第216話 女王の箱庭
しばらく布団の中でビクビクしていたものの、いつの間にか眠ってしまっていた私は、翌朝、1人で礼拝堂に入るのが嫌なので、ウォルシンガムを早めに呼び出し、一緒に朝のお祈りを済ませて、そのまま散歩に出ることにした。
「陛下が礼拝に人を伴うとは、珍しいですね」
「い、いいでしょ別に。たまには!」
斜め後ろをついてくるウォルシンガムの細かい突っ込みを、力業で突っぱねる。
実際、お祈りの時間は、数少ない1人きりになれるチャンスなので、付き人も中にいれずにゆっくりするのが日課なのだが、あんな話を聞いた後に、礼拝堂で1人きりとか、ゆっくりするどころではない。
いつもなら軽く仮眠するレベルでダラダラするのだが、今日はウォルシンガムもいるし、心霊スポットに長居したくもないので、ちゃっちゃとお祈りだけ終わらせて礼拝堂を出た。
例の画廊を歩く時は、出来るだけ脇目を振らず、早足に通り抜けて大広間に出た。
「ふぅ……」
ほとんど息を止めてセカセカ歩き、問題の場所を通り抜けた私は、一息ついてから、ゆったりとした動作に切り替えて、大広間を進んだ。
すでにこの時間でも、広間には宮廷人達がそこかしこに集っており、情報交換やら社交にいそしみながら、女王の謁見の時間を待っていた。
私が姿を見せると、彼らは一斉に膝を折った。
「ご機嫌よう、皆さん」
とはいえ、ここで彼らに捕まる気はないので、挨拶はしながらも立ち止まる気配は見せず、彼らが道を空ける先へと進んでいく。
広間と続きになっている片隅の小部屋は、衛兵達の控えの間になっている。
彼らは女王が現れるや、小部屋から出てきて整列し、広間に警戒の目を光らせる――が、今朝は数えるほどしか控えていなかった。人手不足か?
緊張感をもった大広間を渡り、巨大なタペストリーが壁一面に掛かる縦長のホールも通り抜け、壁面から天井にかけて美しい宗教画が施された半螺旋の階段を降りるあたりで――私は、今日どこに散歩に行くか、まだ決めてなかったことに気付いた。
「この宮殿って、すごくたくさんの種類の庭園があって迷うのよねー」
「北側の庭園は全て整備が完了しており、庭師が自信を持って陛下をお迎えできると胸を張っていましたから、そちらをご覧になるのがよろしいのでは」
私の呟きに、その辺もきっちりリサーチ済だったらしいウォルシンガムから、的確な提案が返ってくる。
「んじゃあ、そこで」
勧められるままに頷き、私は北側の庭園の1つに向かうことにした。
「南の河沿いの外壁は、まだ修繕が完了しておりませんので、くれぐれもそれを利用して逃亡を企てようなどとなさらぬように」
真面目な顔で釘を差され、言い返す。
「分かってるわよ。そんなことしないし」
「そう願っています」
「むぅ」
今ひとつ信用のない返しにむくれる。
確かに、セント・ジェイムズ宮殿の老朽化につけ込んで、逃亡を企てたことはあったような気もするが。
……あの頃はまだ女王になり立てで、色々ストレスが溜まってたからなー。
……いやまぁ、今溜まってないのかと言われたら、そうでもないけど。
今でも、たまに発作的に逃亡したくなることはある。
ケアリーを巻き込んで、またロンドンにお忍び視察に行きたいなーとかも思ってるし。
まぁ今は、色々殺気立ってるみたいだから自重しておくけども。
2人で宮殿を出て、建物の外周を回る。
建物を右手に、壁沿いの小道を歩いていると、左前方に、何やら奇妙なものが見えてきた。
「何あれ、すごい」
目に飛び込んで来たのは、ゆうに二階建てくらいはある、めちゃくちゃ背の高い生け垣だ。
綺麗に四角くカットされており、ぱっと見、緑色の壁だ。青々とした空に突き出しているグリーンが眩しい。
近づいてみると、同じような生け垣が、巨大な箱のように3つ並んでいた。
「もしかしてこれ、1つ1つ違う庭になってるの?」
「そのようですね」
まるでプレゼントボックスだ。どれから開けようか迷うが、まずは1番手前に入ることにした。
「1日1個ずつしか見れないわね。どんな感じになってるのかしら」
外から中身が見えない分、期待が膨らむ。
どうやら四辺をすっぽり緑の壁で囲われているようだが、道沿いの壁面の中央がアーチ型にくり抜かれており、小さな門がついていた。
生け垣が大き過ぎるせいで、目の錯覚で小さく見えるのかと思ったのだが……目の前まで来ると、本当に小さかった。
「ちっちゃ! ウォルシンガム、頭ぶつからない?」
「屈めば済みます」
当たり前のことを答えてくる。
私でもちょっと頭を下げるくらいだから、ウォルシンガムはよっぽどちっちゃくならねばなるまい。
ウォルシンガムが入りにくそうなので、私が先に門を押して中に入った。
「わぁ、かわいいー」
目に入った光景に、思わず顔がほころんだ。
宮殿の庭園としては、それほど広い方ではないのだが、長方形に区切られた箱庭には、シンメトリーに花壇が配置され、色とりどりの季節の花が咲き誇っていた。
色ごとに固まっている場所もあって、何か模様を描いているように見える。
その配色が、これでもかというくらいカラフルで、とってもファンタスティックだ。
「絵を見てるみたいね」
緑の生け垣が額縁のようで、数段高くなっている入り口から一望すると、そんな感想が浮かんだ。
見ていて楽しくなるような、大きな1枚の絵。
短い階段を降りて庭に踏み込むと、視点が変わり、また違う景色が広がった。
色鮮やかな箱庭の世界に飛び込んでしまうと、見上げるような生け垣のせいで、自分が小さくなったような錯覚に陥る。
門を妙に小さくしたのは、そういう演出を作者が狙ってのものだろうか。
「なんか、これってアレっぽいわよね。そう、アレアレ」
「何ですか」
私が自分の連想に自分で納得していると、ウォルシンガムに突っ込まれた。
「終わりのないお茶会やシニカルな猫が似合いそうじゃない?」
「は?」
「それか、トランプの兵隊さん! 面白そうだから今度近衛隊で再現してみようかしら。クロッケー用のフラミンゴとハリネズミを用意しないと! あれ? でもそうなると私がハートの女王……?」
「陛下はご乱心ですか?」
本気で心配されそうになる。
あの傑作がこの地で誕生するのは、今から300年は先の話なのだから仕方がない。
「だいじょーぶ、こっちの話。ちょっと思い出しちゃって」
「…………」
色々連想し、ひとりでテンションが上がる。好きなんだよな-、あの話。
思い出すと、頭の中で音楽まで流れてきた。思わず踊り出したくなるが、人の目(1人だけど)を気にして、控えめにクルリと一回転するだけに留めた。
「機嫌がよろしいですね」
「そう? 景色が良いと、気分が良くなるわよね」
実際、嫌な怪談話を忘れそうになるくらいには楽しくなっていた。実現するかどうかは置いておいても、妄想がたぎる。
今度アンに、水色のドレスをプレゼントしよう。
「陛下が大層お気に召していたと、庭師の耳に届くようにしておきましょう」
「そうね、そうしてあげて」
気の利いたことを言ってくるクマさんに頷く。
「よく考えると、この国って凄いわよね。後世に残るような名作をたくさん生み出してるんだから」
「名作とは、どのような?」
「うーんと、文学作品、っていうのかしら?」
イギリスといえば、ファンタジーの本場というイメージがある。ちょっと思い出すだけでも、日本人でも知ってるような有名な物語がたくさん生まれている。
私の感想に、ウォルシンガムは淡々と異を唱えた。
「そうでしょうか。正直なところ、文学面では我が国は後進国にあると考えられます。長い間カトリック的な埋没精神によって枯れ果てていた知力を、コレットやエラスムス、そしてモアの『ユートピア』が呼び覚まし、新学問として花開かせたのは、ここ数十年の話です。それ以前のイングランドには、一群の似非詩人と年代記者、だらだらした教訓談の駄作者や、陳腐きわまるフランスロマンスの翻訳者くらいしかいなかった」
なかなかの毒舌だが、海外をよく知っているからこその客観的な意見とも言える。
実際、ウォルシンガムが名を上げた16世紀初頭の偉大な学者達の活動が、『学問の復興』と賛美されるくらい、15世紀のイングランドの文学は死んでいた。
戦争に明け暮れていたというのも、1つの大きな原因なんだろうけれども。
新学問は、イングランドの最初のルネサンスと言っていい。
そして、これから、イングランドに眠る才能が開花する。
「これからよ――そう遠くない未来に、イングランドに文学の花が咲き誇る。それも、一部の教養のある層だけではなくて、多くの国民が文学を愛し、永遠に誇りに思う作品が数多く生み出される日が来る――21世紀にいた私が知っているくらいなんだから、間違いないわ」
華やかなりし16世紀後期のイギリス・ルネサンス。
本物のシェイクスピアやマーロウの作品が、巷の劇場で、リアルタイムで上演されるなど、演劇をかじっていた人間からすれば、この上なく楽しみな未来である。
そう、そんな文学史的にも重要な時代の実現のためにも、私は進んで演劇文化を振興しているのである。
決して趣味だけのためではない。断じてない。
「…………」
「あれ? 信じてない?」
「……そういうわけではありません。貴女の言葉には確信がある」
それは信じてくれていると取っていいのか……?
微妙な言い回しに首を傾げていると、ウォルシンガムが珍しいことを言った。
「……随分と女王が板に付いてきたように思いますが、時折、貴女がこの時代の人間ではないことを思い出させられます」
「ずっと覚えといてもらっていいわよ? 私はエリザベスじゃないんだから」
「…………」
おっと。
言ってしまってから、口が滑ったかなと思った。
最近レイとそんな話をしたせいで、つい口をついて出てしまった。
頑張ってエリザベスを演じようとしているけど、天童恵梨って何なんだろうとか。
本当はそんな区別なんてつけずに、私自身も自分をエリザベスだと思い込んでしまうくらいの方が、演じなくて済むし楽なんだろうが、さすがにそれは、自分を消してしまうみたいで、ちょっと怖い。
相手の反応を伺うが、ウォルシンガムは表情こそあまり変えなかったが、何も言ってくれなかった。
「……あ。やっぱり忘れといてもいいよ。私をエリザベスだと思っといてもらってもいいし」
ウォルシンガムが答えないので、ややこしいことを言ってしまったかと思い、私は訂正した。
周りがどう思うかは、周りの勝手だ。欲を言えば、秘密枢密院にくらいは私を覚えていてもらいたいが、それで彼らが複雑な気持ちで仕えなければいけないなら、強制することではない。
私が誰かなんて、私が分かっていればいいことか。
「それは難しいお話です」
「はい?」
急速にしょぼくれた気持ちが顔に出ないように、出来るだけ軽い調子で言ってみたのだが、真顔でそんな返答をされた。
「大変申し上げにくいことではありますが、貴女と本物のエリザベス様では中身が違い過ぎる。貴女をエリザベス様だと思い込もうとすれば精神が錯乱するので、別人だと理解している方が割り切れて助かります」
申し上げにくいとか言うわりには、相変わらずハッキリと言ってくれる男である。
「何よそれ、どういう意味? そっちだって、たいしてエリザベスのこと知ってるわけじゃないんでしょー? セシルに聞いたんだからね!」
ウォルシンガムは初期にも、本物のエリザベスがどれだけ素晴らしい人物だったか滔々と述べ、新米女王の私を凹ましてくれたが、後からセシルの話で知ったかだと発覚した。
「確かに私自身、実際エリザベス様の下でお仕えしたのは僅かな期間であり、直接お言葉を賜る機会も多くはありませんでした。しかし間違いなく、本物のエリザベス様であれば、花を見て浮かれて子どものように小躍りすることも、朝から幽霊に怯えて息を止めて画廊を走り抜けることもないでしょう」
「こ、小躍りしてないし! ちょっとステップ踏んだだけだし! 走ってないし! ちょっと早歩きしただけだし!」
確かにエリザベスなら、そんなアホっぽいことはしないような気がするが、せめてもの反抗として、私は語弊がある言い回しを訂正した。
「フ、フン。分かってるならいいのよ。オンでならともかく、オフで私がどれだけエリザベスじゃない行動を取っても、文句は言わせないんだから」
「それは初めから存じ上げています」
本物のエリザベスをどれだけ上げられて、私を落とされても反論のしようがないので、開き直ることにした。
まぁでも、ちょっとだけ、ホッとした……かな。




