事には至らなかったが、犯行計画や結果よりも、浮き上がってきた事実の方がやっかいだ。
「その場合、どうしたらいいのかしら……」
身近な人間にスパイがいる……などというのも、あまり考えたくはないのだが、実際にそうだとして、どういう対策が取れるのか、いまいちピンと来ない。
「いちいち全員疑ってかかってたら、全然仕事がはかどらないし、気持ち的に死んじゃうわ」
「…………」
丸テーブルに突っ伏してぐずぐずする。
「クマさん何とかしてよー」
「分かっています」
近しい人間を疑うとか、1番苦手な分野なので、16世紀の四次元ポケット持ちに泣きを入れると、不機嫌に返された。
「ですが、陛下ももっと緊張感をお持ちください。ご自身の命がかかっているのですよ」
「分かってるけど、人を疑うってしんどい……身近な人を片っ端から疑っていかなきゃいけないとか……」
……でも、ウォルシンガムはいっつも、そういうしんどい思いしてるんだなー。
こうやって我が身に降りかかってくると、それがどれだけ精神的にきつい仕事かよく分かる。
「……クマさん、いつもありがとね」
「何ですか、急に」
私の代わりにしんどい仕事をしてくれている相手に感謝しなければ。と思い立ち、口にした謝辞に、ウォルシンガムが無愛想に聞き返してくる。
結局、いつもしんどい仕事ばかり押しつけているような気がして申し訳ないが、結局、頼ってしまうのは甘えだろうか。
顔を上げた私は、テーブル越しに直立する『疑うこと専門』の男を見た。
「誰も信じられる相手がいないと辛いけど――信じられる人間が傍にいるっていうのは心強いな、と思って」
よくよく刃向かってきて腹立つこともあるけど、結局この男の根底にあるのは、「私を護る」という使命感だ。
やり方が違って反論することはあるけど、それが相手を疑う理由にはならないし、ぶつかっても信じられる相手がいるというのは、とても恵まれているんじゃないかと思う。
「だから、ありがとう」
「陛下……」
改めて笑顔で礼を言うが、いつもの「王である貴女が私に礼を言う必要はありません。王とは云々」とかいう可愛げのない返しが来ない。
「クマさん?」
「…………」
黙って突っ立ている男に呼びかけるが、反応はない。
……っていうか、どうしよう。びっくりするくらい無表情なんだけど。
別に可愛げのある反応を期待していたわけではないのだが、ノーリアクション過ぎて怖い。
「――いえ、失礼します」
一言そう言って、背を向けて去ってしまう。
え、怒った? なんかまずいこと言った?
報告は終わったのだろうが、あまりにも素っ気ない態度に困惑する。
そんな悪いことを言ったつもりはないのだけど……ちょっと弱気になって、甘えるようなことを言ってしまったのがまずかったか。
信頼は口に出した方が良いと思ってるんだけど、この場合は言わない方が良かったのかな……
いくら頼りになるとは言え、人によっては、頼られてばかりだと嫌な気分にもなるのかもしれない。
色々推測するが、何が正解かは分からない。
「はぁ、むずかしいなぁ……」
甘えや弱さに捉えられてしまったら、それはそれで辛いな。
なんだか外した気がして、私は軽く自己嫌悪し、もう1度テーブルに突っ伏した。
「……あ、もうこんな時間?」
――と、ちょうど目に入った懐中時計の時間を見て、すぐに身を起こす。
「えー、ちょっと休憩したかったのに」
次は御膳の儀式だ。その前に、少し気を休めたかった私は、慌てて立ち上がり、いったん寝室に戻ることにした。
~その頃、秘密枢密院は……
早足に女王の私室を出たウォルシンガムは、この男にしては珍しく、目的もなく廊下を突き進んだ。
そして、突き当たりに近づいたところで歩を緩め、左手の階段を降りようとはせずに、廊下の端から睨みを利かせている騎士像の陰に隠れるように、壁に手をついた。
胸を押さえ、良くない衝動をやり過ごす。
「あの方が己の業の深さに気付く日が来るのか……」
小声で心境を吐露し、わだかまりを吐き出す。
あまり人に会いたい気分ではなかったのだが、こういう時に限って、一番会いたくない人物に出くわすものだ。
「おーいウォルシンガムー?」
「…………」
「どうした、腹でもこわしたか」
「…………」
目敏く騎士像の影のような男を見つけたレスター伯の暢気な声に、ウォルシンガムは、普段この男と接する時と同様、眉間に皺を寄せた表情で、ゆっくりと顔を上げた。
「レスター伯、市内の巡察は終わられたのですか」
「ああ、終わったから戻ってきたのだ。今から陛下にご報告に向かうところだ。あの方は今、私室におられると聞いた。貴殿の方は、今しがた報告を終えたところか?」
「…………」
ちょうど階段を上がって、女王の私室に向かうところだったらしい。タイミングが悪かった。
「どうした、心なしかフラフラとして見えるが」
「気のせいでしょう」
「そうか、気のせいか。てっきり陛下から無自覚に、胸に刺さるほどに光栄なお言葉を頂いたのかと思ったぞ」
「…………」
「あのお方の笑顔には、凄まじい威力があるからな。いっそ、その胸のときめきに殺されても俺は本望……」
いつもなら聞き流すどうでもいい自分語りが妙に刺さり、ウォルシンガムは深く息を吐いた。
「この先何十年とこの生き地獄のような苦しみを味わうのかと思うと、あなたの愚直さが誠に羨ましく感じます」
「うん? そうだろう。見習うがいいぞ」
あまり理解しないまま、自信満々に胸を張る男から視線を逸らし、ウォルシンガムは相手に聞かす気もない声量で呟いた。
「あの世ではもっと楽に過ごせればいいのですが……」
「ともあれ、ちょうどいいところにいた。ウォルシンガム、貴殿に相談があるのだが」
「……相談とは?」
この男からその言葉を聞くと嫌な予感しかしないが、ウォルシンガムは渋々聞き返した。
「陛下は相変わらず、あの男以外の者の占いに耳を傾けようとなさらないのだが……ディーが気になることを言っていたので、陛下御自身のためにも検討を願いたいのだが、何とかして話を聞いてもらうために、貴殿の知恵を借りたい」
「どのような内容ですか」
ウォルシンガムを動員してまで女王に聞かせたい占いとやらを、レスター伯は声を潜めて伝えてきた。
「すぐに、フランス公爵との婚約交渉を止めるようにと――この結婚では、女王に幸福は望めないと」
「ほぅ」
案の定というか、大した内容ではなかったのを、ウォルシンガムは短い相槌で受け止めた。
そんなものは占われなくとも、婿候補をこの目で見てきた己が一番断言できる。
「もとより、結婚しなければ良いだけの話でしょう。陛下が結婚を外交カードとしてしか考えておらず、今回の婚約話も本心では乗り気でないことは貴方もご存じのはず。今更何を――」
「それが!」
淡々と切り捨てるウォルシンガムの言葉を、レスター伯が遮った。
「陛下は、この結婚を承諾するとディーは言っている」
「は?」
「あの方が自らの意思で承諾する――承諾をせざるを得ない状況に陥ると」
それは、実に不気味な――非常に不愉快な、予言だった。
聞くだにウォルシンガムでも眉を顰める内容を、なるほど、頭から信じ込んでいるらしいレスター伯が必死になるのも無理はない。
「今ならまだ間に合う。そのような恐ろしい状況に陥るより先に、この縁談を破談にするべきだ」
「ですが――タイミングが悪い」
レスター伯の真剣な訴えを、ウォルシンガムは渋い顔で否定した。
ブロア条約の締結によって、結婚交渉を餌にフランスに近づき、スペイン包囲網を敷くという当初の思惑は達成された。
だが、裏の思惑はどうであれ、表向きは、聖ペトロの使徒座の虐殺でイングランド女王とフランス公爵の結婚の実現が遠のいたため、繋ぎとしてブロワ条約を結んだというのが現状だ。
当然、結婚交渉は緩やかにだが続いており、それを十分な理由なく一方的に断ち切ることは、ブロワ条約自体を水泡に帰す結果にもなり得た。
「今後交渉が詰まってきて、条件面で大きな対立が起これば、断る口実はいくらでも出来ます。だが、今はまだ蜜月に入ったばかりで、さしたる理由もなく一方的に断れば、向こうの体面を傷付け、聖ペトロの使徒座の虐殺で過敏になっているフランス政府は、イングランドに裏切られたと感じるでしょう」
占星術にも一定の理解があるウォルシンガムですらそう思うのだから、占いを極端に敬遠する女王が納得するとは、到底思えない。
「その話は、少し保留に――」
「長官ー! 長官ー!」
言いかけた時、階段の下から騒がしく近づいてくる呼び声に、ウォルシンガムは眉間の皺を深め、厳しい声で応えた。
「うるさいぞ、ディヴィソン」
「あっ、良かったいた! 長官!」
大きな螺旋の階段を、手すりを掴みながら最短距離で駆け上がって来た部下が、一目散に飛んでくる。
「とにかく大変なんです!」
「報告は分かるように話せ、馬鹿者」
要領を得ないディヴィソンを叱責すると、若い補佐は2、3度深呼吸をしてから口を開いた。
「あの、ドクター・バーコットがフランス宮廷を追放された、本当の理由が分かりました! 謎のドイツ人医師、レオナルド・バーコットの正体は――」
次にディヴィソンが口にした『真実』は、おおよそ最悪の部類だった。
「スペインのスパイでした!!」




