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第165話 ジェーン・グレイの悲劇


 今年の夏の行幸では、北部の情勢の不安定さを考え、南西部を周遊することになった。

 ポーツマス、サウサンプトンなどの港町を見学し、帰りに温泉地で有名なバースを回ってロンドンに戻る予定だ。


「しばらくは人気のない山道を通りますので、少しお休みになられては」


 馬車の中で、キャットが扇子で仰いでくる。

 揺れはあるが、女王の馬車の内装は衝撃を和らげるためにふかふかのシートになっていて、さらにクッションを敷き詰めてあるので、乗り心地はそこまで悪くない。

 そして、私は割とどこでも寝れる人間だ。


「うん……」


 ちょうど、うとうとしかけていた私は、一瞬で寝落ちした。



 ……はっ!



 ガタン、と大きな揺れがあって馬車が止まり、目が覚めた。

 

 どれくらい時間が経ったのかは分からないが、それほど長い時間ではなかった気がする。

 だが、良質な睡眠を取れたらしく、とても頭がスッキリしていた。


「陛下の仮眠の効率の良さは軍人並みですわね。朝はなかなか起きてくださらないのですけど……」


 寝起きの悪い私にいつも手を焼いているキャットが苦笑する。

 乗り物が止まると一瞬で覚醒するのも営業の習性である。


「ただいま、市内の入場用に、馬を替えております。陛下もそろそろご準備を」

「分かったわ」


 伸びをして応え、馬車を下車すると、すでに、すぐ近くにテントが張られていた。チューダー王家の色である緑と白のストライプのテントに入ると、別の馬車で移動していた寝室付き侍女たちが3人、膝をついて待っていた。

 その中で、移動中に乱れた髪や衣装を整えてもらう。

 今から入場する街は比較的大きく、数日間留まることになるので、盛大な歓迎の式典が用意されているはずだった。

 行幸は地方の民衆に女王を直接見てもらう機会なので、気張っていかにゃあ。


 女王の夏休みも兼ねた遠征だが、なかなか羽を伸ばしてばかりもいられない。とはいえ、普段遠出をする機会がない分、新しい土地を訪れられるのは楽しかった。


 そうこうしているうちに、これから訪問する市内に危険がないかを確かめに行っていた偵察が戻ってきたらしく、テントを出た私を、ロバートが待ち構えていた。


「陛下にご報告がございます」

「どうしたの?」

「偵察が戻ってきたですが、どうやら、市内でデモ隊が待機しているようです」

「……武装は?」


 不穏な報告に、慎重に尋ねる。


「武装はしていません。礼儀正しくしているため、今のところ市の警備隊も静観しています」

「武装していないのなら、自分の主張を誇示したいだけの善良な市民です。過剰な防衛行動には出ないように。横断幕くらいは読んでやりましょう」

「今は大人しくしていますが、女王のお姿を見れば、どんな行動を起こすか予想出来ません。念のため、馬車にお乗り下さい」


 ロバートの頼みを受け、私は馬で入場する予定を取りやめて、女王の馬車に乗り込んだ。


 市内入場用に飾り立てた馬に曳かれた車に乗ると、キャットと入れ替わりで、レディ・メアリーが待機していた。

 世話役も交代制である。


 長い行幸の行列が、ゆっくりと市門に吸い込まれていく。市壁の外にまで民衆が溢れ、女王の馬車が近づくと、一際歓声が湧き上がった。

 市門をくぐった途端、花火と太鼓、ラッパの音に迎えられた。着飾った若い女性たちが、馬車の進む先に、笑顔で籠一杯の花びらを振りまく。


 そんな熱烈な歓迎に、私は窓から笑顔で手を振って応えた。


「陛下、デモ隊です。お気を付け下さい」


 馬車の横を並行していたロバートが注意してくる。

 確かに、行列の進む道いっぱいまで乗り出した民衆の後ろに、異質な団体が固まって横断幕を掲げ、叫んでいた。


『メアリー・スチュアートを追い出せ』


 まず目に入った大きな横断幕には、攻撃的な文字でその一文が書かれていた。

 続いて、『異教徒の魔女』『断罪すべき不浄の女』といった類のプラカードが続く。


 それは、どうやら清教徒(ピューリタン)の一団だった。


 先の北部の反乱計画に、メアリーが関わっていたという話は、どこまで正確に伝わっているかは謎だが、町から町へと伝搬し、特にプロテスタント信仰の強い南部では強い反感を買っているという噂は聞いていた。


 イングランド女王を褒め讃えながら、スコットランドを追われた女王を口汚く罵る一団に、女王の行列を攻撃する意志はないようだったが、私は、最初の年にノリッジを行幸で訪れた時に、同じように自分が罵られたことを思い出していた。

 北と南で、これだけ反応が違うのだから、同じ国とはいえ、1つにまとめるのがどれだけ困難かを痛感する。


「メアリー・スチュアートですか……あの方を見ていると、女の王の結婚がどれだけ難しいかがよく分かりますわね」


 そんなデモ隊の訴えを、私の向かいで眺めていたレディ・メアリーが呟いた。 


「……陛下がご結婚をなされないというのなら、それもよろしいかとワタクシは思っておりますの」

「本気?」


 こんな身近に、女王の未婚に賛成する女性がいたことに驚く。キャットですら、本心では結婚をして欲しがっているというのに。

 意外な言葉に顔を向けると、レディ・メアリーは至って真面目な顔で続けた。


「結婚は、男が女を繋ぐ鎖です。大方の女も鎖に繋がれなければ生きていけない以上、これは必要なものなのでしょうが、陛下のように繋がれる必要のないお立場と資質をお持ちの女性であれば、あえて結婚などなさらないというのも1つの考えでしょう」


 突き放したような結婚観は、私以上に割り切っていて、少しびっくりする。

 彼女自身は結婚していて、幼い息子もいる。 

 特に夫との不仲などは聞かないし、跡継ぎになる自慢の息子までちゃんといるレディ・メアリーが、そこまで結婚を突き放す理由があまり見当たらなかった。


 返す言葉に迷った私の疑問を感じ取ったのか、レディ・メアリーが昔話をするような眼差しを窓辺に向けた。私も、女王として街路の民衆に笑顔を振りまきながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


「レディ・ジェーン・グレイのことは覚えていらっしゃいますか?」

「……勿論」


 と言いつつ、実は会ったことはない。ジェーン・グレイは、私がこの世界に来るより前に死んでいる。エリザベスが彼女とどの程度の仲だったかは知らないが、親戚でもあるし、一時同じキャサリン・パーの宮廷に身を寄せていたこともある。覚えていないと言うことはないはずだ。


「ワタクシは姫様と親しくさせて頂いておりましたの」


 懐かしむような声に、哀しみが滲む。レディ・メアリーにとって彼女は、弟の妻となった女性でもある。


 サーフォーク家のレディ・ジェーン・グレイは、ヘンリー7世のひ孫に当たり、ヘンリー8世の実子3人に次ぐ王位継承権を持っていた女性だ。


 レディ・メアリーとロバートの父、ノーサンバランド公爵ジョン・ダドリーは、幼少王エドワードの摂政だった。彼は、敬虔なプロテスタントだったエドワード王の後をカトリックの姉メアリーが継ぐことを恐れ、死の床に貧した若い王を説得して、次の王位継承者にジェーン・グレイを指名させた。

 そして、そのジェーン・グレイを自分の息子と結婚させ、自らの地位を確固たるものにしようとした。


 だが、その強引な政略は周囲の反感を買い、本来の王位継承者であったメアリー・チューダーを支持する一派によってノーサンバランド公は失脚し、女王ジェーン・グレイはたった9日間の王位についただけでロンドン塔に投獄された。


「父の政略に担ぎ出された姫様が得たのは、たった9日間の王冠だけでした。せめてあの方に、王冠への執着があれば救いもあったでしょうが……姫様は最後まで王位につくことを拒んでおいででした。姫様はお姿もお心もお美しく、聡明でお優しい方でした。お亡くなりになった時はまだ17歳で……ええ、何の罪もない、少女でした」


 ロバートの父ジョン・ダドリーは、政敵であったサマセット公爵を蹴落とし、摂政にまで上り詰めた男だが、彼もまた政略に破れた結果、反逆者として処刑台へと上らされた。

 そして、9日間の女王もまた、夫となったギルフォード・ダドリー共々、ロンドン塔に投獄された後、処刑台の露と消えた。


「それが、男の野心に従った、慎ましやかな女性の末路です」


 淡々と語るレディ・メアリーの声は、固い。

 彼女の心に影を落とすのは、男の野心に利用された女性の、あまりに悲劇的な末路だ。


「今でも父を憎んでいます。弟と姫様を道連れにしたあの男を」


 ジェーン・グレイと共に処刑台に上ったギルフォード・ダドリーは、ロバートの2歳下の弟だ。

 ダドリー家には元々5人の男兄弟がいたが、その当時、ロバートは今は亡きエイミー・ロブサートと結婚していたため、ジェーン・グレイの夫となることを免れたらしい。

 ロバートが先にエイミーと結婚していなければ、彼が9日間の王配として、処刑台に上った可能性は十分に考えられた。

 それくらい、綱渡りの運命だったのだ。


 レディ・メアリーが弟の王位を望まないのは、その野心の強さ故に、栄光から破滅へと転がり落ちた父の記憶が、彼女を怯えさせているのかもしれない。


「男が女を野心の踏み台にしか考えないのなら、女が男を統治に利用することがあって然るべきでしょう」


 そう言って、レディ・メアリーは凛とした美貌に、優雅に微笑を浮かべた。


「レディ・メアリー……」

 

 彼女の強かさの裏にある過去を知り、私はふと、この時代を生きた2人の女性の人生を思った。


 ジェーン・グレイとエリザベスの境遇に、どれだけの差があるだろう。

 若き日のエリザベスにも、権力に執着する男達からの縁談が持ち込まれなかったわけではない。

 仮にエリザベスが、初恋の人トマス・シーモアの求婚を受け入れていれば、彼女もまた、若くして断頭台に登る運命にあったかもしれない。


 2人の命運を分けたのは、まさに結婚――だったのかもしれない。





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