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処女王エリザベスの華麗にしんどい女王業  作者: 夜月猫人
第10章 デ・スペ暗躍編
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第156話 最初の騎士


「言葉も出ませんか」

「…………」


 女王の背中を無言で見送ったウォルシンガムに、セシルが穏やかに微笑みかけた。


 彼の言う通り、突然のことに言葉も出なかったが、顔を向けると、宰相は軽く肩に手を置いた。


「貴方が、彼女が叙した初めての騎士です」


 そう言い残し、静かに去っていく男の言葉の重みを噛みしめる。


 先のエリザベスは、即位してすぐに宮廷内の人事を発表した時、身近な人間を数名、騎士に叙した。

 だが、今の女王――天童恵梨が、騎士を叙したのは、即位4年目にして初めてのことだった。


 君主によっては、金のかからない褒賞として安易に騎士に叙する者もいるが、支配階級である貴族や騎士が増えることは、それだけ彼らの生活基盤を支える労働者階級の負担が増えることになるため、彼女は常に、特権階級を増やすことには消極的だった。


「あ、あの……サー・フランシス・ウォルシンガム、おめでとうございます」


 その記念すべき瞬間を目撃していたディヴィソンが、遠慮がちに祝福してくる。


 ……が、ウォルシンガムは部下の頭を殴った。


「お前がべらべらしゃべってどうする」

「いてっ」


 ディヴィソンは、ウォルシンガムのスパイ組織の全貌を知っている数少ない人間だった。

 女王に脅されて根こそぎ白状したらしい部下は、げんこつを食らった頭を抑えながら半泣きで弁明してくる。


「だって、陛下に女王命令と言われては、御前で偽りを申し上げることも、隠し通すことも不敬であると……」


 ディヴィソンの言い分はもっともだったが、平気で嘘もつくし隠し事もするウォルシンガムは聞かないふりをした。


「まあ、その忠誠心に免じて今回は許してやる」


 容赦すると、途端に青年の表情が晴れやかになった。単純極まりないが、実際、ウォルシンガムの下で働くには、切り替えと引きずらない図太さが必要だった。


「でも、これで晴れて女王公認の組織となったわけですから、僕は嬉しいです」

「…………」


 ウォルシンガムは不機嫌な顔を貫いたが、ディヴィソンが言わんとすることには、確かに共感できた。

 ダーティーなイメージがつきまとう仕事を、誇りをもって遂行できるのは、ひとえに、これが国家と王への奉仕であるという信念があるからだ。

 実際、大義を失えば、彼らの行いは卑しく道義に反するものでしかない。


「……あのお方の懐の広さには感服する」


 そればっかりは、正直にウォルシンガムの口をついて出た。


 正義感の強い彼女のことだ。

 汚い仕事だと罵られればそれまでだと思っていた。


 どう思われようと、己のやることは何も変わらないと思っていたが、認められると言うことが、こんなにも誇らしいことなのだと実感する。


「これからは長官とお呼びした方がいいでしょうか? それとも、サー・フランシス……」

「どっちでもいい。勝手にしろ」

「あれっ? 全然嬉しそうじゃないですよ、長官。またまた、強がっちゃって。もっと素直に喜ばないと、陛下だってガッカリされ……痛っ」

「浮かれるな馬鹿者」


 完全にはしゃいで、迂闊な口を滑らす部下にもう1度げんこつを落とす。


「別に、何も変わらない」


 内心に反して口に出した台詞は、この後輩に言わせれば強がりになるのだろうが、肩書きや身分が変わったからといって、何かが変わるわけではないも確かだ。


 彼女の言葉通り、それはずっと前から続いていたことだ。


 騎士となったから、彼女を守るわけではない。

 彼女を守る者が、騎士なのだ。




※※※




 気候の良い6月の上旬、 柔らかな陽光が差し込む麗らかな日に、バーリー男爵ウィリアム・セシルの叙任式は執り行われた。


「神々しいお姿ですわ」


 その日、叙任の儀式のために着飾った私を前に、キャットが目を細めた。


 袖の長い銀のドレスの上に、黒のビロードのマントを羽織り、髪をおろして王冠を被る。

 今日は、重たい聖エドワードの王冠ではなく、もう少し華奢な黄金の王冠だ。


 胸には、一昨年、セシルにもらったリボンのブローチを目立つところにつけている。

 他にもいろいろもらってるのだが、あまりにもやり過ぎると逆に恩着せがましいような気がして、1番気に入っているものを1点だけ選んだ。

 そのことを知っているキャットが、ブローチに目を止め、顔をほころばせた。


「きっと、バーリー男爵も誇らしいでしょう」


 今回の反乱計画を最小限の被害で抑えられたのは、誰の目から見てもセシルの功績が大きく、爵位を授与するには良いタイミングだった。


 この階級社会では、貴族は貴族らしい、騎士は騎士らしい生活を送らなければならないという不文律があり、貴族が1人増えるということは、宮廷が1個増えるのと同じことだった。

 これ以上国民の負担を増やさないためにも、出来るだけ特権階級は増やさないようにしたいのだが、セシルはその例外として扱うのに十分な存在だと判断して、機会を見計らっていた。


 今後の彼の重責を思うと、身分という盾は必要だった。

 宮廷貴族達が、庶民という理由でセシルを見下すならば、貴族にしてしまえば同条件だろういう牽制である。


 私としては、かなり思い切った決断だった。


「けれど、そのように華やかなお姿ですと、セシルがますます委縮してしまいそうですわね。陛下に期待されて荷が重いと漏らしておりましたわ」

「ははは」


 いたずらっぽいキャットの告げ口に笑ってしまう。


 有能宰相を珍しく悩ませているのは、自分が主役を務める華やかな儀式での盛装だった。


 さすがに高位貴族への叙任となれば、他の貴族の目もあり、これだから庶民上がりはと馬鹿にされないためにも服装を頑張らなければ……と、あまりファッションが得意でないらしいセシルが憂鬱そうに漏らしていた。


 助け船にと、ファッションリーダーのロバートにセシルの面倒を見てやるよう頼んだら、ロバートの方はたいそう乗り気だったのだが、セシルはありがた迷惑そうだった。


 一体どんな風に仕上がったのか、とっても楽しみだ。



 支度を万全に整え、寝室を出た私を、4人のグレート・レディーズが膝ついて出迎える。


 1番若い女官と、イザベラが私の両脇に侍り、床につくほど長い両袖を持った。


 ゆったりと、優雅さを意識して歩きながら、隣のイザベラに話しかける。


「ごめんなさいね、イザベラ」

「え?」

「あなたを振り回してしまって」


 それが、今はロンドン塔に幽閉されているトマスのことだというのは、すぐに分かったらしい。

 イザベラは首を横に振って答えた。


「いいえ、陛下。一時はどうなる事かと思いましたが、無事に婚約も決まり、両親も喜んでおります」


 つい先日、トマスは正式にイザベラとの婚約を承諾した。

 昔から高位貴族の反逆などというのは宮廷のお家芸のようなもので、生命と地位の保証がなされた以上は、彼が現在囚人であることは、結婚に向けて大きな障害ではなかった。

 おそらくは釈放され次第、挙式を挙げるような形になるだろう。


「それで……陛下、その……」

「なぁに?」


 促すと、イザベラは遠慮がちに言った。


「もうしばらくしたら、公爵にお会いする許可を頂けないでしょうか」


 トマスが幽閉されているビーチャム・タワーには、取り調べのため政府の人間が出入りすることはあるが、まだ親類縁者の面会は認めていない。


「もちろんよ、出来るだけ早い時期に実現しましょう」


 彼女の頼みを、私は笑顔で請け負った。

 

 イザベラは勿論トマスとは面識はあるが、縁談の話が決まってからは1度も会っていない。

 いずれ夫となる男と交流を交わしたいと思うのは自然なことに思えた。


 1度は縁談を断られたこともイザベラは知っているはずだが、彼女の方から近づこうと努力している。


「イザベラは偉いわね」


 素直に尊敬の念を込めて、そう呟く。


 彼女も、もう子供ではない。この結婚が持つ意味合いは分かっているはずだ。

 その上で、務めを果たそうとしている年下の女の子を見ていると、使命感や責任感というものがムクムクと湧いてくる。


「私も見習わなきゃ」

「え……?」


 ――私も、本当に必要になった時には、躊躇うべきではないのだろう。


「ううん。なんでもない」


 誰にも言う必要のない決意を胸に秘め、不思議そうな顔で聞き返してくるイザベラに、笑顔を返す。


「……陛下。私、結婚するまでは、陛下のお傍にいてもよろしいのでしょうか」

「もちろんよ。出来るだけ長くいて欲しいくらい」


 2人が結婚し、めでたくノーフォーク公爵夫人となったイザベラがどこに住むことになるかは、夫となるトマス次第だろう。

 何にせよ、住み込みで女王の傍に侍るグレート・レディーズの仕事からは卒業することになる。


「あなたが嫁いだら、寂しくなるわね」


 天真爛漫なムードメーカーだったイザベラがいなくなったら、きっと寂しくなるだろう。

 私の言葉に、イザベラは安心したように笑った。


「良かった。嫁ぐ覚悟はできておりますし、恵まれた縁談だとは自覚していますが、実は、まだ陛下のお側にいられて、ほっとしているんです」


 マリッジブルーというやつだろうか。私の日本での友人たちも何人か先に結婚したが、結婚が間近に迫ると、男女問わず憂鬱そうな泣き言を漏らすことがあった。

 望んでする結婚でもそうなのだから、政略結婚ともなれば、決意は固めても不安になることはあるだろう。


「まだ、傍にいられて……」


 そう呟き、前を向いた彼女の視線は、どこか、遠くに向けられていた。







 大広間の扉の前に辿り着くと、両脇に控えていた近衛兵がゆっくりと大きな扉を開いた。


 その瞬間、管楽器が鳴り響き、すでに広間に集まっていた参加者達の注目が、扉前に集まる。


 広間の中で一段高い場所にある、中央奥の玉座までの一本道を、4人の貴婦人に囲まれてゆっくりと進む私に、脇を囲んだ廷臣達が、一斉に跪いて首を垂れた。

 眩いばかりの巨大なシャンデリアの下を、最高の敬意を払われながら進み、玉座に座った私を取り囲んだグレート・レディーズが、ドレスの裾や袖を丁寧に直す。

 美しく裾を広げ、仕事を終えた彼女たちは、3度跪いてから両脇に捌けた。


「皆様、どうぞお顔を上げてお立ちください」


 私の第一声に、全員が顔を上げ、立ち上がる。


「今日は、私のまだ短い治世の中でも、とても良き日です。こんなにめでたい日ばかりが続いてくれると、とても嬉しいのですが」


 その台詞には、そこかしこで笑いが起こり、どこか固かった空気がほぐれた。


 今日は晴れの日だ。私は機嫌の良さをアピールして、満面の笑顔で、広間に集う廷臣達を見回した。

 リッチモンド宮殿で執り行われることとなった式には、多くの宮廷貴族たちの姿が見られた。皆これ見よがしに着飾っているが、なかなかの参加率だ。


 こういう形式的な儀式は、騒ぐための口実のようなものなので、叙任式が終わればお祭り騒ぎのような祝宴になだれ込む。

 祝宴の席では、晴れて高位貴族に仲間入りしたセシルにすり寄る者も出てくるだろう。

 彼を支持する者が増えれば、宮廷内の派閥のバランスも取れてくるはずだ。


 その煌びやかな集団の中に、こんな時でも真っ黒い男の姿が目に入った。逆に目立つ。

 尊敬する先輩のめでたい日なのだから、どんな盛装をしてくれるのかと思ったら、いつもと一緒だった。

 さすがブレない。


 一応新調したとか言っていたから、よく見たら新しいのだろう。きっと。


 なんとなくがっかりしつつ、やっぱりこの男もお披露目用の儀式に引きずり出してやれば良かっただろうか、などという思いが過ぎる。


 セシルの叙任式のついでに、ウォルシンガムも改めて騎士叙任式をやっても良かったのだが、本人からは不要と言われた。

 誓いの儀式としては、あれで十分成立しているし、他に受勲者がいない中で1人だけ君主直々に式を催され、目立ちたくないという彼らしい理由だった。

 新設の秘密情報部自体も大々的に広める種類の機関ではないし、それくらいひっそりとしていた方が、丁度良いか。


 私も騎士の叙任は主従の間で交わされる誓いだと思っているので、今更司祭やらを呼んで堅苦しく宗教めいた儀式をやる必要は感じなかった。

 さらっと騎士(サー)になったウォルシンガムは置いておいて、高位貴族の叙任ともなるとそうもいかない。


 さて、後輩と同じく、あまり目立つことが好みでないらしい主役のご入場である。


 それまで私の方を向いていた注目が、一斉に扉口へと向かう。

 敬意と畏怖の緯線から、一転して好奇の視線へ。


 しきたり上、叙爵には2名の紹介者がつく。国王の御前で、その者が爵位を受けるに相応しい人物であることを保証するのだ。


 彼の紹介者となったレスター伯爵ロバート・ダドリーと、ベッドフォード伯爵フランシス・ラッセルを後ろに従え、緊張の面持ちで入場した新男爵に――


 好奇の視線で迎え入れた宮廷人たちが、息を飲むのが分かった。


 明かりが灯るような変化だった。


 シャンデリアの下を歩くバーリー男爵の白皙は、緊張からかいつもの柔和な表情はなく、こういう畏まった顔をしていると、整っている分、怜悧な印象を受けた。


 ちなみに、今日は眼鏡を外している。

 ロバートに絶対に外せと言われたがどうしよう、と私に相談があったので、今日は特別に許した。


 普段は足まで隠れるようなローブ姿だが、この日ばかりは、深い翠色を基調とした胴衣の上から、黒テンの毛皮で縁取られた黒のベルベットの短いマントを左肩にかけている。


 黒テンの毛皮も、ベルベットも、贅沢禁止法によって貴族にしか着用を許されていない高級素材だ。

 普段あまり見せることのない足下を飾る爪先の長いブーツも、貴族にしか許されていない、この時代の流行だった。

 とにかく、高価なものや流行の最先端を行くものは、貴族にしか許されてはいけない、という風潮である。


 どうやらロバートは、他人の晴れ舞台のコーディネイトを大いに楽しんだらしい。


 なにこれかっこいい。にやにやする。


 元々の顔立ちが品の良さを備えているので、騎士というより王子様だ。王子様、王子様!


 内心ミーハー炸裂で小躍りするが、表面上はもちろん穏やかにニコニコしておく。にやにやしていないことを祈る。


 重そうなローブを背負ってのそのそ歩いている(失礼)普段とは、まるで別人のような颯爽とした姿だ。

 いつものまったりした感じがセシルらしくて好きだけど、たまにはギャップもいいもんですよね!


 すでに見ているだけで満足してしまったが、セシルは別に、私を喜ばせるために王子コス……もとい盛装しているわけではない。


 上品な威厳を湛えた若き宰相が、参加者達の注目を一身に集めながら、玉座の前に進み出る。


 いつまでも見とれているわけにもいかないので、私の前に跪いた3人を見下ろし、セシルに負けないよう女王の顔を作る。


 ここで、新たに爵位を授与された者は、改めて君主への忠誠と神への信仰、弱者の救済を誓う。

 貴族になるという名誉に伴う責任を確認するのだ。


 儀式が粛々と進行した後、お待ちかねの祝宴は、賑やかに夜が明けるまで続いた。




 その年、バーリー卿ウィリアム・セシルと、秘密情報部長官サー・フランシス・ウォルシンガムが誕生した。







第10章 完


H26.3.7活動報告に、【おまけ小話】精霊さんのきもち。 を掲載しました。

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