第203話 趣味が悪い!
任務を終え、帰還した外交官を、私は謁見の間で迎え入れた。
「良くやってくれました、サー・フランシス。この度の貴方の働きが、我が国にもたらしたものは大きい」
玉座の前で膝をつき、帰国の挨拶を述べた男に、私は1段高い位置から、ねぎらいの言葉をかけた。
婚約という代償を伴わぬフランスとの同盟締結は、多くの結婚反対派だった枢密院委員からも快挙として受け取られ、ノーサンプトン侯爵などは、「もうホモ公爵に用はない。このまま、女王の得意の優柔不断で自然消滅させてくれれば言うことはない」などと、思いっきり本音で口を滑らせていた。
実際、私もそれは狙っているところだったが、当初は私の先延ばし戦法に苛ついていた委員達も、随分と慣らされたものである。
そんなウォルシンガムの功績は称えるべきものだったが、命令を拒否して危険な場所に留まったことまで、手放しで誉めることは出来ない。
「でも、もう会えなくなってしまうのではないかと、心配しました」
「……祖国のため、陛下の為に命を落とすのならば本望です」
そう言うと思ったが、私は断固とした口調で返した。
「私が許しません。貴方は生きて、私の国を支えるのです」
平気で国と王の為に命を捨てかねない男だから、そう命じることが一番、この男には効果があるように思えた。
「二度と、私の命令に背くことも、独断で命を軽んじる行動に出ることも許しません」
「……御意」
厳かに言い放った私に、男が表情を変えることはなかったが、静かな声で応じ、重々しく続けた。
「この度、パリで発生した恐るべき虐殺は、到底、信仰の対立という大義だけでは、説明出来得るものではありません。度重なる飢饉や貧困、政府の重税と浪費に対する鬱憤が極限まで達した結果、はけ口を求めた市民の悪感情が、この機に弱い者へと向かったという面も否めない」
非現実的な大虐殺へのウォルシンガムの冷静な分析は、決してそれが他人事ではない国民感情に根差していることを指摘していた。
先の虐殺とその後の政府の対応に、ウォルシンガムがフランス政府に対して怒りや失望を感じていないわけがないのに、彼自身のプロテスタント的情熱を押し込め、政治に徹した理性は、賞賛に値するものだろう。
それだけに、表には見せない心の傷の程が推し測れず、淡々と報告する男が心配になった。
「この度の経験は、私が陛下と国家をお支えするために必要な道を知るための、神が与えたもうた試練だったのでしょう。生きて再び祖国の地を踏めた喜びを噛み締め、更なる献身をもって陛下にお仕えする所存です」
非の打ち所のない忠臣の回答が、胸に重くのしかかる。
この男は、決して私に見返りを求めない。けれど、私にこの忠誠を受けるに相応しい君主になることは、常に求め続けている。
最初の頃は、見下されることにも腹が立って、見返してやろうという気持ちが原動力になっていたところもあったが、相手を知れば知るほどに、どこまで走っても追いつけない背中を追いかけているようで、たまに息苦しくなる。
……そんな甘えが、許される立場じゃないんだろうけど。
この男の理想とする君主像を聞いてみたい気もするが、聞けば自信を喪失してしまうかもしれない。
だいたい、そんなことを気にしていると思われるのも癪なので、気にしてないふりはし続けてやるつもりだ。
ふいに過ぎった憂鬱は胸の内に押し隠し、私はウォルシンガムに、旅装を解いたら私室に来るように命じ、部屋に戻った。
玉座の上からではなく、言ってやりたいことが山ほどあった。
~その頃、秘密枢密院は……
女王に旅装を解いた後に私室に来るよう命じられ、ウォルシンガムは、新たに今日から与えられた自室に戻った。
ウォルシンガムが去年フランスへ発った後、女王は夏の行幸に出発し、このグリニッジ宮殿に宮廷を移したが、その後は、女王が体調を崩し倒れたため、予定していた宮廷の移動は延期になっているらしい。
約1500人もの人間が住む宮殿は、長く住めばそれだけ汚れやすく、潔癖な女王がそろそろ宮廷の移動をしたがっているであろうことは予想がついた。
次はどこに移るつもりだろうか。ハンプトン・コート宮殿は老朽化が進み大規模な修復工事が行われており、彼女のお気に入りのリッチモンド宮殿も、まだ改装と清掃が行われている最中だ。
居住空間には神経を使う女王は、新たな城を建てることには興味を持たないが、自分が住んだ宮殿の気に入らない部分には必ずチェックを入れるため、彼女が立ち去った後の城は、例外なく改築作業へと突入する。
そのため、今の時期に女王が宮廷を移せる持ち城は、自ずと限られてくるはずだった。
帰国早々、そのようなことも考えながら、衣装を着替えたウォルシンガムが目的の場所へ向かう途中、女王の私室と同じ階の部屋から、見慣れぬ男が出てきた。
何やら頭を抱え、ふらついた足取りで出てきた男は、奇妙な白い上掛けを羽織っていた。
一目見るなり、宮殿に到着した時に見かけた男だと分かる。
「あ~……」
左手に酒瓶を握り締めたまま、扉口の壁に手をついて、何やら唸っている。
不審な男に目を向けながら、歩幅を変えずに歩みを進めると、男が顔上げ、ウォルシンガムに気付いた。
「あ」
目を瞬かせた男と、少しの間、奇妙な見つめ合いが続いた。
「あんた、フランシス・ウォルシンガムか!?」
初対面の人間相手に、そう名指しした上で、男は妙に嬉しげな様子で寄ってきた。
まさか宮殿のこの階で、下町の酔っぱらいのような男に絡まれるとは思わなかった。
その男は、遠目に見た印象よりも小柄だった。呂律は回っているが、目元が赤味を帯びており、見下ろす距離まで近づくと、酒の臭いが鼻についた。案の定、かなり酒気が回っている。
「…………」
ウォルシンガムは眉を顰めたが、すでに、その奇妙な出で立ちの男が、バーリー卿から報告のあったドイツ人医師であることは察していた。
バーリー卿からは、その男が女王の旧知の人間であるらしいということや、いささか信じがたいメアリー・スチュアートの正体、彼ら3人の関係性の報告を受け、その上でレオナルド・バーコットなる人物の、渡英以前の情報を集めるよう指示を受けていた。
実際、謎の多い人物であり、フランス滞在中はあまり有益な情報は得られなかったが、引き続きフランス宮廷に放ったスパイに調査はさせていた。
「なぁ、ウォルシンガムだろ? 黒いし」
「…………」
判断基準がいささか気になったが、ウォルシンガムは適当にはぐらかした。
「人違いだろう」
だが、男はさらに確信を得たように言い直した。
「いいや、間違いないな。雰囲気がそれっぽい。サー・フランシス・ウォルシンガム。ケント州の生まれで、父親は法律家のウィリアム・ウォルシンガム。ケンブリッジ大学で学んだ敬虔なプロテスタントで、メアリー女王時代には大陸へ亡命していた――細かい部分は変わってるかもしれないが、これくらいは合ってるだろ?」
「……貴様は何者だ」
まるで占い師のように、己の経歴を当ててきた男に、ウォルシンガムはまるで相手のことを知らない素振りで睨みつけた。
「アンタが知らないとは思えねぇけどな。どうせ、ウィリアム・セシルから聞いてるんだろう?」
「…………」
やはり見透かすようにそう言って、男は挑発的な笑みを浮かべ、質問に答えた。
「……エリザベス女王の21世紀の恋人、って言ったら分かるか?」
「…………」
「怖い顔すんなって。俺、アンタのファンなんだ。エリザベス時代のダークヒーロー――『スパイマスター』ウォルシンガム」
聞いたこともない二つ名で呼ばれ、この男を変人扱いするか、バーリー卿の報告にあったように、女王と同様に未来から来た男の予言であると信じるか、迷いが生じたが、ウォルシンガムはいつかと同じように保留した。
全ての情報に耳を傾けろ――信じる信じないかは別として。
この男――レオナルド・バーコットが、ウォルシンガムを前にして情報を発信したがっていることは手に取るように分かる。調査の一環として、ウォルシンガムは相手の調子に合わせ、話を引き出すことにした。
「この私が、未来人に好まれるような実績を残したとでも?」
「そうだな……好まれるかどうかは意見が分かれるな。手段を選ばない冷酷非情な女王の影――報われない忠勤の士――カッコイイよな?」
同意を求められても答えようがない。
「でも、アンタも可哀想なヤツだよな」
ファンだと自称した男が、ふいに、憐憫の眼差しを向けてきた。
「アンタがいなければ、間違いなくエリザベス女王は、数ある暗殺計画の餌食になっていた。けど、エリザベスがアンタを顧みることはなかった」
それが予言だと言うならば、そのような未来は、実にあり得そうなことだった。女王が己を顧みることがないとしても、それは決しておかしなことではないからだ。
「俺、アンタに会えたら、聞きたいことがあったんだ。でも、今聞いても分かんねーか。いや、どうかな」
1人で首を捻って迷いを口にする。
ウォルシンガムからすれば知ったことではなかったが、しばらく迷った後、バーコットは結局聞くことにしたらしく、奇妙な問いを投げかけてきた。
「なぁ、どうして、何の見返りもなく尽くし続けることが出来たんだ?」
「は?」
「好かれてもいない女に、財産も命も投げ出して、何の見返りもなく尽くし続けて……一体何が、アンタにそこまでさせた?」
「お前の質問の意図は汲みかねるが、似たようなことを聞いてきた男に、こう答えたことがある」
その質問に回答しても特に問題はないと判断し、ウォルシンガムは期待の眼差しで答を待つバーコットに言い放った。
「忠誠とは捧げ尽くすもの。そもそもが見返りを求めるようなものではない」
それは、ロンドン塔でのノーフォーク公爵との短い会話の中での台詞だったが、これから先も、いつ、誰に聞かれようとも、その言葉が変わることはないだろう――否、変わるべきではない。
「ふーん」
自分から聞いておきながら気のない相槌をうち、バーコットは首を捻った。話には聞いていたが、随分と傍若無人な男だ。
相手はまるで己をよく知っているように話してくるが、こちらからすれば、ただの不審な異邦者だ。そのことを、今この酔っぱらいが自覚しているのかどうかは怪しいところだった。
「もういいだろう。失礼する」
「ああ、サンキュー。引き止めて悪かったな」
随分と砕けた物言いで接してくる相手にも変わらぬ素っ気なさで対応し、ウォルシンガムは男に背を向け、女王の私室へと向かった。
――向かいながら、小さく、呟く。
「……全く、趣味が悪い……っ」




