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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第12章 21世紀の恋人編
197/242

第196話 いつか、どこかで


「あ」


 謁見の間を出て執務室に向かっている途中、レイと鉢合った。

 緩慢な足取りで、髪を後ろで1つにくくりながら歩いてくる。まさかの寝起きか。


「どこ行く気?」

「どこって……えーっと、謁見の間?」

「おっそい。もう終わりましたー」

「えー」


 顔を見るなりそう言うと、レイは不満そうに口を尖らせた。「えー」はこっちだ。

  

「なんだよ、起き損だな」

「それだけゆっくり寝てよく言うわ」


 いつも通りの会話をする私達の隣で、セシルは静かに耳を傾けている。

 レイといると、つい日本語で話をしてしまうのだが、頭の良いセシルは、そのうち覚えてしまうのじゃなかろうか。


「とりあえず、明けましておめでとう」

「そうね、明けましておめでとう、今年もよろしく」


 なんと、日本語で新年の挨拶をするとか! 何年ぶりだろう!

 ちょっとしたことなのだが、懐かしさから嬉しい気持ちが湧き上がる。


 定型通りの新年の挨拶だけ済ませたレイが、遅刻の言い訳を始めた。


「本当はもうちょい早く起きたんだぞ。あとは、あれだこっちに来る途中に、変なヤツに絡まれた」

「変なヤツ?」

「あの気障男」

「ロバート?」

「それそれ」


 ロバートがレイに何の用だろう。


「また喧嘩とかしてないでしょうね?」

「してない。別に」


 むすっと答えるが、何となく歯切れが悪い。


「まあいいわ。今からお昼の御前の儀式まで時間があるから、ちょっと散歩に付き合ってよ」

「おう」


 今日は朝から忙しくて、日課の散歩すら後回しになっていた。御前の儀式が終われば、初日から執務室にカンヅメになるので、一息つくとすれば今しかない。

 レイから色よい返事を得たところで、傍らのセシルに英語で話しかける。


「セシルも暇なら一緒に散歩でも……って言いたいところだけど、忙しいわよね」

「時間が許せば是非ご一緒したいところですが、残念ながら」


 年中多忙な宰相に、暇ならという言葉は無縁だ。


「後ほど、本日の献上品の査定をとりまとめたものをお持ちします」

「分かった。じゃあ、軽く散歩した後、私室に戻るわね」

「すげーな。新年の貢ぎ物まで査定対象になるのか」

「うん。なんかそうみたい」


 レイの日本語での突っ込みに、私も日本語で答える。


 新年の挨拶の際に、臣下が王に捧げる贈答品は、任意の誕生日プレゼントに比べると儀礼的な意味合いが強く、王は返礼として銀の食器を与えるのが慣例になっている。

 相手の贈答品の価値によって、お返しの銀の食器の種類や数が変わるのだが、その辺の細かいランク分けや査定などは、よく分からないので、ほとんどセシルに任せていた。

 私は後から上がってきたリストを確認して、誰がどんなものを送ってくれたか、お返しに何をいくつ贈ったかを確認するだけだ。


 その場を離れる前に、セシルは1度、意味深な眼差しでレイを見据えた後、私に向かって言った。


「陛下、万一人目のない場所へ赴かれる場合は、必ず女官を伴ってください」

「ええ、分かってるわ」


 多分言われるだろうと思っていたので、はっきり了解しておく。

 丁寧に礼を取ってセシルが立ち去った後、レイが憮然と呟いた。


「俺って信用ねぇのか?」

「ないんでしょーね」


 私はレイを知っているからいいが、そうでない人間からすれば、出自も何もかもが謎な不審人物だ。その上、レイもあまり友好的ではないので、なかなか打ち解けるまではいかない。


 私はセシルとは逆方向に歩き出し、中庭に向かった。レイも、黙って隣をついてくる。


「大丈夫よ。そのうち、みんなきっと分かってくれるから。そのためには、結果を出すのが1番早いと思うけど」

「…………」

「レイは、何かしたいことないの?」

「んー……」


 レイの知識を活用して、医療方面についても出来ることから改善していこう、と話はしたものの、今のところ、特にこれといった取り組みが進んでいるわけではない。

 私も門外漢なので、その辺はレイに任せているのだが、年も明けたしそろそろ何か始めていきたい気持ちはあった。


「とりあえず、種痘法の論文をまとめたいかな。サンプルもあるし」


 アンの天然痘騒ぎで、宮廷内で種痘を受けた人間は多く、レイは彼らの経過観察にもあたっている。


「うん、良いと思う。私も後押しさせてもらうから」


 私が大きく頷いて同意する横で、レイが言いにくそうに付け加えた。


「それと……ちょいちょい街に戻りたい」

「……街に?」

「別に、今更逃げやしねーよ。ここの居心地も悪かねーし、風呂入れるし。ただ、向こうで診てた患者で、何人か経過が気になるのもいるし、場所借りてた診療所も、そのまんまにしとくのか返すのか考えなきゃいけねーし」


 不安が声に出ていたのか、レイが補足した。

 レイ的にも、王の浴室を頻繁に利用できるという特権は捨て難いらしいが、医者として、患者が気になるというのも当然だろう。


「診療所に使っているお店は、家主さんのご厚意で貸して頂いてるのよね」

「ああ。ぶっちゃけ全然儲からねぇから、ちょっとばかし借金もあったんだが、それはアンの件でお前からもらった報酬で返したし、いつまでも無人で空けとくのもな」

「そっか……」


 あの時は私も必死で、なりふり構っていられなかったが、頼りにしていた町医者を失った住人たちのことを思うと、後ろめたい気持ちが湧いた。


「定期的に市内に出るのは構わないから、診療所は町の人達のために残しておいたらどうかしら。維持費がかかるようなら、こっちで払うし」

「まぁ、そうしてもらえるんなら助かるが――」


 そう答えた後、レイは何かを思いだしたように、苦い顔をした。


「あー、どうすっかな」


 急にワシャワシャと髪を掻き回し、呻く。


「どうしたの?」


 心配になって覗き込むと、レイは私の顔を見返し、少し間を置いた後に、呟いた。


「……何でもない」


 あまり何でもない感じもしなかったが、言いたくないこともあるのだろう。下町にいた時のレイの生活は、私も多くは知らない。


 プライベートな何かだろうか、と先回りして考えてしまい、私は遠慮してそれ以上は突っ込まなかった。

 その後は黙々と歩いていたのだが、渡り廊下から中庭の回廊に出たところで、レイが口を開いた。


「……お前さ、もし、俺が――」


 そう言いかけたレイの台詞が不自然に掻き消え、隣を歩いていた足が、急に止まった。


「レイ?」

「…………」


 四角い中庭を囲む回廊に踏み入れた途端、レイは言葉もなく立ち止まり、真っ直ぐに、中庭の奥――向かい側の回廊を見つめていた。


「どうしたの……? あっ」


 そうかと思うと、何も言わないまま走り出した男の後を、私は慌てて追いかけた。

 が、意外とすぐに追いつく。見ると、彼は回廊の真反対を歩いていた3人組を前にして、立ち止まっていた。


「これは、女王陛下」


 私が遅れて回廊の角を曲がり姿を見せると、不審な男の登場に眉を顰めていた3人組が、膝をついた。声をかけてきたのは、朝に挨拶をした、今年からイングランドに赴任してきたドイツ特使だ。


 だが、レイが凝視しているのは、そのドイツ特使ではなく、彼の傍らに従う従者の方だった。


「ハンス……?」

「……!」


 そう呟いたレイに、私にも緊張が走る。

 今は膝をついて首を垂れているため、顔は分からないが……言われてみれば、その姿には見覚えがあった。


 10年前の、忘れられない思い出が蘇る。


 大きな身体と、あったかい笑顔。


 レイに振られた後は、レイといつも一緒だったハンスとも疎遠になってしまったが、3人で過ごした半年足らずの記憶は、今も宝石箱に大事にしまってある。


 まさか、本当に――


「ハンス! ハンスだよな? まさか、お前も……!」

 

 私が無意識に息を止めていると、先程、相手の顔を見たらしいレイが、確信を持った様子で1歩近づいた。

 レイにその名を呼ばれた従者が、ゆっくりと顔を上げた。


「は?」


 それはもう、不審げに。


 ハンス……じゃ、ない……?


 だが、その従者は、本当にハンスと――私達の大学時代の友人と――同じ姿をしていた。

 息を飲み立ち尽くす私達を前に、顔を上げたドイツ特使が、従者に問いかける。


「知り合いか? ハインツ」

「いいえ、全く知りません」


 不躾に名前を間違ってきた男相手に、従者――ハインツと呼ばれた青年は、不快そうに否定した。


「人違いでしょう」


 明らかに警戒した様子で、胡散臭げにレイを見やる。

 違う。同じ姿形はしているけど……全くの別人だ。

 

 私の知っている優しいハンスは、レイにこんな顔をしない。


 これ、つらい……

 

 別人とはいえ、全く同じ姿をした人に、こんな風に否定されると――

 自分のことではないのに、レイに向けられるハインツの警戒心が、胸に刺さった。


「……ごめんなさい。彼は私の古い友人で、王室付きの侍医です。昔の知り合いに似ていたものだから、見間違えてしまったみたい」


 我に返り、私は慌てて彼らの不信感を拭うために、レイを紹介した。


「左様でございますか。こちらこそ、大変な失礼を致しました。この宮殿の庭は誠に美しく、つい長居をしてしまいますな」

「いくらでもゆっくりなさって。あまり見るところもない国ですので」

「いやはや、ロンドンは素晴らしい街でございます。私も長年外交官をやっておりますが、これほど清潔で活気のある街は、見たことがない。健やかな民の平和をお護りになられている、陛下の英明な治定の証でございましょう」


 さすがのベテラン外交官らしい応対で私を褒め讃え、彼は丁寧に膝を折って礼をした。


「それでは、私共は失礼させて頂きます。この年も、また未来永劫、陛下の御代が栄光に輝きますよう」


 3人揃って膝を折り、出来るだけ背中を見せないようにして去っていく。


 残された私達は、人気のなくなった回廊で、ただ立ち尽くしていた。

 彼らの姿が見えなくなった後、レイがポツリと呟いた。


「……あれだけ同じ顔で、知らん顔されると、結構クるな」

「そうね……別人だって分かってても、寂しい感じ」


 ハンスの記憶がとても温かいから、一瞬でも本人かと思ってしまっただけに、とても辛い。

 きっと、レイはもっと辛いだろう。


 置いて行かれた子どものような寂しい背中が、いつかのことを思い出させる。

 あの時の私は、彼の前を去るしか出来なかったけれど……


 どうにかして励ましたい気持ちに駆られ、私は後ろからレイに近づき、ぎゅっと左手を握った。

 すると、それまでこちらを向こうとしなかったレイが振り返ってくる。


 大丈夫。

 私はここにいるから。


 そんな想いを込めて、レイを見つめて頷くと、握り返す手に力がこもった。


「クソッ……何なんだろうな、俺たちは」


 視線を逸らし、吐き捨てたレイの、肩越しに見える横顔が歪む。


「何回も繰り返し生まれて、死んでんのかな」

「…………」


 同じ時代に生まれて、同じ時代に死んで、また同じ時代に生まれて――

 人の生死観とか、宗教とか概念とかとは別に、本当に生命が同じサイクルで死と誕生を繰り返しているのだとしたら……


 この時代の、世界のどこかに、私の家族や友人たちと同じ姿をした誰かが生きているのだろうか。


 だとしたら、私の生きていた時代にも、セシルやウォルシンガムやロバートが、もう1度生まれていたのだろうか。

 どこかで彼らと会っていたのだろうか。

 これから、出会っていたのかもしれないのだろうか。


「……ずっと考えてるの。何で向こうで知り合った人間が、こうやってまたこの世界で出会ってるんだろうって」


 レイの問いかけの回答にはなっていなかったが、私も、ポツリと自分の中の疑問を吐露した。

 レイやメアリー、そして、今回のハインツ。

 何か特別な関係があったわけじゃない、ただ、人生の中で少しの時間、関わりを持った相手に、もう1度出会っている理由(わけ)


「……それこそ、縁ってやつじゃねーの」


 縁。曖昧な言葉だが、生きていると、不思議と実感することの多いその概念を反芻する。


 もしかして、それすらも本当は確かな法則があって、私達の既知の及ばない仕組みの中に組み込まれているのかもしれない。

 いつか、何世紀か後の人間は、それすらも解明してしまうのかもしれない。

 だとしても、理解出来ない今の私達は、それを『縁』とか『運命』という言葉で解釈するしかないのだろう。


「前世で関わり合った縁が、時に、来世でも生き続けていることがあるというのなら――」


 そう、自分なりに理解出来る言葉で解釈して、私は続けた。


「だとしたら、もうちょっと生きてたら、ウォルシンガムやセシルの生まれ変わりとも出会えたのかしら」


 惜しかった。


「すでにもう、どっかですれ違ってたんじゃないか。留学中とか旅行先とかで」

「あり得る! でも、それすごく残念」


 偶然顔を見ることがあったところで、彼らのような人間と、21世紀のごく普通の日本人の私が知り合うことはないだろう。

 

 意識して明るいトーンで会話を交わし、私たちは残りの回廊を半周した。


「もしくは、テレビや雑誌で見かけるくらいの芸能人とか政治家……あっ、きっとロバートはどこかヨーロッパの国のトップモデルね。セシルはケンブリッジとかオックスフォードとかの研究員で……私がイギリスに旅行に行った時に偶然すれ違うの。で、私はあの人格好いいなーと思いながら横目で見るけど、向こうは全然気付かないっていう……うわーさびしい! でもリアル!」

「どんな妄想だよ」


 中途半端に現実的な妄想力を働かせる私に、レイが呆れて突っ込む。


「……じゃあ、やっぱり感謝したいかな」

「ん?」


 レイとの会話を反芻しながら、私は独り言のように呟いた。


「もし、いつかまた出会うとしても、名前も顔も知らない赤の他人としてすれ違うだけの関係なんて寂しいから――この場所で、この時代に――みんなに会えて良かったなって」

「…………」


 それは、今の私の本音だったが、レイは長い沈黙の後、回廊を一周し終えたところで、ようやく声を発した。


「……俺は」


 ギュッと、握った手に力を込められ、それまで手を繋いだままだったことを再認識する。


 これはいけない。


 中庭には人がいなかったからいいものの、ここから先は、通りかかった誰かに見られるかもしれない。

 そっと手を離し相手を見上げると、レイは目を逸らし、また口をつぐんでしまった。


「……もうそろそろ戻った方がいいかも」


 どこか気まずい沈黙に負け、私は御膳の儀式の準備のため、私室へ戻ることにした。





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