第150話 女王の逆襲
しばらく、1人残された部屋にぼんやりと佇んでいた私は、急に我を取り戻した。
「帰らないと……」
誰に言うともなしに呟き、部屋を出る。
主人の突然の出立に慌ただしくなったロバートの屋敷を後にし、私は行きよりもゆっくりとしたスピードで馬車に揺られ、宮殿に戻った。
「…………」
その間、頬杖をつき、窓の外で動くロンドンの景色を見るともなしに眺めながら、状況を整理する。
この状況で、どうやったらトマスを救うことが出来るだろう。
そんなことばかり考えていた。
執務室に戻ると、ウォルシンガムが無言で一礼して私を迎えた。
「…………」
微妙な沈黙の中、相手の様子を探るが、相変わらず鍵をかけたように無表情な男相手には無駄な行為だった。
「ありがとう、ウォルシンガム。今日はもういいわ。セント・ローを呼んで来て」
相手が何も聞いてこないのを幸いに、私はウォルシンガムを下げ、護衛隊長を呼んだ。
守馬頭を私の指示でロンドンを離れさせたことを伝え、代行に任命するつもりだったのだが、執務室に駆けつけたのはセント・ローではなく、警備隊長のケアリーだった。
「セント・ローは?」
「いません」
「え?」
「国務大臣から出動要請がありました。騎兵一個小隊を率いて、ノリッジへと向かっています」
「ノリッジへ? どういうこと……?」
言いながら、這い上がる悪寒に鳥肌が立った。
「ノーフォーク公爵トマス・ハワードの逮捕命令が下っています」
「……!」
「陛下? どうしました――」
血相を変えて立ち上がった私に、ケアリーの方が驚いたようだった。
「止めなさい! 今……」
ロバートが、トマスを止めようとしているのだから……!
「――陛下、逮捕命令を出したのは私です」
開け放たれた扉の向こうから、耳慣れた声が名乗りを上げる。
いつものように静かな足取りで入ってきた宰相の後ろには、影のようにウォルシンガムが控えていた。
「……聞いてないわよ、セシル」
「ノーフォーク公が陰謀に関わっている証拠を掴みました。首謀者を突き止め次第、可及的速やかに解決するようにとのお達しでしたので」
「…………」
睨みつけた私の視線を、セシルが冷静に受け止める。
事態は悪くなっている。それでも、私は精一杯、トマスが救える可能性のあるシナリオを脳裏に巡らせた。
「……分かりました。ですが、ことは慎重に進めて下さい。ノーフォーク公は、ロンドンに到着次第、市内の屋敷に監視付きで謹慎とします」
「陛下!」
私の指示に顔をしかめたセシルは、当然のようにロンドン塔に送るつもりだったのだろう。
先に釘を差し、私はトマスの処遇について、慎重な意見を述べた。
「ノーフォーク公爵は我が国最高位の貴族です。安易に失うことも、その品位を貶めることも許されません。仮にノーフォーク公の身柄を一時的に捕らえたとして、彼が改心し、反乱を未然に防ぐことに貢献したならば、十分に酌量の余地があると私は考えます」
今回の事件を公にし、裁判にかけるとなれば、トマスの身柄は星室庁裁判所に委ねられる。
そして通常、反逆罪は死罪だ。
だが、反乱の事実が認められず、未遂で済めば、まだ打つ手はある。
「それこそ、罰金や拘禁、2度とメアリーや陰謀に関わらないという誓約書を書かせ、イザベラと結婚させてしまえば、再発を防ぐことは可能でしょう。貴族を罰するというのは、容易なことではありません。彼の身分を考えれば、それくらいの斟酌はあって然るべきです」
決して無理なことを言っているつもりはなかった。堂々と自論を展開した私に、セシルは1歩引いて胸に手を当て、答えた。
「陛下の仰ることは誠に道理ですが、僭越ながら今ひとつ、公約を願いとうございます」
「公約?」
「あくまで公が説得に応じ、十分に改心した上で、この恐るべき反乱が実現することを阻止した場合のみ、公の貢献と忠誠が認められ、陛下のお慈悲に与り得る、という公約です」
「…………」
「反乱が起これば、それは誰の目から見ても明らかな反逆行為です。必ずや首謀者を裁判にかけ、法の下に公正な判決を下さなければ、陛下に忠実な者たちは納得しません」
……やっぱり、セシルには敵わない。
私が公爵の身分を盾に、反乱が未然に防げた場合を前提にして、裁判を逃れようとしているのに対して、セシルは誤魔化しを許さず、そうならなかった場合の言質を、確実に私から取ろうとしている。
出来たら勢いで、うやむやのまま押し切りたかったのだが、そうは問屋が卸さない、か。
逃げ場はなかった。
賭けなければいけない。ロバートが、トマスを止めてくれるのを。
「……勿論です。確かな罪は、法の下に公正に裁かれなければいけません」
その言葉を口にするには、随分と勇気を要した。
本心が拒絶するのを、無理やり理性で押し出した声は、力なく私の足下に落ちた。
「セシル。いいわ、下がって――ウォルシンガム」
セシルに伴って下がろうとした黒衣の男を引きとめる。
「ノーフォーク公が反乱に関与しているとして、ロンドンに滞在していた彼が直接軍勢を指揮しているわけではないでしょう。実行部隊にあたる北部貴族にもあたりはついていますね?」
「…………」
振り返った男は、無言のまま私を見返した。
「女王命令です。確証がなくとも構いません。あなたが予想している人物の名を答えなさい。間違っていたとしても責任は問いませんが、正直に答えることを命じます」
「……ノーサンバランド伯爵とウェストモーランド伯爵です」
短く答えた男から目を離さないでいると、彼は一礼し、静かに退室した。
「あの……陛下、俺は……」
「ハンズドン男爵。今、レスター伯が私の密命で動いています。よって、あなたに守馬頭代行として、城内警備と国王身辺警護、五月祭に向けた準備と当日の取り仕切りを任せます」
「か、かしこまりました」
取り残されたヘンリー・ケアリーに、セント・ローに言うつもりだった指示を出す。それらは全て守馬頭の管轄の仕事で、下部組織へと割り振られていくものだが、上2人がいない今、彼に全ての指揮を取らせることにした。
特に、年間行事の中でも最大規模の五月祭を取り仕切るのはかなりの負担になるだろうが、これも経験だ。
限界以上の仕事を任された時に、人は成長する。
任されたことに対しては過不足なくこなすケアリーだが、彼にはもっと上を目指してもらわねばならない。
「我が宮廷の統率された祭事儀式は、外国大使たちの間でも高い評価を得ています。期待していますよ、ハンズドン男爵」
「ハイ……」
ついでに発破をかけておく。
何かと演出好きのロバートは、その完成度にもこだわりを見せ、例えば晩餐の儀式でのボーイの動き1つにしても、ミスをすれば、すぐさまそれを直させた。
おかげさまで、宮廷に訪れた外国公使たちからは、「エリザベス女王の宮廷儀式の整然とした美しさは、他に例を見ない」とまで絶賛を頂いている。
急な代理を任せるケアリーにそこまで求めるつもりはないが、普段舐めてかかっている上司の働きぶりを実感するには、良い機会になるだろう。
……まぁロバートの場合は、舐められるような言動をしている本人にも責任はあるのだが。
さて――
ケアリーを下がらせ、私は執務机の前に腰を落ち着けた。
部屋付きの侍従が扉の隣に控えているだけの空間で、紙とペンを目の前におく。
目をつぶり、静かに精神を統一する。
セシルが、私に知らせるよりも先にトマスの逮捕命令を出したことからも、彼らがもはや、反乱を未然に防ぎ、首謀者達を手打ちにすることなど望んでいないのが分かる。
反逆の証拠を掴んだ上で、罠にかけて一網打尽に捕え、法の下で確実に処断するつもりだ。
セシル達からすれば、この機に危険な芽を全て摘み取るのが、最良の判断なのだろう。
そういう考え方もあるかもしれない。
だが私は、犠牲を出さずに事態を収拾出来るなら、絶対にその方がいい。
カトリック教徒だろうが何だろうが、私の国民には違いないのだから。
こんなもんじゃないだろ、天童恵梨!
セシルに容赦なく逃げ道を塞がれ、逆に私は燃えてきた。
逃げ道がないということは、選択肢が1つしかないということだ。
選択肢が1つしかないということは、そのたった1つの可能性に全力を尽くせるということだ。
つまり、一点突破。
1つしかないシナリオを、どう手を尽くして成功へと導くか。
いくつもの可能性を考慮しなければいけない場合より、作戦を立てるという意味では、その方がよほどやりやすい。
追い詰められた人間が強いのは、そういうことだ。
ロバートには祈ると答えたが、祈るだけなら私でなくても出来る。
私は女王のなのだから、私にしか出来ないことがあるはずだった。
悪いけど、私は往生際が悪いぞ、セシル!




