第168話 危ない婚約者
朝の謁見前、支度を済ませて私室で待機していた私を、セシルがいつもより早めに迎えに来た。
9月に入り、ウォルシンガムから婚約交渉の相手であるアンジュー公アンリについて、詳しい報告が入ったらしい。
「ウォルシンガムの報告では、アンジュー公は背が高く、四肢がすらりと伸び、若々しく華やかな美男子であると」
「ほうほう」
多分ウォルシンガムは、その辺の報告で盛ることはないので、正確な情報だろう。
「ただし、男色好みで女装癖があると……」
身を乗り出して聞いていた私は、思わず、弄んでいた扇子をポロリと取り落とした。
「それって……」
言葉を呑み込んでセシルを見るが、彼も報告書を片手に微妙な顔をしていた。
ホモと結婚しろってか!?
しかも女装癖って……何、私が男装すればいいの? それどんな倒錯。
やってくれるなカトリーヌ。
アメリカに留学中はゲイの友達もいたので、特に偏見はないのだが、結婚となれば話は別だ。
「それって、相手の方も私に興味ないんじゃないの」
「どうでしょう……」
セシルが口を濁す。
「……まあ、私に興味はなくても、イングランドと王位には興味があるか」
所詮は政略結婚だ。
「何にせよ、お断りする理由は出来たわね。価値観の不一致ってことで」
もともと成立させるつもりのない結婚交渉なので、前向きに捉えておく。前向きに前向きに。
「ウォルシンガムもそのように書いています。花婿候補としては到底推奨できないが、隠れ蓑として利用する分には大きな問題にはならないと」
頼もしいものだ。
「というか、ウォルシンガムは大丈夫なの? あいつ目立つし、なんかそういうのに好かれそうなんだけど……」
「詳しくは書かれていませんが、女の君主に仕えるのなどやめ、己に仕えるよう持ちかけられたとは一言」
「危ない! それ危ない!」
半分冗談のつもりで聞いたのだが、あんまり洒落にならなかった。相手が王族なだけに逆らえなかったりとか……いや、よそう。きっと大丈夫だ。
「ほ、ほかのことは何も報告はなかった……?」
「結婚報告などは何もないようですが」
「や、別にそれを聞きたいわけじゃなくて!」
いつかのロバートの言葉が頭をよぎり、さりげなく聞いたつもりが、クリティカルに答えられる。
なぜそこをセシルが突っ込む。もしや顔に何か書いてあるのか。怖い。
くそぉ~……
気にするな私!
「手紙を送ってみてはいかがでしょうか」
「手紙?」
ちょっぴり不貞腐れていると、セシルが急に、そんな提案をしてきた。
「近況が気になるようでしたら、個人的にご連絡を取られても……」
「いやっ、別に気になってるとか、そういうわけじゃないんだけどっ」
妙にセシルに押されて、ほとんど反射的に否定する。
「いいわよ、そんなの。定期報告で間に合ってるし」
「そうですか……」
セシルはなぜか残念そうだったが、それ以上は食い下がらず、話題を変えた。
「そういえば陛下、本日はノリッジの毛織物組合の職人達が謁見を希望しているようですが」
おおっ。ということは、ついにアレが出来たのか!
「別の部屋で待たせておいて。後で会います」
「かしこまりました」
胸躍る私は、朝の謁見を巻きで終わらせると、セシルを伴って、いそいそと別室で待たせている組合長のもとを訪れた。
私が入室すると、通された応接間の隅で所在なさげにしていた数人の職人たちが、慌てて平伏してくる。
「どうぞお立ちになって、皆さん。私は、あなた達の訪問をとても楽しみにしてたのですから」
私に促され、ようやく全員が立ち上がる。
1番前にいた組合長が、大層な箱から1枚の布を取り出して、私の前に恭しく掲げた。
「女王陛下、こちらが御所望の品でございます」
それは、麻で出来た1枚のタオルだった。
「随分時間がかかったわね」
てこずった理由を知りたかっただけだが、組合長は冷や汗をかいた。
「はい、申し訳ありません。なにぶん、麻というものは繊維が短く滑りやすいので、毛足の長い絨毯織りには不向きな素材でして……」
「なるほどね」
だからこれまで、パイル織の麻布というものが発明されなかったのだろう。
パイル絨毯の製造技術自体が、イングランドでは割に新しいものらしく、ここ数十年の間に、宗教迫害から逃れてきたフランドルの技術者達によってもたらされたのだという。
彼らが居留したノリッジが、元々毛織物業が盛んな地域だったというのもあり、技術を継承したパイル織絨毯の職人たちは皆、ノリッジの毛織物組合に所属していた。
献上された布を引っ張ったりすかしたり叩いたりしながら、組合長の丁寧な説明に耳を傾ける。
こうしていると、前の仕事を思い出す。クライアントの希望を叶えるために、工場まで出向いて現場の人間と意見を出し合うのも、営業の仕事の1つだった。
別に織物の専門知識があるわけではないが、雑貨全般を取り扱う仕事だったので、素材やものづくりに対する知識は広く浅く身についた。
勿論、必要に応じて覚えたものなので、素人の知識に毛が生えた程度のものだが、いつの時代にも専門職は存在するので、発注側に現実的なイメージがあれば、大抵のことは彼らに任せたらなんとかなってしまう。職人は偉大なり。
私のせいで入浴ブームがイングランド宮廷を席巻している昨今だが、この時代、身体を拭くものには吸水性にすぐれたリネン生地が利用されていた。しかし、絨毯以外にパイル織という発想はなかったらしく、従来の平織りの麻布では、頻繁に入浴して全身を拭くとなると、吸水性や通気性の面で不満があった。
馴染みのあるタオル地が恋しくなり、麻を使ったパイル織の生地を作れないか、織物業者に依頼していたのだ。
ようやく出来上がった試作品は、機械織のタオル製品を見慣れた私からすると、目が粗くいびつで、毛足がやや長過ぎた。
「これだと、繊維がポロポロ抜け落ちやすいわね。もう少し毛足を短くして、目を細かく詰めたら改善されるんじゃないかしら」
「はい……」
私のダメ出しに、組合長が難しい顔で頷く。それが今の技術では難しいのだろう。知ってる。
「やっぱりシャリシャリしてるわね」
「麻の独特の感触です」
表面を撫でながらの感想に、組合長が答えてくる。
これはこれで気持ちいいのでありかもしれないが、綿の肌触りの柔らかさを知っている身としては、やはりコットン100%が恋しくなる。
「吸水性は?」
「そ、それは、陛下がご提案された通り、誠に素晴らしいものです! おい、あれを持ってこい!」
組合長が意気込んで太鼓判を押し、同伴していた職人に指示を出す。すぐに私の目の前に、桶と水差しが用意された。
桶の中に少量の水をこぼし、試作品の麻タオルで拭き取る。
「ほら、この通り! どうぞ、こちらを触ってみてください」
濡れていた桶底が綺麗に拭きとられ、吸水したタオルの面を見せてくる。触ってみると湿り気はあるが、まだ容量に余裕はありそうだ。横で付き合っていたセシルが、おお……と感心していた。
「貸して」
私は職人の手から水差しを取り上げ、桶の中に水を注いだ。抱えるほどの桶に1cm程度水を張り、麻のタオルを浸す。みるみる水を吸い取り、桶の中は空っぽになったが、タオルの方も、水を吸い過ぎてぽたぽたと水滴が滴るほどには一杯になっていた。
これまで利用されていたものに比べれば、格段に吸水力は上がっている。だがやはり、綿のタオルに比べれば落ちるか。
「悪くないわね」
「悪くない……!?」
私の甘めの評価に、組合長が愕然とした。
「いいえ、改良の余地はありますが、なかなか良い出来です、組合長。今後、王室でこの技術を保護します。技術者の教育と生産効率、品質の向上を目指してください。でもまずは、私が毎日使えるだけの分が欲しいわね。サイズもいくつか……あ、セシルも使う?」
「よろしいのですか?」
「うん、ある程度生産が見込めるようになれば、お風呂好きの貴族階級を中心に布教しようと思ってるし」
イングランドの柱産業の1つは、羊毛産業だ。
私の即位以前は、極端なポンド安で毛織物の輸出が伸びていたが、1年目に貨幣価値の水準改善に努めたところ、国際競争力が低下した毛織物業の伸びが鈍った。ここまでは想定の範囲内だったが、スペインとの関係悪化とアントワープ港の締め出しは大打撃だった。
今はセシルが開通したハンブルク港のおかげで持ち直しつつあるが、従来の毛織物の輸出は年々先細っているため、国内産業の振興は、私の即位当時からの課題の1つだった。
毛織物で培った技術を流用して、新しいビジネス展開を考えられればと思っているのだが、自前で生産できるものが少ない島国では、加工業を推進した方が未来は明るい。
趣味と実益を兼ねたタオル製造は、その仕込みの一環だが、私の理想としては、本当は麻ではなくコットンを使いたい。
とはいえ、綿織物の輸入は地中海交易を通じたごく少量だし、原綿となると全く手に入らなかった。この辺は、アジアと直接の交易が出来るようになることが不可欠な条件だ。
さっそく試作品のタオルをいくつかもらい、1つセシルにあげて、織物職人たちには発注と課題を言い渡して送り出す。
わーい。今日はさっそく、お風呂でこれ使おうっと。
ささやかな楽しみがあると、1日が充実した気になるものだ。




