第208話 おばけと占い
「やっぱり、こっちかこっちしかないわよね……」
寝室の机に向かい、肘を突いてロンドン周辺の地図を眺めていると、暇そうにフランシスを猫じゃらしでじゃらしていたレイが、後ろから覗き込んできた。
「何やってんだ、溜息ついて」
「そろそろ、宮廷を移動させなきゃいけなくって、どこか良いところないかなって探してたんだけど」
エリザベスは、ヘンリー8世から受け継いだ城を国内に多く持っているが、実際、利便性を考えると、宮廷として使用できるのは、ロンドン近郊にあるいくつかに限られる。
わざわざ城を新しく作るなどという無駄遣いは、私の選択肢にはないので、今ある手持ちから選ぶことになるのだが、老朽化が進んでいたものを修繕したり、改装や清掃に注文をつけているうちに、気が付けば結構手駒が減っていた。
「候補は?」
「……一応、第一候補はロンドン塔」
「ふーん、まあいいんじゃねーの。便利だし」
「確かに、立地的には便利なんだけど……」
「気が進まなそうだな」
ロンドンの中心にあるロンドン塔には、戴冠式の前日に1日だけ泊まったことがあるが、ここには古くから王立の動物園があり、夜になると動物の鳴き声が煩く、独特の不気味な空気と相まってものすごく怖かった。
元々要塞であるだけに、安全面でも言うことないのは分かっているが、とても快適な宮廷ライフが送れそうな気がしない。
「イメージが悪いじゃない。今でも心霊スポットっぽい噂をちらほら聞くし」
「ははぁ」
後ろから、悟ったような嫌な息づかいが聞こえた。
「怖いのか」
「う……っ」
ああそうさ怖いとも。
「……1483年4月、父王の崩御を受け12歳で王位を継いだエドワード5世が、戴冠式の直前、王位を狙う叔父リチャードによって、弟ヨーク公と共にロンドン塔に幽閉された……6月、リチャードの即位と同時期、2人の王子は行方不明となって、永遠に消えてしまった――人々は、王位に目の眩んだ叔父に殺されたのだろうと噂し、ロンドン塔では今も、幼い2人の少年の霊が、夜な夜な塔を徘徊し、すすり泣く声が聞こえるという……」
「だーっ、やめーいっ!!」
それ知ってるけど聞かすな!
怪談調におどろおどろしく耳元で語ってくるレイを振り払う。
いじわるかっ!
16世紀現在も、進行形で王の居住区と政治犯の牢獄、有事の際の要塞を兼ねているロンドン塔は、今レイが語ったような、薄気味の悪い幽霊話で溢れている。
私は、夜中にテレビをつけていて、不意打ちでホラー映画の番宣が流れただけでトイレに行くのが怖くなるほど、心霊系はきらいなのだ。
あんまりこういう弱点を人に知られるのは好きじゃないのだが、今のでレイには一発でバレた。
「ならやめとけば」
私が迷いつつもロンドン塔を第一候補にしていたのは、色々理由があるのだが、レイは「嫌ならやめとけば」とあっさりしたものだ。
「もう1個の候補が、ハンプトン・コート宮殿なんだけど……」
「ハンプトン・コート宮殿? あそこも確か出るとかって話だろ」
「何それ知らない。言うな。絶対言うなよ?」
いらん知識持ちのレイがいらんことを吹き込もうとしてくるのを、私は耳を塞いで拒否した。
「ハンプトン・コート宮殿は、私が初めてこっちの世界で目覚めた時にいた場所だし、しばらく住んでたけど何もなかったもの。大丈夫よ」
耳を塞いだまま大きい声で断言する。レイが何か言ったような気がするが聞こえなかった。
「でも、そっちが第2候補なのには、何か理由があるんだろう?」
耳から手を離すと、レイの鋭い指摘が届いた。その通りだ。
「実はまだ修繕中なのよね……結構老朽化が進んでて、大規模な改修工事をしてたの。今はもう、住むには問題ないんだけど、まだ庭と外壁の一部が終わってなくて。安全性の方が心配だって、絶対文句言う奴出てくるだろうなーって」
「あー、なるほどな。安全性を考えたら、ロンドン塔に軍配が上がるか」
「そういうこと」
完全に他人事なレイも、ようやく私の悩みを理解したらしい。
「で? どうするんだ?」
やっぱり他人事なのは変わらないが。
「うーん……でも、一応、行ける範囲の宮殿は一通り回っておきたいっていうのもあるのよね……」
他に選択肢がないというのもあるが、もう1つ、悩んでいる理由を口にする。
「遠くてなかなか行けないようなところはともかく、膝元のロンドンで、自分の所有物件をよく把握してないって言うのも、どうかと思うし」
「相変わらず変に真面目だよな」
オバケが怖いという個人的な弱味だけで、利便性にも防衛力にも優れている砦を利用しないというのは、トップの判断としてどうなんだろうという気負いもある。
……やっぱり、ここはもう腹をくくって、ロンドン塔に宮廷を移すしかないか。
こうやって人に相談すると、私情を優先する訳にはいかない気になるのだから不思議だ。
「それに……」
「それに?」
ふと思いついたもう1つの理由を、私は口には出さずに飲み込んだ。
トマスもいるし。
今もなお、ノーフォーク公トマス・ハワードは、ロンドン塔のビーチャム・タワーに軟禁されている。
同じ敷地内だし、会えないかなー、なんて期待もうっすらあった。
親戚でもあるわけだし、ちょっとくらい面会してもいいじゃないかと思うのだが、どうも王様が罪人の元に赴くのは、恩赦の意味があるらしく、許して貰えていない。
面倒な立場である。
そんなわけで、次の宮廷はロンドン塔で話を進めることにした。
……嫌だけど。
※※※
「急に呼び出してごめんなさい。2人に、相談しておきたいことがあって」
翌日、私は仕事終わりに、セシルとロバートを私室に呼んだ。
「そろそろ、次に宮廷を移す場所を決めたいと思うの」
2人も忙しいだろうし、私も言いたいことは決まっていたので、単刀直入に用件を切り出した。
ちなみに、今日はウォルシンガムは出廷していない。色々、秘密情報部の方でやることがあるらしい。
「……と言っても、選べるほど、もう残ってないんだけど」
「そうですね。現在、移住が可能な居城で残っているのは、ロンドン塔とハンプトン・コート宮殿くらいでしょうか」
セシルが頷き、昨夜の私と同じ選択肢を出してくる。
やっぱりそうなるか。
「……しかしながら、ハンプトン・コート宮殿は、居住区の改装は終わっていますが、まだ外壁と庭園の一部が残っています」
ロバートが補足する。その言葉に私も頷き、昨日出した結論を伝えた。
「ええ、安全性の面で不安があるのは分かってるわ。そういう意味では、ロンドン塔がいいと思うのだけど」
「賢明なご判断ですが、よろしいのですか?」
「何が? セシル」
「陛下は以前から、ロンドン塔に移るのを好まれなかったように思いますので」
「う……」
さすがセシル。弱音を吐いた覚えはないが、よく気付いている。
「し、仕方がないわよ。そうも言ってられないし」
「……では、次の宮廷はロンドン塔に決定、ということで」
虚勢を張って言い返すと、セシルはアッサリ頷き、話をまとめた。
だが、その隣に立っていたロバートは浮かない顔だ。
「ここには大分長居しちゃったから、出来るだけ早く移りたいと思うのだけど……1ヶ月で準備できるかしら」
「早急に取りかかりましょう」
「よろしく、セシル。宮内長官と王室家政長官への指示は任せるわね。私も、今夜中に移動ルート案を決めます。明日の朝には渡せると思うから、ロバートはいつも通り、セント・ローと相談してルートの安全の確保を……」
「陛下――恐れながら申し上げますが、今回の宮廷の移動は取りやめになさって下さい」
「はい?」
まとまりかけていた話を、いきなりひっくり返すロバートに、私は目を丸くした。
珍しく、ずっと浮かない様子で話を聞いているな、とは思っていたが、真剣な顔で何を言い出すやら。
「いやよ。もう我慢できないもん」
だが、到底聞ける提案ではないので、私は断った。
「もう半年以上、同じところにいるんだから。これから暑くなるし、一刻も早く移動したいくらい。だいたい、なんでいきなりそんなことを言い出すの?」
「……ジョン・ディーが、陛下の身に危険が迫っていると予言しています。外出などは極力控えるべきだとも」
「ジョン・ディーがねぇ……」
断言してくるロバートに、私は曖昧に呟いた。
ジョン・ディーは、ロバートがパトロンになっている宮廷占星師だ。
占星術、と言われてもいまいちピンと来ないが――私が占いと聞いて思い出すのは、昔1度だけ、女子力の高い友人に、よく当たるという占い屋に連れて行かれた時のことだ。
完全に冷やかしというか、興味本位だったのだが、開口一番に、「あなた、この1年の間に好きな人いたでしょ!」とズバッと断言された。
思い当たる節は全くなかったものの、あまりに自信満々に言われたものだから、「……いたっけ?」と逆に30秒くらい真剣に悩んでしまった。
私自身、特に他人に相談したいような悩み事があったわけでもなく、基本的に自分でズバズバものを決めてしまう人間なので、助言のしようもなかったのか、30分の占いは20分に短縮され、どっちらけな感じで終わった。
向こうからすれば嫌な客だっただろうが、占い師がどうやって人に信じさせるのか、という話術を観察する分には、なかなか興味深い経験だった。
なんとなく理解したのは、要するに、ハッタリと確率だ。
占いに来るということは、大抵は悩みや相談事がある人間で、年頃の女性が占いに頼るということは、八割方、恋愛相談だろう。
第一声のインパクトで相手を自分の土俵に引き込むというのは、私も演説などでよく使う手法だが、最初に当てやすい内容で相手を信じさせるというのは、なかなか有効な手と思われる。
実際、友人も開口一番に悩みを当てられ、信じる方に傾いたらしいし。
後は、相手の反応を伺いつつ、彼氏のいそうな子には「彼氏と上手くいってないの?」いなさそうな子には「片思いしてる?」などとカマをかけていけば、多分半分以上の確率で当たる。この場合、必要になるのは人間観察力か。
もちろん占いというのも、太古から続いている分野なのだから、何かしら作法というか、それらしい体系みたいなものがあったりなかったりするのだろうが、最終的にその結果をどういう風に解釈し、相手に伝えるかは、大いに占い師の主観に左右されるはずだ。
そんなこともあり、私は占いには懐疑的な方なのだが、この時代はオカルトも錬金術と同様、真剣に研究されている分野である。
高名な占星術師は、国政を左右する各国の宮廷でも、一定の評価と信頼を得ていることが多い。
ロバートもジョン・ディーを師事していて、自らも占星術を学んでいるというのだから相当な入れ込みようだが、宮廷の移動は、私のワガママだけでなく、約1500人が住む居住環境に関わってくる問題だ。
根拠が占いでは、簡単に「じゃあ辞めましょう」とは言えない。
「ジョン・ディーがそう言ってるっていうのは分かったけど……とにかく、移動を取りやめるっていう意見は聞けないわ。私の身が危険なのは割といつものことだし、そんなこと言ってたら、どこにも行けないじゃない」
「ですが、この時期の移動は非常に不吉だと……」
ロバートが、意外にしつこく食い下がる。
「それなら、より厳重な警備をよろしくね、守馬頭さん」
「陛下……!」
しつこいロバートの声を背中に聞きながら、私は侍女達を引き連れ、奥の寝室に引っ込んだ。
さて、寝る前にもう一仕事っと。




