第172話 貴族嫌い
「あの……ドクター・バーコットですか?」
状況的にはほぼ間違いないが、視覚的に不安が残るため、ハットンは念のため確認した。
「誰だアンタ」
カウンター席の男――おそらくバーコット医師が振り返り、不愛想に聞き返す。
伸び放題のぼさぼさの髪に隠れて顔は見えないが、意外に声は若かった。
入るなり鼻につくアルコール臭には驚いたが、よく見ると、店の中は物がぞんざいに置かれているだけで、汚くはなかった。
「診療のお願いに来た者です」
「健康そのものって顔してるがな」
どうやら、向こうからはこちらの顔は見えているらしい。ハットンは否定した。
「いえ、僕ではなく……」
「ここ、居酒屋じゃないですよね? お酒たくさんありますけど」
気になって仕方がなかったのか、ディヴィソンが棚に並ぶ酒瓶を眺めながら確認する。
男の回答は簡潔だった。
「消毒用」
「……今、飲んでるのは?」
「嗜好用」
消毒用兼嗜好用の酒を傾けながら、診察を頼みに来た人間に対して全くやる気のない対応をよこす男――バーコット医師。
仕事する気あるのかなこの人……
ハットンも不安になってきたが、かといって任務を放棄するつもりはなかった。この腰の重そうな貴族嫌いの男を、なんとか女王の御前に引きずり出さなければいけない。
「僕の知り合いの……えっと、大切な人の娘が、危篤なんです。助けて貰えませんか」
「患者は?」
「とても連れてこれる状態じゃなくて……ここからそれほど遠くないので、一緒に来て欲しいんです」
グリニッジはロンドンから約6マイルほどの場所だ。馬車を走らせればすぐだが、こんな路地裏には乗り込めないので、大通りに待たせてある。
「症状は?」
「熱が……高い熱が続いていて……とても苦しんでいます。まだ7歳の少女なのに、哀れで……」
「…………」
男の、酒を飲む手が止まる。
グラスをテーブルに置き、バーコットは初めて2人に向き直った。
「――で、アンタは貴族か?」
来た。
ケアリーの話を思い出し、ハットンは少し緊張しながら、正直に答えた。
「いえ、親はノーサンプトンシャー州の小さな土地持ちです」
「僕も、しがない郷士の息子です!」
「だろうな」
「だろうな……!?」
どうやらディヴィソンは疑われなかったらしい。
「その娘の家は? 金は持ってるんだろうな?」
「き、貴族ではありませんが、とても裕福な方です! 娘をどうしても助けたいと……そのためには、お金に糸目はつけないと仰ってます!」
「…………」
男が黙った。表情は分からないが、長い前髪の奥から、探るような視線を感じた。
とっさに嘘をついてしまったが、怪しまれただろうか……ハットンが後悔しかけたところで、男がようやく口を開いた。
「ま、いいだろ。7歳の娘が死にかけてんじゃ、そうも言うわな」
納得したらしく、男が席を立つ。
「おっと」
足下が覚束ないのか、ふらついた。
大丈夫だろうか。
「こんなもん、ちょっと外出りゃ冷める」
依頼人の心の声が聞こえていたらしい医者が無愛想に見得を切った。
立ち上がり、カウンターの方に入った男は、ブツブツ呟きながら引き出しを開けたり閉めたりし出した。
「えーっと、あれとこれとそれと……熱が出たのはいつ頃だ?」
「5日程前です」
「高熱が続いている他に症状は?」
「頭や、身体が痛いと……」
「……一応持ってくか」
ハットンの話を聞き流しながら、男は棚の酒瓶を1つ取り出した。
「結構裕福な家なんだよな? 言われた物はすぐ用意できるか? 布とか、火とか、水とか」
「それは、迅速に対応出来ます!」
「んじゃ行くか」
壁に掛かっている器具や、カウンターの引出しの中の針や刃物、棚の酒瓶などをいくつか無造作に麻袋に放り込み、男は思いの外しっかりした足取りで店を出た。
「大通りに、馬車を待たせてあるので……」
ハットンが先頭に立って、3人で店を出ると、通りの斜向かいでケアリーが待っていた。
帽子を目深にかぶり、会釈をする男に、バーコット医師が立ち止まり、低く唸った。
「てめぇ……」
急にズカズカと近づくと、ケアリーの帽子を取り上げ、投げ捨てる。
その突然の狼藉にハットンとディヴィソンは目を丸くしたが、帽子を奪われたケアリーは苦い顔を見せた。
「このガキはアンタの差し金か。聞いたぜ、宮廷でえらい職についてる貴族様なんだってな……てめぇが貴族だって分かってたら、あのガキは助けなかった」
「そんな、関係ないでしょう! その子が貴族だったわけでもないのに……」
その極端な言い草に、さすがにハットンも男を非難した。それに対し、振り返った男が荒々しく言い返してくる。
「そういう問題じゃねぇよ。てめぇらに関わるとろくなコトがない。今もこうやって、騙してでも俺を連れて行こうとしてんじゃねーか」
「……!」
そう言われると反論の余地はなく、口を噤むと、バーコットは鼻息荒くケアリーに背を向けた。
「ヤメだ、戻る」
「させません!」
一番最後に店を出たディヴィソンが、すかさず入り口のドアを閉め、その前を塞いだ。
「ちっ……」
「待て!」
舌打ちし、逃げ出そうとするバーコットを、ケアリーが羽交い締めにする。
「お前の主義主張なんてどうでもいいんだよ! こっちは大事な命がかかってんだ!」
「そうやってテメェ等の都合ばっかり優先するから、貴族ってやつが嫌いなんだよ! 離せっ」
男2人が揉み合うが、戦闘職についているケアリーの方が優勢だった。
「おいハットン、抑えとけ!」
「はいっ!」
ケアリーの指示に、ハットンは後ろから暴れるバーコットを押さえ込んだ。
「くそっ……何だってんだよ」
2人がかりで捕らえられ、苦々しく吐き捨てたバーコットが一旦、観念したように抵抗を止める。
その間に、ケアリーが事情を説明した。
「ある高貴なお方が、腕の良い医師を捜している」
「ここまで来てあるお方、かよ。名乗りもしないでよく呼びつけようなんざ思えるな」
「聞けばお前は断れない」
「んじゃあ言うな。俺は断るから」
「女王陛下だ」
「言うなっつってんだろ――って、は?」
ほとんど聞く耳を持たなかったバーコットも、これには唖然として聞き返した。
「エリザベス女王陛下が、至急名医の手を求めている。お前に断る資格はない」
「エリザベス女王が……?」
だが、動揺こそ見せたものの、その男は、大抵の人間が女王の名を聞けば抱く畏怖の感情を見せることもなく、全く関係ないことを口にした。
「今何年だっけ?」
「1562年だが」
「ああ、じゃあやべーな」
「何?」
「命に関わる大病に冒される」
「――!? 貴様、占星術師か?!」
ケアリーが気色ばむ。
明らかに動揺している様が愉快だったのか、バーコットは口元に皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「いいや医者だ」
「…………」
だが、ケアリーは表情を険しくしたまま医者を睨みつけ、静かに抜いた短刀を突きつけた。
今度は、バーコットの方が顔色を変える番だった。
「……来い!」
「……分かったよ、行きゃいいんだろ、行きゃあ」
鬼気迫る顔で凄むケアリーに、ついに折れたバーコットが投げやりに承諾し、肩を落とす。
「めんどくせぇな……」
ハットンとディヴィソンに両脇を挟まれ、ケアリーに後ろから刃物で脅かされながら路地裏を歩くバーコットが、心底面倒臭そうに呟いた。
この期に及んで出てくる感想がそれとは、肝が据わっていると言うべきか、毛色が変わっていると言うべきか。
紆余曲折はあったが、何とか目的の医師を捕獲し、ハットンはホッと胸を……撫で下ろすには、もう一踏ん張り必要だった。
「面倒くさい? あまりふざけるなよ。女王陛下のご命令だと……」
「だから、行くっつってんだろ、その物騒なもん引っ込めろ!」
短気なケアリーが切れるのに、こちらも短気な男が反抗する。
大丈夫なんだろうか、この人。
全く晴れない不安を抱えながら、ハットンは今にも取っ組み合いの喧嘩を始めそうな2人と、気が気でない様子で彼らを見守るディヴィソンと共に、グリニッジ宮殿への帰路を急いだ。




