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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第12章 21世紀の恋人編
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第181話 貧乏女王のお金持ち計画


 大学の広い敷地内には、いくつかの寮があり、たいていの学生はそこからバスに乗って、校舎に向かう。

 もちろん、日本のように時間通りには来ない。ひどい時は、2、3台のバスが連なって、寮前のバス停に待っていることすらある。

 バスの乗車にもいくつかのルールというか、注意事項があって、女の子は危ないので後部座席には乗らず、出来るだけ前の方の、運転手の近くに座るようにと、留学してすぐに教えられた。


 キャンパス内のバスで危ないというのもどうかと思うが、日本ほど治安が良くないことはもちろん理解していたので、わざわざその助言に逆らうようなこともせず、基本的に前の方の席に座るようにしていた。


 だが、その日はたまたま混み合っていて、そこしか空いていなかったので、私はバスの後部、昇降口のすぐ手前の、2人乗りの席の窓側に座った。朝だし、人もたくさんいるから大丈夫だろう。


 出発の時間は、結構適当だ。朝はさすがに本数が多いため、1つ逃しても次を待つ心の余裕はあるのだが、そこも運任せなところはある。

 今日は、後ろに待っているバスの影はなかった。


 寝坊していつもより部屋を出るのが遅れてしまったため、これに乗れなかったら危なかったかもしれない。ラッキーだ。

 そう思って、まだ半覚醒状態の頭で窓辺によりかかっていると、発車の直前に、バスに飛び乗ってきた人がいた。


「っ……ギリギリ……」


 すぐ後ろから聞こえた声は、日本語だった。


「ふぅ、間にあった」


 その人物は独り言を呟いて、ドサッと、昇降口の手前の、2人用の席の通路側に座った。

 つまり、私の隣に。


 あー、日本人かー。間に合ってよかったねー。


 留学生の多い寮内で、日本人は別に珍しいことではなかったが、やっぱり異国にいると、同郷の人間には親近感が湧く。何となく振り返った私は、相手を確認して完全に目が覚めた。


 目の前に、箱田玲がいた。


 さすがに向こうも、昨日声をかけてきた相手くらいは覚えているのか、驚いたように目を丸くしている。


「おはよ……」

「はよ……」


 しばらく間抜けな見つめ合いの後、とりあえず挨拶すると、向こうも小さな声で返してきた。 


 昨日の今日で鉢合ってしまうとは、縁というのは重なるものだろうか。

 ドキドキしたが、昨日少し会話をした分、顔見知りの距離で話しかけられた。よくやった、昨日の私。


「この寮だったんだ」

「ああ……」


 キャンパス内で見かけたらミーハーに騒いでいたが、別に積極的に情報を集めるほど興味があったわけではないので、同じ寮だったことすら知らなかった。


「へぇ、一緒だったんだ。知らなかった」

「俺も、初めて知った。エリは何階?」

「4階。レイは? 」


 まずファーストネームで呼ぶのが普通なので、顔を合わせて2日で名前を呼び合うことに違和感はなかった。


「2階。でもすれ違ったことないよな。エレベーターでも一緒になったことないし」


 多分そうだろう。さすがにレイとエレベーターで鉢合わせたら気付かないわけはない。向こうは知らないけど。


 シャワー室は隣同士の部屋でシェアしているし、キッチンやリビングルームはフロアシェアだ。

 寮の中では、1つの階で完結した生活が送れるようになっていた。


「階が違ったら、なかなかすれ違わないよね。エレベーターも、生活リズムが違ったら会わないだろうし。私も、いつもならもっと早いバスなんだけど、寝坊しちゃって」

「間に合うのか?」

「うん、9時からのクラスだから」

「あ、じゃあ俺と一緒じゃん。大丈夫、余裕余裕」

「でもバス停から結構遠くて」

「どこ?」

「えーっとね、北館の3階」

「マジかよ、一緒だろ」


 とんだ偶然だ。


 そこは語学のクラスが固まっている区域で、専攻とは関係なく色んな学生が出入りしていた。


「え、うそ。じゃあなんで会ったことないの? あ、そういえば1階の購買ではよく見かけるかも」


 あそこが1番レイを発見しやすいスポットなので、友達と購買でケーキを買いがてら、目で探すのが常だった。


「俺、基本オンタイムだから。出る時も混んでるの嫌いだから、すくの待って降りてるし」


 そういえば、私たちは授業が終わったら真っ先にエレベータで降りて、購買に並んでケーキを買っている。


「オンタイムってつまり遅刻ギリギリってことよね」


 からかうつもりで突っ込むと、レイは逆に胸を張った。


「遅刻はない。授業に出て減点されるとか馬鹿らしいだろ」


 特に語学のクラスは、少人数制で出席に厳しく、遅刻は減点対象だった。


「そうよねー。でも、私、1回だけ遅刻したことがあるの。朝バスの中で、ついうとうと寝ちゃって、目が覚めたら、バスの中に置き去りにされてて」

「置き去りぃ?」

「キャンパス前に停車したまま、運転手さんが休憩に行っちゃったの。フッと気付いたら、ちょうど運転手さんが鍵閉めてバス降りていくところで。あけてー! って慌ててドアに張り付いたのに気付いてくれなくて、そのままどっか行っちゃうし。閉じ込められて出れないし、通り過ぎる学生にはじろじろ見られるし、もう恥ずかしくって」


 記憶に新しい失敗を披露する。あの時の焦りが思い出され、臨場感たっぷりに語ると吹き出された。


「ぷっ……つか、その運転手もひどいな。確認ぐらいしろよな」

「でしょー、適当すぎ! 日本じゃ有り得ないわ、こんなこと」


 私が口をとがらせると、レイが隣から覗き込んできた。

 自然な動作だが、距離が近くてどぎまぎする。


「エリって意外に間抜けなんだな」

「意外?」

「しっかりしてそうに見える」


 それは昨日からの第一印象だろうか。


「じゃあ、結構間抜けかも」


 忘れっぽいし、あまり自分がしっかりしていると思ったことはない。


「で、それからどうしたんだ?」

「運転席に乗り込んで、当てずっぽで、そういえば運転手さんこの辺触ってたような気がするってレバーとかボタンとか押しまくって、何とかドア開けて脱出したの。勿論、締め方分からないから開けっ放しだけど」

「それ、きっと運転手、休憩から帰ってきたらドアが開けっぱなしになってて驚いただろうな」

「多分ね」


 レイが笑う。キャンパス内で見かけた時は、つまらなそうな顔でいるイメージが多かったが、笑うと子供っぽくて可愛いと思った。


「あんまりにも衝撃だったから、遅刻して教室に駆け込んですぐに、先生とみんなに話したの。そしたら先生に大受けして、今回はかわいそうだから見逃してあげるって、遅刻取り消してもらえたのが、せめてもの救い?」

「いいなそれ、俺も今度使お」

「ははっ」


 15分程度の朝の乗車時間はあっという間に過ぎて、2人で同じ校舎の同じフロアまで走った。


「またな」

「うん、また」


 別れ際に交わした一言に、気持ちが飛び跳ねる。息を切らして教室に入りながら、1人でにやけてないか心配になった。


 ゆっくりと、近づいていく距離が楽しかった。




※※※




 それからは、俄然女王業にも気合が入った。

 歴史が速まっているというレイの証言には、私も心に負うところがあり、焦りもあった。

 20年も早く富強化した大国に、本当に立ち向かっていけるのか。


「うーん……」


 夜、寝室で机の前に座った私は、侍女に手渡された布切れを眺めて唸っていた。


 でろん、と広げた大きなバスタオル大のそれは、リネン製のパイル生地のタオルである。

 といっても、もはや初期のタオルらしさの面影はなく、繊維が抜けまくってすっかすかになって、無残な姿をさらしている。


 もらってから、まだそんなに経ってないはずなんだけどなー。


 期待していただけに残念な結果だ。


「なんだそのボロ布」


 ボロ布言うな。


 後ろからひょっこり顔をのぞかせたレイが、希望の1つを挫かれてしょんぼりしている私に追い打ちをかけてくる。


 レイには、王室付き侍医として、女王の寝室に近い場所に部屋を与えた。

 日中はもっぱらアンのケアや種痘をほどこした人間の経過観察にあたっており、夜になると暇なのか、ちょくちょく私の部屋にやって来る。


 私の秘密を知らない人間には、レイはエリザベスが王女時代に世話になったキャサリン・パーの宮廷で知り合った、ドイツ人学者の息子ということにした。

 これには、その時代のエリザベスと交流のあったセシル、キャット、ロバートが口裏を合わせてくれている。


 キャサリン・パーがマルティン・ルターに傾倒していた才女で、当時自分の宮廷にプロテスタントの知識人を招き、彼女が保護していたエドワード王子とエリザベス王女に教育を受けさせたことは知られており、セシルもそういったメンバーの1人だった。

 ドイツ人で学識のあるレイが、キャサリン・パーのサロンを出入りしていた学者先生の子息で、同年代のエリザベスとも親しい間柄だったというのは、不自然な設定ではない。


 ちなみにドイツに帰国した後、しばらく東方に渡り医学を学んだという、嘘くさいスペシャルなキャリアが付加されている。よく分からないチート知識は全部東洋由来ということにしとけば、とりあえず納得させられるので便利だ。万能東洋。


「タオルよ」

「タオル?」


 私が答えると、レイは手を伸ばして布を取り上げた。

 顔の前で布を広げ、織り目を確認してるらしい。


 この頃は、宮廷をうろつくには著しく適さなかったレイの風貌にも、改善が見られた。


 最初のうちは私も面白がって、レイの髪型をおだんごやらツインテールやらにして遊んでいたのだが、すぐに飽きた。

 最近は単に後ろで1つにくくるか、長い前髪を頭の上で束ねてちょんまげみたいにするかの適当スタイルで安定している。


 そんなレイは、今は当たり前のような顔で、21世紀の医者が着ているような白衣を羽織っていた。


 この服装についても紆余曲折があり、最初は一応、この時代の医者や法律家が着る、足まで隠れる長いローブを着せてみたのだが、これがびっくりするほど似合わなくて笑ってしまったところ、もう2度と着ないと怒られた。

 浮浪者かと思うようなボサボサの頭で歩いていても何とも思わないくせに、男心は難しい。

 かといって宮廷ファッションも好かないらしく、労働者階級のような格好をしたがるので困った。


 そこで、個人的に見てみたいという好奇心から、半分冗談のつもりで現代風の白衣を仕立てて贈ってみたところ、どうも本人はすっかりそれが気に入ってしまったらしい。

 最近では、ラフな格好の上に白衣をひっかけて宮廷をうろうろしているドクター・バーコットの姿が見られるようになった。


 一見して珍妙な光景ではあったが、異国風のスタイルには割と寛容――というか、舶来に対してはコンプレックスに近い憧憬があるイングランド宮廷では、東洋の医学を持ち込んだ変わり者の外国人医師という、特別な視点で受け入れられた。


 機能的でもあるし、素材は上等なものを使っていて小汚くはないし、周りがうるさく咎め立てないのなら、まあいいんじゃないだろうか。

 やっぱり、現代でお医者さんになりたかったんだろうなと思うと切なくもなり、そのまま好きにさせている。


 私の目から見たら似合うしな。


 白衣に限らず、ユニフォームを着て働いている男の人は、割り増しで格好良く見えるから不思議だ。


「パイルか……作らせたのか?」

「うん。パイル織りの技術自体は、もうフランドルからノリッジに入ってきてるみたいだったから。今のところ、羊毛で絨毯を作るためのものみたいだけど」

「へぇ」


 レイもそれは知らなかったのか、感心したように相槌を打つ。

 博識のレイを感心させると、ちょっと嬉しくなる。


「今、羊毛産業の振興のために、軽い毛織物を売り出してるんだけど、それだけじゃ将来性って言う面では不安が大きくて、新しく国内で作れる商材にできないかと思って。タオルなら、服飾じゃないから、完成品の形で売れるし」

「服飾は完成品じゃ売れないのか?」


 レイの疑問に、私はぼやき混じりに答えた。


「そこが田舎の弱いところで、イメージというか、ブランド力が弱いのよね。結局、国内でもイタリア産やフランス産、スペイン産のファッションがもてはやされるし、海外ではイングランド産なんて野暮ったい代表格だし」


 21世紀でこそイギリスはお洒落国家だが、16世紀現在はファッション後進国だ。


「それどころか、イングランドで作った毛織物も半製品状態で、イタリアやスペインで染色やデザインして逆輸入までしているような状況なの」

「どっかで聞いたような話だな。やっぱどこの国も似たような歴史を辿るのか」


 レイの軽い呟きは当を得たもので、それは20世紀の日本が通った道で、21世紀の経済成長国が通っている道でもある。


 毛織物輸出ブームが続いていた10年前ならまだしも、昨今のイングランドの貿易収支は涙がちょちょ切れるような赤字が続いており、加熱する舶来品信仰が、そこに拍車をかけていた。


 イングランドに国際競争力のある商材求む! である。


「でも、原材料がね……原綿はまだ手に入らないから。代替で麻を使ってみてるんだけど、麻も輸入に頼るから原価は高いし、量産が難しい素材だしで、ちょっとまだ構想段階って感じ」

「なるほどな。けど、タオル産業とはいいところに目をつけたな。19世紀に東南アジアから原型が持ち込まれ、イギリスで製品化してヨーロッパ中で大ヒットした商品だ」


 サラリと雑学を披露したレイが褒めてくれる。私も調子に乗って構想を披露した。


「もともとイングランドは織物の技術はそれなりに培われてるし、東南アジアとの交易路が開いて原綿を直接輸入出来るようになれば、タオル製造に適した綿で安価に量産が出来るようになる。今のうちに技術者を育てておけば、一気にアドバンテージを取って市場を席巻できるかな……なんて思ってるんだけど」

「ほぉ~」


 レイが面白がった相槌を打つ。

 だが、私は暗い気持ちでため息をついた。それも、東南アジアとの交易路が開いたら、の話だ。


「ドレイクに、いくつかおつかいをお願いしたんだけど……」

「おつかい?」

「うん……」


 ドレイクはいまだ音沙汰なく、第2陣の遠征団を派遣するめどは立っていない。


「……生きてるだろ……きっと。いや、分かんねぇけど、多分」


 肩を落とした私に、レイが励ましの言葉をかけるが、歴史が変わっている以上、ドレイクが戻る保証がないのは、お互いに分かっている。


「私もそう思ってる……思いたいんだけどね。お祈りして信じて待つだけで、何も対策を取らないわけにはいかないし」


 アジア貿易や私拿捕活動に頼ることなく、この困窮を乗り切れというのはなかなかの無理ゲーだが、最悪の場合は想定しておかなければならなかった。


「国内産業の振興……輸入産業の国産化……原材料の自供……うーん……」


 麻のぼろ布に頭を突っ込みながら、思いつくことを並べ立てて唸る。あ、麻の栽培とか? でも、そういうのって、政府がピンポイントに推奨して、失敗した時が痛いよな……

 本来ならば、民間が試行錯誤を繰り返しながら、金のなる木を育てるものだ。


 いかん。どうも親譲りの商売っ気が出て、商売人視点のミクロなビジネスモデルに走りやすい。もっとマクロな視点で捉えなければ。

 商人が出来ることは、商人がやってくれるはずで、私には、私にしか出来ないことがあるはずだった。

 市場は需要によって生み出される。需要は雇用を生み出す。雇用は生産を生み出し、市場に還元する。


 今1番生み出したいのは雇用だが、雇用を生み出すのは需要。需要を生み出すのは……何だ?





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