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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第13章 ジョン・ディーの予言編
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第210話 不協和音


 その夜、宮殿の小会議室では、秘密情報部長官、守馬頭、国王第一秘書が顔を揃えていた。


「怪文書が出回っている?」


 バーリー卿ウィリアム・セシルが聞き返すと、サー・フランシス・ウォルシンガムは、1枚の紙をテーブルに滑らせた。


「女王と現体制を非難する内容と、メアリー・スチュアートを解放しなければ女王を誘拐する、という類の強迫です」


 そこに記された内容は、確かに非常に不穏なものだったが――ありきたりといえばありきたりなものだった。


「今に始まったものではありませんが――どうにも臭う」


 これまでもそういった内容の脅迫文は度々届いていたが、大半はイタズラか狂言で、そもそも、常に安全を守られている女王を拐かすということ自体が、一個人には不可能に近い計画だった。


 だが、この男――秘密情報部長官サー・フランシス・ウォルシンガムは、何か不穏なものを感じ取っているらしい。


「この怪文書が流れ始めたのと同時期に、イエズス会の下部組織が活動を活発化させています」


 下部組織と言っても、イエズス会士に影響を受けた者たちの寄り合い程度のものだ。


 新女王の制定した礼拝統一法に違反する非国教徒であるという点で、取り締まりの対象にはなるのだが、メアリー女王の狭窄的な異教徒弾圧の記憶も生々しく残る今、寛容を信条とする新女王の治世では、目こぼしを受けているというのが現状だ。


 とはいえ、その存在自体は、プロテスタント的信条を持つセシルも、ウォルシンガムも、歓迎はしていなかった。


「これらの地下組織は、信条を共有する同地域の寄り合い程度の規模で、個々の活動に国家体制を覆すほどの脅威はありませんが、彼らを洗脳するイエズス会士らには横の繋がりがある。彼らを背後で統率し、陰謀を企てる者があれば、決して侮れるものではなくなる」


 普段断絶されているいくつかの小規模な集団が、連携するように同時期に行動を起こし始めた変化を察知し、この男は警戒心を強めているようだった。


 秘密情報部長官の報告を聞いていると、レスター伯が珍しく深刻な顔で口を挟んだ。


「その話を聞いて、ますます確信を深めたのだが、実は、陛下にご忠告申し上げていることがあるのだ」

「それは?」

「ディーが、陛下の身に危険が迫っていると予言してきた」

「ディーが?」


 その話を、セシルは女王と共に夕方に聞いたが、夜遅くになって宮廷に姿を見せたウォルシンガムには初耳のものだった。


「この度の宮廷の移動を中止するように、とのことだ」

「…………」


 短い沈黙が落ちた。


 ジョン・ディーはロバートが後援し、また師事している占星術師であり、エドワード6世の頃から、宮廷占星術師として活動していた。


 先のエリザベス女王もまた、戴冠式の日取りをジョン・ディーに占わせるなどして重用する素振りを見せていたが、今の女王に代わり、寵を外れた。


「そして、陛下はどのように?」

「あまり良い顔はされなかった」

「そうでしょうね」


 肩を落として質問に答えたレスター伯に、ウォルシンガムが淡々と頷く。


「陛下はそもそも占星術をあてにされることが少なく、その話を聞いたからといって、今回の移動自体を取りやめることはないでしょう。ただでさえ半年以上、宮廷の移動が延期しており、潔癖なあのお方が、これ以上同じ場所に留まることを望まれるとは思えない」


 ウォルシンガムの勘とジョン・ディーの占いが重なったことを考えると、不安は拭えなかったが、彼の言う通り、今回の宮廷移動に対する女王の意思は固いという見方には、セシルも同意見だった。


「だがあのお方は、バーコットという占い師の予言には信頼をおいている。1度あの男にも占わせてみればどうか?」


 ロバートの提案に、ウォルシンガムが低い声で異議を唱えた。


「……あまりあの男に、余計な情報を与えるのはいかがなものかと」

「ウォルシンガム。レオナルド・バーコットについて、何か分かったのですか?」

「いえ、まだ……」


 セシルの問いかけに、男は1度目を伏せた。珍しく、憶測で話すことに躊躇いがあるような仕草だった。


「――だが、どうも、あの男は嘘をついていそうだ」

「……!」


 躊躇を乗り越え、ウォルシンガムが口にしたセリフに、ロバートが目を見開く。 


「陛下は、バーコットは現フランス国王の早世を占ったことでカトリーヌの不興を買い、無実の罪を着せられ宮廷を追放されたと聞いたのでしょう」

「そのように仰っていましたが」


 セシルが肯定すると、ウォルシンガムも顎鬚を撫でて頷いた。


「それについては、私もフランス宮廷で耳にした噂話に合致しています。だが……あのカトリーヌ・ド・メディシスを間近で見てきて、私にはあの女が、その程度のことで取り乱すだろうか、という疑問があります」


 そう口にしたウォルシンガムに、セシルは彼がためらった理由に納得した。

 情報に齟齬があれば疑うのは簡単だ。だが、『違和感』というのは、判断に悩む部分がある。

 しかしそれもまた、決して無視してはいけない重要な『情報』ではあった。


 小さな違和感を口にしたウォルシンガムに、レスター伯が意見した。


「カトリーヌ・ド・メディシスについては、俺もよくは知らないが、実の息子である現国王が早死にすると言われれば、母であれば酷く悲嘆し、不快に思ってもおかしくはないだろう。特に女性は、思うような結果が出なければヒステリーを起こし、占い師を責め立てるという行動がよくある」

「…………」


 ウォルシンガムは答えなかったが、沈黙には冷めた否定があった。


 客観的に聞く分には、今回ばかりはレスター伯の主張に説得力があるように思えたが、カトリーヌ・ド・メディシスという女傑を知るウォルシンガムの中には、言葉にしがたい違和感が存在するらしい。


「ウォルシンガム、陛下には……」

「あの方にお話しするには、何もかも足りていない。この程度の違和感で疑いを持ち込めば、愚かな男の嫉妬と取られかねない」

「そんなことはないと思いますが……」


 こちらが問うよりも先に、早口に言い切った男に、セシルは苦笑した。


 彼女に限って言えば、そういう風にとってもらう方が難しいように思うが、意識しすぎる程度には、この男も若いらしい。


 レスター伯のような、前科が山のようにある男ならばともかく、ウォルシンガムの嗅覚には女王も一目置いているため、一考の余地はあるだろう。

 

 だが、疑うことには慣れた男が、バーコットへの疑いを口にするのに躊躇ったのは、私情が先立っているという自覚があるからか。


 セシルはウォルシンガムの意志を優先し、同調した。


「確かに、陛下はドクター・バーコットを全面的に信頼しているようですので、いらぬ軋轢を生まぬ為には、あの男を疑うだけの十分な根拠を示すことが必要でしょうね」

「俺も、ディーに聞いてみよう。あの男が陛下を騙しているのならば、すぐにでも引き離さねばならない」


 ウォルシンガムの話に、むくむくと疑念が湧いてきたらしいレスター伯が、使命感に駆られた様子で眉を上げる。

 だが、そんな単純な男に、ウォルシンガムが釘を刺した。


「レスター伯、ディーがどのような回答を貴方に与えたとしても、それを女王に奏上するのは控えていただきたい。あの方を説得するにたる確証が掴めれば、すぐに閣下にもお伝えしましょう」

「頼むぞ、すぐに一目散に教えてくれ」


 レスター伯が占いの結果を理由に女王に疑いを持ち込んだところで、逆効果になることは目に見えていた。

 余計なことをするなという忠告だったが、都合良く最後の台詞にだけ反応した男が、どこまで理解したかは不安が残る。


「何にせよ、不確定な情報で、あのお方を煩わせるのは本意ではありません。いずれ、真実は明るみに出るでしょう」

「――必ず」


 柔らかくまとめたセシルに、ウォルシンガムが短い言葉で断言する。

 狙った獲物は逃さぬ、鷹のような眼をした男の決意を察し、セシルは苦笑した。


「全く……番犬が優秀すぎて、彼女が気の毒になりますね」

「何か?」

「いいえ、何も」


 睨んできた後輩に、おっとりと微笑み返す。


 セシルは常に、第一に彼女の幸せを望む者であろうと心がけていたが――時折、思うことがあった。


 結局のところ、彼女が幸福になれない理由は、自分たちにあるのかもしれない、と。






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