第149話 レスター伯の作戦
ロンドンに戻ったというロバートの秘書が、彼の手紙を持ってきたのは、4月25日。
思っていたより早い帰還だったが、帰ったら真っ先に私のところに飛んできそうなロバートが、直接宮廷に現れなかったことに、まず違和感を覚えた。
――が、代理の秘書が伝えてきた内容に、私は書類に署名する手を止めて立ち上がった。
「ロバートが倒れた!?」
手紙は秘書が代筆したものらしく、ノーフォーク州から戻る途中に重い病にかかり、参内することが出来ず申し訳ない。だが、もうこのままだと宮廷に上がることは2度と叶わないかもしれない。最後の仕事の報告を長々と書く力すらもう残っていないため、僭越ながら、至急の陛下の来訪を願いたいという内容が書かれており、実際代筆した秘書がほとんど内容を読み上げる勢いで、さめざめと泣きながら伝えてくれた。
「閣下は、せめて最期に一目、陛下のお顔を拝見したいと……」
「……あのバカ! なに急に弱気になってるのよ!!」
手紙を手に、歯噛みする。
秘書の話では、ここ1ヶ月ほど、実は体調の悪さを感じていたが、私に重要な任務を任され、病に蝕まれた身体に鞭打ってノーフォーク州へと走ったのだという。
かなりの強行軍を自らに強いたロバートの忠誠心を、秘書は涙ながらに語った。
無茶しやがって!
「陛下をお呼び出しするなど、誠に畏れ多いことではございますが、閣下のたってのお願いを、何卒寛大な御心でお聞き入れ頂ければと……」
「何言っているの、当たり前でしょう!」
泣きながら頼み込む秘書を、逆に叱責する。
身の程とか関係ない。大切な友人が死にかけていて、駆けつけない人間がどこにいる。
「おお、では……!」
「行くわ! ウォルシンガム、あと宜しく!」
羽ペンを放り出し、スカートをたくし上げた私は、ウォルシンガムを執務室に残し、ロバートの秘書を急き立てて宮殿を出た。
「ロバートは無事なの!?」
ロバートのロンドンの屋敷まで馬車を飛ばした私は、泣きくれる屋敷の人間達に感激されながら迎え入れられ、すぐにロバートの寝室へと案内された。
侍女が開けた扉から入室すると、すぐに後ろで扉が閉められた。
エリザベスから、守馬頭に任命された際に贈られたという屋敷は、さすがに立派で、広い寝室の真ん中に、天蓋付きのキングサイズのベッドが置かれていた。
ベッドの真ん中がこんもり盛り上がっているので、人が寝ていることは分かるのだが、なぜか部屋には、医者も看病の侍女もいなかった。
私の面会のために気を利かせてくれたのだろうか。だとしたら、本当にもう余命幾ばくもない状態なのか……
いいや信じないぞ!
不安に萎みかけた気持ちを奮い立たせ、私はベッドサイドに寄って、中央の丸みに呼びかけた。
「ロバート! 生きてる!?」
「……ぅ……」
返事らしき、苦しげな声が微かに聞こえ、私は慌ててベッドに乗り上げて、布団の上からロバートに触れた。
「ロバート……? 大丈夫? 苦しいの? 少し顔を見せ――」
「陛下!!」
「ぎゃぁぁ?!」
途端、がばぁっ! と目の前で布団が舞い上がったかと思うと、電光石火の早さで布団に食べられていた。
ちょっと真っ暗なんですけど! なにこれ食虫植物!?
「ちょ、ちょっ、ちょ……っロバート?! ロバートよねっ!?」
「来て下さると信じておりました!」
軽くパニックになりながらもがく。布団の中で、何やら感激しながら抱きついてくる男は、間違いなく死にかけの重病人であるはずのロバートだ。
なんか元気そうですけど!?
「今、貴女の愛を確信し、このロバート、感激に咽んでおります!」
「とりあえず離しなさい! っていうか、状況を説明しなさい!」
「では離さず状況を説明しましょう!」
「離せぇぇぇっ!」
妙に決まった仕草で、バサッと頭からかぶっていた布団を外したロバートは、顔色も肌つやも良ければ、今帰ってきたと言わんばかりの旅装のままだった。
騙されたー!
ここに来てようやく、そのことに気付く。
「このロバートが、どうやれば陛下と2人っきりでお話が出来るかを考えた挙げ句の苦肉の策です。俺が重病であると聞けば、慈愛溢れる陛下は必ず屋敷まで訪れ、枕元で甲斐甲斐しく看病してくださると思い、あのような文を出させて頂きました!」
堂々とネタばらしをしてくる。
赤ずきんちゃんのオオカミさんか、おまえは!
「つまり、仮病……?」
「いいえ、貴女と特別な時間を共有したいが為に起こる病――つまり恋の病です」
「あほかぁぁぁぁ!」
白い歯を輝かせての決め台詞に、全力で突っ込む。
「あんったねぇ……! いい加減にしなさいよっこんな時に! さすがに本気で怒……」
「しっ、陛下」
だが、身を起こした私が怒鳴りつけるのを、ロバートが人差し指を唇に当てて黙らせた。
一転、真剣な声音になる。
「これは真面目な話です。どうしても、すぐに陛下にのみお知らせしたいことがあって、このような暴挙に出たことをお許し下さい」
「……?」
眉を顰め、目で問い返すと、ロバートは早口に要点を話した。
「縁談の話は断られましたが、それよりも、ノリッジのノーフォーク公爵の屋敷で、台所女たちの奇妙な話を聞いてしまいました。公爵の屋敷に、ロス司教とスペイン大使が出入りしているというのです」
「……!」
その組み合わせに、私は息を飲んだ。
「何でも、北部のカトリック勢力とスペイン軍の手を組ませて王位転覆狙い、結婚したメアリーとノーフォーク公を王位につけようという計画が進行しているとか……」
「トマスが……本当に……?」
彼がその陰謀に荷担していたという事実に、力が抜ける。
私の衝撃を察し、背に左腕を回したロバートが支えてくる。
肩に置かれた右手に掌を重ね、私は目を閉じて深呼吸をした。
出来るだけ冷静にしゃべろうと努力する。
「……実は、リドルフィというイタリア人のスパイが書き送った暗号文を入手したの。今あなたが言ったのと、ほとんど同じ計画が書かれていた」
「やはり、セシルが事前に情報を得ていましたか」
「計画の概要が分かっても、首謀者は分からなかった。だから、敵の出方を探るために情報を秘匿していたの。ごめんなさい」
「分かります。俺はあの男に信用されるようなことをしていませんから」
自虐を口にしてから、ロバートは私の手を引いて指に口づけた。
「それに、俺も今、あの男に内緒で貴女に会っている」
「ロバート、今、全てを話すわ。スペイン軍の上陸については、全港を封鎖した上で、すでにスペイン政府に警告を出して、牽制しています。北部の反乱についても、サセックス伯爵が、蜂起の鎮圧に向けて北部に進軍している。あえて情報を遮断して、彼らが蜂起したところを包囲しようという狙いで」
「ならば……」
「この反乱は失敗します」
断言し、瞼を押し上げた先に見えたロバート表情に、彼の複雑な心境を悟る。
「もし、この反乱の首謀者がトマスであるならば、彼は――」
その先はとてもではないが口にすることができなくて、私は唇を噛んだ。
本来、反逆罪は、死罪だ。
そんな私に、ロバートが必死に友人をフォローした。
「メアリーとの結婚の打診が来たと、俺と腹を割って話した時には、あの男は、そんな恐ろしい計画のことなど全く考えていなかったはずです! 俺が最後にノーフォーク公に会った時、彼はまるで魂が抜けたように座り込み、神の御心の真意を問うていました。きっと、あの男は後悔しています。今ならまだ間に合う! 馬鹿なことを止めさせ、あの男を救ってください!」
「…………」
まだ、間に合うだろうか。
そんな疑問が湧いたが、迷っている時間すら惜しい気がした。
ロバートの言葉に頷き、私は出来るだけのことをしようと心に決めた。
「一刻も早く、トマスに計画を止めるように説得します。ノーフォーク公爵になら、北部のカトリック勢力を抑える力がある。間に合えば、彼も罰せられずに済むかもしれない――大丈夫。そうなれば、私が守ります」
「陛下……!」
裁判にかかって判決を下されれば、その結果を覆すことは、私でも出来ない。
だが、例え陰謀に関わっていたとしても、彼の力を借りて反乱を未然に防げれば、情状酌量の余地はある。
「私が直接行きます。ロバート、一緒に来てくれる?」
先にベッドを降り、差し出した私の手を取ったロバートが、強い力で引き止めた。
「いいえ陛下。それは危険です。御意を得て、俺が行きます」
「でも……」
「陛下。あの場所に、貴女の失脚を目論む人間が集っていたことは確かです。ノリッジは遠い。あなたが、人の目を盗んで向かうには、道中も含めリスクが高い。それに、俺がノリッジを出た日に、陰謀に関わっていた執事長が行方不明になっています。もしかしてすでに、ノーフォーク公の関与がばれ、政府の手が入っているかもしれない。そんな場所に貴女が姿を見せては、まずいことになる」
「けど、それだとロバートが……!」
陰謀の首謀者と目されている男の屋敷にロバートが乗り込んだところを抑えられれば、彼の立場が危うくなる。
「俺は大丈夫です」
「何を根拠に……!」
楽観的な笑みを見せる男に食い下がると、握っていた手を引かれ、胸に抱き込まれた。
背と後頭部に手が触れ、耳元で決意のこもった囁きが響く。
「祈っていて下さい」
「……っ」
すぐに離れた男の足音が遠ざかるのを背中に聞き、私は小さく答えた。
「……祈ります。ロバート」
~その頃、秘密枢密院は……
「陛下がレスター伯の屋敷へ?」
いつもの女王身辺の定期報告が、予想外の言葉で飾られ、セシルは意外な表情を隠さずに、報告者の顔を見返した。
「レスター伯につけたスパイの話では、ロンドンの屋敷に戻った途端、急に体調不良を訴え、陛下に最期に一目会えるよう、嘆願書を秘書に書かせたようです。陛下の、弱っている男を放っておけない性質を利用して屋敷に呼び寄せようとしたのでしょう……まぁつまり、仮病でしょう」
「あの男は……!」
しれっと報告したウォルシンガムに、セシルはこめかみを押さえた。
「よくもそこまで……」
呆れを通り越して怒りに到達し、一周回って感心する。
女王の歓心を買うことに関しては、なりふり構わぬあのプライドのなさは見事だ。
簡単に引っかかる方も引っかかる方だが、女王を仮病でおびき出そうなど、普通誰が考えるだろう。
「あの男はどういうつもりなのか……まさか、首尾良くいかなかったことを、まともに報告するのが怖くて、などという、くだらない理由では……」
レスター伯の行動に引きずられ、そんな低次元な推測が頭に浮かぶ。
だが、ウォルシンガムの回答には、何かを察したような含みがあった。
「その可能性も大いに否定できませんが……もしくは、何かを『知った』のかもしれません」
「何か……?」
顔を上げたセシルの問いには直接答えず、黒衣の男は、鷹のような眼差しで別件を報告した。
「サー・ウィリアム・セシル。先日、あるウェールズの服地商人の荷から、不審物が発見されました。500ポンドの現金と、暗号で書かれたいくつかの手紙です。荷を託された商人が、重量を不審に思い、当局に通報してきたため、中身を調べたところ、そのような物品が出てきました」
「……!」
直感的に、その思いもよらぬ拾得品の重要性を理解し、セシルは素早く思考を切り替えた。
「服地商人は何も知らされていないようでしたが、手紙の差出人と受取人を突き止めて逮捕しています。ヒグフォード、パーカーという名のノーフォーク公爵の秘書2名、および執事長のバニスターです。ヒグフォードとパーカーは3日前にシュローズベリーで逮捕し、バニスターは2日前、ノリッジの公爵邸から出てきたところを捕まえています」
2人の秘書が捕まったというシュローズベリーは、メアリーが滞在しているタトベリー城の隣の州にある、大きな街だ。
「500ポンドの現金の出所を辿ってみると、面白いことが分かりました。フランス大使館を経由して送られてきた、メアリー・スチュアートの寡婦年金です。これは、メアリーの代理人であるロス主教から、北部のメアリーの支持者への献金でした」
「…………」
報告を聞くほどに、セシルの顔から表情が消えた。
後には、冴え冴えとした冷たさが残る。
「問題は、暗号文の方です。こちらも、ロス司教からメアリー支持者に宛てたもので、北部貴族による蜂起と、タトベリー城のメアリー救出作戦、そしてエリザベス逮捕に至るまでの手筈が説明されていました。また、この手紙と、逮捕者たちの告白から、解読が難航していた『30』と『40』 の正体がわかりました」
「……!」
最後の一言に息を飲み、セシルは、男の提示する答を待った。
すでに、セシルの脳裏では、全ての糸が繋がっていたが、いまだそれは推測の域を出ない。
欲しいのは、決定的な証拠だった。
「『30』はスペイン大使、『40』はメアリー・スチュアートでした」
糸が、繋がった。
「スペイン大使、メアリー・スチュアート、ノーフォーク公爵……」
一連のリドルフィの陰謀でその影をちらつかせながらも、決定的に名が挙がらなかった3名の大物を結ぶ、黒い糸が浮上したのだ。
だが、椅子に背を預け、天井を仰いだセシルの胸を埋め尽くしたのは、喜びでも達成感でもなく、現実の無情さに対する、得も言われぬ哀しさだった。
神は、どこまで彼女に辛い決断を迫るのか。
そう思い、過ぎったある感情を握り潰し、セシルは静かな声で命じた。
「逮捕した3人とも拷問部屋へ。知りうる限り全てのことを白状させ、疑う余地もない有罪の証拠を挙げなさい」
「――承知しました」
ウォルシンガムが胸の前に手を当て、答える。
なぜ『疑う余地もない証拠』にこだわったかは、この男もよく理解しているはずだった。
セシルは席を立ち、続けた。
「私はロス司教の尋問に向かいます」
かの男は外交官特権を盾に取り、尋問を逃れようとしていたが、セシルはすでに、国家転覆の陰謀に身を投じた外交官には、いかなる特権も適用されないという裏書きを取っていた。
尋問に応じなければ拷問官に引き渡すと脅せば、さしもの司教も逃れられないと悟るだろう。
「それから、サー・ウィリアム・セント・ローに、すぐにノリッジに向かうよう命じます」




