第153話 終末のその裏で
北部のカトリック教徒たちの反乱の企てが明るみに出て、良心と忠誠によって2人の伯爵が武器を捨て投降したという報道は、間もなくロンドン中に広がった。
祝賀の鐘が街中で打ち鳴らされ、祭りの日のように花が飾られた家々の前で、市民たちが踊り狂い勝利に酔った祝宴は、数日に渡って続いた。
そんな祝賀ムードがさらに盛り上がったのは、早馬の知らせから5日後の、5月19日。
投降したノーサンバランド伯爵とウェストモーランド伯爵を連行して、サセックス伯爵トマス・ラドクリフ率いる政府軍が凱旋した。
「サセックス伯爵! よくやってくれました!!」
宮廷に出仕した殊勲者を、私は満面の笑みと抱擁で出迎えた。
「話は聞いています。実に忠実に、私の特命を果たしてくれました」
先だって勝利報告に駆けつけた伝令から伝え聞いた詳細はこうだ。
ダラムの街で蜂起を計画していた両伯爵は、トマスの使者から計画が筒抜けになっていること聞いて尻込みし、ラドクリフから持ちかけられた交渉のテーブルについた。
その時点で、予定していた蜂起の日取りは、わずか2週間後に控えていたらしい。
まさに危機一髪である。
私が署名をしてまで提示した条件は大いに彼らの心を動かし、追いつめられた2人の気持ちを、決起を中止する方向へと傾けた。
問題は、彼らの集めた叛徒たちで、蜂起を目前して指揮官の裏切りを知り、激高した彼らが武器を持って立ち上がってしまえば、一巻の終わりだった。
そこで両伯爵が、私が叛徒たちに宛てた勅書を大量に複写してばらまき、文字の読める者に総出で読み上げさせ、必死に蜂起の中止を呼びかけたのだという。
結果、私がカトリックと教皇に歩み寄ったように見える文面は、「女王を自分たちが動かした」という印象を与え、単純な熱意で動いていたカトリック教徒たちを十分に満足させたらしい。
その上で、完全武装した政府軍がダラムの街を威圧的に徘徊する様は、潜伏する叛徒たちを縮み上がらせる良い薬になり、彼らの天秤を動かした。
この飴と鞭によって、立ち向かう理由も意欲も失った彼らは、武器を捨て、諸手を上げて政府軍を迎え入れ、イングランド女王に忠誠を誓ったのだという。
メアリー救出計画の概要を事前に入手したイングランド当局は、蜂起に備えて彼女の身柄を、タトベリー城から、さらに南のコヴェントリー城に移していたが、これは杞憂に終わった。
私の即位4年目に起こった、北部貴族による反乱計画は、そうして血を流すことなく終幕した。
私の感激を受けたラドクリフは、気真面目な動作で身を離し、すぐに膝をついた。
「この度の名誉ある勝利は、女王陛下の聡明にして慈悲深き御意が、預言者デボラの言葉の如く、全てを奇跡の内に実らせ給うたものでございます」
顔を伏せた伯爵の表情こそは分からなかったが、謙遜とは思えぬほどに熱のこもった言葉だった。
預言者デボラ――とは、旧約聖書に登場する、神の言葉によってイスラエルを指導し、勝利と平和をもたらした女預言者だ。
「私が目撃した、ダラムで起こった一部始終は、陛下の御代に誇らしく刻まれるべき功業の1つとなりましょう。主より授かりし御言葉を罪人たちの頭上に等しく降らせ、盲目なる者共の目を開いた奇蹟の生き証人となれたことを、我が身の何よりもの栄誉と存じます」
なんだか仰々しいが、どうやら私の描いたシナリオ通りに事が運び、叛徒たちを改心させたことが、ラドクリフの目には聖人の奇蹟のように映ったらしい。
不思議なことや信じられないことが起こった時に何でも奇蹟扱いするのは、この時代のキリスト教徒らしいといえばらしいが、確かに何段階もの賭けに勝ったという運の良さはあるが、心理的な駆け引きの上で彼らの考えを変えさせたこと自体は、奇跡ではなく必然性のあるものだ。
どうやら、託した令状や交渉の意図までは深く理解してはいないものの、ラドクリフは妙な色気を出さずに黙々と任務を遂行し、結果を出してくれたようだ。
与えられた指示を、私見を挟まずに忠実にこなす彼の性格は、今回の役目には上手くハマったらしい。
それは、私が今回1番求めていたことだったので、彼の忠勤さを純粋に称賛した。
「いいえ、サセックス伯爵。あなたが、私が指示した方向に進むように努力した結果です。命令は正確に実行されなければ、虚しい言葉の殻でしかない。血を流すことなくダラムを解放することが出来たのは、あなたが私の平和的な心を汲み、最後まで平和的な臣下であり得たからです。顔を上げてください」
手を伸ばし、私が言うと、ラドクリフは指示通りに顔を上げた。
暗い金の髪を短く刈り、スッキリした弧を描く眉の下の顔には、清潔感がある。同年代の伯爵であるロバートのような華やかさはないが、真面目で廉直な気質が滲み出ており、真っ直ぐ私を見返す物堅い眼差しには、好感が持てた。
「あなたの忠実さこそ、神が与え給うた、私が最も愛するあなたの美徳です。これからもあなたが、私の忠実な家臣でありますように」
「女王陛下から賜ったご命令を、不足なく遂行することこそ、我が使命であると心得ています」
差し出した手の甲に口づけ、ラドクリフが答える。
ダラムを制圧したという報告を聞いた時は、最初肝を冷やしたが、叛徒達をむやみに刺激しないよう、決して彼らを、先にこちらが傷つけてはいけないという私の厳命も、ラドクリフはしっかりと守ってくれた。
期待に応えてくれた人物は、きっちり評価をしなければいけない。
「あなたは国家と私のために多くのことを行いましたが、あなたが私に喜びと満足を与えてくれたことに対し、私が何も返せぬ王であってはいけません。後ほど、改めて感謝の言葉をしたため、ささやかでも封禄を上げるように致しましょう」
「身に余るお言葉です」
その日のうちに、私は約束通りに彼とロバートに公式の感謝状を贈り、封禄を上げることを明言した上で、ラドクリフを枢密院委員に任命した。
~その頃、秘密枢密院は……
サセックス伯爵の凱旋に、ロンドン中が湧いたその日、夕方になってから、サー・ウィリアム・セシルは外出用の上掛けを羽織って帽子を被り、宮殿を出て馬車に乗った。
ロンドン市内のある議員の私邸の前で馬車を止める。敷地内には、幾つかの棟があったが、セシルは迷わず北東の小さな棟へ足を伸ばした。
ちょうど、目的の棟から1人の男が出てきた。すれ違いざまにセシルは軽く会釈をしたが、相手の男は帽子を目深にかぶり、口元が隠れるように布を何重にも巻きつけた出で立ちで、目も合わさずに素通りした。
あの棟には、そういう、いささか正体が分からぬ者たちが出入りしている。
機密性を重視したその棟には、門番はいても召使はいない。案内の者もないその建物に、セシルは勝手知ったる様子で足を踏み入れ、迷うことなく最上階の部屋へと向かった。
ノックをし、鍵のかかっていないその部屋に入ると、ごちゃごちゃと物の置かれた部屋の奥から、2人の男が振り返った。
「サー・ウィリアム・セシル?!」
「ウォルシンガム、ディヴィソン。勝手に失礼していますよ」
若い方の男――ディヴィソンが大袈裟に驚くのを笑顔で受け止めると、この屋敷の主、フランシス・ウォルシンガムが静かに席を立った。
「サー・ウィリアム・セシル、ご連絡を頂ければ迎えくらいは出しましたが」
「構いません」
一応の社交辞令を口にする男に一言返し、入室する。
「どうですか、そちらは」
「ちょうど先程、公爵の屋敷から押収した暗号文の解読が全て終わりました」
ディヴィソンが答えてくる。ならば先程すれ違った男は、ウォルシンガムが飼っている暗号解読の専門家だろうか。
平文に直した書類の束を渡され、セシルは先に、一通り目を通したであろう青年に聞いた。
「メアリー・スチュアートが自発的に陰謀に荷担した証拠となるものは?」
「ノーフォーク公に出した手紙の中で、リドルフィを推薦するくだりがありました」
「ほう」
書類に目を落としながら、セシルは反応した。
それは、メアリーがローマ教皇と繋がるリドルフィの陰謀を知った上で、公爵に近づいたという推測を裏付けるものだ。
「ええと……こちらです」
ディヴィソンは、セシルに渡した平文の束とは別に、持っていた書類から数枚を抜き出した。
それは、美しく流暢なフランス語で書かれた女性の手紙で、一見しただけでも、恋文のようだと思わせた。
「……だが、弱い」
セシルが手紙に注意を向けていると、向かいに立っていたウォルシンガムが、低い声でそう呟いた。
眉間に皺を刻み、ディヴィソンの手元の手紙を睨みつける眼差しは、険しい。
ノーフォーク公爵とメアリー・スチュアートの結婚が、この大それた計画の総仕上げであったことを考えると、彼女が陰謀の共謀者であると疑うのは自然ではあったが、公判の世界では自然である――つまり状況証拠は、説得力にはなっても、決定的な証拠にはならない。
in dubio pro reo――疑わしきは罰せず。
それはローマ法時代から受け継がれる裁判の原則だ。
今回、メアリ・スチュアートがこの企みに加わっていたという証拠は、暗号の手紙の宛先しかなく、これも、彼女が「受け取っていない」、もしくは「そんな手紙には一切同意していない」と言い張れば、関与を否定することは出来る。
これまでのかの女の強引な言い逃れを考えれば、そう出てくる可能性は高い。そして、尋問や拷問によって追い詰めることの許される相手でもなかった。
不機嫌にも見える厳しい表情の上司とは対照的に、好青年然とした若い部下は、渦中の女を褒めた。
「メアリーの手紙を一通り読みました。ほとんどが現状を嘆き、愛を請う内容でしたが、実に見事な文才でした。かの魅惑の女王からあのような手紙が届けば、大抵の男はその気になるでしょうね」
ノーフォーク公もまた、『その気』になってしまった口だ。
だが、あの男が何度も葛藤に苛まれたらしいことは、その後の彼の一貫性のない行動に表れている。
「あの男は、ふわふわとした野心はあったが、芯となるような信念は持ち合わせていなかった」
最高位の貴族に対するウォルシンガムの評価は厳しかったが、大きくは外れていないように思えた。
公爵も恐らく、初めはメアリーとの結婚に魅力を感じていただけなのだろう。
国家の為の結婚とも、本気で考えていたのかもしれない。
だが、スペインとイタリアの陰謀家にそそのかされ、いつの間にかスペインの侵略と、北方貴族による蜂起を結び付ける役を担うようになってしまった――
「もし、あの男がエリザベス女王への忠誠を断固たる態度で示していれば、リドルフィにつけ込まれることも、このような陰謀に巻き込まれることもなかったはずです。所詮は、自らの意志の弱さが招いた悲劇だった」
「けれど、そんな愚かな男すら救おうというのが――我らの君主の揺るがぬ意志でした」
セシルが薄く微笑みそう返すと、ウォルシンガムは不機嫌に鼻を鳴らし、眉間の皺を深めた。
「実に余計なことをしてくれた」
「怒られますよ」
ウォルシンガムの正直な感想に、苦笑する。
政府が事前に反乱の計画を察知し、スペイン軍の上陸を押し留め、反乱軍を包囲したことで戦意を喪失させて蜂起を未然に防いだことは、表面的には理想的な解決だったと言える。
だが、ウォルシンガムが浮かない顔をする理由も、セシルには十分理解できた。
反乱が起こり、首謀者を裁く為の星室庁裁判が開かれれば、ノーフォーク公爵の死刑は決まったも同然だった。
現時点でも、陰謀の証拠が出揃い、本人が関与を認めている以上、十分裁判にかけることは可能だ。
むしろ、ヘンリー8世の時代であれば、例え投降して命乞いをしたとしても、形ばかりの裁判にかけられ、簡単に首が飛んだだろう。
あれから時代が変わったのは確かだが、いまだかつて、ここまで反逆者に寛容な王がいただろうか。
トマス・ハワードという個人の生死についての人間的な情はこの際置いておいて、重要なのは、国王に二心を抱いた大貴族の処分が、国政と社会情勢――つまり、女王と国家を取り巻く環境に、どのような影響を及ぼすかだ。
女王の治世の安定を第一に考えるセシルたちにとって、首謀者と彼らの反乱に与した反乱分子達を粛清し、一大貴族であるノーフォーク公爵すらも逆らえば首が飛ぶのだと言うことを粛然と見せつけることは、必要なことだった。
そして、あわよくば胸中の蛇であるメアリー・スチュアートの処刑すら、一気に片をつけてしまいたかったというのが、彼らの――特にウォルシンガムの狙いだった。
ノーフォーク公の処刑までは、ほぼ確定といえるところまで追い込んだはずだった。
「まさか、あそこから巻き返されるとは」
呟き、セシルは、トマス・ハワードの逮捕命令を聞いた時の女王の顔を思い出していた。
白い貌を青ざめさせ、震えてすらいるように見えた女性が、あの後起こした行動の詳細を、セシルは知らない。
「決起を2週間後に控えた群衆を心変わりさせるなど、一体どんな魔法を使ったのか――いずれにせよ、今回は、運が女王に味方したということでしょう」
サセックス伯爵に密命を飛ばしたという情報は得ていたが、レスター伯がノーフォーク公爵を説得したところで、武装蜂起を目前にした叛徒達を抑え込むことは、ほとんど不可能だろうとセシルも高をくくっていた。
「……幸運が常にあの方の頭上にのみ輝いているわけではありません。いずれ、あの方の敵にも運は巡ってくるでしょう」
そう言ったウォルシンガムは、勝利の報告があった日、最初にレスター伯が口にして、今やロンドン中で唱えられている言葉を引用した。
「『慈悲深き良き女王ベス』――なるほど、平和を愛し流血を厭う女王の評判は民衆の間で高まるばかりでしょうが、はたして、この甘い処置が、今後の治世においてどう転ぶか――憂いは何も晴れてはいません」
メアリー・スチュアートを担ぎ上げ、王位転覆を目論むカトリックの陰謀は、これからも続いていくだろう。
今回、危険な反乱分子たちを一掃し、残酷な見せしめによって、潜伏する彼らの同胞を恐怖させれば、一定の抑止力にはなり得たはずだ。
「……けれど正直、ホッとしている面もあるのです。あの方が、今笑っていらっしゃることに」
ウォルシンガムの考えに同調しつつ、セシルは、もう1つの矛盾する本音を漏らした。
今日、凱旋したサセックス伯爵を迎え入れた女王の笑顔は、全ての人が出来たら自分も浴したいと思うような、汚れない陽光を思わせた。
もし自分たちの目論見が成功していれば――暗雲に覆われ、嵐のような雷雨に見舞われたであろうロンドンに、再び陽が差し込む日はいつになっただろう。
「で、ですよねっ! 僕もそう思いますっ!」
ディヴィソンが、上司の顔色を伺いつつ全力で同意してくる。
星室庁裁判所は、あらゆる事件を取り扱い、あらゆる判決を下す特権を持つが、枢密院委員で構成された裁判官たちは、判決を下すことは出来ても、刑を執行する権力は持たない。
トマス・ハワードを星室庁裁判にかけた場合、枢密院の力でもって全会一致で死刑判決を下すことは既定路線だったが、実際に処刑を執行する段階になれば、国王の署名が必須だ。
最後まで公爵を救うことを願っていた女性に、彼を殺すことを命令させるというのは、自然な人情からすれば、どうにも夢見の悪い作業だった。
「彼女に、ノーフォーク公爵の処刑執行令状に署名をさせることを思うと――」
それがどれだけ困難で、苦行に満ちた使命かと思うと、奇跡的に免れたことに、安堵する気持ちが湧くことは否定できない。
「だがあの方は、どこかで非情になるということを知るべきでしょう」
セシルやディヴィソンの情動に心を動かされた様子もなく、ウォルシンガムは淡々とした口調で懸念を表明した。
「あの方の優しさが、あの方自身の身を滅ぼすような事態にならないことを、祈るばかりです」




