第151話 女王の作戦
その日のうちに、私は第3代サセックス伯爵トマス・ラドクリフに、ある密命を飛ばした。
今、彼は北部のカトリック教徒の蜂起を見据え、軍勢を率いて北へ進軍している。
現時点では、彼の任務は『予見される反乱の鎮圧』だ。
だが、今回の私の作戦では、このトマス・ラドクリフに、もう1つ大きな仕事を担ってもらうことになる。
今日、ロバートが最速でノリッジに向かったとして到着に2、3日はかかる。
とにかく、ロバートがトマスを説得してくれることが、大前提にはなるのだが――
ノーフォーク公爵が、北部の共謀者に蜂起を中止するよう呼びかければ、恐らく彼らは迷うだろう。
ここまで来て、成功の見込みのない反乱計画を強行すべきか、否か。
迷わせることが出来たなら、チャンスはある。
まずラドクリフには、反乱軍の指揮官がノーサンバランド伯爵とウェストモーランド伯爵であると決め打ちで、この2人と会談の場を設けるよう連絡を取ってもらう。
ウォルシンガムは謎が多いし、隠し事もするが、さすがに、私があそこまで言って嘘をつくような男ではない。
そして、彼が嘘をついていない限り、この情報はほぼ間違いないと、私は信じている。
ここからは――これも、両伯爵が交渉のテーブルについてくれることが前提の話にはなるが――いかにして彼らに、こちらの提案を飲ませるか。
大切なのは、ターゲットと目的を明確にすること。
ターゲットは、反乱を指揮する2人の伯爵――ノーサンバランド伯爵とウェストモーランド伯爵……だけではない。
忘れてはならないのが、彼らが扇動し、集めた数多の叛徒たちだ。
北部の民衆は地元の領主への忠誠心が厚いと聞くが、正規の軍でもない彼らが、指揮官が計画中止を呼びかけたとして、大人しく従うかは疑問だ。
例え両伯爵の説得に成功したとしても、叛徒たちが彼らに逆らい暴動を起こせば、それは政府の目には紛れもない反乱と映り、首謀者たちの処分は免れない。
目的は、ターゲットに、蜂起を実行するという規定路線から、中止するという真逆の路線に変更させること。
通常、交渉は、相手に妥協を求められることを想定した上で、ある程度、最初にバッファを取って、段階を踏んで譲歩のそぶりを見せ、出来るだけ有利な形で落とし所を見つけるものだが、時には、たった1度のチャンスにかけねばならない時もある。
そんな時は、相手の想定を超えた、こちらが引き出せる限界ギリギリの条件を最初に叩きつけることで、交渉の空気を一気にこちら側に引き寄せるという手法がある。
営業時代の私は、基本的にリスクヘッジの鬼だったので、滅多に使わない手だったが――それでも、大物を目の前にした時は、ごく稀に勝負に出た。
はたして段階を踏むべきか、一発勝負に出るべきか。
その見極めが、難しい交渉を成立させる時には、重要な分かれ道となる。
見極めるには、経験と勘しかない。
私の勘は、勝負に出るべきだと告げていた。
もう後がない。ここで私が謀反者たちの心を動かさなければ、トマスを救うことは難しくなる。
私の描いたシナリオを成功させるには、まず第一に、ロバートがトマスを説得し、謀反者――実行部隊にあたる北部貴族たちに、反乱を中止するよう呼びかけられるかという難関があるが、これはもう、ロバートに賭けるしかない。
彼がトマスの説得に成功したという前提で、私が出来ることは、計画が筒抜けになっており、勝ち目がないと知った謀反者たちが、『反乱を起こさない』という選択に傾くよう仕向けることだ。
今回、私が直接説得に行くことは物理的にも不可能だし、逆効果になる可能性がある。
かと言って、いきなり召喚命令を出したところで、変に相手を刺激し、誤解を生む恐れがあった。
状況を悲観した反乱軍が自棄を起こし、最悪の結末を迎えては元も子もない。
やはりここは、最も現場に近いラドクリフ――謀反者たちを脅かすだけの軍勢を率いた彼を利用し、非公式に和平交渉のテーブルにつかせるのが良いだろう。
すでにお互い武器を手にしている以上、事は慎重を要する。
さぁ遠隔操作だ。何が出来る?
声が届かない以上、文字を媒体にしたツールを活用する他ないのだが、大事なのは条件の提示だ。
蜂起を中止した場合、彼らにどれだけメリットがあるか。実行した場合に、どれだけデメリットがあるかを知らしめる。飴と鞭だ。
だが、ビジネスの交渉と最も違うところは、今回の反乱では、彼らは曲がりなりにも信仰の復活という大義を掲げて動いているということだ。
そんな彼らに、露骨に飴と鞭を提示したところで、自分たちの矜持や意地を優先し、首を縦に振ることはないだろう。
彼らの心を動かす言葉でもって、彼らの矜持を守った上で、彼らが我が身を守るための逃げ道を提示してやる必要がある。
それらを効果的に、そして彼らが十分に信用できる形で交渉に乗せるために、私はラドクリフへの指示書とは別に、2人の伯爵に見せるための令状を作った。
これは、ラドクリフが2人の伯爵を相手に、交渉を有利に進めるためのツール――言わば提案書だ。
指示書は分かりやすさを最優先するが、提案書には、相手の心を掴むためのドラマ性が必要になる。
私と両伯爵の関係は、君主と臣下だ。
もし、私が今、彼らの前にいたら、どういう言葉で訴えかけるだろうかを、真剣に考える。
相手の心を動かすには、まず、こちらが本気であることを伝える必要がある。
熱意をもって、真摯に、相手の心に訴える。文字だけでそれを表すのはとても難しいが、私は、言葉の持つ力を信じている。
私がどれだけ苦悩しているか、その上でどれだけ彼らを救いたいと思っているか、彼らを信じているかを真剣に書き綴り、こちらからの条件として、反乱を実行に移さない限りは、決して彼らを反逆罪に問うことはせず、地位を剥奪することもしないと誓い、署名をした。
そしてもう1枚。特別な女王の勅書を用意する。
これは、両伯爵が説得に応じ、蜂起を中止することを決意した時に、彼らが集めた叛徒たちに見せるための提案書だ。
何の約束も保証もなしに、反乱を中止しろと言われたところで、貧しい領民でしかない大多数の叛徒達は、裏切り者の指揮官だけが救われ、自分たちは粛清される未来を恐れるだろう。
口約束など信じず、自棄になって暴動を起こす者がいてもおかしくない。
彼らには、もっと極端な飴と鞭と――そして、ちょっとばかりのハッタリが必要だろう。
政府軍の軍勢を誇張し、謀反の先に待ちうける不幸な未来を大げさに脅しつけ、私への忠誠を誓った場合の慈悲と恩赦を約束する。
そして――これが一番のハッタリになるが、私が彼らの熱意に影響を受け、教皇とカトリックに迎合しようとしているようにほのめかす。
それも女王の署名入りでだ。
彼らの1番の目的を達成したように思わせれば、彼らは死の恐怖と、国王に忠誠を誓う生き方を天秤にかけるだろう。
その天秤がどちらに傾くか――これはもう、賭けでしかない。
……ここまですると後からセシルに怒られそうだけど、まあいい。
ぶっちゃけ、北部の叛徒たちと交わす誓いに、国家体制を覆すほどの大きな影響はない。
いついつカトリックに改宗するなどという無責任な放言はしないし、逃げ道は十分に用意した内容にしている。
要は、一時的にでも、彼らの高揚した闘争心を冷めさせてしまえばいいのだ。
これら2つの女王の書状を作成した上で、ラドクリフへの指示を記した密書を完成させる。
その中で、ラドクリフには、陰謀の究明が進み、事態に進展が見られたこと、謀反者に投降の気配が見られた場合は、積極的に交渉のテーブルにつくことを命じた。
様々なケースを考えて、交渉パターンを指示した密書は数ページに渡ったが、これを彼がどこまで理解し、実行できるかは、本人の能力に依るところが大きい。
自分で動けないもどかしさはあった。
だが、人を使うことは、今の私の立場ではどうしても必要な能力だ。
サセックス伯爵トマス・ラドクリフは、ロバートと同年輩で、まだ若い。
どちらかというと地味で、宮廷でも目立つようなタイプではなかった。
この人材難の中で、ラドクリフを任命した理由は、名誉欲や野心から、自己判断で余計な行動を起こすことのなさそうな人物を選んだというのが、まずある。
今回の派兵については、最初から、可能であれば剣を抜かずに終わらせたいという思いが、私の中にはあった。
そのため、軍功に目がくらみ、不必要に戦の口火を切る怖さがあるような、血気盛んで野心的な人間は避け、プラス、真面目で口の堅そうなラドクリフは、内密に進めることが肝となる今回の軍事作戦では、適材だと判断した。
彼のことは、忠実に任務に取り組めるタイプの人間だと評価しているが……交渉力の方は、正直なところ未知数だった。
だが今は、自分の人事を信じて、任せるしかない。
「くそっ、本当に賭けだな……」
ペンを動かす手を止めずに、肘をついた左手で頭をかきむしる。
私が描いたシナリオが実現するには、一体何段階の賭けに勝てばいいのだろう。
それでも、やれるだけのことをやらないで失敗したら、絶対に後悔する。
何しろ、人の命がかかっているのだから。
書き終えた内容を何度も推敲し、一番早い馬に託して伝令を放った後、私はしばし執務机の前に座り込み、フル回転させた頭をクールダウンさせた。
本当にこれで良かったのかを、何度も考える。
だが、何度考えても、これが私にとっての最善だった。
人事は尽くした。
尽くしたからこそ、あとは天命を待つのみ。
頼むぞ、ロバート!
~その頃、秘密枢密院は……
「またノリッジに向かうのか……」
少数の従者を引き連れ、ロバートは曇る北の空を見上げて呟いた。
女王の意志を確認したロバートは、その日のうちに再びノーフォーク州へと向かった。
北に行くほどに天候が崩れる悪条件の中、2日で馬を飛ばしたロバートがノーフォーク公の屋敷に辿り着いた時には、あたりは闇に沈んでいた。
霧のような小雨が降りしきる中、灯を投げ捨て、いつでも発てるように従者と馬を置いて屋敷の門をくぐる。
今はまだ、ロバートには女王の特使としての身分があった。
夜分の突然の訪問を押し留めようとする使用人たちに、女王の署名入りの書状をちらつかせて適当なホラを吹き、上がり込む。
勢いで奥の間まで突き進んだロバートが思い切りよく扉を開くと、やはり暖炉に向かって座り続けていたらしいノーフォーク公が、驚いて振り返った。
「何だ、こんな時間に……!」
「反乱をすぐに止めるんだ、ノーフォーク公!」
開口一番、そう言ったロバートに、公爵の表情が強ばる。
「これは政府が、反乱分子を一網打尽にするために張った罠だ!」
「何……?」
「スペイン軍は来ない。港は全て封鎖されているし、政府は既に警告を出してスペインを牽制している」
「何の話だ!」
怒り含んだノーフォーク公の問いには答えず、ロバートは続けた。
「サセックス伯爵が極秘裏に、反乱軍鎮圧のために兵の準備を進めていた。蜂起したら最後、孤立して掃討されるのが落ちだ」
「……!」
そこで、初めてノーフォーク公の顔から表情が抜けた。
「リドルフィというイタリア人の男を知っているか。スペインと通じていたスパイだ。その男の暗号文を政府が入手し、計画の全容が明らかになった」
「なんてことだ……」
ガックリと椅子に沈み込んだ男が、頭を抱える。
意気を失った男を見下ろし、ロバートは静かな声で聞いた。
「デ・スペとロス主教がこの屋敷に出入りしていると聞いた。執事長のバニスターはどうした?」
「……4日前から行方が知れない。お前が知っているんじゃないのか?」
「バニスターのことは、俺は知らない。だが、もう政府は知っているかもしれない」
「なら、お前は何なんだ。何をしに来た」
混乱した様子のノーフォーク公の問いは、ある意味当然のものだろう。
相手の目的を計りかねている男に、ロバートは自らの立場を明らかにした。
「俺は女王の特使だ。貴方が過ちを犯すのを止めに来た」
「…………」
「奴らを止めろ、ノーフォーク公。無駄な犠牲を出すな!」
「だが、今更……」
一喝するロバートに、ノーフォーク公が頭を抱えたまま迷いを見せる。
今更引っ込みがつかないとでも言うのだろうか。
煮え切らない態度に、意固地なプライドが見え隠れし、苛立ったロバートが叫んだ。
「女王陛下のご命令だ!!」
「……っ」
すると、打たれたように身を強ばらせた公爵が、何かを振り切り立ち上がる。
「分かった……すぐにウェストモーランド伯爵と、ノーサンバランド伯爵に、計画を中止するよう使者を送ろう」
「事を起こさずに済ませるならば、陛下は寛大な処置をとると言っておられる。決して自棄になった行動を起こさないように伝えてくれ」
ようやく決断してくれた男に胸を撫で下ろし、ロバートは笑みをこぼした。
「それから、すぐにロンドンへ向かおう。陛下は、閣下が事情を打ち明ける機会を与えようとしている」
「ああ……」
弱々しく頷いた血の気の引いた顔は、自分のやったことに慄いたように憔悴していたが、先日、ロバートに剣を突きつけた時に比べれば、ずっと理性的に見えた。
急ぎ、公爵が共謀者である2人の伯爵に使者を放った後、ロバートは人目を避け、夜明け前に出立することを決めた。
公爵とその従者を連れて屋敷を出ると、小雨はまだ霧のように降りしきっていた。
「急ぐぞ、ノーフォーク公。俺は、門の西の林に馬を待たせてある」
「では、正門の前で合流しよう」
「うん……?」
ごく少数の供だけをつけたノーフォーク公と一旦別れようとしたところで、ロバートは正門の向こうに、幾つもの赤い松明が揺れるのを見た。
霧雨の中を、ぼんやりと揺れるかがり火が近づいてくる。
「何だ……?」
不穏な空気を察するが、松明の群れはかなりの速度で近づいており、やがてそれは、馬上の人の形を成した。
深夜の出立に先立って開いていた正門から、騎馬の軍勢が堂々と侵入してくる。
彼らは夜目の利く獣のように、すぐに公爵とロバートの一団を見つけ、取り囲んだ。
「ノーフォーク公爵! ノーフォーク公爵トマス・ハワードでいらっしゃいますな?」
馬上からそう声をかけ、1人の男が進み出る。
近衛隊の制服に身を包み、槍を構えた騎兵を率いて現れたのは、見慣れた男――護衛隊長のサー・ウィリアム・セント・ローだった。
「ノーフォーク公爵トマス・ハワード。閣下に反逆罪の嫌疑がかかっている。すでに、疑惑に関与したと思しき秘書2名と執事長のバニスターは拘束している。大人しく来て頂こう」
相手の身分を考慮した物言いで逮捕を言い渡した護衛隊長は、夜闇の中、公爵の従者に混じって立ち尽くす上司を見て顔色を変えた。
「レスター伯!? まさか貴方も……」
「彼は関係ない!」
その時、それまで口を閉ざしていたノーフォーク公爵の声が急に力を持ち、サー・ウィリアム・セント・ローを圧倒した。
「彼は、計画を察して、俺を止めに来ただけの善良な男だ」
「ならば、容疑を認めるというのですね」
「…………」
「まぁいいでしょう。話は、星の間で然るべき方々が聞くことになる」
黙って睨みつけた公爵に、護衛隊長はそう言うに留めた。
星の間 は、評判高い星室庁裁判所の異名だ。
権力者が圧力をかけ、陪審を有利に左右しやすい世の中にあって、国王大権の下、王の諮問機関である枢密院委員が裁判官となって、権力者を裁くことを可能にした唯一の裁判所。
あらゆる事件を取り扱い、あらゆる判決を下す特権を持つこの裁判所は、ヘンリー8世時代に権限が強化され、王権に盾突く者たちを次々と裁く、イングランド絶対王政の象徴の1つとなった。
その名は、裁判がウェストミンスター宮殿内の『星の間』で行われることに由来していた。
反逆罪の嫌疑がかかっているノーフォーク公爵が裁かれる場所は、この星室庁裁判所の他にはない。
「国王第一秘書から、逮捕命令と、家宅捜索の許可が下っています。共に来て頂けますな?」
「…………」
無言を貫き微動だにしない男の両脇に、馬を下りた近衛兵が2名、ぴったりとついた。
「触るな、自分で歩ける」
腕を取って連れて行こうとした兵隊の手を払い、歩き出した男の後ろ姿は、ここにきて公爵家の誇りを取り戻したかのように気丈だった。
従者を引き連れ、騎兵隊に連行される男を警戒の目で見送った後、セント・ローは、その場にいた守馬頭に慎重に話しかけた。
「レスター伯、貴方も――」
「俺も戻ろう。心配するな、逃げはしない。取り調べならいくらでも受けるが、俺の潔白は最も高貴な人が証明してくれるだろう」
そう言ってロバートは、連行されるノーフォーク公爵の後を追うようにして、自ら門に向かって歩き出した。
「やれるだけのことはやった――後は、運を天に任せるだけだ」
1562年4月27日、ノーフォーク公爵トマス・ハワード逮捕。




