第152話 陰謀の終末
結局、5月1日の五月祭に、ロバートが私と踊ることはなかった。
その祭日、彼は、トマスを逮捕したサー・ウィリアム・セント・ローと共に、ロンドンに戻ってきたのだ。
トマスをロンドン塔へ護送するというセシルの指示は、私が命令を上塗りし、ロンドンの屋敷に監視をつけて拘禁するという形に留めた。
ロバートの方も、その後3日間、取り調べのため宮殿の一室に勾留された。
ロバートをノリッジに送り込んだのは私自身なため、彼の無実を主張して釈放することは出来たが、トマスの方は、そう簡単にはいかなかった。
ロバートの話では、トマスは説得に応じ、ダラムで蜂起を企てていたノーサンバランド伯爵とウェストモーランド伯爵に使者を送ったらしい。
両伯爵が、その使者の言葉をどう受け止めるか。
はたして、私の密命を帯びたサセックス伯爵との交渉のテーブルにはつくのか。
交渉に持ち込めたとして、両伯爵を説得することはできるのか。
そして、彼らの元に集った叛徒たちの暴走を抑えることはできるのか。
全ての結果が出るまで、トマスはロンドンの屋敷に監禁され、私に面会することも、弁明の機会を与えられることもなかった。
北部での蜂起が確認された瞬間、彼はロンドン塔へ送られることになっていた。
さすがにもうこの時点では、宮廷内の多くの人間が、北部貴族による反乱計画と、それを阻止するため極秘裏に進められていた政府の計画の存在を知ることとなった。
反乱鎮圧のために北進した政府軍からの報告を、祈る気持ちで待つ間、宮廷には異常な緊張が張り詰めていた。
――そして、2週間後。
5月14日の朝。旅装も解かぬままの伝令が、謁見の間にまろび込んだ。
「女王陛下にご報告申し上げます!」
扉口で声を張り上げた男に、その場にいた枢密院委員、官僚、議員、大使達が、一斉に振り返る。
待合の人間で混雑する広間の人波が割れ、出来た道を駆け込んできた伝令が、膝をつくのとどちらが早いかというタイミングで報告を口走った。
「ダラムにて、ノーサンバランド伯爵、ウェストモーランド伯爵が投降。サセックス伯爵率いる政府軍はダラムを制圧しました!」
その勝利報告に、広間が一瞬どよめいたが、私は青ざめて立ち上がった。
「ダラムを制圧!? 蜂起の為に集った叛徒たちはどうなったの、暴動は?」
問い質した私に、気が逸っていたらしい伝令は唾を飲み込み、姿勢を正して言い直した。
「サセックス伯爵率いる政府軍は、ダラムを無血で制圧しました! カトリック教徒による暴動などは確認されていません!」
今度こそ、それは完全な勝利報告だった。
「完璧だ……」
言葉を失った私の耳に、誰か――おそらくは枢密院委員の誰か――の呟きが届いた。
北部イングランドの反乱計画は、完璧に未然に防がれた。
「……勝ったぁぁっ!」
その瞬間、私は拳を握り、人目もはばからずに歓声を上げた。
「――勝利だ!」
「女王の勝利だ!」
「王権の勝利だ!」
「プロテスタントの勝利だ!」
「イングランドの勝利だ!!」
私の喜びように触発されたように、謁見の間が一斉に沸き返る。
その場にいた誰もが、口々に勝利を叫び、肩を抱き合って歓喜を分かち合った。
玉座の前に立ち、祭りのような興奮を見下ろしていた私は、遅れて謁見の間に駆け込んできた相手に、喜びを爆発させた。
「陛下! 今、政府軍からの伝令が到着したと――っ!?」
「ロバート!」
知らせを聞き、持ち場を離れて飛んできたらしい守馬頭に駆け寄って抱きつくと、ロバートは一瞬驚いたが、すぐに笑顔で私を抱き上げた。
「どうやら今日は素晴らしい日のようだ! 勝利の女神が自ら俺の胸に飛び込んでくるとは。天使の祝福が聞こえてくるようです」
「トマスの言葉が届いたの! カトリック教徒は誰も暴動を起こさなかった! トマスはリドルフィの計画を阻止したの。あなたのおかげよロバート!」
「陛下、届いたのは陛下の言葉です」
抱き上げられたまま、下の方にあるロバートの顔を覗き込み、溢れ出す感謝を伝える。
「貴女の慈悲が、奇跡を起こした」
私を床に下ろしたロバートが、手を取って跪き、完璧なエスコートで私を玉座に戻した。
そして、玉座の傍ら――セシルとは逆の位置に立ち、ロバートは注目する人々に向かって口を開いた。
「今、エリザベス女王陛下の治世において、最初の異端による反逆が、1滴の血を流すこともなく勝利のうちに終結した!」
改めて、その場にいる全員に状況を理解させるように、呼びかける。
「これぞ主の御心。慈悲深き我らの女王が、神の祝福の下にイングランドを治めておられる、何よりもの証である!」
朗々たる声が謁見の間に反響し、人の目を惹きつける華を持つ男が、天に腕を伸ばした。
「慈悲深き良き女王ベスの栄光を讃えよ! 女王陛下万歳!」
『女王陛下万歳!』
斉唱が呼応する。再び興奮のるつぼと化した謁見の間で、私は右隣に佇むセシルを振り返った。
「セシル、ノーフォーク公爵と面会します。彼の功罪を明らかにし、相応の措置を取る為に」
「かしこまりました」
勝利に酔うその場で、ただ1人静かに結果を受け入れていたセシルが、微笑んで答える。
その表情からは、彼がこの結果をどのように受け止めているかを読み取ることは出来なかった。
だがセシルは、それ以上私の行動に異議を唱えることはなく、翌日には手際良く、ノーフォーク公爵の釈明の場を整えた。
普段は使われていない部屋の1室に、私とセシル、枢密院委員たちとこの陰謀の究明に関わった者たちを集めたその日、近衛兵たちに囲まれて部屋に連行されたトマスが、私の前に跪いた。
部屋を変えたのは、私室に常駐している女性たちを排除するためだ。
男の弁明の場に女がいるのは好ましくないという、相手のプライドに配慮した措置だった。
ならば恐らくは、女の私の前に膝をつき赦しを乞うという行為も、本来ならば男である彼らには好ましくない行為なのだろう。
国王が女であるという事実は、私が思っている以上に、常に彼らの常識やプライドとの間に葛藤を生んでいるのかもしれない。
「わたくしは我が身を振り返り、素晴らしき女王陛下の臣下としての義務を、なんと大きく逸脱したことかと恥じ入っています」
改まった口調で、粛々とトマスは謝罪を口にした。
暴れぬように後ろ手に拘束されたまま、身を低くして顔を伏せた男の後頭部を、座ったまま見下ろし、その言葉に耳を傾ける。
「わたくしは慈悲に値する人間ではなく、赦しを望む立場にない人間であると痛感しています。しかし――」
1度言葉を切り、息を吸い込んだトマスが、覚悟を決めたように続けた。
「哀れみ深い陛下が、今こうやってわたくしに弁明と赦しの機会を与えて下さっている事に感謝し、後悔と哀しみに満ちる胸を抱えながらも、意を決して足下に跪き、お縋りいたします」
プライドの高い彼がどんな葛藤を飲み込んで命乞いをしているのか、思いを馳せると胸が痛む思いもしたが、私は表情を変えずに、黙って男の言葉を聞いていた。
「陛下の寛大な御心が、つまらぬ男の弁明でお耳を汚すことを許されますならば、ただ1つ――わたくしの陛下への愛と忠誠心は、決して偽りのものではなく、また1度たりとも忘れたことも失ったこともないことを誓わせて下さい」
潔く罪を認めた後の弁明は、抽象的なものではあったが、切実なくらいの真剣味があった。
トマスが己の言葉を吐き出し終えた後、しばらく、重苦しい沈黙があった。
私の左右、後ろに居並ぶ男達の視線が、兵隊に囲まれ膝をつく公爵へと突き刺さる。
その沈黙を破り、私は静かに口を開いた。
「……あなたが私を女である以上に王であると認めてくれるのなら、私はあなたを赦したいと思います」
それは意外な言葉だったのか、僅かに顔を上げかけた男が、再び身を低くして答えた。
「認めるも何も……貴女は王です。俺は、貴女が王であることを疑ったことはありません。ただ――」
肩を震わし、息を止めた男がようやく絞り出した声が、かろうじて届く。
「……身の程を知らぬ欲を持った……」
――それは、イングランド王になるという欲だと、私は思った。
「どうか、我が罪、我が不服従をお許し下さいますよう……」
「トマス……」
最初は気丈に、用意した言葉を紡いでいたように思えたトマスが、私の言葉から急に崩れ、萎むように弱々しくなった姿を見て、思わず腰を浮かせたのを、隣に立っていたセシルに腕を掴んで止められた。
「陛下――この男の前に、膝をついてはいけません」
「…………」
囁くような小声だったが、この静かな部屋ではトマスにも聞こえたはずだ。
私は浮かせかけた腰を椅子に落とし、傷付いた相手に駆け寄りたくなった衝動を抑えた。
許すならば、冷厳と。
王として許せと、そう言われた気がした。
目を閉じ、静かに深呼吸をして、精神を凪ぐ。
「ノーフォーク公爵。私は、私の治世において、あなたを失うことを考えていません――顔を上げなさい」
目を開き、跪く男に命じると、ノーフォーク公爵がゆっくりと顔を上げた。
憔悴した顔は、頬が痩け、目が赤く潤んでいたが、決して同情を見せないように、王の顔で見返す。
「犯した罪は償わなければなりませんが、あなたが善の心を取り戻し、起こした行動によって、多くの血が流れることを防げたことは、認められるべき貢献であると私は考えます」
それは、トマスだけではなく、その場にいる重臣達に伝える意図を含めて、威厳を持って伝えた。
「中には、あなたに死をもって償うように考える者もいるかもしれませんが、私は、あなたに、死より生を持って償うことを求めます。聖書にはこう記されています――扉を叩け、さらば開かれん。あなたが私の扉を叩き、全てを投げ出し慈悲を求めたように、私もあなたの扉を叩きましょう――もう1度信じ、いつか再び、あなたに支えてもらえる日が来ることを期待します」




