第206話 新体制スタート
1563年、春。
サー・フランシス・ウォルシンガムを外務大臣に任命し、新体制での内閣がスタートした。
この人事で私がまず狙ったのは、主席国務大臣兼国王第一秘書――つまりセシルの、裁量と責任の分割だ。
ヘンリー8世の時代、イングランド絶対王政を確立した宰相トマス・クロムウェルは、それまで王の補佐的な立場であった国王第一秘書を、全ての権力が一手に集中する役職に作り替えていた。
広汎すぎる第一秘書の職務は、いくらセシルが万能と言っても負担は大きく、強引な構造改革の時代が過ぎ去った今、権力を1人の人間に集中させる必要性がなくなったと、私は判断した。
同じく庶民出身で、セシルとも連携が取れるウォルシンガムが大臣の地位に就き、枢密院入りすれば、多少なりともセシルに集中していた嫉妬が分散し、動きやすくなるだろうという思惑もあった。
「新しい仕事場はどう? クマさん。何か不便はない?」
「特には。部屋の位置と広さが変わった程度のものです」
朝露に濡れた青葉が広がる、グリニッジ宮殿の庭園。
爽やかな空気を無視した素っ気ない返事は、もちろん新任の外務大臣様だ。
役職が上がって、新たに与えた執務室の使い心地は、可もなく不可もなくらしい。
「あっそ」
可愛げのない返答に、私も可愛げのない相槌を打つ。
ウォルシンガムの帰国後、肩書きが変わっても、朝の散歩にこの男がついてくるのは変わっていない。
ただ最近は、秘密情報部の方の仕事が立て込んでいるとかで、宮廷に出仕しない日もあり、そういう時は、ハットンが代わりにやってくることが多い。
並んでいると見た目がチグハグ過ぎて違和感のある2人だが、委員会で一緒だったり、ウォルシンガムの後釜でハットンが女王補佐官についたりと、何かと仕事面で関わりのある彼らは、意外に連携が取れているようだ。
今回、新たに外交を専門に扱う国務大臣――外務大臣の地位を作り、ウォルシンガムを据えたのだが、本人の言い草は可愛げがなさ過ぎるにしても、実際のところ、実務の面ではセシルの右腕・私の補佐として、これまでも近い仕事はこなしていた。
そういう意味では、彼のこれまでの役割がオフィシャルになったと言った方が正しいかもしれない。
庭師が丹精込めた美しい作品群を眺め、ゆっくりと庭園の小道を歩いていると、ウォルシンガムが話題を続けてきた。
「職務内容自体は、主にはこれまで携わってきた仕事を拡張した程度のものなので、特に不慣れなところはありません。問題があるとすれば、秘密情報部の人員不足の方が深刻です」
「人手不足なの?」
「ええ。誰彼構わず雇える仕事ではありませんし、見誤れば命取りになることもある。私も、フランス滞在中は国外のエージェントのスカウティングを続けていましたが、私の不在中に、逆に国内が手薄になっています」
「ディヴィソン君に、スカウトもさせておけば良かったのに……」
「あの男には無理です。人が良過ぎる」
一刀両断された。どんまい、ディヴィソン君。
秘密情報部は、ウォルシンガムが外務大臣に就任後も、国王第一秘書直下の組織として継続していた。
つまり、秘密情報部長官を兼務しているウォルシンガムは、この役職としては、セシルの直属の部下ということになる。
女王直下、外務大臣付きの組織にしてしまうことも考えたが、国内外に跨がった機関であるため、両方の責任者の管轄に置いた方が、情報を共有する必然性が出来てよかろうというのが、主な理由だ。
もう1つの動機としては、セシルがこれまで通り、ウォルシンガムの上司として目をかけてやってくれている方が、何かと安心出来る、というのもあった。
ウォルシンガムを信用していないわけではないが、先の虐殺が、彼の心に与えた影響も心配だった。
「そういえば。クマさん、今日が枢密院会議への初参加よね」
「…………はい」
枢密院顧問官の一員として国政に参加するというのは、さすがのウォルシンガムにとっても、これまでに経験のない仕事となる。
かなりの沈黙の後、低い返事があって、私は訝しんだ。
「なに、何でそんなにテンション低いの。緊張してる?」
「そういうわけではありませんが……」
テンションの高いウォルシンガムなど、まず見たことがないが、枢密院といえば国王の最高顧問機関だ。
気負い過ぎるというのもこの男らしくないし、もう少し気合いが入っていそうなものだと思ったが。
男は、相変わらず心情の読めない、淡々としたテンションで、私の質問に答えた。
「私を枢密院の一員に任じられたことについては、陛下にも深いお考えのあってのものかとは存じますが、正直、意外な思いがしています」
「え、嫌だった?」
聞くと、目だけで返された。いまいちどういう意味か汲み取れない。
抜擢した本人に今更疑問を呈されるとは、こっちが意外だ。
「畏れ多くはありますが、外務大臣の職務は、私のこれまでの職責を公にし、第一秘書の重責を分割するという点では、陛下が以前よりバーリー卿の負担を案じられておられましたので、十分に御意に叶ったものかと理解しております。しかしながら、自分で言うのもなんですが、度々貴女の方針に反対し、命令違反までも犯した人間を、枢密顧問官に任じるのは、貴女自身を煩わせる種になるのではと」
確かに自分で言うことではないが、ウォルシンガムも、己が反抗的なことは十分に理解しているらしい。
ここまで客観的に自己分析をされると返す言葉もないが、彼の言っていることは、確かに、私やセシルがこの人事に抱いていた懸念の1つではあった。
その手段や手法に関しては合理的なのだが、結果に対しては、妥協を許さぬ理想主義な面がある――というのが、政治家としてのウォルシンガムの、私の見立てだ。
そのあたりは、理想よりもリスクヘッジを取り、出来るだけ調整によって解決を図りたがるセシルとは、大きく違う点だった。
ちなみに私も、元日本人なので妥協とリスクヘッジが好きだ。
「聞くところによれば、現状の枢密院はお二方に手のひらで転がされているも同然とのこと。最高諮問機関のあるべき姿とは言い難いかもしれませんが、陛下とバーリー卿が国政を営むにあたって、現状を好ましいとお考えであれば、私の存在は波紋にしかなり得ないのではないかと危惧しています」
手のひらで転がすと言うと語弊があるというか、そんなに楽なもんじゃないと言いたいところだが……内情を言えば、今の枢密院会議は、私とセシルで大筋を決めた上で議題に載せ、当然予想される反論にも全て回答を用意して、最終的に丸め込むための場だ。
その上で、具体的な施策を話し合って実行させる場でもあるので、無意味というわけではないが――諮問機関というよりは、実行委員といった方が近いか。
ウォルシンガムが政権に躍り出た場合、唯々諾々と従う実行委員には収まらないが大丈夫か、という心配らしい。
その危惧を、聞かれたとはいえ正直に上司に申告するあたり、律儀なのか不遜なのか判断が難しいところだ。
しかも、危惧しつつもそうならないように気を付ける、という風にはならないらしい。さすがブレない。
……ブレない男も、ここまで来ると人によっては扱いにくいだろうなー、とも思うが、扱いにくさを補って余りある能力を持っているのは確かなので、このブレなさを分かりやすさと捉えて、扱い方を考慮していくというのがいいのではなかろうか、というのが、私なりに考えて出した結論である。
使える人材は使わないと、もったいないオバケが出るからね!
それに、ウォルシンガムを横に置いて仕事をしていた時に気付いたのだが、この男の言葉は、たまに過激だったり、やたらに反カトリック的だったりもするのだが、私とは全く違う視点を持っている分、そういう考え方もあるのだと視野が拓けることもあった。
「例え耳が痛い内容でも、それも1つの貴重な意見よ。あらゆる意見に耳を傾け、その上で私が正しいと思ったことを選択する。それが私の仕事でしょう」
「素晴らしいお考えです」
本当に誉められているのか嫌味なのか判断のつかない平坦な賛辞の後、ウォルシンガムの目が鋭く光った。……ような気がした。
「ならば――お覚悟を」
こやつ、何を仕掛けてくるつもりだ……!?
何だか嫌な予感がしたが、今更引くわけにもいかない。
その日から、私とまっくろくろひげの戦いが始まるのである――




