第178話 遠大なる抗争
「ローマ・カトリックの陰謀……?」
レイに示唆された話から、私は、そんな推測に辿り着いた。
早期のポルトガル併合によりスペインが著しい成長を遂げ、スコットランドがメアリー・スチュアートの遺言によりフランスのものになり、イングランドの国教を確定し一流国家へと導いた名君主の治世が、始まる前に閉ざされれば――
この世界の未来は、どうなってしまうのだろう。
メアリー・チューダーの後を受けて王位を継ぐはずのエリザベスが戴冠前に死ねば、その時点で、再びイングランドは内戦状態に陥るだろう。
当然、メアリー・チューダーの夫であったスペイン王フィリペは、己の王位継承を主張してくる。混迷を深めるイングランドがそれに屈服すれば、ブリテン島は南北でスペインとフランスに分割され、スコットランドとイングランドは永遠に1つになることはなく、大英帝国は誕生しない。
そして、16世紀の宗教改革は、反宗教改革派の勝利に終わり、ローマ・カトリックの支配が継続する……?
「だが、まるでその大それた試みを阻止しようとするように、無理やり生き返らせられた人間がいる」
レイの言葉通り、それは無理やりという表現が正しく思えるほど、不自然な現象だった。
「……つまり、誰かがカトリック世界の永続ために、エリザベスたちを死なせようとして、それを阻止しようとした何者かが、私達を呼び寄せたってこと……?」
まるで魔法だ。
「誰が……どうやって……?」
「誰だと思う?」
答が分かっているというわけではないのか、投げやりな調子で聞かれた。
「ローマ・カトリックのためには手段を選ばない、人智を越えた力を持つ人物……ローマ教皇とか……?」
「ばっか。教皇とかただの人間だろうが。せいぜい破門状出してせこせこ陰謀巡らせるくらいしか出来ねーよ。どうやって遠く離れた国の王侯を同時多発的に殺すんだ」
「えーと、呪い? 黒魔術とか……」
「ねぇよ」
ないか。
うん。私もないと思う。
「魔術だ呪いだなんて気持ち悪い話持ち出すくらいなら、まだ神のような人智を越えた何かの意志が動いたとでも言われた方が、諦めもつく。だが、こんな気持ち悪いことやらかすのは、人間しかいねぇのも確かだ」
そうだ。
もし神のような存在が本当にあったとしても、それが人間という地球上の生物の一種の、しかも特定の思想を持つ一派のためだけに、わざわざ小細工を巡らせてやるとは到底思えない。
人間のために動くのは、人間しかいない。
「宗教で世界を支配しようとするようなバカは、人間しかいない。そんなバカが、俺たちが生きていたよりもずっと先の未来に存在していたとしたら?」
「未来?」
「そう、未来だ。16世紀の人間にも、21世紀の人間にもこんなことは出来ない。だが、もっと先の時代の人間が、過去を変えるほどの力を手に入れていないかどうかは、俺たちには分からない」
「それ!」
その言葉に、私は濃い霧の一部が晴れた気持ちで、身を乗り出した。
神の奇跡だの、魔女の呪いだのを持ち出されるよりは、いっそ全く想像のつかない、遠未来の技術であると言われた方が納得できた。
未来から過去に干渉できることは、私達が身をもって知っている。
私は自分自身のために、今話した内容を整理した。
「もし、何世紀も先の人間が、この16世紀の宗教改革時代の結果を変えようと操作していて、それを阻止しようとした人間が、別の時代――すでに16世紀の歴史を知っている人間を、死んでしまったこの時代の最重要人物たちに成り代わらせることで、対抗しようとしていたら――」
「今もなおその攻防が続いているのか、1559年1月の時点で打ち止めなのかも分からねぇが、そんなことがいくらでも出来るなら、それこそウィリアム・セシルやジェームズ1世あたりのキーマンをざくざく殺していけばいいわけで、それが出来ないってことは、何かしら限界はあるんだろうな」
「セバスティアン1世やエンリケ王は死んじゃったあたり、その対抗している側の手段も制限がありそうよね」
「そうだな……時期は早まったが、その2人が後継者を持たずに死んで、ポルトガルがスペインに併合されるのは歴史通りだ。生き返らせることにリスクや制限があれば、妥協するポイントではある」
あくまで仮定の上ではあるが、議論が進む。
「バーコットが死んだのは1月の末だ。1559年1月10日の時点でエリザベスを殺すことに失敗しても、バーコットさえ抹消していれば、同じ結果が得られたって意味では、次善の策だったのかもしれない」
バーコットが生き返っている時点で、それすらも敵対する側に防がれたことになる。人智を越えた攻防が、遙かな高見から繰り広げられている気がして、まるでボードゲームの駒にでもなったような気分だ。
「今どうなってるの」
「ギリギリだな。メアリー・スチュアートとエリザベス1世の代役が上手く機能して、なんとかそれらしい方向には流れてる」
「何その言い方微妙」
「俺もこっちに来てから、意識して世の中の動向を見てたんだが、どんどんおかしくなってきてる。とにかく時期が早いんだ。歴史が前倒しになっている。1番の原因はポルトガルの併合が早まったことだろうが、中途半端に歴史の知識のある人間が代役を務めてるせいで、ことが早く進み過ぎてるってのもあるかもしれん」
「う……」
何となく心当たりがあり、私は押し黙った。
私が過去の行いを振り返っていると、気付いているのかいないのか、レイは自分の知っている歴史の知識と現状の差異を、いくつか取り上げ始めた。
「エリザベス1世の終生のライバル、スコットランド女王メアリー・スチュアートの起こした一連の行動も、数年早まってる」
「それは、マリコがせっかちで行動力があり過ぎるせいな気も……」
……ああでも、もしかしたら、いずれエリザベスに殺されるという前知識によるプレッシャーが、彼女を余計に生き急がせているのかもしれない。
「お前、フランシス・ドレイクに世界周航をけしかけただろう」
「けしかけたっていうか……行きたいって言うから後押ししてあげたっていうか……だって行ってもらなわないと困るし」
なんてったって、貧乏イングランドの救世主だ。
答えると、レイが頭を抱え、大きくため息をついた。
「17年早えっ」
「あらっ?」
マジか。
じゃあ、あそこで偶然出会ったのもおかしかったのか? 私が脱走企てたせい?
本物のエリザベス1世が、到底やりそうもない行動を取ってしまったから、予定にない出会い方をしてしまったのだろうか。
自分的にはこれだけは間違いない! と思っての采配だったのだが、とんだ先走りだったらしい。ウォルシンガムに安直だと馬鹿にされるのも納得だ。
「でもさー、だってさー、フランシス・ドレイクの功績を中途半端にでも知ってて、あの場で手放すこと出来ます? もう1度会えるかどうかも分からないのに」
一応、自己弁護をしておく。私があの場で彼を見逃したとして、ちょうどいい時期に再会できたかも分からない。それまでに色々歴史が変わってしまっている可能性は大いにある。
「まあ分かるけどな」
そこには、レイも共感してくれた。
「……だが必然だったのかもな。スペインのポルトガル併合が早まったら、イングランドとの対決が早まる可能性は高い。アルマダの海戦の勝利にはドレイクの力が必須なことを考えると……何かしら歴史の修正力が働いてるのか?」
ぶつぶつと呟く。レイの頭の中では年号が行ったり来たりしているようだが、確かな知識のない私には、何が何だか分からない。
「あ……でもね、その……大変申し上げにくいんですけども」
申し上げにくすぎて、やたら下手に出てしまう。顔を上げにくい。
「ドレイクが……死んじゃった……かも」
「マジでか……? どうしてそう思う?」
「一緒に遠征に出た副提督のウィンターだけが戻ってきたの。嵐に遭って船団が散り散りになって、多分、戻って来れなかった船は全部遭難してるんじゃないかって……」
「ウィンターか……何か読んだことあるな、それ」
「え?」
私が顔を上げると、レイは言葉を選ぶようにして続けた。
「実際に、ドレイクが世界周航を達成した時も、嵐で離散した船団のうち、ウィンターの船だけが先に戻ってきて、同じような話をしたんだ。だが、その間も実はドレイクとその船員達は生きていて、国には戻らず航海を続けていた」
「それじゃあ、ドレイクは……!」
いきなり希望が開けて、声が明るくなる。
「まあ待て。今回もそうなってるとは限らない。なんせ、17年も航海が前倒しになってるんだ。ドレイク自身の成熟度も違うだろうし、乗っている船員や、気候や潮の流れだって、全く違うはずだ」
「そう……よね……」
いきなり希望が閉ざされて、ガックリ肩を落とす。
「どうしよう……」
「どうしようも何も、俺たちにはどうにも……けど、死んだって確証はないんだから、希望はある。あくまで希望だけどな」
「うん……」
そこは、レイは落ち着いていた。私をこれ以上不安にさせないため……なのかどうかは分からない。
「この時期、スペインとイングランドは、まだ財政難に苦しんでいた。そのため、フィリペ2世とエリザベス1世は、互いに牽制し合いながらも、直接対決は避けていた。だが、その状況が変わるのが、スペインのポルトガル併合だ。潤沢な資金を得たフィリペ2世は、一転攻勢に乗り出す。無敵艦隊を整備し、イングランドに喧嘩を売る」
「……イングランドは、まだ貧乏なままなんだけど」
「ドレイクが帰ってこればなぁ……」
青褪める私に、レイがしみじみと言う。やっぱりドレイク頼みなのか。
分かったのは、私の中途半端な歴史の知識が、もう大して役に立たないということだ。
歴史が早送りになっているとすれば、エリザベス1世の晩年のハイライトであるスペイン無敵艦隊との直接対決も、一体いつ起こるか分からない。エリザベスの治世において外せないイベントだが、時機を見誤れば失敗する危険性がある。
「早めに備えておかないと……」
海軍の整備は急務だ。だが、今必要以上に軍備にお金をかけるのは、難しかった。
私も、いずれ来るスペインとの直接対決は見据えており、ドレイクの推薦で、サン・ホアン・デ・ウルアの惨劇で負った怪我から復帰したジョン・ホーキンズを、海軍監督に登用した。
これがなかなか出来る男で、軍内に蔓延していた不正や汚職を摘発して、規律を正し、効率的な軍備増強を図ることで、現在、しょぼしょぼだった海軍力を急速に立て直しつつある。
けれど、現時点で、大艦隊に立ち向かえるだけのものかどうかは……
頭の中で軍事予算と王室歳入の収支、人員の確保や教育にかかる現実的な時間を計算する。知らないうちに下を向いていたが、その私の耳に、レイの呟きが届いた。
「気持ち悪いのはフィリペもなんだよな……あいつが未だ独身なのも妙で、本当ならエディンバラ条約の時に、エリザベート・ド・ヴァロアと結婚しているはずなんだが」
「あ、ごめん。それ私のせいかも」
「は?」
そういえばセシルが、そんな話も出ていたが、私との婚約交渉を優先して立ち消えになったと言っていた。
そこは特に深くは説明せず、話題を変える。
「何にせよ、このままだと、いつスペインとの全面対決が起こってもおかしくはない。ってことよね……」
「ああ。本来なら、アルマダの海戦は1588年の出来事だが……」
「そんなに後なんだ……」
そこまで、今の状況を持たせられるだろうか。
これも歴史が早まっているせいなのかどうかは知らないが、スペインとの対立は、それこそ、フランスとの同盟を真剣に急がねばならないほどに深刻さを増している。
「遅かれ早かれって話ではあるが、状況は変わってきてる。アルマダ撃破は、天候やもろもろの幸運な条件が重なっての勝利だ。とにかくタイミングが良かった。あらゆる機が熟して、エリザベスとイングランドに味方をした」
「そこまで言わなくても……」
ガスガスとプレッシャーの石が落ちてきて沈みそうになる。
前評判を覆し、奇跡的に無敵艦隊を撃退した、小国イングランド。
だからこそ、エリザベスの治世最大のターニングポイントになったのだろう。
私がベッドに突っ伏しかけていると、レイが意外な人物の名を口にした。
「それに、ウォルシンガム……」
「ウォルシンガムがどうしたの?」
反応して顔を上げる。
「対スペイン戦の裏には、ウォルシンガムの策謀がかなり働いている。今はまだ国務大臣じゃないウォルシンガムが、どこまで動けるか……」
「ウォルシンガムって、国務大臣になるの?!」
セシルの後釜だ。
「もう面識はあるのか?」
「面識も何も……ずっと私の執務の補佐で頑張ってもらってて、これがびっくりするくらい有能だから、キャリアアップもかねて、今はフランス大使としてパリに渡ってもらってるけど」
「フランスに? ……早いな」
早いのか。
ともあれ、レイがウォルシンガムを知っていることに、妙に興奮した。
「へー。そうかー、やっぱり有名人だったんだー。国務大臣かー。出来る男は誰の下でも出世するもんねー」
「知ってて重用してたんじゃないのかよ」
呆れたように突っ込まれる。
そりゃフランシス・ドレイクとか、マンガとかにも出てきそうな超有名人は知ってるけど、さほど興味のない時代だったので、政治家とかになると、ほとんど知らない。
「いや、別にそういうわけじゃ。なんとなく、気付いたらそこにいた感じで……なにかと頼りになったし」
「……ふーん」
レイが気のない相槌を打つ。もう少しその辺の話を聞きたい気がしたが、レイは簡単にまとめた。
「とにかく、イングランドは、ドレイクがスペインから略奪した財宝による資金力と、この男のカリスマ性と指揮能力、ウォルシンガムの暗躍と時の運によって、アルマダの海戦を乗り切った」
そう聞くと、やっぱりドレイクの存在が大きい気がする。
「もし、ドレイクが死んでしまったのなら、イングランドは彼の力なしで財政難を立て直し、アルマダの海戦を闘わなければいけないってことよね……」
「そう言うことになるな。そうなると相当キツイが、頑張れ」
「うぅ……」
簡単に言ってくれる。
だいたい、才能のある人間達の働きと運のおかげで勝てたとはいえ、基礎となる軍事力や資金がなければどうにもならない。そこを工面するのが、私の仕事なのだろうけど。
「まぁ、この世界の歴史が変わったところで、俺たちの生きてた時代に影響はないんだけどな、多分」
「へ?」
プレッシャーにうんうん唸っていた私は、その一言に間の抜けた声を出した。
「……どーいうことでしょうか、バーコット先生」
「気付かねぇか」
やっぱり気付いてなかったのか、と言いたげな顔で見られた。
「ここは、俺たちの生きていた世界の『過去』じゃない」




