第155話 英国秘密情報部、誕生
例の教皇の破門状が市内に貼り出されて、1週間もしないうちから、私の周囲はにわかに騒がしくなった。
まず、朝の散歩をしていると、匿名の脅迫状が投げ込まれているのを見つけた。
近衛兵2名とウォルシンガムにまで減らした朝の散歩の人員が、一個小隊+護衛隊長にまで増やされた。
イタリア人の囚人が宮廷に潜入したという噂が流れた。
その日のうちに、宮廷中のイタリア人の召使いが解雇された。
フランスのカトリックの一派が女王の毒殺をたくらんでいるという警告が届いた。
私の着るもの、食べるもの、全てに入念なチェックが入り、人手不足の為、衣裳係、配ぜん係の侍女の数が増員された。
また、女王の私室や衣装部屋、寝室に通じる扉の鍵を全て取り替えることにもなった。
大混乱である。
だが、不思議なことに、そんな周囲のすったもんだの中でも、私の身に直接危険が降りかかるという事態は、今のところ起こっていない。
いや、起こっても困るけど。
とはいえ、公務では、リドルフィの陰謀の事後処理が続き、目が回るほど忙しかった。
大勝利から半月が過ぎた頃、私は仕事の合間を縫い、あることを確認するため、目的の人物を探して城内を走り回っていた。
多分、走り回っている私を探すために走り回っている人たちも、結構な数いるだろう。
さっさと戻らないとまた怒られるな……と思いつつ、あちこち見て回っていると――
「あっ、いた!」
発見!
「ディヴィソン君!」
「うわぁ?!」
両手に書類を抱えて歩いている青年の後姿を見つけ、真後ろまで近づいて小声で声をかけた私は、驚いているディヴィソン君をそのまま近くの空き部屋に拉致った。
部屋に押し込んで後ろ手にドアを閉める。よし、誰もいない。
「ふっふっふ。捕まえたわよディヴィソン君!」
「な、何をするんですか陛下!?」
壁に張りついて怯える青年に、含み笑いで詰め寄る。
「そんなに怯えなくても大丈夫。悪いようにはしないわ、ちょっと言うことを聞いてくれたら、すぐ解放してあげるから」
「ええっ!? で、でも、いや、そんなっ、それはちょっと……っ」
「別に隠し事をするなとは言わないけど、女王が教えろって言ったことには、勿論答えてくれるわよねぇ?」
「ああっ、ダメです女王様ッ!」
「って、何変な声出してんのよアンタは! なんもしてないしっ!」
「あうっ」
勝手に妙な盛り上がりを見せる青年に、思わず平手で頭をはたいて突っ込んだ。
前々からちょっと疑ってたけど、もしやこいつMっ気ありかっ。
もっと爽やかな子かと期待してたんだけど……
実はかなり残念系男子か。
「まぁ、それはいいわ……どうでも。それより、聞きたいことがあるの。あなたの上司のことで。いい加減、謎過ぎるんじゃないの」
叩かれてなぜか嬉しそうなディヴィソン君の肩を掴み、人目がないことをいいことに、私は臣下を恐喝した。
「もう我慢ならないんだからね~っ洗いざらい吐き出してもらうわよっ」
「ひぃ~っ」
※
「聞いたわよウォルシンガム!」
ディヴィソン君をゲロらせた後、私はその足でウォルシンガムを探した。
常時1500人程が働いている宮廷で人探しは、なかなか骨が折れる。
セシルと廊下で立ち話をしていたウォルシンガムを見つけ、私はディヴィソン君を引き連れ大股に近づいた。
「陛下、宮内長官と事務次官が探していましたが」
「あ、そう。後で。それよりも、ディヴィソン君から全部聞きました」
ウォルシンガムの言葉を軽く流し、ビシッと指を差して睨みつける。
「ウォルシンガム、あなた、私を狙う陰謀を暴くために、相当な数のスパイを雇ってるそうじゃない。自費で!」
リドルフィの陰謀究明のあたりから怪しく思っていたのだが、私の周りで次々摘発されている陰謀の解明には、ことごとくウォルシンガムの影がちらついていた。
とてもではないが個人の能力の域を超えている気がして、一体何がどうなっているのか、ウォルシンガムの片腕のディヴィソン君を吊し上げて白状させたのだ。
「それと何、屋敷に暗号解読の部署も作って、言語学者や数学者を雇って常駐させてるんですって?」
ディヴィソン君が洗いざらい吐き出した事実は、私の予想を遙かに上回る、驚くべきものだった。
ウォルシンガムが構築したネットワークは、スペイン、ネーデルラント、フランス、北欧、ポーランド、ヴァチカン、ヴェネツィアに至るまでを網羅していた。
彼は各地にスパイを送り込み、また、現地のイングランド商人などの情報提供者を数多く利用し、セシルから提供される正規の外交官情報と照らし合わせて何重にもチェックを加え、世界中の情報を入手していたのだ。
そこに、国王第一秘書代理として国内の事案を入手する機会と、セシルから外交官の秘密文書を開封する許可を得て、なおかつ暗号を解読する専門の部署まで所有しているというのだから、もはや国内外においてこの男の知らないことなどないのではないかと思わせるほどだ。
セシルが個人的に雇っているスパイ――などという可愛いものではない。
この男が掌握しているのは、ヨーロッパ全土を網羅する、巨大な秘密情報機関だ。
「ディヴィソン……」
詰め寄られたウォルシンガムが視線を外し、私の後方に控える部下を睨んだ。
反射的に、ディヴィソン君が身を縮める。
「すみません! 陛下への忠誠を試されては、お答えしないわけには……」
「ディヴィソン君は悪くないわよ。怒ったら私が怒るからね」
後でしばかれたら可哀想だからフォローしておく。しばかれても嬉しいのかもしれないが、そこまでは面倒見きれない。
「すぐに隠し事しようとするんだから!」
「……陛下のお耳に全て入れるには、私の抱える情報量は多すぎます。到底処理しきれないかと」
私の脳みその容量が少ないってか!?
セシルやウォルシンガムみたいなコンピュータ並みの記憶力と処理能力がある方が普通じゃないっての!
「その上、外国大使の公嚢を、配達員を買収して、秘密裏に開封して盗み読んでいるそうじゃない」
「決裁者の許可は得ています」
「そういう問題じゃないのよ。それって全部私のためよね?」
「陛下の安全と国家の安定のためです」
「でしょう? なら、どうして私に言わないのよ」
いかん。これじゃあ怒っているように聞こえる。
いや、実際、半分怒っているのだが。
完全に詰める上司と詰められる部下の構図になってしまって、私は頭を掻いて身を引き、語気を弱めた。
言いたいのは、そこじゃない。
「お金がかかるでしょう、ものすごく」
情報を得るには金がかかる。
危険を冒して情報を提供するスパイの人件費は破格なものだし、特殊技能を持つ専門家を囲い込むのもそうだ。
一部、セシルの援助を受けているとはいえ、ディヴィソン君の話では、ウォルシンガムは彼自身の私財を投じて、それらを賄っているというのだ。
この馬鹿。
なんでそこまでするかな。
今まで一言も言わなかったのは、私が節約節約とうるさいからだろうか。そのあたりの本人の思惑は、分からないが、確かなことが1つある。
この男は、1度も私に頼らず、私を守ってきてくれたのだ。
「……守ってくれたことには感謝するけど、誰もそこまでしろって言ってないじゃない。あなたには、あなたの生活が――」
私腹を肥やそうと権力を握ることに躍起になっている人間がはびこるこの場所で、こうまでストイックに私欲を捨てて尽くされると、どうしていいか分からなくなる。
だが、迷いながら口にした私への回答に、迷いはなかった。
「大切な人の命を守るための努力を惜しむほど、私は吝嗇な男ではありません」
「……っ」
思わず胸が詰まってしまい、言葉が出なくなる。
もちろん、私が国王だから大切だという意味なのだから、勘違いしてはいけないが、それでもやっぱり胸にくるものがある。
同時に、私自身は、彼にそこまで尽くしてもらうほどの人間じゃないから、いたたまれない気持にもなった。
もっと頑張らないと。
彼らのような出来た人間に尽くしてもらうだけの、価値のある王にならければいけない。
まずは、この献身に、私はちゃんと評価を返すべきだ。
喉のあたりまでこみ上げた熱を、大きく深呼吸をして鎮める。
鼓動が速くなっているのは、今から行うことへの緊張のせいだと自分に言い聞かせ、私は意識して女王の顔を作り、ウォルシンガムに言い放った。
「跪きなさい」
「は?」
「跪きなさいと言っているの」
突然の私の指示に、ウォルシンガムは意図を問うて聞き返したが、2度目の命令には大人しく従った。
それまで見上げる位置にあった男の顔を見下ろす。
「陛下、彼の成したことは、国家と陛下への貢献です。陛下に十分な報告を差し上げていなかったという意味ならば、私が……」
気持ちを切り替えるのに手間取って、かなり怒ったような口ぶりになってしまった私に、セシルが誤解したのかウォルシンガムを庇ってくる。
「ディヴィソン君、剣を貸して」
「え?」
「剣を、私の手に」
「は、はい!」
もたもたするディヴィソン君に手を伸ばして急かし、抜き身の剣を受け取る。
剣って結構重たいのよね。
銀の刀剣を、跪く男の上に掲げ、見下ろした私に、ウォルシンガムは意図を悟ったように首を垂れた。
私は息を吸って背筋を伸ばし、慎重に、彼の肩の上にゆっくりと剣を下ろしていった。
刃の平らな部分で、その肩を3度叩く。
「フランシス・ウォルシンガム。私は、汝を騎士に叙します――どうか勇ましく、礼儀正しく、忠誠であれ」
これは、主君が騎士を叙任する儀式だ。
その場にいる人間たちの表情は見えなかった。
今は、目の前の男だけを見ていた。
「――はい、女王陛下」
私の騎士叙任の宣言に、首を垂れたままウォルシンガムが答えた。
少し間が空き、誓いの言葉を続ける。
「――主の御心のままに、我が名誉に賭け、忠誠を尽くすことを誓います」
簡単だけど……これでいいんだよな……
それは、私にとっても初めての騎士の叙任だったので、感慨深い気持ちで首を垂れた男を見下ろし、ゆっくりと剣を引いた。
「……今、とても不思議な気分です。あなたが私の騎士でなかったことはありませんから」
それは、正直な感想だった。
こんな簡単な儀式一つで、何か変わるものがあるのだろうか。
それでも、『認めている』ということを言葉や行動に表してもらうのは、とても嬉しいことだ。
さすがのウォルシンガムも、少しは喜んでくれる……はず。
私に貢献した者はきちんと評価する。
それは、最後の詰めの部分で私と意見が対立した者たちも同じで、彼らの陰謀の究明への努力がなければ、反乱軍をあそこまで追い詰め、全面降伏に持っていくことは出来なかった。重要な功労者だ。
そして、もう1つ。
「立って」
剣をディヴィソン君に返し、命じた私に、ウォルシンガムは黙って従った。
「サー・フランシス・ウォルシンガム、あなたを秘密情報部長官に任命します」
その任命には、セシルやディヴィソン君も驚いたようだった。
何より、ウォルシンガム自身が驚いたように目を見開いたが、言葉はなかった。
「あなたが、情報という私を守る盾を与えてくれるなら、私はあなたに剣を与えます」
この男には、本物の剣を持って、戦場で息を巻くのは似合わない。
だが、間違いなく、確実に、私の見えないところで、私を守るために戦ってくれている。
彼が活かせる剣――それは、権力と金だ。
権力者は、その危険で魅惑的な剣を、正しく使える者に与えなければいけない。
彼の持つ巨大なスパイ・ネットワークを、正式な国家機関とすれば、必要経費を王室の歳入から支出出来るし、計画的な予算を組むことも出来る。
また、秘密情報部長官として、彼に一定の権限を与えることができる。
要は、新設とはいえ官職に就けるならば、相応の身分があった方が人を使い易かろうという配慮もあっての騎士の叙任だった。
「後日、一連の陰謀の解決に必要とした経費を算出して提出して下さい。秘密情報部の年間予算の参考にします」
必要なところには、必要なお金を出さなければいけない。……まあ、今の財政状況じゃ限度もあるけれど。
ただ守られているだけという状況は、感謝は尽きないが、どうにも居心地が悪い。
私には出来ないことを彼がやってくれているのなら、私は出来る形で彼を支えるべきだ。
「それから、サー・ウィリアム・セシル」
次に、私はセシルに視線を向けた。
「あなたは後日、バーリー男爵に叙します。叙任式の日程は追って伝えます。心の準備だけしておいて」
「は……ハッ」
珍しく焦ったように、セシルが慌てて膝をつき、顔を伏せた。
「以上です」
言うつもりだったことだけを言って、私は踵を返して執務室へと戻った。
さ、お仕事お仕事。




