第192話 歴史は、繰り返すか
レイとの口喧嘩が小休止となったところで、寝室の扉がノックされた。
「陛下、ただいま戻りました。今、ちょうどバーリー卿が……あら?」
水差しを持って戻ってきたキャットが、ベッドサイドに座っているレイに目を止める。
その背後からセシルが顔を見せた。
「……陛下、療養中とはいえ、男を寝台に上げるのはおやめ下さい。誤解を招きます」
「こ、これはっ。ちょっとレイが座ってるだけで、別に何もないからね! 誤解しないでよっ」
「承知しております」
私が慌てて弁明すると、セシルは強い口調で断言したが、目を合わせてくれなかった。
「ドクター・バーコット、診察は終わられましたか?」
「あ? あぁ……」
診察ではなく口喧嘩をしてただけだが、レイは適当に答えた。
その隙に、私は握り締めていた手紙を破ってぐちゃぐちゃにしてゴミ箱に捨てた。後で後で。
「ならば、席を外して頂けますか。陛下と国政に関わる内密なお話がありますので」
「へいへい」
物腰の柔らかいセシルにしては余所余所しい態度でレイに退室を促すと、レイの方もおざなりな返事で腰を上げた。
去り際に、扉の前で立ち止まったレイが、振り返って聞いてくる。
「エリ、風呂借りていいか?」
「いいわよ。レディ・メアリーに一声かけておいて」
「分かった」
初めて宮廷に来た時は小汚かったレイだが、そこは現代人、イングランド宮廷に住み着いてからは、まめに浴場を利用している。
一応、客用の浴場や使用人用の浴場などもあるのだが、レイは人と鉢合わせるのが嫌ならしく、私が使わない時に女王の浴室を使いたがる。勿論内装などは1番立派で綺麗なので、選べるなら誰でもそこを使いたいだろう。
普通、他人に使わせるものではないが、実際のところ私1人で独占していてももったいないので、そこは立場に縛られない現代人のよしみというか、特別待遇だ。
キャットはまだレイを警戒しているようだが、レディ・メアリーは、アンがすっかり懐いているレイを気に入っているらしく、色々融通が利いた。
「陛下、ウォルシンガムから定期連絡がありましたので、ご報告に参りました」
レイが出て行くのを確認した後、セシルが私の枕元に近づいてきた。
「座る?」
「いえ、このままで」
ウォルシンガムの定期報告は充実し過ぎていて、いつも長くなるので、着席を勧めてみたのだが、セシルは辞退した。
「その前に陛下、フランス大使から伝言を受けているのですが……」
「フランス大使から?」
長くなる定期報告の前に、セシルがそんなことを言ってきた。
この場合のフランス大使は、駐仏英国大使ウォルシンガムではなく、イングランドに駐在しているフランスの大使のことだ。
「アンジュー公がウォルシンガムをいたくお気に召されたらしく、出来るだけ長く留め置いて欲しいと希望されていると……」
「ええっ!?」
思わず声を上げてしまった。
これが普通の公爵ならば、交渉相手にそこまで気に入られるとはさすがウォルシンガムやるな、と言いたいところだが、相手は普通じゃない変態公爵だ。
大丈夫か……ウォルシンガム。
「ウォルシンガムからの私信でも、アンジュー公からそのような伝言が届くかもしれないが、公の戯れの1つなのであまり本気にしないように、との断りがありました。どうもアンジュー公は悪ふざけがお好きならしく、この伝言もその一環のようですが、ご報告差し上げないわけにもいかず」
アンジュー公の、フランス大使を通じての正式な伝言ならば、それはそうだろう。
こっちのこういう反応を見越しての悪ふざけと言うことか。セシルも困り顔だ。
「ウォルシンガムも振り回されてるみたいね……仕事が終われば、できるだけ早く戻らせてあげたいけど」
「そうですね……ただ、正確に任期が決まっているわけではないので、引き留められるとなかなか帰国させ辛いというのはありますが……何か、きっかけがあればいいのですが」
微妙に2人して、苦労しているっぽいウォルシンガムへの同情モードになってしまったが、セシルは本題の報告に入った。
「先月5日に、ナバラ女王の息子アンリ・ド・ブルボンとシャルル9世の王妹マルグリットの婚約が、正式に決定したとのことです」
「へぇ」
その報告には、私も目を見開いた。
一大ニュースだ。
アンリ・ド・ブルボンは、ナバラ王国の女王ジャンヌ・ダルブレと、フランスの名家ブルボン家の当主だったアントワーヌ・ド・ブルボンの息子だ。
「2人とも、かなり若かったはずだけど」
「アンリ・ド・ブルボンが16歳、マルグリット姫が14歳。アントワーヌ・ド・ブルボンの死を受け、若くしてブルボン家の当主となった少年と、ようやく結婚が可能になったばかりのヴァロア家の姫の結婚は、フランス国内に大きな波紋を呼んでいるようです」
ナバラ女王は熱心なプロテスタントで、元はカトリックだった夫アントワーヌも、その影響を受けてユグノーに帰依した。
セシルの言葉通り、第一次ユグノー戦争でカトリック・プロテスタント両派の大物が次々と斃れた時、このアントワーヌも戦死したため、アンリ・ド・ブルボンは幼い身でブルボン家当主となっていた。
プロテスタントの両親の元に生まれ、ユグノーの盟主コンデ公を叔父に持つブルボン家の少年当主と、カトリックの盟主であるヴァロア王家の王妹の結婚。
この若い大物同士の政略結婚は、両派の講和の象徴と言っても差し支えない。
「今まで、全然そんな話聞かなかったわよね」
「物議を醸すのが必至のこの婚約を確実に推し進めるため、この時期まで情報を開示しなかったのでしょう。ウォルシンガムの調べによると、半年前からカトリーヌ主導で、水面下で交渉が進められていたようです」
半年前といえば、サン・ドニの戦いで国王軍が勝利した後、ユグノーの巻き返しに遭い、フランス政府側が妥協する形で和平勅令を公布した時期だ。
元々協調路線を歩んでいたカトリーヌが、その時期にユグノーを抑えきれないと悟り、政略結婚によって事態を収拾しようと考えるのは、おかしなことではなかったが、憎しみ合っていたユグノーとカトリックからすると寝耳に水の話だろう。
カトリーヌは一時、スペインに近づきユグノーの締め付けを強めるなど路線を変えたように見えたが、水面下ではユグノーとの協調の可能性も探っていたということか。
「やるじゃないカトリー……ん?」
一瞬、何か引っかかるものがあった。
「どうしました? 陛下」
「いや、なんでも……うーん……」
奇妙な違和感の正体を突き止めようとするが、結局その場では思い出せず終いだった。
「いいわ、続けて」
「はい。結婚式は来年の2月11日。異教結婚となるため、花婿はミサには出席せず、教会の外に留まる形で式を執り行うようです」
「そういう変則的な式になるんだ……」
お互い改宗せずに結婚式を執り行うとなると、イレギュラーまみれになるのは仕方がないが、いろいろ大変だ。
これぞ正真正銘の政略結婚というやつだ。
「ジャンヌ・ダルブレは、両人の宗派が違う結婚を最後まで悩んだようですが、カトリーヌの説得に応じて承諾し、式に向けて来月からパリに長期滞在することが決まっています」
「ナバラのアンリとマルグリットね……」
セシルの話を聞きながらも、やはりどうにも引っかかるところがあり、口の中で繰り返しながら、違和感を探った。
私の習った歴史では、ナバラ王アンリは、アンリ4世として、いずれブルボン朝の初代国王になる男だ。
……この世界でも同じようになるのかは分からないけど。
でも、ナバラのアンリとマグリットの結婚っていうのは、なんか聞いたことあるような……
「ああっ!!」
「陛下っ?」
ひらめき、突如大声を上げた私に、セシルが本気でびっくりする。
「サン・バルテルミ!!」
「は?」
その時、私の脳裏には、教科書の右上の半ページを占領していた、ショッキングな絵が蘇っていた。
カトリックによるユグノーの大虐殺を描いたそのインパクトのある絵画は、補助教材の資料集にもカラーでデカデカと載っていたので、印象に残っている。
件の教科書の1ページを映像で思い出すと、そこに書かれていた文面もぼんやりと蘇ってきた。
サン・バルテルミの虐殺は、ナバラのアンリとマグリットの結婚式がきっかけとなって起こったものではなかったか。
けれど、それはこんな時期だったか――?
あの最悪の虐殺は、こんなにも早く起こっただろうか。
正式な年号は覚えていないが、まだこの世界では、ユグノー戦争が始まって2年しか経っていない。
いや、でも、カトリーヌの子供たちの生まれる順番が入れ替わっていて、且つ1559年の異変から歴史の流れが速まっているとすれば、それもあり得るか。
2人の結婚の時期が早まったことで、虐殺が起こらずに済むのか、それともやはり起こってしまうのか。
そればっかりは予測不可能だが、私自身の記憶も曖昧なのがもどかしかった。
その後も、交渉の進捗情報やフランス国内の情勢、宮廷内の政情や重要人物たちの動向など、よくもまあこれだけ嗅ぎつけたものだと感心するような多岐にわたる内容が整然と語られ、要所要所でセシルと内容を確認し、意見を交わしながら、現時点で直面している、大陸とイングランドの関係を落とし込んでいく。
レイに……レイに確かめないと……
それでも、頭の片隅ではサン・バルテルミの虐殺のページがちらついて離れない。
気付いてしまうと、気ばかりが急いた。
「最後に陛下、1つご相談があるのですが」
「何? セシル」
ソワソワしている私に、報告の終わりにセシルがそう切り出した。
「現在、ロンドンでは陛下のお姿が見られないことに対して、根も葉もない噂が飛び交っています。このような噂は無視すればいいという考えもありますが、即位以来、陛下がそのお人柄と行動で積み上げてきた評判を損ねるような虚偽が流布することは、喜ばしいことではありません。あまり例のあることではありませんが、今1度、政府の公式な告知として、陛下が現在外出を控えられている理由を周知させてはいかがかと」
なるほど、巷ではそんなことになっているのか。
私としては宮廷の人間だけ抑えておけばいいと思っていたが、思っていた以上に広い範囲にまで影響が及んでいるらしい。
「そうね。政府が国民の混乱を汲んで、公式に情報を提供するというのは、必要なことです。ありがとうセシル。出来ればこれからも、市民の声に注意を払うようにして下さい。何かしらのパフォーマンスが必要なら、私も協力します」
人によっては私は民衆の人気を気にし過ぎだとか、国王が民草に迎合するのは威厳を損ねるとか言ってくる者もいるが、一部の支配階級以外は奴隷のようなものだった時代ならいざ知らず、この時代の民は決して無力ではない。
過去の事件を紐解いてみても、イングランドでは13、4世紀にはすでに、自由や生活の向上を求めた一揆やストライキが、時勢によっては頻繁に起こっている。
なにしろ、彼らは支配階級に比べて、圧倒的に数が多いのだ。普段小さな世界で完結して生きている彼らが1つの組織として大きくまとまることはほとんどないが、熱病のような衝動によって、一時的にでも大群となってしまえば、押さえつけるのは困難になる。例え軍事力で鎮圧したとしても、その後の処分も含めて、たくさんの血が流れるだろう。
下手な選民意識で彼らを軽視した政治を続ければ、蓄積した不満が王や政府に向かい、何かをきっかけに爆発してもおかしくない。歴史は、そんなことの繰り返しだ。
「かしこまりました。では、そのように」
「ええ、よろしくセシル」
忠実に応え、礼を取り退室するセシルを見送る。
……そろそろいいかな……?
閉じた扉を見つめ、ソワソワしながらしばらく時間を置いた後、私はいそいそとベッドを抜け出した。




