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第158話 女王陛下の華麗なる1日・夕方


 その日、執務を早めに切り上げた私は、久しぶりに人を集めてサロンを開いた。


 楽士達の奏でる音楽と、貴婦人たちの美しい歌声が響く夕暮れ時。

 歌や踊りを愛する宮廷人たちが集った私室に西日が差し込み、彼らの影を濃く長く伸ばす。

 まるで、美術館に飾られた、絵画の中の世界のようだ。


 私室から続く開け放ったバルコニーには、ベッドフォード伯爵夫妻と、アンの姿があった。

 久しぶりに両親と過ごす時間を与えようと思って連れてきたのだが、意外にもアンは、子供らしく駆け寄るようなことはせず、きっちり年長の伯爵夫妻に礼儀を尽くした上で、和やかに歓談していた。

 私に里子に出したからには、こういった場での彼らの関係は、親子というよりも、宮廷人として互いに立場を持つ者同士なのだろう。

 なんだか寂しい気もするが、その分、私が里親としてたっぷり愛情を注いでやらねば、という思いを強くする一幕だった。


 サロンには大体、暇を持て余した有閑貴族や、貴婦人が訪れるのだが、今日は、忙しい官職についているはずのロバートもいた。どうやら、仕事の方はケアリーに押しつけてきたようだ。

 上の人間が不在の間、下手に可も不可もなく代行を務めきってしまったものだから、上司の信頼が増し、ついでに仕事量も増したらしい。よくあるよくある。

 急な重責を担わされ、ヘロヘロになりながらも忙しい時期の代行を努めたケアリーは、一応、上司の力量を見直したようだったが、この分では評価が再転落する日も近いだろう。


 そんな明るさを取り戻した宮廷で、平和であることの貴重さを噛みしめる。日本では当たり前に享受していたものだが、今は私が守っていかなければいけない立場だ。


 男女が輪になって次々とペアを変えていくダンスを踊っている最中、ハットンとペアを組んだ時に、あることに気付いた。


「ハットン……もしかして背伸びた?」


 互いの右掌を合わせて身体を引きつけると、なんだか視線の位置が高くなっている。

 まだ私が見下ろす位置ではあるのだが、これはじき抜かされるか? いや、ここで止まるか……?


 なんということ……!


「はい!」


 ステップを踏んで回りながら、内心、衝撃を受けていると、ハットンが笑顔で答えた。眩しい。


「そうよね、男の子だもんね……」


 嬉しそうなハットンに、喜んであげなきゃいけない気がするのだが、残念な気持ちになってしまうのは否めない。


 ちっちゃくないヒツジさんなんて……ちっちゃくないヒツジさんなんて……! いや、それでも可愛いけど。


 ちょうど曲が終わり、向かい合ったハットンが、私の手を引いて膝を折り、頭を下げて礼をした。

 見下ろせるくりくり頭のつむじが可愛い。

 

「でも、まだ全然足りません!」


 おぉ?

 顔を上げたハットンは、珍しく勇ましい表情で私を見上げた。

 どうやら、私の意に反して、ハットンの野望はもっと高い場所にあるらしい。


「いつかドレイクくらい逞しくなって、陛下を守れる立派な騎士になるのが僕の夢ですから」

「ヒツジさん……っ」


 なんて健気な子……っ!


 でも、ハットンがドレイクほどマッチョになったら、私は悲しいかもしれない。


 想像不可の未来像に本音を呑み込みつつ、健気さに胸を打たれて頭を抱きしめる。

 アンといいドレイクといい、この世界の若者達は、とても一途に、未来を見つめている。

 私の役に立とうとしてくれる彼らの夢を、私も応援してやらねば。


 そうは思いつつも、「おっきくなるな~」と、こっそり頭を抑え込みながら念じる私に罪はない。


 罪はない。







~その頃、秘密枢密院は……



「バーリー男爵、こちらをご覧頂きたいのですが」

「それは?」

「一通り目を通して頂ければ分かるかと」


 夕方の執務室に現れた黒衣の男が持ちこんだ、1枚の書状に、セシルは言われるままに目を通した。

 1行目から目を惹かれ、気が付けば熱心に読み込んでいたが、最後の署名にまで目を通した後、セシルは納得した気持ちで眼鏡のブリッジを押し上げた。


「ああ」


 実によく出来た『演説』だ。

 セシルはそう思った。


 これは命令するために書かれたものではなく、読む者の心を動かし、説得することを目的に書かれた文字の演説だと理解する。

 読みながら、あの、彼女の耳に残り、心に響く声が聞こえてくるようだった。


「朝の会議で言っていたのは、これのことですか」


 あの場では、随分と都合の良い部分だけを抜き出して説明したものだ。

 サセックス伯爵も余計なことを口にしなかったのは、事前に打ち合わせをしたのか。

 真面目で一本気なサセックス伯爵は、まだ若いということもあってか、あまり自己主張の強いタイプではない。

 個性が強く、主義主張が激しい重臣たちの中で、女王は使いやすい人材を枢密院に投入することにしたらしい。


 女王が実物のコピーを見せなかったのは、単に手元にないだけかと思っていたが、この内容から察するに、おそらく見せたらプロテスタント委員達の反感を買うと思ったからだろう。

 正しい判断だ。


「なるほど、純朴なカトリック教徒であれば思わず熱い涙を誘うような、見事な文面ですね」


 カトリック教徒でないセシルたちからすれば、決して好ましい内容ではなかったが、彼女がどういう意図を持ってこれを書いたのかは分かる。

 それを、ウォルシンガムが的確に口にした。


「ここまで下出に出た女王の勅書を出会い頭に叩き込めば、反体制派に扇動され、興奮状態にあったカトリック教徒たちの目を覚ますだけのインパクトはあったでしょう。その上で、絶望的な数の軍勢が剣を抜かずに降伏を迫ってきたとなれば、彼らが大人しく武器を捨てた理由には十分納得できる」


 魔法ではない。どこまでも正攻法の交渉術だ。


 貴族でもジェントリでもない被支配層の人間にとって、国のトップが誰になるかは、実際は大きな問題ではない。

 国王をメアリーにすげ替えることは、陰謀家達にとっては最終目的だったが、扇動された叛徒達にとっては、自身の生活や信仰に関わる不満を解消するための、手段の1つにしか過ぎない。

 先手を打つことで主導権を奪い、相手に選択の余地を与えた上で、よりリスクの低い手段(アプローチ)を提示した、女王の手腕の勝利だった。


「しかも、あの方は下手に出たように見せて、その実、何も失ってはいない」

「ええ、そうですね。この勅書には、宗教政策に対して何の具体的な公約も記されていません。この度、蜂起を企てたことを不問にするということ以外は、実際的には何の効力もない……」


 彼女自身が出向いて演説をするわけにはいかない分、遠方の地にいるサセックス伯爵の交渉を助けるための策だろうが、実によく計算された、効果的な『小道具』だった。


 民衆を武力で制圧した王は数多くいるが、ここまで彼らを対等に扱い、交渉によって勝利を得た王がどれだけいただろう。


 ただ幸運だったとは言い難い。

 彼女は、運を強引に引き寄せたのだ。

 

「狐め……」

「怒られますよ」


 眉間に皺を寄せ、自らの君主をそう評したウォルシンガムを窘める。


「実に仕え甲斐のある君主へと成長していらっしゃるようで、喜ばしい限りです」

「ははは」


 棒読みで言い直した男に、セシルは声を上げて笑った。


 問題の、教皇やカトリック礼賛に取れる文面については、彼女にとってはその場しのぎになればいい程度のものだろうが、まともな信心を持つ者には、なかなか出来ない芸当だ。

 女王の不信心ぶりはセシルの目から見ても褒められたものではないのだが、不寛容さによって信仰が対立するこの時代においては、確かにそれは、使い方を誤らなければ有効な処世術だった。


「彼女は一体、どのような人生を送ってきたのか……」

「…………」


 セシルのその呟きは、女王ではなく、女王となる前の天童恵梨に対して思いを馳せるものだった。


 雄弁さや演説の巧みさは天性のセンスとも考えられるが、彼女が駆け引きで見せる判断力や鋭い嗅覚は、相当な対人交渉の経験がなければ得られるものではない。

 それはセシルが政治の世界で学び、ウォルシンガムがスパイとして生きた経験から得たものだ。


 そのくせ、そういう世界では駆け引きと表裏一体と言っていい、陰謀や策略といったものにはとんと疎いところに、対人交渉力の高さとのアンバランスさを感じた。


「だが相変わらず、あの方には、女傑カトリーヌ・ド・メディシスにはなれぬような甘さがある。メアリー・スチュアートを今のように名誉ある客人として保護していることは、百害あって一利なしだ」

「そうですね……」


 セシルが同意すると、ウォルシンガムは嫌悪感を交え、その危険性を強調した。


「メアリー・スチュアートほど、反エリザベスの旗頭に適した人材はいない。あの女が生きている限り、いくらでも策略家が群がり、女王の暗殺計画は繰り返される――あの女は、毒虫を集める蝋燭です」


 女性の持つロマンティックな情緒や悲哀は、民衆の想像力を掻き立て、愛情や同情を得るのに適している。

 それは、セシル達もまた、彼らの女王の求心力を高めるために利用しているものであり、だからこそ、メアリーを担ごうとする者たちが、彼女の持つ魅力をどう利用しようとするかなどは、手に取るように分かった。


 ウォルシンガムは、今回の陰謀に早い段階でメアリー・スチュアートが関与していると踏み、メアリーの罪を明らかにすることを目的に動いていた。


「メアリー・スチュアートを処刑するべきです」


 ウォルシンガムがセシルにそう主張したのは、今回が初めてではないが、まだそれを女王の前で口に出したことはないはずだ。

 彼も、そのためには、圧倒的に舞台が整っていないことに気付いている。


 セシルは、一連の陰謀計画の首謀者の処分を進めるにあたって、確信した不足部分を口にした。


「今回の騒動で浮き彫りになったことは、我が国には、メアリー・スチュアートを裁くことの出来る、明確な法がないということです」


 王を殺す法はない。


 それは、王が神から国を治める権利を授けられた存在であれば当然のことだったが――ならば、治めるべき国から追放された王はどうだろう。


「我らの女王を護る為の、法の制定が急務でしょう」


 セシルはすでに、彼らの女王がいない場所で、重臣達にある提案を持ちかけていた。


 すでに、ある程度の草案は出来ている。だが、段階を踏み、外堀を埋めていくことが必要だった。

 議会に法案を通過させるには、世論を動かし、最終的には、この国の女王を動かさねばならないのだから。





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