第209話 いざ、ロンドン塔へ
「次の宮廷がロンドン塔に決まったわ。移動は1ヶ月後。正直、ロンドン塔なのは気が重いけど、移動はしたいから早く準備始めなくちゃー」
やや強引に宮廷移動を決定した私は、寝室の机に再び地図を広げ、ペンを握っていた。
「で、今書いてるのは?」
「移動のルート決め」
やっぱり今日も部屋に遊びに来ていたレイが聞いてくる。暇なのか。
宮廷の移動は1000人規模の大移動になり、半分パレードのような大々的なものになる。
「事前に3通りくらい用意しておいて、直前で私が気まぐれで道を変えた振りをして街を回るの。毎回やってるんだけど、どれを選ぶかは、その時決める感じ」
襲撃とかテロ行為とか、場所を絞って物騒な計画を事前に練られないための防衛策だ。
「出来た。こんな感じかな」
筆をおいた私に、レイが後ろから身を乗り出し、興味深そうに地図を覗き込んできた。
「ふーん……随分遠回りするんだな」
「市内の巡察も兼ねてるの。市民も喜ぶし」
「支持率維持するのも大変だな」
「そうそう」
この時代には投票権もなければ支持率もないが、国民の人気というのは、肌で分かるものだ。
「いつもやってることなんだけど、今回はロバートが変なこと言ってきたから、余計気を遣うっていうか……」
「変なこと?」
「ディーがね、この時期は不吉だから移動は取りやめるように言ってるんだって」
「ジョン・ディー?」
「レイ、知ってるの?」
「ああ……俺もオカルト系は詳しくないが、確か、エリザベス1世が重用した占星術師だな」
「そうなんだ」
私には占星術師を重用するという考え自体が、まずなかった。
去年の10月に私が、表向きには占星術師――つまりレイの予言に従って、公の場から身を隠したことによって、他の占星術師たちも王の寵にあずかろうと、わんさか寄ってくるようになったが、ことごとくあしらっていた。
「でも、そんなこと言ってらんないのよね。あんまり長い間、これだけ大勢の人間で使ってると、どうしても汚れてくるし。暖かくなってくると、ばい菌や虫も元気になるし……その前に、新しい場所に引っ越さないと」
「確かに、そっちのがよっぽど大事だな。こんなところで食中毒とか、洒落になんねーし」
「でしょ?」
さすが、レイは話が分かる。
「……ところで、レイは最近どうしてるの?」
「どうって?」
昼間のレイの行動は知らないが、ここのところ、夕方になると私の部屋で暇そうにしているのが気にかかり、私はさりげない流れを装って聞いてみた。
「そのー……論文とか、ほら、進んでるのかなーって」
以前、免疫法の論文に着手したいとは言っていたが、その後どうなっているかは聞こえてこない。
「あー……」
気を遣いつつ聞いてみたところ、曖昧な返事が返ってきた。
うん。進んでないな、これは。
なんだか最近、元気がないというか、やる気ないというか、全体的にくさくさしてる感じが滲み出ていたのだが、案の定……
「やりたいことがあるなら、言ってくれたら協力するわよ?」
何が彼を足踏みさせているのかは分からないが、ちょっとやる気を促してみようと話を振ってみる。
「今年に入ってから、ちょいちょい下町にも出かけてるじゃない。町の人たちは元気? 患者さん達の診察は不便してない?」
「まぁ、そっちの方はボチボチ……不便なことは山ほどあるが、言っても仕方がない部分がほとんどんだしな」
こちらの方は、微妙に前向きな返答があった。一応は何とかなっているらしい。
「…………」
「…………」
だが、それ以上は話が続かず、会話が途切れてしまった。
うーむ……
レイの能力に期待しているというのもあるのだが、最近はそれ以上に、レイに対する周囲の目が気になっている。
特に、秘密を共有する秘密枢密院の面々と、なかなか信頼関係を築けていない状態が続いているのは、ちょっと心配だった。
「別に、免疫法の論文に限らなくても、多分、この時代にレイにしかできないことっていっぱいあると思うの」
私の、レイに対する扱いが甘いと思われている自覚もあったため、まずはアドバイスという形で、状況の改善を図ってみる。
「そういう部分で実績を作れば、周りも、もっとレイのことを認めてくれるんじゃないかしら」
レイが本来の能力を発揮して、結果を出せば、宮廷内での居場所もでき、秘密枢密院にも信用もしてもらえるだろう――というつもりでの進言だったのだが、それを聞いたレイは露骨に顔をしかめた。
「めんどくせぇ。なんで俺があいつらに媚びなきゃなんねぇんだよ」
なんだかいきなり喧嘩腰だ。
「別に媚びろなんて……実力を見せて認められたら、その方がいいでしょうって言ってるだけじゃない」
困惑しつつも言葉を重ねると、レイは一気に不機嫌になった。
「あいつらに認められて、お前を女王と崇める一団の仲間に入れってのか?」
「そんなこと……」
レイはレイなのだから、そんなことを強制するつもりはない。
「俺はお前の家臣じゃないし、お前が女王だとか、はっきり言ってどうでもいい」
「…………」
「俺はあいつらとは違う」
突っぱねられ、私はかろうじて溜息を抑えた。
レイの言いたいことは、分かる。
レイは私の臣下ではないし、私とて、レイに女王として扱ってほしいわけではないのだが……立場上、周りがそれを許さないということも分かっていた。
些細なことなはずなのに、なんでこんなに難しいんだろうか。
最近、こういうレイとの関係に、どう線引きをすればいいのか、悩んでいる部分はあった。
「陛下、おそれいります。アンでございます。今、ドクター・バーコットとお話をしてもよろしいでしょうか?」
空気の悪い沈黙が落ちかけたところで、扉の向こうからノックが聞こえ、幼いがしっかりした声が聞こえてきた。
今日は非番のアンが、レイを探しに来たらしい。
「いいわよ、入っていらっしゃい」
正直助かった気持ちで、私はアンを迎え入れた。
「失礼いたします。陛下。おじゃまでしたでしょうか?」
「全然構わないわ。アン、今日はおやすみでしょう、レイを探しにきたの?」
「はい」
「どうした?」
きっちり礼をとって入室したアンに、レイがぞんざいに声をかける。
すると、アンがぱっと顔を明るくし、跳ねるようにして手にした数枚の紙を掲げて見せた。
「レイ! 見て、解けたの! るしふるあんでしふらぶる!」
ん? なんだって??
興奮して早口だった上に、明らかに英語ではなかったので、何と言ったかよく聞き取れなかった。
だが、レイには通じたようで、
「マジか! おまえ天才だなっ!」
彼の方まで目を輝かせ、大股に近づいて少女の手から紙束を取り上げた。
その場にしゃがみ込み、空いた方の手でアンの頭をわしゃわしゃ撫でながら、答案に目を通す。
紙面から目を離さないまま、レイは感心したような息を吐いた。
「おー……そうそう、合ってる合ってる」
「すっっごくむずかしかった!」
「そりゃそうだろ、解けただけでもやべぇって。正直、マジでやるとは思ってなかった。すごいぞ」
「えへへ……」
率直に褒められ、得意げに照れ笑いをするアンが可愛い。
一体何を教えているのか知らないが、レイの反応からすると、相当高レベルの難問を解いてしまったらしい。東大の入試問題レベルとか?
「よし、もうちょっと長いの挑戦するか?」
「やる!」
「おーしおしおし」
威勢良く応えたアンの金髪をぐしゃぐしゃにするレイ。犬じゃないんだから。
このアンのやる気の半分でも、レイに分けてあげられたらいいのに。
「エリ、ちょっとコイツの勉強見てくるわ」
「あ……うん。いってらっしゃい」
「こいつ、天才だぞ。間違いない」
親バカならぬ家庭教師バカなドヤ顔で断言するレイは、すっかり機嫌を直したらしい。
アンを連れて退室したレイの背中が扉の向こうに消えるのを待ち、私は深く息を吐いて、椅子の背にもたれた。
アン、ぐっじょぶ。
結局、説得はならなかったものの、悪い空気をアンが吹き飛ばしてくれたことに感謝する。子どもって偉大だ。
妙な気疲れを起こした私は、移動ルートを記入した地図を鍵付きの引き出しにしまい込み、本日の業務を終了した。




